花を贈ることも、贈られることも無縁の人生だと思っていた。
答えは単純だ。コワモテだと恐れられる顔つきと、身長183センチの体格の男に、一体どんな花束が似合うというのだろう。
それでいて、皮肉なことに、誰よりも花に囲まれてきた人生だった。
これもまた、答えは単純だ。駅前にある小さな花屋の一人息子、それが俺だった。
「猛々しさ」とか「無骨さ」を絵に描いたような俺と、文字通り華やかなその家業はあまりにも不似合いだし、興味も無かった。
けれど、ウチにやってくるお客たちには妙に惹かれた。
ピアノの発表会のコサージュを注文する親子。
照れくさそうに結婚記念日の花束を見繕うおっさん。
春には春の、秋には秋の花を日常に添えるのが楽しみだと語る老婦人。
花を買う時、人はみんな幸せそうだ。花の名前一つも覚えられないくせに、どんな笑顔が花を買っていくのかと、そればかり見てきた。
「ねぇ、奨。あんたコレ、クラスにもってきなさいよ、せっかくの新学期なんだから」
だからかもしれない。17歳の春、母のそんな言葉に素直に従って、花束なぞを持って登校したのは。
(……柄にもないことしてないか、もしかして)
183センチの、目つきのよくない短髪男が黄色い鮮やかな花束を持っている。
そのアンバランスさを後悔しはじめたのは、わりと早かった。道中すれ違う人たちの視線が、花束を持つ俺に向いているようで恥ずかしい。しかし道路に花束を無下に捨てる訳にもいかず、なるべく顔を上げないように、足早に学校へと向かった。
幸い、教室にはだれもいなかった。朝練をしているトランペットの微かな音が春風にのって聞こえてくる。自分の席に鞄を乱暴に投げ捨てて、笑われる前に「証拠」を隠滅しようとした矢先、俺は自分の過失に気づいた。
(……やば、花瓶)
教室に整然と並ぶ机や、銀色に光るロッカーの前で俺は立ち尽くした。俺みたいな男が花束なんかを持っていることを馬鹿にされるのも避けたいが、花屋の息子の性なのか、ここまで持ってきた花をどうにか生けてやりたくて焦り始める。
なにか、代わりに……ペットボトルを空にして、いや、それではなんだかかわいそうだ。花は悪くない。花束を作った母の嬉しそうな顔や、今まで見てきた客たちの笑顔が胸をよぎった。
花束を持ってくるなんて、一番似合わない人間だからバチが当たったんだ。
「フリージア、きれいだね」
花を持って立ち尽くす大男への嘲笑の言葉とは真逆の、穏やかなハスキーボイスが聞こえた。
俺は振り返った。ほっそりとした華奢な肩。春風に揺れる、やわらかそうな栗毛色の髪。縁無しのシンプルな眼鏡が理知的な印象を与える。
その眼鏡の奥の瞳が、春の日差しにも似た微笑をたたえて、優しく俺を見つめている。
きれいな男だ。それが第一印象だった。外見が、というより、フリージアを見て微笑む雰囲気がやわらかくて、人を惹きつける不思議な魅力があった。
だが、すぐに俺は違和感に気づいた。
(何で、こいつ、こんなボロボロなんだ)
春風にそよぐ栗毛色の髪に、枝やら葉っぱやらが無数にくっついている。制服のジャケットやズボンの膝もよく見たら泥や土で汚れていた。
「あぁ、これね?いやぁ、恥ずかしいな」
俺が凝視していたので察したのだろう。指先で頭についた葉を摘みながら、にこにこと説明しだした。
「近所の森でね、どんぐりを拾ってたんだ。気候変動との関連を調べたくてね。ほら!こんなにたくさん!」
つやつやした、大小さまざまな木の実を掌いっぱいに持っている。誇らしげにどんぐりを見せられるなんて、幼稚園生以来だ。正体不明の相手は眼鏡の縁に指をかけながら、俺の持つフリージアの花束に、ぐいっと顔を寄せた。
「春らしくて素敵な花束だなぁ。綺麗な黄色だ。品種は『アラジン』かな。発色もよくて鮮やかだけど、甘い匂いも素敵だよね。そうそう、フリージアはね、原産が南アフリカなんだけど……」
彼は俺の手元の花束を見つめながら、長々と呪文のように喋り始めた。相手の方が小柄なのに、俺はかなり怯んでいた。似合わぬ花束を持っているところを見られて、動揺してるのかもしれない。「えっと…その…」としか言えず、固まっている俺に気づかないまま、葉っぱを頭をのせた男が、フリージアの蘊蓄を語り続けている。
