空港
彼は空港まで迎えに来てくれた。
会ってハグをした。一年ぶりの私たち。どこかぎこちないハグだった。
最後に別れた時に花の話をしていたから、持ってきてくれるかなってどこか期待していたけど、彼は何も持ってきていなかった。
彼は私の荷物を受け取り、先にスタスタと歩いていった。
私の心は不安でいっぱいだった。彼がどう思っているのか、わからなかった。この一年、彼に何があったのか、私は知らない。
知っているはずの彼の中に、知らない彼がいた。
私の中の彼は、一年前の彼だ。あの街で、きちんと別れを告げずに去っていった彼。住む場所を決めるときも、彼のやり方で決めてしまった彼。
彼は厚底靴を履き、顔に白い粉をつけ、髪を整え、ムーミンのスナフキンのようなコートを着ていた。彼なりのおしゃれをしていた。
私の好みではなかったけれど。大きな日だからと身だしなみを整えてくれているのは嬉しかった。
家に向かう電車の中、何を話したのだろう。
一つだけ覚えているのは、私があの街で勉強していた内容についてだ。
昔の彼は、私の意見を聞き、質問してさらに話を引き出し、すべて聞いたうえで彼の意見を言ってくれた。意見が違っても、異なる視点から私の考えを議論する余地を与えてくれた。
でも、なぜかその日は「議論」になった。彼は彼の意見を、私の意見と対立する位置に置いた。意見の違いを聞き入れようとせず、彼の意見が正しいものとして、そこに掲げた。
かつては、意見が違っても同じ土俵にいられると感じさせてくれたのに、なぜか今日は別々の土俵に立っていて、彼は私の土俵には目もくれず、自分の土俵だけが正しいと主張しているように感じた。
私が話す意味は、そこになかった。
結局、話題を変えることしかできなかった。
鍋
その夜、二人で鍋を食べに行った。近所のお店。あまりお客さんはいなかった。
乾杯するとき、彼が言った。
「一年後、結婚できたらいいね」
私の今の状態も、私たちの関係がまだ「ある」のかどうかもわからないまま、彼はそんなことを口走った。
つい数ヶ月前には他の女の子のところに行っていたくせに。「ありがとう」も「ごめんね」もなく、そんな言葉で乾杯を求められた。
私の心には、それらのしこりがまだ残っていた。素直に喜べなかった。
そんな言葉で水に流すこともできず、「過去は忘れて、とりあえず楽しもう」と言って、私はグラスを合わせた。どっちが理想主義者なのだろう。
現実を見て、現実と向き合おうとし、自分の心と向き合おうとしていたのは、私のほうだ。
親や世間体ばかりを気にし、自分が理解されることだけを考え、そんな「上っ面」の言葉で乾杯したのは、どっちだよ。
障壁
彼の国に来ることは、思っていたより、ずっと障壁が高かった。
何をするにも、彼に頼らなければならなかった。
来る前からもちろん、ここ数年は彼の国言葉を勉強してきた。でも、日常会話に不自由なく使えるほどには、まだ上達していなかった。
今でも覚えている。空港について初めて地下鉄に乗ったときのことだ。駅の手荷物検査で、ハサミを持ち込んではいけないと知らなかった私は、スーツケースにハサミを入れていた。
係員が荷物の中からハサミを出せという。
荷物をすべてひっくり返し、小さなハサミ一本を見つけ出そうとする。なかなか見つからなかった。危ないものだとわかっていたので、布に包んで持ってきていたから、余計に見つかりにくくて。
彼はただ横に立って、そんな私を見て、指示を出していた。
手続き
翌日、携帯電話と銀行口座を作りに行かなければならなかった。彼は一緒について来てくれた。
仕事の邪魔をしたくなかったから「大丈夫」と言ったけど、時間を縫って来てくれた。
携帯電話の契約。どんなプランがあるのか、私にはよくわからなかった。この国で携帯を使うとき、データ通信量をどれだけ使うのか、実感が湧いていなかった。
彼は料金プランの用紙を見て、「今セール中のお得なプランにしたら」と言ったくれた。
私は、全部ある中から一番いいものを選びたかった。
彼は効率重視だ。「使えるデータ量があって、キャンペーン中なら、これを選べ」って。内容を説明してくれなかったから、私は彼を信じるしかなかった。
それでも「もっと安いプランはないの?」と聞いてみた。
私の国では、外では携帯をあまり使わないからデータ通信量は多く要らない。でもここでは、何をするにも携帯がなければ始まらない。支払いも、電車も、連絡も。携帯が使えなくなったら、おしまいだと言われた。
彼の言うことは一理ある。でも、来たばかりで、ただ彼に従わなければならないと感じてしまった状況は、私の気持ちをモヤモツさせた。
そして銀行。ここでも、私は彼に従うだけだった。サインするとき、「読めないから読んで」と言うと、「どうでもいい説明。とりあえずサインしとけ」と言われた。
私は彼の国の仕組みを知らない。リスクはないのか、今後使いやすい銀行なのか、いろいろ知りたかった。けれど、それを話す言語力もない。ただ黙って彼に従った。
この国に来たのは、彼と話すため。彼の声を聞くためだったのに。すべてが、彼のやり方で進んでいく。ストレスが、少しずつ、少しずつ、積もっていった。
アプリ
電話番号ができてから、彼に「どんなアプリが必要か」聞き、ダウンロードした。最初の登録では、身分証明書が必要なことが多かった。
パスポートでの登録には時間がかかる。登録できるものも、できないものもある。
その度にカスタマーサービスとやり取りをしないとけない。
そんな不便に直面するたびに、少しずつ、「歓迎されていない」、と感じた。
国を守るために必要なことなのだ。頭ではわかっていても、壁にぶつかるたびに、心に何かが積もっていく。
包容力
これらの障壁を目の前にしている私に、しかも、心が常にズタズタの状態の私に、彼を包み込めるような包容力を持てというのは、少し残酷だったように思う。
そして、この国に来たばかりの私には、話せる人がいなかった。この国に来て、自分の言語力がいかに低いかを、思い知らされた。テストで点が取れるから、少し読めるから大丈夫だろうと、たかをくくっていた。
でも来てみたら、日常会話さえできない。何を言っているのか、単語すら聞き取れない。それが現実だった。
職場のみんなは優しく迎え入れてくれた。けれど、彼らとの会話にも、言語の壁は常に立ちはだかっていた。
楽しく、好きなペースで話すことができない。言葉にする前に、どの単語を使うか、どう伝えるか、ずっと考えなければならない。
みんなのことは好きだし、優しくしてくれて感謝もしている。それでも、この時は何も考えずに、気軽に話せる人が欲しかった。
それは彼だったのに。彼だけだったのに。家に帰って、全部彼に話そうとすると、「子供みたいだ」と言われ、「私の彼氏じゃなくて、父親みたいな気がする」と言われた。
ーーこの一年、ずっと待っていた。君が聞いてくれるのを。
こんなふうに話がしたい、知ってほしい、頑張っているんだって見てほしい。全部君のためにこの国に来て、こんな苦労があるけど、一緒にいたいから横にいると。
そんな会話ができるスペースがあると思ったら、時間があると思ったら、そこに二人は、いなかった。
私たちの間にあったつながりは、もう消えていた。
職場のボスは、手取り足取り教えてくれる、とてもいい人だった。でも、少し私にとってとっつきにくい人でもあった。
だから、ボスの前では少し緊張してしまっていた。
それを彼に伝えると、「それ以外に、私と同じ国から来ている人はいないんだから、友達になれよ」と言われた。私の心の内を聞かずに、ただ表面上の正論を突きつけられた。
何がいい? 何が悪い? 何が正しい? 何が間違っている?
