金貨の娘

夕食を済ませたわたしは、
ベッドの上で足を伸ばして座って待つ。


太腿の上に本を開いているだけで、
身体中が熱と痛みに襲われていた。


スーは朝に出掛けたまま、
まだ帰って来ない。


彼女不在のベッドは相変わらず、
羊皮紙のゴミに埋もれている。


サンサの足音が部屋に近付き、
扉が蹴られた。


先に部屋に入ってきたのは黒猫のアルと、
ファウナから預かった白猫だった。


「まだ本を読んでたの?」


わたしは下唇を軽く噛んで、
脹脛を指示して無言の抗議をした。


――身体が痛くて眠れないの。


大陸語の本は読めていない。


「筋肉痛ね。
 傷付いた筋肉を修復する時に起きるのよ。

 身体が鍛えられている証拠よ。」


「筋肉を傷付ければ、
 身体が鍛えられるの?」


「暴論ね。
 でも身体は適度に動かした方が良いわよ。

 ヤゴウみたいなお腹にならない為にね。」


白猫はもう寝ているのか、
アルに首元を噛まれながら、
部屋の奥へと静かに運ばれる。


白猫の掠れた鳴き声が奥から聞こえた。


サンサのベッドの足元には、
アルの寝る場所が用意されている。


「ニクスはスーに倣って、
 もっと外に目を向ければ、
 自然と身体が動くようになるわよ。」


「ねぇ、スーってどこに行ったの?」


「寂しいの?」


「人攫いに遭ってるかもしれないし。

 心配してるんだよ。」


捓うサンサに言い返す。


「それはないわね。
 フランジ一人で出歩かせないもの。

 それに護衛も付いてるわよ。」


「ユヴィルの傭兵はまだ居るんだよね?」


「その可能性は無いわね。

 連中の拠点は、街の西側だもの。

 彼らが子供一人を誘拐する為に、
 ここまで来るとは思わないわ。

 身代金目当ての誘拐なんて、
 どこの街でも重罪になるのよ。」


わたしは首を横に振って、
彼女に別の可能性を問う。


「報復に来るとか。」


サンサは傭兵を二人、殺している。


「あなたが来てから
 何日経ったと思ってるの?

 もう農休みよ。」


サンサは椅子に座って、
テーブルにランタンを置いた。


「あなたも見たでしょう?

 西の傭兵はどうして夜に、
 干し草を担いで出歩いてたのかしら?

 それもこんな近くにまで。」


「確か『鼠共が火を放つ。』
 って言ってたね。」


マルフとの会談では、
彼らを鼠と呼んでいた。


「あなたを誘拐しようと騒いで、
 配下をわたしに殺されたのよ。

 命令した放火すら失敗したユヴィルは、
 大恥を掻いたわね。

 彼は同じ過ちを繰り返すほど
 愚かではなくとも、矜持がある。

 悪賢いあの老獪のことだから、
 なにか企んではいるのでしょうね。」


「それならスーも狙われるよね?

 だってスーは、傭兵を殺した
 サンサのフランジだから。」


焦りを感じるわたしを見てもサンサは笑う。


「この館に招かれない彼らは、
 わたしやスーの顔も知らないのよ。

 オーナーのルービィが東部周遊中に、
 報復を行う虚栄心の持ち主とも
 考え難いわね。

 それになにより、
 農休みにやることではないわね。

 夜の館を騙る『闇の館』は娼婦を使って、
 星鳥からお金を騙し取る方を
 優先するわよ。」


冬を前に営巣地を離れ、
温暖な土地で過ごす星鳥の名は、
この街では農閑期に訪れる出稼ぎや、
驕った人間を揶揄する蔑称になっている。


「高利貸しのユヴィルは金貨の奴隷よ。

 傭兵を名乗ってる配下の連中は、
 いまごろ客引きに駆り出されてるわね。

 報復を行うのなら、多少強引でも
 もっと確実な行動に出るはずね。

 そして、その報復にまた失敗したら、
 あの老獪はさらに恥を掻くわ。

 その時は恥だけで済むのかしら…。」


ランタンの光の中、
サンサは口角を上げる。


「ユヴィルの件は、
 マルフに任せればいいわよ。

 ニクスはあの猫を飼って
 どうするつもりかしら?

 芸でも仕込んで披露するの?

 道端の娼婦と同じ程度なら稼げるわね。

 でも集中の短い猫に、
 芸を仕込むのは難しいわよ。

 市場でなら鼠除けに売れるわね。

 それとも解剖でもするの?」


「そんなことしないよ。
 ファウナに押し付けられたんだよ。

 認証管理の仕事と交代したいからって。

 この部屋にはアルも居るし、
 サンサに頼めば飼えるって
 ファウナも言ってたよ。」


「意志薄弱な答えね。

 わたしが断れば、
 あなたはファウナに猫を突き返すの?

