君が忘れた物語

 喧騒(けんそう)が遠のく。

 年に一度、この日だけ(にぎ)わいを見せる街の夏祭りを背に、獣道を()き分け山を登っていく。

 「俺の勘は、こっちになにかあると言っている!」

 背中越しに弾ける花火なんて意に介さず、足の向くまま、気の向くまま。なにか目的があるわけではないのだけど、どうしてか足が動く。引き寄せられるように、なんて言葉を聞くことがあるけど、まさにそれだった。

 いつも、新しい地に来ては、好奇心と勘で行動することが多かった。親の転勤が理由で頻繁に引っ越しをした経験があるせいか、そういう楽しみ方を気づけば身につけていた。

 「やっぱり、なんかあるな……」

 歩いているうちに、おそらくは人工的に(ひら)かれたのであろうちょっとした空間に出た。
 
 周囲には木々が生い茂るように並び、四方八方から聞こえるセミの鳴き声は花火の爆裂音を覆って打ち消すようで、薄暗く気味の悪い山中を演出していた。

 空間全方位に『立ち入り禁止』のテープが貼られていて、奥には半壊している元々はコテー ジだっただろうログハウスが闇夜にうっすらと見て取れる。

 「なんだ、放棄された場所ってだけか」と、好奇心が冷めていくのを感じつつ引き返そうと思った時、半壊したログハウスから一瞬、光が見えた気がした。見間違いかとも思ったが、気づけばテープを潜り抜けて歩みを進めていた。

 近づいてみるとログハウスのバルコニーには人影が見えて、好奇心の中に警戒心が帯びる。ただ、建物に着く頃にはその人影が華奢(きゃしゃ)なものであることと、人影以外にもおそらくは天体望遠鏡と思われる機器の姿も見えて、少し安堵(あんど)する。

 人影の天体観測の様子をなんとなく見ていると、星々の明るさでようやく少女の横顔が露わになった。通った鼻筋や薄めの唇、形の良い顎は、均整の取れた横顔の線を縁取っていて、足を止めて魅入ってしまっていた。

 「めっちゃ綺麗(きれい)……」

 そんなことをぼやいていた。

 そう大きな声ではなく、呟きの域を超えない声量だったはずだけど、けれどやけに静かな山の中ではそんな呟きすらも響くようだった。

 「…………っ!?」

 人気のない場所でいきなりの俺の声に驚いた人影は、驚きの余りその場で尻餅をついてしまったようで、その反動が物理的に俺の身に降ってきた。

 つまり彼女は、(のぞ)いていた天体望遠鏡を、驚いた反動で思い切り突き飛ばしてしまって、それが勢いよくバルコニーから飛び出し宙を舞ったのだ。当然、重力の働く空中から自由落下を始めた天体望遠鏡は、まるで狙いを定めたみたいに下にいる俺のところに落ちてきて……。

 「あ――」

 ――これは避けられない。そう次の起こりうる事態に構える頃には、落下してきた天体望遠鏡が、頭上を見上げる俺の顔面へと綺麗に降ってきたのだった。