そうじゃない。そんなの全部忘れて、心を抱きしめてくれる、そんな人が欲しかった。そんな彼が、恋しかった。
ご飯
ご飯を食べるとき、同じテーブルで同じものを食べる。
これは、理想だと言われても仕方のないことだったかもしれない。
私の家では、みんな別々に、好きな時間に、それぞれの部屋でご飯を食べる。昔は一緒に食べていたけれど、一緒に食べていても両親は喧嘩するばかりだし、学校はどうだと詮索されるのも嫌で、少しずつみんな部屋に籠るようになっていった。
だから、一緒に同じものを共有し、同じテーブルに座って食べるというのは、私にとって温かい家庭の象徴だった。
私の仕事は夜8時に終わる。彼のほうが少し早く帰ってくるから、ご飯を作ってくれていた。この点は、彼も頑張ってくれていた。
でも、彼はもう一人で晩御飯を済ませていることが多かった。そして、私が食べているのをよそに、彼は同じテーブルに座らず、隣のソファに行ってしまう。
それが、どうしようもなく悲しかった。
私が来たばかりの頃、彼は海外ドラマをよく見ていた。
私にはストーリーがわからない。知らない言葉でののセリフに、彼の国言葉の字幕。わからないものに、もう一つわからないものが重なる。
彼はあらすじを教えてくれるわけでもなく、一人で見て楽しんでいる。
祝日も、私はこの国に来たばかりで、いろんなところに行きたかった。彼はそんな私を、「旅行気分かよ」とあしらった。
彼は公園で毎週筋トレするというから、一緒に行かせてもらった。でも、筋トレなんて、一人でも二人でも同じだ。
ただ走るだけなら、一緒にバドミントンとか卓球とか、二人でできることをしようよ、と言っても、道具を買うのにお金がかかる、と言われた。
そのときはそうか、と諦めた。けれどその後すぐ、会社の同僚とバドミントンするために、彼はラケットも靴も揃えていた。
それに、中古を買えば、かかるお金なんて知れていたのにね。
こんな風に、同じ空間にいるのに、何も共有していない。
ただそこにいるだけ。いないのも、同じことだ。
彼との生活を作りたいのに、彼の生活に私が入り込むだけで、彼は私の生活を見ていない。そんな気がして、心が重くなった。
料理
料理には、問題があった。私たちの国の食材は似ているけれど、料理の方法はまったく違う。
まず、火の使い方がわからなかった。こんなに強い火を使ったことがなかった。料理をすると、外は焦げているのに、中は生っぽかったりする。
何を作ったらいいのかもわからない。料理法も違えば、食材も違う。この国で作れる料理が、何も頭に浮かばない。
食材ひとつひとつの名前もわからない。私の国のネットで検索すれば、私の国の料理が出てくる。この国の言葉で、この国のネットで調べなければならない。
すべて、ひとつずつ翻訳アプリで食材の名前を調べ、その単語をコピペして検索する。この一手間が、余裕のないときは大きなストレスになった。
元々、料理が得意なわけではなかった。作り方を見たこともないものを作れば、どれもとても下手になる。
火の通りが悪かったり、味がしなかったり。
料理というものは、習慣を体現するものだ。私の国の料理なら、作ったことがなくても、完成形がどんなものか知っている。子供の頃、母が作っているのを見てきたから、なんとなくそれなりのものは作れる。
でも、この国の料理は、味の基準もよくわからなければ、初めて見る食材もある。醤油だけでも何種類もある。
だから、料理は彼がほとんど作ってくれた。
彼がお母さんと電話していて、「料理はどうしてるの?」と聞かれて、「自分で作ってる」と答えた。お母さんは、言葉がないように「へえ」とだけ返していた。
彼が仕事で、私が休みのときなどは、私も作ろうと頑張っていた。その分、掃除や洗濯をやろうと頑張ってた。
彼がご飯を作ってくれてる。事実だ。感謝もしている。でも、モヤモシとした気持ちが残っ
洗濯物
私は、洗濯物を外に干した。私の家ではそうしていたし、そのほうがお日様の匂いがして好きだった。
すると彼は、黒い服は外に干してはいけないと言った。
また下着と靴下は洗濯機で洗ってはいけない、と。
こういった違い自体は、私だって受け入れられた。
覚えているのは、彼がその後に、「君には生活力がない」とも言ったこと。
習慣の違いを、指摘してくれたら帰ることはできた。
でもそれを批判のタネにするのは理解できなかった。
お金
お金は割り勘にしていた。
多分、これも彼が好まなかった部分だ。
私は、この国での金銭感覚がまったくなかった。私の国では、それぞれのものにどれくらいの値段がするのか。それは計算すればわかる。
でも、この給料に対して、家賃がどれだけか、ガスや水道、電気代、食費、娯楽費、交通費、ネット代など、月々にいくらかかっているのか、はっきり知っておきたかった。
だから、割り勘にしてほしいと頼んでいた。
彼は面倒だし、細かいと思っていたに違いない。それでも、一応ずっと割り勘でしてくれていた。
それに、私は節約したかった。
二人でデリバリーするより自炊が安いから、自炊がしたかった。外食も控えたかった。これまでの貯金は少しあったけれど、これからの貯金がどれだけできるのか、まだわからなかったから。
これも、彼が嫌な部分だったのかもしれない。その後、反動のように外でばかり食べていた。それも、給与に限りがあるとわかってから、がくんと頻度を減らして自炊に戻っていたけれど。
食生活というものは、生活習慣がそのまま現れる。
彼の過去一年の生活は、貯蓄もないのに贅沢な食事を与え、貯蓄よりも贅沢さを求める感覚を彼に植え付けたようだった。
将来
私にとっての将来は、彼と一緒に決めるものだった。
この国に来たのも、一緒の将来を話すためで。彼がどんな生活をしたくて、どこで生きていくのかを話すためで。
でも彼は、もう聞く耳を持っていなかった。
彼はもうすぐ30歳になるから、すぐに結婚がしたい、子供も欲しいと言った。「できたらすぐ子供が欲しいし、家買って、車買って」って。
この頃には、私たちの間はもうぎくしゃくしていた。彼はそれを、私たちが離れる言い訳として言ったのだろうか。
そこには、私と一緒に未来を描いてくれる彼はいなかった。ただ、世間体を気にしただけの将来像を考えている彼だけがいた。
兄が結婚した。姉が結婚して子供がいる。だから彼もそうする、と。
妻となる可能性は覚悟していた。けれど、彼のエゴと彼の家族の要求ばかりが見えて、私がどこにもいない状態での結婚なんて、まったくダメだった。