 ファウナの代わりに
 捨てるつもりがあったのなら、
 止めたりはしないわよ。」


「それは…できないわ。」


「あなたは認証管理の仕事、
 やりたがっていたものね。」


「言ってない…。」


否定しても、サンサは話を進めて頷く。


「猫を飼うことを条件に、
 この館で働く口実にするには
 丁度良いわね。

 捨てるものにも価値はある、
 というわけね。

 あなたが館でできる仕事って、
 他になにかあるかしら。」


彼女の質問にわたしは俯いた。


「良い機会だもの、
 認証管理の仕事はやってみなさい。

 すぐに出来る仕事では無いから、
 ダメならその時考えればいいわ。

 長年やってるボナも居ることだし、
 他のひとに頼ることも意識しなさい。

 わたしなんて右腕が無いから、
 他人を頼るのは得意なのよ。」


衣装室の鍵をわたしに押し付けたひとが、
自虐して微笑を浮かべる。


「自分にできないことを、
 自認することも大切ではあるわね。

 誰もあなたに、
 肉体労働者と同じ仕事を
 望みはしないでしょ?

 それに飼ったこともない猫の飼育を、
 あなたに任せるのは危ないわ。」


「うぅん…。」なにも否定できない。


「人間が食べられるものでも、
 猫にとっては毒になる食料もあるのよ。

 小さいうちの世話はアルに任せなさい。

 あなたは自分にできることを、
 自分の目で見つけることね。

 大陸語が読めるようになるとかね。」


「えっと…飼ってくれるの?」


「猫を飼う代わりに働く、
 なんて考えないことね。

 猫はあなたにお給金を支払わないもの。」


「良いの?」


「子猫の1匹を追い出すほど、
 夜の館は狭量ではないわよ。

 犬と違って吠えないし。

 この部屋で飼わずに、
 ファウナやフランジの誰かが
 猫の世話をしてしまうと、
 館の仕事に支障が出てしまうわ。

 ここならアルが居るもの。」


部屋の奥でアルが話を聞いていたのか
ミャオと返事をした。


「猫の名前はもう決めたの?」


「名前…考えてない。
 白毛、青目、湖、海、…ラッガとか?」


ファウナが言うには、
ラッガは船の係留索に取り付ける
鼠除けの板らしい。


「ラッガは良くないわね。」


サンサの意見にわたしは頷き、訊ねる。


「アルの名前が、
 狩猟と貞潔の女神が由来なのは、
 目が月と同じ金色だから?

 でも、月の女神にはしなかったんだ。」


狩猟と貞潔の女神は、
月の女神のセリーニと同一視される。


「あなたのように神話の知識がある子は、
 由来を勘違いするのよね。

 元は古代にできた名前で、
 語源は『要塞』と『町』の二つの単語。

 これを組み合わせたものが
 使われるようになったのよ。」


「昔のひとは要塞都市って呼んだりしたの?

 強情なひとに?」


「ふふっ。
 性格ではなく女に名付けるのよ。

 貞淑という意味で使うわね。」


「貞潔の女神と同じ意味だよね。」


「同じ解釈がされたの。

 船や港と同じで、
 要塞の町からひとの胎内、
 母体を連想したのかしらね。

 神話の時代よりは新しいけれど、
 古代から遥遠代にも使われていて、
 アルはもっと長い名前なのよ。」


口振りからして、
サンサがアルと名付けたのではないらしい。


「正確にはなんて名前?」


「アルゥ…デラ…?

 グルグスより長くて発音が難しいから、
 アルって呼んでいるのよ。

 もう、話が逸れてるわね。

 名前の由来で言えば、
 メノーは浮き彫り細工になる鉱物、
 ルービィは透明度のある宝石よね。」


「別のものから付けたんだね。
 それなら白いから――。」


わたしが言った時に、部屋の扉が開く。


「ただいまぁ。…なにかあった?」


帰ってきたスーが、
テーブルに突っ伏して
笑い震えるサンサを見た。


「待って!」わたしは焦って叫んだ。


「聞いてよ、スー。

 ひっ…、ふぅ…。
 ニクスってば…。」


「だって!

 そこまで笑うような
 おかしな名前ではないでしょっ?」


自覚のない理由で笑われて、
それが次第に恥ずかしくなってきた。


「ファウナの隠してた猫を、
 ニクスに名付けさせようとしたら、
 白いからって、ふふっ、
 『砂糖』って…」


サンサはお腹を抱えて苦しむ。


「砂糖? 砂糖って…、猫なのに?

 ニクスは砂糖を見かけたら、
 これからなんて言うの?

 砂糖を白猫って呼ぶの?」


「ちょっと、スー!
 これ以上、笑わせないでっ。」


サンサは堪えきれずに、
天井を仰いで哄笑した。


「酷いっ。
 また二人してわたしを捓って。」


「ニクスもちゃんと考えてみてよ。

 捓われるのは、
 名前を呼ばれる方だよ。

 子供や物質、家畜に名前を付けるのなら、
 名前を呼ぶひとや呼ばれる相手のことも
 考えないとね。」


「うぅん…確かに呼びにくいね…。」


「知性に溢れる感じでいて驕らず、
 呼びやすくて、こうなって欲しいって
 理想や願いを込めて名付けるものだよ。

 砂糖になられても困るもんね。」


「ふふっ。
 もうダメだわ…。

 これから砂糖を見たら
 思い出して笑うかも…。」


「ほら。こうなるんだよ。」


スーは羊皮紙が積まれたベッドに座った。


「考えるからっ! もう笑わないでっ。」


「ニクスが飼うの? ファウナの白猫。」


「しばらくはアルが世話するわ。

 名付けるのはニクスに任せたの。

 おかしな名前にはしないでよ。」


呻くわたしは砂糖が頭から離れない。


――砂糖は甘くておいしいし、
  綺麗で貴重なものなんだし、
  呼びやすくていい名前なのに…。


「ニクスが名付け親になるんだし、
 イオスっていうのはどうかな?

