両手で抱えていた木箱が、ぱあんと小気味よい音を立てて弾け飛んだ。
木箱を構成していた数枚の木の板と、中に入っていた手のひらサイズのドラゴンの像が、ドラゴン本体、ブレスをかたどった炎、美しい翼のパーツに分かれて宙を舞う。
木箱にドラゴンを固定していたであろうネジと、何かに使われていたはずの鈍色の歯車、それからその他いくつかの金属や木製のパーツが、大きな窓から射しこむ陽光を浴びてキラキラと輝く。
わあ、すごい。本当にドラゴンが飛んでいくみたい。
なんて、考えている場合じゃない。
せっかくの誕生日プレゼントを、もらった瞬間に壊してしまうなんて。
本体だけでも落とすまいと差し出した僕の両手をかいくぐり、ドラゴンは無情にも固い床の上に着地をキメた。着地というか不時着、もしくは墜落したと言う方が正しいかもしれない。
集まっていたみんなの笑顔が、別の表情に変わるのがわかった。
「ごめんなさい……!」
咄嗟に謝って、ぎゅっと目をつぶる。
怒られる。そう思っていた。
「レガロ、怪我はないか?」
「確か、帰りの船で嵐があったのよね? どこかにぶつかって壊れてしまったのかしら」
「床が凹んでる。三歳のレガロが遊ぶには、そもそも重すぎたんじゃないか?」
「落として壊れたわけではなさそうに見えるけど……なんにしても、怪我しなくてよかったよ」
しかし、その場にいる誰ひとりとして、僕を叱ろうとはしなかった。
僕が小さい頃はよく、もらったおもちゃを分解して怒られたものなのに。なんて優しいんだろう。
まああの時は、分解した僕の方が悪かったのだけど。
そこまで考えて、どきりと心臓が跳ねた。
――あの時って、いつの話だっけ?
急激に熱を帯びた頭の奥で、いきなり扉が開いたようだった。
滝沢拓斗という名前。ワンルームの狭いアパート。趣味にしていた無数のプラモデルやDIYの道具。限界を感じていた社畜生活と、その突然の終わり。
跳ねた鼓動は落ち着いてくれず、とくとくと鳴り続けている。
僕は、今の僕として生まれてくる前は、違う世界に生きていた。溢れてきたのは、その記憶だった。
まさか、僕の人生をさらっていったあのトラックが……そういうこと? 転生したってこと?
ヘッドライトがやけにカラフルだったし、運転席にどんな人がいたのか妙に見えづらかったし、おかしいと思った。
おかしいと思ったのと人生の終わりがほとんど同時だったから、今になって考えているわけだけど。前世の死因におかしみを覚えるなんて、貴重な体験が過ぎる。
転生の事実を認識した途端に、今の自分がとても現実味のないものに感じられた。当たり前だけど手が小さいし、目線は低いし、身体も軽い。
今の僕は、レガロ・ステラロード。
国王である父さん、ヴィクター・ステラロードが治める小国、ステラロード王国王家の末っ子だ。
ワンルームのアパートでサラリーマンをやっていた僕が、王族だなんて。しかも、三歳になったばっかりだなんて。
おかしな緊張感を紛らわせるために、改めて状況を確認してみた。
ここはステラロード王国の中心に位置する、王城の一室だ。
大きな両開きの窓から、城下町とその向こうの水平線まで一望できる絶好のロケーションで、普段は外国からのお客様をもてなしている広間だ。
今日は僕の三歳の誕生日パーティーが開かれていて、家族や家臣たちが集まってくれている。
テーブルには僕の好物を並べてもらっているのだけど、よくよく見ると実に茶色い。
シンプルに塩で焼いた魚介類は和風な焼き魚を彷彿とさせるし、野菜中心の煮込み料理も、日本でよく食べていた煮物に近しい雰囲気を醸し出している。
飲み物も、フルーツを絞ったジュースの脇に、温かいお茶が準備されていた。
果たして、この国の主食であるパンに合うのかどうか、疑問を持たざるを得ないラインナップだ。
極めつけはデザートだ。小さな子供が喜びそうな、甘そうでカラフルな見た目のケーキやゼリーも並んではいる。しかしそれらは、テーブルの端でひっそりと鳴りをひそめていた。
主役の顔をしてテーブル中央に鎮座ましましているのは、もちろん素材はさつまいもそのものではないのだろうけど、どう見ても干し芋だった。