優しさが、温かさが、見えなくなっていた。
一年後、結婚はできると思った。二人の意思があれば。
結婚式をするくらいのお金は貯められるだろう、と。
でも、子供を養えるだけのキャリアもなければ、お金もない。
それは彼にとっても同じで。でも私はまずは自分のしたい仕事ができる環境を見つけ、ある程度のキャリアを築きたかった。
それに、彼がもう子供を養ってパパになれる人なのか。それもまだ、わからなかった。
数年前、一緒に遊園地に行ったときのこと。アトラクションの列に並んでいて、前の男の子は一人で並んでいた。けれど、高さに足が届かない。お母さんは下で写真を撮ろうと待ち構えていて、彼の横には誰もいなかった。
そんな男の子に、彼は「助けがいる?」と声をかけた。
この場面では、みんな手を差し伸べると思う。
でも、子供が「助けが必要だ」と決めつけた頭のまま、子どもの意思を聞く前に「こうしたらいいよ」とやってしまう人が多いと思う。私もそうだ。
だから、彼が「助けがいる?」と子供の意思を確認していたのが、そんな親が欲しかったなと思わせたし、そんな親になる彼を横で見ていたいと思わせた。
今、そんな彼がまだ彼の中にいるのか、わからなかった。
それに、結婚して、その時に私の考えを聞いてくれるのだろうか。私を、彼と彼の家族の言いなりにするのだろうか。
そんな不安もあった。
それに、子供を作るということは、出産をするということだ。彼は、そんな大事な時に、私の横にいてくれるのだろうか。この国での出産は、制度も何もかも違う不安の中で。私が出産する時に、私の隣にいてくれるのだろうか。通訳してくれるのだろうか。
妊娠中はホルモンバランスのせいで、心情が不安定になるという。不安定な私を、横で慰められる器量が、今の彼にあるのだろうか。
すべて、思い浮かべられなかった。
一緒に住み、隣で歩き、少しずつ信頼関係を取り戻していきたかったのに、彼は理想を口にし、そこに満たない私をダメだと切り捨てようとしていた。
アイスクリーム
住むところも、問題だった。
私は、まだ二人で海外に行って住めると思っていた。私の国でもいい。
だって、彼の国では、今のところ自分のしたい仕事ができなかったから。自分のしたい仕事に近づける方法を探していて、彼に違う国も視野に入れて、と話した。
そしたら彼は、もう海外には行きたくない。無理だ、と言った。
私が来る前は、いろんな国の名前を出して「行ってもいい」という感じだったのに。今の仕事がいいという。条件も悪くない、と。
私の仕事。私のしたいことを考慮に入れていない答えに、愕然とした。
私が求めているものは、住むところじゃない。
海外に行きたくなくなった、行けなくなった。それでもいい。一緒に話してさえくれれば。
それなら、この彼の国で、私がどうやってやりたいことに繋げられるのか。そこを一緒に考えてくれるのでもよかった。
でも彼はただ、「海外に行きたくない」。私との価値観が合わない、で済ませようとしていた。
家の近くにアイスクリーム屋があった。
帰り道、一緒に行って、買って食べながら歩いて帰ったことがある。
彼は、こんな小さな幸せがいいんだ、とつぶやいた。
そして、私はそんな小さな幸せじゃ満足しない、と言ってきた。
いろんな国に行って、たくさん旅行して。毎日が非日常じゃないと、幸せを感じられないやつだと。
私がずっと欲しかったのは、彼のpresenceだった。
アイスを一緒に買って帰る。今この瞬間を大切に思っていないなんて、そんなわけがない。
まだ春になりきっていない、肌寒い夜に、アイスを買って、一つはバニラ、もう一つはスイートポテト味。半分ずつ分け合って、一緒に帰るその数分が、愛しくないわけがない。
旅行に行きたいのは、一緒にいろんなところに行きたいのは、今の私たちの「家」が、私がいてもいなくても同じと感じてしまうからだ。
新しいところに行けば、二人とも知らないものに囲まれる。君と私は同じ状態でいられる。互いに、そこに「いられる」。
目の前のものを、一緒に共有している感じを、感じられる。
だから、休みのたびに一緒にどこかへ行こう、と誘うんだ。別に家でもいいんだけど、家だと、一緒に掃除して、昼ごはんを食べて、その後に「疲れた」と言って部屋に入り、寝ているふりをしながら一人スマホをいじって、私を置き去りにする君の姿が、頭に浮かぶから。
一緒にいたくて、ここに来たのに、同じ空間にいるだけで、同じもの、同じ時を共有していない感じがまとわりつくのが、嫌なだけなんだ。
そんな私の想いも、もう聞きたくない。何も言うな、と封じ込める彼の背中は、奇妙に丸まっていた。
家
彼は、いい家だろう、いい立地だろう、と言っていた。
うん、その通りだ。来たばかりの頃は、それでも少し高いんじゃないかとか、もっと探せば他もあったんじゃないかとか。彼が決めてしまったことに対するモヤモヤが心に残っていて、素直に「ありがとう」と言えなかった。
それに、来る前に私が言ったことを、彼はしてくれていた。
黒板に予定を書きあえるね、と言っていたから、チョークを買っておいてくれた。
一緒に映画とか見たいね、と言ったから、スクリーンとプロジェクターも買っておいてくれた。
私が寒がりだからって、ベッドの下に敷くヒーターも買っておいてくれた。
言ったときは、気にしていないみたいに何も言わなかったのに。私がそれを言った時に、そのまま受け止めて、「そうだね」と言ってくれてたら、と、少しばかり思わなくもない。
だから、それに対しても素直に「ありがとう」って言えていなかったと思う。ごめんね。用意してくれていたことは、嬉しくもあったんだ。ありがとう。
人は、言葉じゃなくて行動を見ろ、とかいう。
どっちなんだろう。
いいことばかり言って、行動しないと、行動が欲しくなる。
行動していても、言葉がないと、言葉が欲しくなる。
どちらかが欠けているということは、そういうことなのかもしれない。
そうではなくて、どちらかだけでもあることに感謝して、受け入れるべきだったのかもしれない。
もう心の余裕がなかった私は、わがままになっていただけなのだろうか。今でもこの時を思い返して悩むけれど、答えは出てこない。
私がこの国に来て一ヶ月。まだ右も左もわからない状態で。そんな時に、彼はもう私たちの関係に見切りをつけ始めていた。
包み込む
彼は、私には彼を包み込む能力がない、と言った。