 暁、夜明けの女神だね。」


「スーが名付けてるわよ。」


「どう? ニクス?」


「イオス…うん…。良いと思う。
 似合ってるから。」


――イオス…。


スーの付けた名前は綺麗な響きで、
わたしは頭の中で繰り返した。


「まぁいいわよ。アル。
 その子の名前はイオスよ。」


アルはスーのベッドに跳び乗って、
羊皮紙に後ろ足を滑らせミャオと鳴いた。


「今日はスーの帰りが遅いから、
 ニクスが寂しがって心配してたわよ。」


「捏造しないで。」


誤解されないように首を振って否定する。


「えぇー照れるなぁ。

 アイリアに工房を借りて、
 夕食まで頂いてきたんだよ。

 それに私はニクスでもないから、
 勝手にどっかへ行ったりしないよ。」


「もう。二人して捓わないで。」


わたしは笑う二人の顔を見られず、
ベッドのクッションに顔を埋めた。


「ニクスが気になるから、
 サンサも構うんだね。

 見て、ニクスも。

 やっと出来たんだよ。」


肩に背負っていた革袋から、
今朝持っていった箱を取り出した。


「なにができたの?」


「大人の嗜みってやつだね。」


箱から中身を取り出して、
羊皮紙の上に広げる。


勉強会で彫っていた手のひら程度の板。


彫られた溝の中は、
黒の塗料で塗られている。


「これが四時の札ね。

 他にも賭け札や四季札、一日札なんて
 呼ばれてる札遊びの道具だよ。」


――大人の嗜み…?


「…これで、なにかを賭けるの?」


「なにも賭けないよ。たぶんね。

 ニクスは持ってなかったから、
 今度は私が作ってみたんだよ。」


サンサがマルフと一緒にしていた札遊び。


数字や記号が彫られた札に触れる。


滑らかな手触りの札には、
滑らかではない彫り跡があって、
彼女の懸命さが窺えた。


「サンサ。」


「はい。分かったわよ。

 これはわたし達から、
 ここへ来たニクスへの贈り物。

 これでいいかしら?
 言い出して作ったのも、全てスーよ。」


「うん。
 でもお金を出したのはサンサだから。」


「わたしが使うお金は全て、
 ルービィのものよ。

 礼はスーにしなさい。

 それとこの札で勝てなくても、
 苦情はスーに言いなさい。

 いいわね。」


「それは私にされても困るよ。」


「ありがと。スー。
 上手にできるか分からないけれど。

 アルも、ありがと。
 イオスの世話を押し付けてしまったわ。」


スーのベッドの上のアルが
前足を揃えて座り、ミャオと返事をした。


「サンサは、えーっと。」


サンサはわたしを買ったドレイプ。


「わたしはなにもしてないから、
 無理になにか言わなくていいわよ。」


「あはははは。」


サンサのその言葉を聞くと、
スーが突然笑い出し、
今度は彼女がクッションに顔を埋める。


ベッドに居たアルが驚き、
彼女の頭を前足で素早く叩いた。


「どうしたの? スー。」


「いいのよ。
 放っておきなさい。

 昔のことでも思い出したんでしょ。」


「だって…。ふふふっ。あははっ。」


スーは髪を解きながら、
笑い過ぎて涙を零す。


「これ以上騒がないでよ。

 もう遅いから二人とも寝なさい。」


四時と呼ばれた札を箱に収め、
わたしは毛布を被った。


「おやすみなさい。」


「ふふっ。おやすみ。
 あーおかしい。」


「ねぇ、二人共、歯を磨いた?」


「わっ! まだだっ!」


スーと揃ってベッドから跳び出た。


スーは笑ってサンサのランタンを持つと、
わたしを置いて先に階段を下りてしまう。


歯木を使って歯を磨く為に、
浴場の外にある流し台まで
行かなければならない。


「痛た…。」


レナタと踊り過ぎて身体を痛めたわたしは、
月明かりの中で階段を下りるのも苦労する。


「ねぇ、ニクスっ。

 ついでに井戸の水も見に行こうっ!」


「スー! 待って!」


「先に行くからねぇ。」


言ったスーはわたしが降りてくるのを待ち、
暗い足元を下からランタンで照らす。


彼女は手にしたランタンを、
身体と一緒に円を描いて回している。


月とランタンの灯火に照らされ、
背後に影を作りながらわたしを呼んだ。


スーの金色の髪が、
二つの光に照らされて輝き、
動く影と共に揺れていた。



 ◆ 第4章 『月夜の光』 おわり