干し芋タワーとでも言うべきか。前世を含めた人生の中で、こんなにおしゃれに、趣向を凝らして盛り付けられた干し芋を見たのは初めてだ。
シェフの皆さんに、謹んでお礼とお詫びを申し上げたい気分である。
どこまでもアースカラーなフルコースが、前世の好物から多大な影響を受けているのは間違いない。
焼き魚と煮物をつまみ、干し芋をかじり、温かいお茶をとろけた顔ですする三歳児。
渋いというか、中におっさんでも詰まっていそうな佇まいだ。
正解。見事に、三十路手前のおっさんが詰まっていたわけだ。
頭がくらくらしつつも、このレガロ・ステラロードが間違いなく僕自身であることを確信する。
完全に別人の滝沢が、レガロに憑依したような形でなくて少しだけ安心した。
三歳になったばかりの小さな子供の人生を、よそから掠め取ってしまったのでは、罪悪感がとんでもない物量で襲い掛かってくるところだった。
もちろん、生まれたばかりのレガロを乗っ取ったわけでもなさそうだ。本当に良かった。
前世と今世の記憶の整理がついてきて安心したおかげか、少しだけ冷静さを取り戻した僕は、壊れてしまったおもちゃに視線を移す。
父さんが、海を越えた先の外国で探して、買ってきてくれたおもちゃだ。
三年分の記憶……赤ん坊の頃からのおぼろげなものも含むので曖昧な部分も多いけど、ステラロード王国は、あまり裕福な国ではない。
理由は簡単、圧倒的に立地が悪いのだ。
水平線を見渡せるこの部屋からの景色が示す通り、この国は海に囲まれた島国だ。
しかも、大規模な港を構築するのにも、大量の品物を運ぶのにも適さない断崖絶壁に囲まれている。
それだけではない。大地のあちこちも、ひび割れが入ったように切り立った崖になっているのだ。
王城と城下町は、その隙間を縫うようにして広がっていて、か細い橋で結ばれている。
そんな中でも工夫はしていて、崖の一部をどうにか切り開いて小さな港は作ってある。
かろうじて海に出ていくことはできるようになっているものの、外海へ出ていくためには岩壁を超える必要があったり、そもそも港の規模が小さかったりして、大型船の出入りは困難だ。
輸出入に難がありすぎる上に、突出した技術があるわけでもなく、農産物や乳製品など、質のよいものはあるにせよ、目玉となる特産品があるわけでもない。いかに海洋進出するかが重要であるらしいこの世界において、ステラロード王国は苦戦を強いられている。
王族や国の中心人物が、自ら商会を率いて貿易船団の先頭に立つこと自体は、この世界ではそう珍しくないらしいのだけど、技術レベルとしては帆船が中心のこの世界で、航海の厳しさは計り知れない。
そんな大変な外交と貿易の合間で探してきてくれたおもちゃを、もらったそばから壊してしまった。
転生あれこれでふわふわしていた思考が、どっしりとした重みと罪悪感をもって戻ってくる。
「泣くな、大丈夫だ」
父さんが歯を見せて笑い、頭をわしわしと撫でてくれた。
気が付かないうちに、僕は泣いていたらしい。
そんなつもりはなかったのに、勝手にこぼれてくる涙を止められない。
「ほら、見てみろ。ドラゴンは無事だぞ。まあ翼は取れちまったが……かっこいいだろ?」
「ヴィクター……壊れてしまったおもちゃより、レガロを気遣ってあげてくださいな」
僕を泣き止ませようと、ドラゴンをむんずと掴んで差し出してきた父さんを、母さんがたしなめる。
父さんは、黒髪のツンツン頭をざらりとかきあげて、「悪かったよ、ラシェル」とバツが悪そうにした。父さんはがっしりしていて、背もすごく高い。健康的に日焼けしたワイルド系のイケおじだ。
その父さんが少しだけ小さく見えるのだから、母さんのお叱りはかなりの威力だ。
父さんとは反対に、母さんは華奢で線の細いタイプだ。
やわらかそうな髪は一色ではなく、濃いブルーが差し色になっていて、おしゃれかつ上品な印象を受ける。髪色と瞳のブルーにあわせた、同系色のドレスもよく似合っていた。
髪も瞳も黒い父さんと一緒に並ぶと、少し儚い感じに見えるくらいだ。
この世界での両親をぼんやり眺めてしまってから、ハッとする。
ふたりを安心させようと、ごしごしと目をこすって涙を拭いたところで、僕は固まった。
三歳の子供って、どうすればいいんだっけ?