昔はあったんだけどな。それを君は振り切って、親の言う通りに引かれたレールを歩いて行ったんじゃないか。私に別れも告げずに。
その人のために、全てを曝け出して、全ての心を費やして。抱きしめて。背中を押してサポートしようと、心に決めて。
それで君は、それに背を向けて、切り離したんじゃないか。
それで私の心は、まだズタズタに傷ついていて。先にその傷を癒してほしかった。先に抱きしめて、「大丈夫、一緒に歩いていこう」と言ってほしかった。
一緒に歩く覚悟をして、君の隣に来た。でも、その力が今はなくって。今度は君の番じゃないか。君が、私の傷を癒してよ。
でも、この時にはもう、以前の彼はいなかった。彼も、ズタボロに傷ついていた。
私の余力のなさを、彼は彼に対する批判としか捉えられない人になっていた。
だから彼は、離れていった。
もう、同じ部屋で寝ることはなかった。
「これで終わりなの? 私は私たちのために、この国に来た。まだ一ヶ月しか経っていないのに」
そう言う私に、彼は迷うように言った。
「まだわからない。もし今後、君が変わったら、私たちもやり直せるかもしれない」
私は、それが許せなかった。
人生を一緒にやろうと、私はここに来た。
もうそれで、全てだ。これまでに、もう全ての心はあげた。
もう、持っているものが何もなくて。
ここで、「大丈夫、ゆっくりでいいから。一緒に歩いていこう、一緒に傷を癒していこう」と言ってほしかった。
でも彼は、「何も期待するな」と言い切った。
人生を一緒にやろうと言う人が、私が弱っている時に横にいてくれない。これからの人生、結婚、子供、親の介護、仕事のプレッシャー。たくさんあるだろう。
それを私は、私の分も彼の分も背負って、そして彼を包み込んで、子供ができたら子供も包み込んで、ってしなければいけないのか。
全く自信がなかった。一年前の私だったら、多分それをできていたかもしれない。無条件に、彼がそばにいてくれることを信じられたから。
今は、ただ無条件に信じることに疲れて。休ませて欲しかった。
そんな時間も与えず、彼は私を責めるんだ。
出て行く
彼が、急に出て行くかもしれない、と言った。
「いつ」と聞くと、一週間後。
同僚が住むところを探していて。一緒に住みたい、と。
私たちの関係も終わっているし。新しいスタートということで。
毎回毎回、どうして私はこうも、ここにいないという感覚に陥らせられるのだろう。
始める時は双方の同意と了承があるのに、終わりは一方通行で。
「私はどうするの?」と聞く。
私はこのままここに住めばいい。家賃は半々のままでいい、と。
そこまでして、私から離れたいのか。
二人の思い出のある場所に、私を閉じ込めて、一人残して。
自分だけ自由になった気分で、私のことを忘れていこうとするのか。
私はこの国に来たばかりで、本当に何もまだわからなくて。
買い物も、食事も。
私の国で買うなら、この値段だったらこれくらいの品質のものが届くだろう、とわかる。でも、その感覚もまだなくて。安いものを買ったらジャンク品だったり。
節約しようと安いデリバリーの食材を買うと、彼に「健康に悪い」と怒られる。かと言って、どれを買えばいいのか、いまだにわからない。
電車の切符を買うのも。切符のキャンセル待ちのような制度は、まだ理解できていない。ホテルを予約するのも、「外国人」は勝手が違う。
電気代や水道代、大家さんとのやりとりも、全部彼がしてくれている。
お店の人との会話も、買うときの値段を聞き取るのさえ、まだあまり上手くできなくて。
誰かが家に来た時の対応も、まったくできない。
まだ言語に不慣れで、でもこの国ではこの国の言葉しか通じない。それはネット上の情報量も同じで。何かあった時に検索するのも、彼の国の言葉を使わなければならなくて。それも、全くスムーズにできてなくて。
本当にこの国に、頼れる人が彼以外にいなくて。
友達もいなくて。
言葉の壁も気にせず、気楽に話せるのも、彼しかいなくて。
そんな彼がいなくなってしまう。
完全に、詰んでいた。
絶対に、受け入れられなかった。
私は彼を押し込めた。彼の部屋で話していたのだけど、話が平行線で、彼が私を部屋の外へ押し出そうとしたのを、私は全力で部屋に押し戻した。
全力で、彼を止めていた。
彼が、この国でのライフラインで、失うなんて、無理だった。
彼は、自分を叩いた。何度も、自分の頬を叩いた。
私たちは、こんなにも壊れていた。
私は泣いて、彼を止めた。
彼は、自分を叩かないと、私を叩いてしまいそうだ、と言った。
泣いて、彼に「叩かないで」とすがりついた。
そのまま、「出て行け」と言われ、私は出て行った。
暗闇の部屋で、知らない国で、言語がほとんど話せない国で、知り合いがいない国で、一人になってしまうんじゃないかという恐怖を抱えながら。
彼がまた自分を傷つけてしまうんじゃないかと怖くて、一晩、彼の部屋に耳を澄ましていた。
次の日。
おそるおそる、彼の部屋をノックすると、普通に私を入れてくれた。
彼に、どうするのか、と聞いた。彼は、「考え中」とだけ言った。
それ以上は、聞かなかった。
数日後、彼は出て行かない、と決めてくれた。
ものすごい安堵感と、疲労感をおぼえたのを覚えている。
彼は空港まで迎えに来てくれた。
会ってハグをした。一年ぶりの私たち。どこかぎこちないハグだった。
最後に別れた時に花の話をしていたから、持ってきてくれるかなってどこか期待していたけど、彼は何も持ってきていなかった。
彼は私の荷物を受け取り、先にスタスタと歩いていった。
私の心は不安でいっぱいだった。彼がどう思っているのか、わからなかった。この一年、彼に何があったのか、私は知らない。
知っているはずの彼の中に、知らない彼がいた。
私の中の彼は、一年前の彼だ。あの街で、きちんと別れを告げずに去っていった彼。住む場所を決めるときも、彼のやり方で決めてしまった彼。
彼は厚底靴を履き、顔に白い粉をつけ、髪を整え、ムーミンのスナフキンのようなコートを着ていた。彼なりのおしゃれをしていた。
私の好みではなかったけれど。大きな日だからと身だしなみを整えてくれているのは嬉しかった。
家に向かう電車の中、何を話したのだろう。
一つだけ覚えているのは、私があの街で勉強していた内容についてだ。
昔の彼は、私の意見を聞き、質問してさらに話を引き出し、すべて聞いたうえで彼の意見を言ってくれた。意見が違っても、異なる視点から私の考えを議論する余地を与えてくれた。
