君が忘れた物語

 年間で唯一と言っていい、街が賑わう日。

 周辺で本格的な花火大会が開催されるのはこの街だけだから、一斉に人が集まるのだ。

 夏祭りの会場になる神社や、景観の良い橋なんかは花火を心待ちにする人々でいっぱいだった。

 そんな中、私は夏祭りには目もくれずに、神社の横道から山道へと入っていく。

 天体望遠鏡は奏多が持ってきてくれるからと、身軽なのをいいことに、夏祭りという行事にあやかって浴衣を着てみたりした。もちろん、彼の目を()くために、贈ってもらったリップで唇を彩りながら。

 山道を進むにつれ、夏祭りの喧騒が遠のき、視界は夜の闇が深まっていく。セミの鳴き声と草木の匂いが強く感じられるこの道を通るのはちょうど一年ぶりだ。

 程なくして『立ち入り禁止』のテープを潜り抜けると、放棄されたログハウスの前に人影が見えた。

 あちらも私の姿を視認すると片手を上げて大きく振ってくれた。
 
 「浴衣姿……っ!! めっちゃ可愛い、なになに、こんな不意打ち心臓に悪いな!」
 
 私の姿を確認するや、思っていた以上の反応をする奏多につい笑みを(こぼ)しながら、こうしてすぐにでも求めている反応をくれるのが彼らしいなと思う。

 「お待たせ、今日は来てくれてありがとう。こんな山奥に来てくれたお礼だよ」

 そんなことを言いながら気分を良くした私は、その場で一回転してさらに彼の反応を煽ってみる。

 「瑚子の浴衣姿が見られるなら、毎日でも天体望遠鏡を担ぎながら山を登るよ」

 「それは大袈裟すぎだよ」

 こんな会話を笑い合ってしておきながら、私たちは恋人じゃない。そして、そのことに私はきっと不満を抱いている。私は奏多が好きだし、奏多だって、少なからず私を特別に思っていることくらい、もう流石(さすが)にわかっているから。

 私の症状を気にして関係を進めようとしないのかもしれないけど、だったら私から動いてやるという気持ちだ。

 「はい、これ」

 バルコニーに上がると、奏多は天体望遠鏡をそっと置いて、持っていたビニール袋を手渡してきた。

 中には屋台で買ってきたのだろう食べ物がいくつも入っていた。たこ焼きにからあげ、りんご(あめ)やかき氷まで、なんでもござれだった。

 「なにが好きかわからなかったから、目についたもの片っ端から買ってきちゃった」

 少し照れたように「好物も知らないなんて、俺もまだまだだなあ」なんて言って笑っていたけど、私だって同じだ。

 知らないことがまだまだあって、だからこそ知りたいと思えて、そのためにももっと近づきたいんだ。

 何も忘れられない私は、新しい何かを知るということに抵抗を覚えることが多いけど、奏多のことに関しては、なんだって知りたいと思える。

 「とりあえずは、これ、食べちゃおうよ」

 そう言って、プラスチックのストローで作ったスプーンで(すく)ったかき氷を、私の口元へと運んでくる。その自然な動作になんの抵抗も覚えることなく、気づけば口内には程良い甘さと冷たさが広がっていた。蒸し暑い夏の夜に、口が渇いた状態で食べるかき氷ほど美味しいものはないと感じる。