記憶を取り戻す前は自然にしていたし、ちょっとしたことで泣いてしまうのは三歳のレガロが前に出ている感じはする。
問題は、普段の振る舞いだ。どれくらいの語彙力と態度が正解なのか、わからなくなっている。
皆様、本日は僕のために素晴らしい場を設けていただいたにも関わらず、このような事態となってしまい大変申し訳ない気持ちで……なんて語り始めたらまずいのだけは確かだ。
木箱を構成していた数枚の木の板と、中に入っていた手のひらサイズのドラゴンの像が、ドラゴン本体、ブレスをかたどった炎、美しい翼のパーツに分かれて宙を舞う。
木箱にドラゴンを固定していたであろうネジと、何かに使われていたはずの鈍色の歯車、それからその他いくつかの金属や木製のパーツが、大きな窓から射しこむ陽光を浴びてキラキラと輝く。
わあ、すごい。本当にドラゴンが飛んでいくみたい。
なんて、考えている場合じゃない。
せっかくの誕生日プレゼントを、もらった瞬間に壊してしまうなんて。
本体だけでも落とすまいと差し出した僕の両手をかいくぐり、ドラゴンは無情にも固い床の上に着地をキメた。着地というか不時着、もしくは墜落したと言う方が正しいかもしれない。
集まっていたみんなの笑顔が、別の表情に変わるのがわかった。
「ごめんなさい……!」
咄嗟に謝って、ぎゅっと目をつぶる。
怒られる。そう思っていた。
「レガロ、怪我はないか?」
「確か、帰りの船で嵐があったのよね? どこかにぶつかって壊れてしまったのかしら」
「床が凹んでる。三歳のレガロが遊ぶには、そもそも重すぎたんじゃないか?」
「落として壊れたわけではなさそうに見えるけど……なんにしても、怪我しなくてよかったよ」
しかし、その場にいる誰ひとりとして、僕を叱ろうとはしなかった。
僕が小さい頃はよく、もらったおもちゃを分解して怒られたものなのに。なんて優しいんだろう。
まああの時は、分解した僕の方が悪かったのだけど。
そこまで考えて、どきりと心臓が跳ねた。
――あの時って、いつの話だっけ?
急激に熱を帯びた頭の奥で、いきなり扉が開いたようだった。
滝沢拓斗という名前。ワンルームの狭いアパート。趣味にしていた無数のプラモデルやDIYの道具。限界を感じていた社畜生活と、その突然の終わり。
跳ねた鼓動は落ち着いてくれず、とくとくと鳴り続けている。
僕は、今の僕として生まれてくる前は、違う世界に生きていた。溢れてきたのは、その記憶だった。
まさか、僕の人生をさらっていったあのトラックが……そういうこと? 転生したってこと?
ヘッドライトがやけにカラフルだったし、運転席にどんな人がいたのか妙に見えづらかったし、おかしいと思った。
おかしいと思ったのと人生の終わりがほとんど同時だったから、今になって考えているわけだけど。前世の死因におかしみを覚えるなんて、貴重な体験が過ぎる。
転生の事実を認識した途端に、今の自分がとても現実味のないものに感じられた。当たり前だけど手が小さいし、目線は低いし、身体も軽い。
今の僕は、レガロ・ステラロード。
国王である父さん、ヴィクター・ステラロードが治める小国、ステラロード王国王家の末っ子だ。
ワンルームのアパートでサラリーマンをやっていた僕が、王族だなんて。しかも、三歳になったばっかりだなんて。
おかしな緊張感を紛らわせるために、改めて状況を確認してみた。
ここはステラロード王国の中心に位置する、王城の一室だ。
大きな両開きの窓から、城下町とその向こうの水平線まで一望できる絶好のロケーションで、普段は外国からのお客様をもてなしている広間だ。
今日は僕の三歳の誕生日パーティーが開かれていて、家族や家臣たちが集まってくれている。
テーブルには僕の好物を並べてもらっているのだけど、よくよく見ると実に茶色い。
シンプルに塩で焼いた魚介類は和風な焼き魚を彷彿とさせるし、野菜中心の煮込み料理も、日本でよく食べていた煮物に近しい雰囲気を醸し出している。
飲み物も、フルーツを絞ったジュースの脇に、温かいお茶が準備されていた。
果たして、この国の主食であるパンに合うのかどうか、疑問を持たざるを得ないラインナップだ。
極めつけはデザートだ。小さな子供が喜びそうな、甘そうでカラフルな見た目のケーキやゼリーも並んではいる。しかしそれらは、テーブルの端でひっそりと鳴りをひそめていた。
主役の顔をしてテーブル中央に鎮座ましましているのは、もちろん素材はさつまいもそのものではないのだろうけど、どう見ても干し芋だった。
干し芋タワーとでも言うべきか。前世を含めた人生の中で、こんなにおしゃれに、趣向を凝らして盛り付けられた干し芋を見たのは初めてだ。