でも、なぜかその日は「議論」になった。彼は彼の意見を、私の意見と対立する位置に置いた。意見の違いを聞き入れようとせず、彼の意見が正しいものとして、そこに掲げた。
かつては、意見が違っても同じ土俵にいられると感じさせてくれたのに、なぜか今日は別々の土俵に立っていて、彼は私の土俵には目もくれず、自分の土俵だけが正しいと主張しているように感じた。
私が話す意味は、そこになかった。
結局、話題を変えることしかできなかった。
鍋
その夜、二人で鍋を食べに行った。近所のお店。あまりお客さんはいなかった。
乾杯するとき、彼が言った。
「一年後、結婚できたらいいね」
私の今の状態も、私たちの関係がまだ「ある」のかどうかもわからないまま、彼はそんなことを口走った。
つい数ヶ月前には他の女の子のところに行っていたくせに。「ありがとう」も「ごめんね」もなく、そんな言葉で乾杯を求められた。
私の心には、それらのしこりがまだ残っていた。素直に喜べなかった。
そんな言葉で水に流すこともできず、「過去は忘れて、とりあえず楽しもう」と言って、私はグラスを合わせた。どっちが理想主義者なのだろう。
現実を見て、現実と向き合おうとし、自分の心と向き合おうとしていたのは、私のほうだ。
親や世間体ばかりを気にし、自分が理解されることだけを考え、そんな「上っ面」の言葉で乾杯したのは、どっちだよ。
障壁
彼の国に来ることは、思っていたより、ずっと障壁が高かった。
何をするにも、彼に頼らなければならなかった。
来る前からもちろん、ここ数年は彼の国言葉を勉強してきた。でも、日常会話に不自由なく使えるほどには、まだ上達していなかった。
今でも覚えている。空港について初めて地下鉄に乗ったときのことだ。駅の手荷物検査で、ハサミを持ち込んではいけないと知らなかった私は、スーツケースにハサミを入れていた。
係員が荷物の中からハサミを出せという。
荷物をすべてひっくり返し、小さなハサミ一本を見つけ出そうとする。なかなか見つからなかった。危ないものだとわかっていたので、布に包んで持ってきていたから、余計に見つかりにくくて。
彼はただ横に立って、そんな私を見て、指示を出していた。
手続き
翌日、携帯電話と銀行口座を作りに行かなければならなかった。彼は一緒について来てくれた。
仕事の邪魔をしたくなかったから「大丈夫」と言ったけど、時間を縫って来てくれた。
携帯電話の契約。どんなプランがあるのか、私にはよくわからなかった。この国で携帯を使うとき、データ通信量をどれだけ使うのか、実感が湧いていなかった。
彼は料金プランの用紙を見て、「今セール中のお得なプランにしたら」と言ったくれた。
私は、全部ある中から一番いいものを選びたかった。
彼は効率重視だ。「使えるデータ量があって、キャンペーン中なら、これを選べ」って。内容を説明してくれなかったから、私は彼を信じるしかなかった。
それでも「もっと安いプランはないの?」と聞いてみた。
私の国では、外では携帯をあまり使わないからデータ通信量は多く要らない。でもここでは、何をするにも携帯がなければ始まらない。支払いも、電車も、連絡も。携帯が使えなくなったら、おしまいだと言われた。
彼の言うことは一理ある。でも、来たばかりで、ただ彼に従わなければならないと感じてしまった状況は、私の気持ちをモヤモツさせた。
そして銀行。ここでも、私は彼に従うだけだった。サインするとき、「読めないから読んで」と言うと、「どうでもいい説明。とりあえずサインしとけ」と言われた。
私は彼の国の仕組みを知らない。リスクはないのか、今後使いやすい銀行なのか、いろいろ知りたかった。けれど、それを話す言語力もない。ただ黙って彼に従った。
この国に来たのは、彼と話すため。彼の声を聞くためだったのに。すべてが、彼のやり方で進んでいく。ストレスが、少しずつ、少しずつ、積もっていった。
アプリ
電話番号ができてから、彼に「どんなアプリが必要か」聞き、ダウンロードした。最初の登録では、身分証明書が必要なことが多かった。
パスポートでの登録には時間がかかる。登録できるものも、できないものもある。
その度にカスタマーサービスとやり取りをしないとけない。
そんな不便に直面するたびに、少しずつ、「歓迎されていない」、と感じた。
国を守るために必要なことなのだ。頭ではわかっていても、壁にぶつかるたびに、心に何かが積もっていく。
包容力
これらの障壁を目の前にしている私に、しかも、心が常にズタズタの状態の私に、彼を包み込めるような包容力を持てというのは、少し残酷だったように思う。
そして、この国に来たばかりの私には、話せる人がいなかった。この国に来て、自分の言語力がいかに低いかを、思い知らされた。テストで点が取れるから、少し読めるから大丈夫だろうと、たかをくくっていた。
でも来てみたら、日常会話さえできない。何を言っているのか、単語すら聞き取れない。それが現実だった。
職場のみんなは優しく迎え入れてくれた。けれど、彼らとの会話にも、言語の壁は常に立ちはだかっていた。
楽しく、好きなペースで話すことができない。言葉にする前に、どの単語を使うか、どう伝えるか、ずっと考えなければならない。
みんなのことは好きだし、優しくしてくれて感謝もしている。それでも、この時は何も考えずに、気軽に話せる人が欲しかった。
それは彼だったのに。彼だけだったのに。家に帰って、全部彼に話そうとすると、「子供みたいだ」と言われ、「私の彼氏じゃなくて、父親みたいな気がする」と言われた。
ーーこの一年、ずっと待っていた。君が聞いてくれるのを。
こんなふうに話がしたい、知ってほしい、頑張っているんだって見てほしい。全部君のためにこの国に来て、こんな苦労があるけど、一緒にいたいから横にいると。
そんな会話ができるスペースがあると思ったら、時間があると思ったら、そこに二人は、いなかった。
私たちの間にあったつながりは、もう消えていた。
職場のボスは、手取り足取り教えてくれる、とてもいい人だった。でも、少し私にとってとっつきにくい人でもあった。
だから、ボスの前では少し緊張してしまっていた。
それを彼に伝えると、「それ以外に、私と同じ国から来ている人はいないんだから、友達になれよ」と言われた。私の心の内を聞かずに、ただ表面上の正論を突きつけられた。
何がいい? 何が悪い? 何が正しい? 何が間違っている?