 「どれどれ」

 奏多も同じようにかき氷を食べながら「くぅ〜、()みる〜!」なんて大袈裟に反応していた。

 そういうとこだぞ、と思う。

 私は別に、いわゆる間接キスというものに動揺するような人間じゃないと自分のことを思っているけど、ただ意識はしてしまう。相手が、相手だし。

 そして何より、当たり前みたいに隣でかき氷を夢中で食べ進めている奏多は、私の使ったスプーンを使ってもなにも思わないのかな、と少し寂しいような感情が浮かび上がる。

 今日の私の頭は、彼を意識することに大半のリソースが割かれているようだ。

 もう言い出してしまおうかと思っているときに、私の思考を彼の言葉が遮った。

 「食べながら話すことじゃないかもしれないけど、瑚子に話さなきゃいけないことがあるんだ」

 焼きそばに手を出し始めた奏多は、神妙な面持ちで私に向き直って、真面目な顔つきでそう言う。

 私も、話したいことがあるの、と同調したかったけど、奏多の視線がそれを許してくれない。

 「俺さ、あの、さ……」

 すごい言いづらそうに、懸命に言葉を探しているようだった。

 これは、きっと私が待ち望んでいる言葉ではないのだろうと、なんとなくわかってしまった。

 奏多は、いつだって積極的で、言いたいことをちゃんと言ってくれて、私にとって頼っていいと思える男の子ではあるのだけど。たまに、言葉が足りないことがある。

 夏目さんにメイクをしてもらった時がそうだったように。

 だからか、今回もそうやって奏多ひとりで決めてしまうように感じたのか、考えるよりも先に、私の口から言葉がついて出た。

 「奏多、恋人になろう」

 言った私も、言われた奏多も驚いて、その場に沈黙が横たわる。

 返答はないものの、奏多の表情の変化でなんとなく察してしまった。嬉しそうに笑みを浮かべたのも束の間、なにかを思い出したように、また思案顔になって言葉を探しているようだった。

 そして、ようやく奏多の口が開く。

 「俺、東京の高校に行くんだ」

 それは、私が予期していた可能性のひとつだった。奏多は転校してきた初日に、中学卒業まではお世話になる、という言い方をしていたから。

 「引っ越しの多い家でさ、今回も親の都合で中学卒業と同時に都内に戻らなきゃいけない」

 戻らなきゃ、という言い方に距離を感じた。奏多にとって、ここは来た場所で、戻るのは都内なのだと。言葉のあやかもしれないし、私の考えすぎなだけかもしれないけど、そう感じた。

 でも、それが諦める理由にはならない。

 「距離なんて関係ないよ」

 「でも、離れていたら、きっと寂しい思いをさせる」

 「奏多の恋人になれない未来の方がずっと寂しいよ」

 「……でも」

 弱る奏多に、ここぞとばかりに畳み掛ける。

 「私、高校生になったらバイトして、そのお金で会いに行くから」

 「そんなの、俺がするに決まってる。……そこまで考えたよ、そりゃあ」

 それは、私と恋人同士になることを考えたって受け取っていいのだろうか。そう気持ちは少し浮つく。

 「大丈夫、高校三年間だよ。たったの三年間。連絡たくさん取り合って、できるだけ会って、そうして大学生になる時には私が東京行くからさ」

 言っていて、少し気が遠くなる話ではあるけど。

 周りに三年間も付き合いが続いているようなカップルなんていないし、まだ十五年しか生きていない私たちにとって、中学や高校を卒業まで通う三年という年月はすごく長いもののように感じられるけど、それでも奏多となら大丈夫だと心から思えた。

 寂しさも虚しさもきっとあるけど、でも、彼の恋人だという実感は、きっとそれらを補って余りあるくらい満たされたものなのだと。

 つまりは、それほど好きなのだと。

 「……ごめん」

 「…………」

 奏多の口から出てきたのは、謝罪だった。重たくのしかかる謝罪の言葉。

 これでもだめか、そう諦念を覚え始めたとき、彼は続けた。

 「ここまで言わせてしまって、ごめん。俺の覚悟が足りなかった」

 自分自身に頷くと、さらに続けた。

 「改めて、俺から言わせてほしい」

 一拍空けて、言った。


 ――瑚子のことが好きです。俺の恋人になってください。恋人として、そばでたくさん幸せな記憶を作っていきたいです。

 
 それを言い切る頃には、私は衝動的に彼の口を塞いでいた。もらったリップの紅が彼についてしまうことなんてお構いなしに。

 背後に聞こえ始めた花火の音が遠くに聞こえるほど、私たちは互いに夢中だった。


 その日、私、春木瑚子と、彼、秋岡奏多は、恋人関係になった。