シェフの皆さんに、謹んでお礼とお詫びを申し上げたい気分である。
どこまでもアースカラーなフルコースが、前世の好物から多大な影響を受けているのは間違いない。
焼き魚と煮物をつまみ、干し芋をかじり、温かいお茶をとろけた顔ですする三歳児。
渋いというか、中におっさんでも詰まっていそうな佇まいだ。
正解。見事に、三十路手前のおっさんが詰まっていたわけだ。
頭がくらくらしつつも、このレガロ・ステラロードが間違いなく僕自身であることを確信する。
完全に別人の滝沢が、レガロに憑依したような形でなくて少しだけ安心した。
三歳になったばかりの小さな子供の人生を、よそから掠め取ってしまったのでは、罪悪感がとんでもない物量で襲い掛かってくるところだった。
もちろん、生まれたばかりのレガロを乗っ取ったわけでもなさそうだ。本当に良かった。
前世と今世の記憶の整理がついてきて安心したおかげか、少しだけ冷静さを取り戻した僕は、壊れてしまったおもちゃに視線を移す。
父さんが、海を越えた先の外国で探して、買ってきてくれたおもちゃだ。
三年分の記憶……赤ん坊の頃からのおぼろげなものも含むので曖昧な部分も多いけど、ステラロード王国は、あまり裕福な国ではない。
理由は簡単、圧倒的に立地が悪いのだ。
水平線を見渡せるこの部屋からの景色が示す通り、この国は海に囲まれた島国だ。
しかも、大規模な港を構築するのにも、大量の品物を運ぶのにも適さない断崖絶壁に囲まれている。
それだけではない。大地のあちこちも、ひび割れが入ったように切り立った崖になっているのだ。
王城と城下町は、その隙間を縫うようにして広がっていて、か細い橋で結ばれている。
そんな中でも工夫はしていて、崖の一部をどうにか切り開いて小さな港は作ってある。
かろうじて海に出ていくことはできるようになっているものの、外海へ出ていくためには岩壁を超える必要があったり、そもそも港の規模が小さかったりして、大型船の出入りは困難だ。
輸出入に難がありすぎる上に、突出した技術があるわけでもなく、農産物や乳製品など、質のよいものはあるにせよ、目玉となる特産品があるわけでもない。いかに海洋進出するかが重要であるらしいこの世界において、ステラロード王国は苦戦を強いられている。
王族や国の中心人物が、自ら商会を率いて貿易船団の先頭に立つこと自体は、この世界ではそう珍しくないらしいのだけど、技術レベルとしては帆船が中心のこの世界で、航海の厳しさは計り知れない。
そんな大変な外交と貿易の合間で探してきてくれたおもちゃを、もらったそばから壊してしまった。
転生あれこれでふわふわしていた思考が、どっしりとした重みと罪悪感をもって戻ってくる。
「泣くな、大丈夫だ」
父さんが歯を見せて笑い、頭をわしわしと撫でてくれた。
気が付かないうちに、僕は泣いていたらしい。
そんなつもりはなかったのに、勝手にこぼれてくる涙を止められない。
「ほら、見てみろ。ドラゴンは無事だぞ。まあ翼は取れちまったが……かっこいいだろ?」
「ヴィクター……壊れてしまったおもちゃより、レガロを気遣ってあげてくださいな」
僕を泣き止ませようと、ドラゴンをむんずと掴んで差し出してきた父さんを、母さんがたしなめる。
父さんは、黒髪のツンツン頭をざらりとかきあげて、「悪かったよ、ラシェル」とバツが悪そうにした。父さんはがっしりしていて、背もすごく高い。健康的に日焼けしたワイルド系のイケおじだ。
その父さんが少しだけ小さく見えるのだから、母さんのお叱りはかなりの威力だ。
父さんとは反対に、母さんは華奢で線の細いタイプだ。
やわらかそうな髪は一色ではなく、濃いブルーが差し色になっていて、おしゃれかつ上品な印象を受ける。髪色と瞳のブルーにあわせた、同系色のドレスもよく似合っていた。
髪も瞳も黒い父さんと一緒に並ぶと、少し儚い感じに見えるくらいだ。
この世界での両親をぼんやり眺めてしまってから、ハッとする。
ふたりを安心させようと、ごしごしと目をこすって涙を拭いたところで、僕は固まった。
三歳の子供って、どうすればいいんだっけ?
記憶を取り戻す前は自然にしていたし、ちょっとしたことで泣いてしまうのは三歳のレガロが前に出ている感じはする。
問題は、普段の振る舞いだ。どれくらいの語彙力と態度が正解なのか、わからなくなっている。
皆様、本日は僕のために素晴らしい場を設けていただいたにも関わらず、このような事態となってしまい大変申し訳ない気持ちで……なんて語り始めたらまずいのだけは確かだ。