そうじゃない。そんなの全部忘れて、心を抱きしめてくれる、そんな人が欲しかった。そんな彼が、恋しかった。
ご飯
ご飯を食べるとき、同じテーブルで同じものを食べる。
これは、理想だと言われても仕方のないことだったかもしれない。
私の家では、みんな別々に、好きな時間に、それぞれの部屋でご飯を食べる。昔は一緒に食べていたけれど、一緒に食べていても両親は喧嘩するばかりだし、学校はどうだと詮索されるのも嫌で、少しずつみんな部屋に籠るようになっていった。
だから、一緒に同じものを共有し、同じテーブルに座って食べるというのは、私にとって温かい家庭の象徴だった。
私の仕事は夜8時に終わる。彼のほうが少し早く帰ってくるから、ご飯を作ってくれていた。この点は、彼も頑張ってくれていた。
でも、彼はもう一人で晩御飯を済ませていることが多かった。そして、私が食べているのをよそに、彼は同じテーブルに座らず、隣のソファに行ってしまう。
それが、どうしようもなく悲しかった。
私が来たばかりの頃、彼は海外ドラマをよく見ていた。
私にはストーリーがわからない。知らない言葉でののセリフに、彼の国言葉の字幕。わからないものに、もう一つわからないものが重なる。
彼はあらすじを教えてくれるわけでもなく、一人で見て楽しんでいる。
祝日も、私はこの国に来たばかりで、いろんなところに行きたかった。彼はそんな私を、「旅行気分かよ」とあしらった。
彼は公園で毎週筋トレするというから、一緒に行かせてもらった。でも、筋トレなんて、一人でも二人でも同じだ。
ただ走るだけなら、一緒にバドミントンとか卓球とか、二人でできることをしようよ、と言っても、道具を買うのにお金がかかる、と言われた。
そのときはそうか、と諦めた。けれどその後すぐ、会社の同僚とバドミントンするために、彼はラケットも靴も揃えていた。
それに、中古を買えば、かかるお金なんて知れていたのにね。
こんな風に、同じ空間にいるのに、何も共有していない。
ただそこにいるだけ。いないのも、同じことだ。
彼との生活を作りたいのに、彼の生活に私が入り込むだけで、彼は私の生活を見ていない。そんな気がして、心が重くなった。
料理
料理には、問題があった。私たちの国の食材は似ているけれど、料理の方法はまったく違う。
まず、火の使い方がわからなかった。こんなに強い火を使ったことがなかった。料理をすると、外は焦げているのに、中は生っぽかったりする。
何を作ったらいいのかもわからない。料理法も違えば、食材も違う。この国で作れる料理が、何も頭に浮かばない。
食材ひとつひとつの名前もわからない。私の国のネットで検索すれば、私の国の料理が出てくる。この国の言葉で、この国のネットで調べなければならない。
すべて、ひとつずつ翻訳アプリで食材の名前を調べ、その単語をコピペして検索する。この一手間が、余裕のないときは大きなストレスになった。
元々、料理が得意なわけではなかった。作り方を見たこともないものを作れば、どれもとても下手になる。
火の通りが悪かったり、味がしなかったり。
料理というものは、習慣を体現するものだ。私の国の料理なら、作ったことがなくても、完成形がどんなものか知っている。子供の頃、母が作っているのを見てきたから、なんとなくそれなりのものは作れる。
でも、この国の料理は、味の基準もよくわからなければ、初めて見る食材もある。醤油だけでも何種類もある。
だから、料理は彼がほとんど作ってくれた。
彼がお母さんと電話していて、「料理はどうしてるの?」と聞かれて、「自分で作ってる」と答えた。お母さんは、言葉がないように「へえ」とだけ返していた。
彼が仕事で、私が休みのときなどは、私も作ろうと頑張っていた。その分、掃除や洗濯をやろうと頑張ってた。
彼がご飯を作ってくれてる。事実だ。感謝もしている。でも、モヤモシとした気持ちが残っ
洗濯物
私は、洗濯物を外に干した。私の家ではそうしていたし、そのほうがお日様の匂いがして好きだった。
すると彼は、黒い服は外に干してはいけないと言った。
また下着と靴下は洗濯機で洗ってはいけない、と。
こういった違い自体は、私だって受け入れられた。
覚えているのは、彼がその後に、「君には生活力がない」とも言ったこと。
習慣の違いを、指摘してくれたら帰ることはできた。
でもそれを批判のタネにするのは理解できなかった。
お金
お金は割り勘にしていた。
多分、これも彼が好まなかった部分だ。
私は、この国での金銭感覚がまったくなかった。私の国では、それぞれのものにどれくらいの値段がするのか。それは計算すればわかる。
でも、この給料に対して、家賃がどれだけか、ガスや水道、電気代、食費、娯楽費、交通費、ネット代など、月々にいくらかかっているのか、はっきり知っておきたかった。
だから、割り勘にしてほしいと頼んでいた。
彼は面倒だし、細かいと思っていたに違いない。それでも、一応ずっと割り勘でしてくれていた。
それに、私は節約したかった。
二人でデリバリーするより自炊が安いから、自炊がしたかった。外食も控えたかった。これまでの貯金は少しあったけれど、これからの貯金がどれだけできるのか、まだわからなかったから。
これも、彼が嫌な部分だったのかもしれない。その後、反動のように外でばかり食べていた。それも、給与に限りがあるとわかってから、がくんと頻度を減らして自炊に戻っていたけれど。
食生活というものは、生活習慣がそのまま現れる。
彼の過去一年の生活は、貯蓄もないのに贅沢な食事を与え、貯蓄よりも贅沢さを求める感覚を彼に植え付けたようだった。
将来
私にとっての将来は、彼と一緒に決めるものだった。
この国に来たのも、一緒の将来を話すためで。彼がどんな生活をしたくて、どこで生きていくのかを話すためで。
でも彼は、もう聞く耳を持っていなかった。
彼はもうすぐ30歳になるから、すぐに結婚がしたい、子供も欲しいと言った。「できたらすぐ子供が欲しいし、家買って、車買って」って。
この頃には、私たちの間はもうぎくしゃくしていた。彼はそれを、私たちが離れる言い訳として言ったのだろうか。
そこには、私と一緒に未来を描いてくれる彼はいなかった。ただ、世間体を気にしただけの将来像を考えている彼だけがいた。
兄が結婚した。姉が結婚して子供がいる。だから彼もそうする、と。
妻となる可能性は覚悟していた。けれど、彼のエゴと彼の家族の要求ばかりが見えて、私がどこにもいない状態での結婚なんて、まったくダメだった。
優しさが、温かさが、見えなくなっていた。
一年後、結婚はできると思った。二人の意思があれば。
結婚式をするくらいのお金は貯められるだろう、と。
でも、子供を養えるだけのキャリアもなければ、お金もない。
それは彼にとっても同じで。でも私はまずは自分のしたい仕事ができる環境を見つけ、ある程度のキャリアを築きたかった。
それに、彼がもう子供を養ってパパになれる人なのか。それもまだ、わからなかった。
数年前、一緒に遊園地に行ったときのこと。アトラクションの列に並んでいて、前の男の子は一人で並んでいた。けれど、高さに足が届かない。お母さんは下で写真を撮ろうと待ち構えていて、彼の横には誰もいなかった。
そんな男の子に、彼は「助けがいる?」と声をかけた。
この場面では、みんな手を差し伸べると思う。
でも、子供が「助けが必要だ」と決めつけた頭のまま、子どもの意思を聞く前に「こうしたらいいよ」とやってしまう人が多いと思う。私もそうだ。
だから、彼が「助けがいる?」と子供の意思を確認していたのが、そんな親が欲しかったなと思わせたし、そんな親になる彼を横で見ていたいと思わせた。
今、そんな彼がまだ彼の中にいるのか、わからなかった。
それに、結婚して、その時に私の考えを聞いてくれるのだろうか。私を、彼と彼の家族の言いなりにするのだろうか。
そんな不安もあった。
それに、子供を作るということは、出産をするということだ。彼は、そんな大事な時に、私の横にいてくれるのだろうか。この国での出産は、制度も何もかも違う不安の中で。私が出産する時に、私の隣にいてくれるのだろうか。通訳してくれるのだろうか。
妊娠中はホルモンバランスのせいで、心情が不安定になるという。不安定な私を、横で慰められる器量が、今の彼にあるのだろうか。
すべて、思い浮かべられなかった。
一緒に住み、隣で歩き、少しずつ信頼関係を取り戻していきたかったのに、彼は理想を口にし、そこに満たない私をダメだと切り捨てようとしていた。
アイスクリーム
住むところも、問題だった。
私は、まだ二人で海外に行って住めると思っていた。私の国でもいい。
だって、彼の国では、今のところ自分のしたい仕事ができなかったから。自分のしたい仕事に近づける方法を探していて、彼に違う国も視野に入れて、と話した。
そしたら彼は、もう海外には行きたくない。無理だ、と言った。
私が来る前は、いろんな国の名前を出して「行ってもいい」という感じだったのに。今の仕事がいいという。条件も悪くない、と。
私の仕事。私のしたいことを考慮に入れていない答えに、愕然とした。
私が求めているものは、住むところじゃない。
海外に行きたくなくなった、行けなくなった。それでもいい。一緒に話してさえくれれば。
それなら、この彼の国で、私がどうやってやりたいことに繋げられるのか。そこを一緒に考えてくれるのでもよかった。
でも彼はただ、「海外に行きたくない」。私との価値観が合わない、で済ませようとしていた。
家の近くにアイスクリーム屋があった。
帰り道、一緒に行って、買って食べながら歩いて帰ったことがある。
彼は、こんな小さな幸せがいいんだ、とつぶやいた。
そして、私はそんな小さな幸せじゃ満足しない、と言ってきた。
いろんな国に行って、たくさん旅行して。毎日が非日常じゃないと、幸せを感じられないやつだと。
私がずっと欲しかったのは、彼のpresenceだった。
アイスを一緒に買って帰る。今この瞬間を大切に思っていないなんて、そんなわけがない。
まだ春になりきっていない、肌寒い夜に、アイスを買って、一つはバニラ、もう一つはスイートポテト味。半分ずつ分け合って、一緒に帰るその数分が、愛しくないわけがない。
旅行に行きたいのは、一緒にいろんなところに行きたいのは、今の私たちの「家」が、私がいてもいなくても同じと感じてしまうからだ。
新しいところに行けば、二人とも知らないものに囲まれる。君と私は同じ状態でいられる。互いに、そこに「いられる」。
目の前のものを、一緒に共有している感じを、感じられる。
だから、休みのたびに一緒にどこかへ行こう、と誘うんだ。別に家でもいいんだけど、家だと、一緒に掃除して、昼ごはんを食べて、その後に「疲れた」と言って部屋に入り、寝ているふりをしながら一人スマホをいじって、私を置き去りにする君の姿が、頭に浮かぶから。
一緒にいたくて、ここに来たのに、同じ空間にいるだけで、同じもの、同じ時を共有していない感じがまとわりつくのが、嫌なだけなんだ。
そんな私の想いも、もう聞きたくない。何も言うな、と封じ込める彼の背中は、奇妙に丸まっていた。
家
彼は、いい家だろう、いい立地だろう、と言っていた。
うん、その通りだ。来たばかりの頃は、それでも少し高いんじゃないかとか、もっと探せば他もあったんじゃないかとか。彼が決めてしまったことに対するモヤモヤが心に残っていて、素直に「ありがとう」と言えなかった。
それに、来る前に私が言ったことを、彼はしてくれていた。
黒板に予定を書きあえるね、と言っていたから、チョークを買っておいてくれた。
一緒に映画とか見たいね、と言ったから、スクリーンとプロジェクターも買っておいてくれた。
私が寒がりだからって、ベッドの下に敷くヒーターも買っておいてくれた。
言ったときは、気にしていないみたいに何も言わなかったのに。私がそれを言った時に、そのまま受け止めて、「そうだね」と言ってくれてたら、と、少しばかり思わなくもない。
だから、それに対しても素直に「ありがとう」って言えていなかったと思う。ごめんね。用意してくれていたことは、嬉しくもあったんだ。ありがとう。
人は、言葉じゃなくて行動を見ろ、とかいう。
どっちなんだろう。
いいことばかり言って、行動しないと、行動が欲しくなる。
行動していても、言葉がないと、言葉が欲しくなる。
どちらかが欠けているということは、そういうことなのかもしれない。
そうではなくて、どちらかだけでもあることに感謝して、受け入れるべきだったのかもしれない。
もう心の余裕がなかった私は、わがままになっていただけなのだろうか。今でもこの時を思い返して悩むけれど、答えは出てこない。
私がこの国に来て一ヶ月。まだ右も左もわからない状態で。そんな時に、彼はもう私たちの関係に見切りをつけ始めていた。
包み込む
彼は、私には彼を包み込む能力がない、と言った。
昔はあったんだけどな。それを君は振り切って、親の言う通りに引かれたレールを歩いて行ったんじゃないか。私に別れも告げずに。
その人のために、全てを曝け出して、全ての心を費やして。抱きしめて。背中を押してサポートしようと、心に決めて。
それで君は、それに背を向けて、切り離したんじゃないか。
それで私の心は、まだズタズタに傷ついていて。先にその傷を癒してほしかった。先に抱きしめて、「大丈夫、一緒に歩いていこう」と言ってほしかった。
一緒に歩く覚悟をして、君の隣に来た。でも、その力が今はなくって。今度は君の番じゃないか。君が、私の傷を癒してよ。
でも、この時にはもう、以前の彼はいなかった。彼も、ズタボロに傷ついていた。
私の余力のなさを、彼は彼に対する批判としか捉えられない人になっていた。
だから彼は、離れていった。
もう、同じ部屋で寝ることはなかった。
「これで終わりなの? 私は私たちのために、この国に来た。まだ一ヶ月しか経っていないのに」
そう言う私に、彼は迷うように言った。
「まだわからない。もし今後、君が変わったら、私たちもやり直せるかもしれない」
私は、それが許せなかった。
人生を一緒にやろうと、私はここに来た。
もうそれで、全てだ。これまでに、もう全ての心はあげた。
もう、持っているものが何もなくて。
ここで、「大丈夫、ゆっくりでいいから。一緒に歩いていこう、一緒に傷を癒していこう」と言ってほしかった。
でも彼は、「何も期待するな」と言い切った。
人生を一緒にやろうと言う人が、私が弱っている時に横にいてくれない。これからの人生、結婚、子供、親の介護、仕事のプレッシャー。たくさんあるだろう。
それを私は、私の分も彼の分も背負って、そして彼を包み込んで、子供ができたら子供も包み込んで、ってしなければいけないのか。
全く自信がなかった。一年前の私だったら、多分それをできていたかもしれない。無条件に、彼がそばにいてくれることを信じられたから。
今は、ただ無条件に信じることに疲れて。休ませて欲しかった。
そんな時間も与えず、彼は私を責めるんだ。
出て行く
彼が、急に出て行くかもしれない、と言った。
「いつ」と聞くと、一週間後。
同僚が住むところを探していて。一緒に住みたい、と。
私たちの関係も終わっているし。新しいスタートということで。
毎回毎回、どうして私はこうも、ここにいないという感覚に陥らせられるのだろう。
始める時は双方の同意と了承があるのに、終わりは一方通行で。
「私はどうするの?」と聞く。
私はこのままここに住めばいい。家賃は半々のままでいい、と。
そこまでして、私から離れたいのか。
二人の思い出のある場所に、私を閉じ込めて、一人残して。
自分だけ自由になった気分で、私のことを忘れていこうとするのか。
私はこの国に来たばかりで、本当に何もまだわからなくて。
買い物も、食事も。
私の国で買うなら、この値段だったらこれくらいの品質のものが届くだろう、とわかる。でも、その感覚もまだなくて。安いものを買ったらジャンク品だったり。
節約しようと安いデリバリーの食材を買うと、彼に「健康に悪い」と怒られる。かと言って、どれを買えばいいのか、いまだにわからない。
電車の切符を買うのも。切符のキャンセル待ちのような制度は、まだ理解できていない。ホテルを予約するのも、「外国人」は勝手が違う。
電気代や水道代、大家さんとのやりとりも、全部彼がしてくれている。
お店の人との会話も、買うときの値段を聞き取るのさえ、まだあまり上手くできなくて。
誰かが家に来た時の対応も、まったくできない。
まだ言語に不慣れで、でもこの国ではこの国の言葉しか通じない。それはネット上の情報量も同じで。何かあった時に検索するのも、彼の国の言葉を使わなければならなくて。それも、全くスムーズにできてなくて。
本当にこの国に、頼れる人が彼以外にいなくて。
友達もいなくて。
言葉の壁も気にせず、気楽に話せるのも、彼しかいなくて。
そんな彼がいなくなってしまう。
完全に、詰んでいた。
絶対に、受け入れられなかった。
私は彼を押し込めた。彼の部屋で話していたのだけど、話が平行線で、彼が私を部屋の外へ押し出そうとしたのを、私は全力で部屋に押し戻した。
全力で、彼を止めていた。
彼が、この国でのライフラインで、失うなんて、無理だった。
彼は、自分を叩いた。何度も、自分の頬を叩いた。
私たちは、こんなにも壊れていた。
私は泣いて、彼を止めた。
彼は、自分を叩かないと、私を叩いてしまいそうだ、と言った。
泣いて、彼に「叩かないで」とすがりついた。
そのまま、「出て行け」と言われ、私は出て行った。
暗闇の部屋で、知らない国で、言語がほとんど話せない国で、知り合いがいない国で、一人になってしまうんじゃないかという恐怖を抱えながら。
彼がまた自分を傷つけてしまうんじゃないかと怖くて、一晩、彼の部屋に耳を澄ましていた。
次の日。
おそるおそる、彼の部屋をノックすると、普通に私を入れてくれた。
彼に、どうするのか、と聞いた。彼は、「考え中」とだけ言った。
それ以上は、聞かなかった。
数日後、彼は出て行かない、と決めてくれた。
ものすごい安堵感と、疲労感をおぼえたのを覚えている。