花束をもって硬直する大男と、植物オタクらしい美少年。
他の人間がこの様子を見たら、どう思うだろう。今まで遠く離れた星に住んでいた2人が、どういうわけか、こんな場所で邂逅してしまった。そんな錯覚を覚える。俺にはコイツがさっきから、何を延々としゃべっているのか分からない。もしかしたらこの恐ろしい時間が一生続くのだろうか。
だが、遂に、ぐるぐる混乱する俺の頭は、植物マニアの異星人との共通単語を見いだした。
「か、花瓶、なんだけど……さ……」
「え?」
突然、俺の口からそんなキーワードが飛び出た。声が上ずってて情けない。だが、口が勝手に変な台詞を続けてしまう。
「その、花瓶、持ってない……よな?いや、俺のウチ、花屋で、これは、ただ、余ってたから持ってきたんだけど、その」
「あぁ、あるよ」
眼鏡の奥の目が優しく笑って即答した。というか、まさか花瓶を学校に持参してるのか。
「ちょっと待ってて、3分ぐらい!」
そう言って廊下に姿を消し、あっという間に、どこかから、ガラスの容器に水を入れて持ってきた。
「これなら大丈夫だよね。ちょっと借りるね」
ゴツゴツした俺の手と華奢な指先がかすかに触れた。触れたら壊れそうな、白い指だった。
鍵盤の上も似合いそうな細い指が手際よく花瓶に挿していく。花屋の俺よりよっぽど花屋らしい。
黄色い花弁が、水を得てますます鮮やかに輝いた。何もかもがうまく間に合って安堵した俺は、礼を言った。
「……ありがとな」
「こちらこそこんな綺麗なお花をありがとう。そっか。葉月くんのお家、お花屋さんだもんね」
「俺の名前、知ってるのか」
「えぇ?だって僕、クラスメイトだよ?」
窮地を救ってくれた恩人は悲しげに眉をひそめた。
「昨日オリエンテーションで自己紹介しただろう?僕の名前は……覚えてないか、それじゃあ」
「わ、悪い……」
「ふふ、じゃあ、改めて自己紹介するよ」
責める口調もどこか楽しそうに、彼は笑った。この教室で行われる2回目の自己紹介で、彼はこう名乗った。
「僕は香住朔。緑化委員会に入るつもりなんだけれど、葉月くんも、もしよかったらどうかな」
あの時、香住は、花束を買い求める客と同じぐらい幸せそうな笑顔を俺に向けていた。
どうして、よくも知らないクラスメイトにああも無垢に微笑むことができるんだろう。
笑いかけると、かえって他人を怖がらせてしまう俺は、そんな香住がやっぱり違う星の生き物に見えた。
舞い散る校庭の桜吹雪が窓から見えた。新しい季節を喜ぶようにフリージアの黄色い花弁も、柔らかく揺れている。
答えは単純だ。コワモテだと恐れられる顔つきと、身長183センチの体格の男に、一体どんな花束が似合うというのだろう。
それでいて、皮肉なことに、誰よりも花に囲まれてきた人生だった。
これもまた、答えは単純だ。駅前にある小さな花屋の一人息子、それが俺だった。
「猛々しさ」とか「無骨さ」を絵に描いたような俺と、文字通り華やかなその家業はあまりにも不似合いだし、興味も無かった。
けれど、ウチにやってくるお客たちには妙に惹かれた。
ピアノの発表会のコサージュを注文する親子。
照れくさそうに結婚記念日の花束を見繕うおっさん。
春には春の、秋には秋の花を日常に添えるのが楽しみだと語る老婦人。
花を買う時、人はみんな幸せそうだ。花の名前一つも覚えられないくせに、どんな笑顔が花を買っていくのかと、そればかり見てきた。
「ねぇ、奨。あんたコレ、クラスにもってきなさいよ、せっかくの新学期なんだから」
だからかもしれない。17歳の春、母のそんな言葉に素直に従って、花束なぞを持って登校したのは。
(……柄にもないことしてないか、もしかして)
183センチの、目つきのよくない短髪男が黄色い鮮やかな花束を持っている。
そのアンバランスさを後悔しはじめたのは、わりと早かった。道中すれ違う人たちの視線が、花束を持つ俺に向いているようで恥ずかしい。しかし道路に花束を無下に捨てる訳にもいかず、なるべく顔を上げないように、足早に学校へと向かった。
幸い、教室にはだれもいなかった。朝練をしているトランペットの微かな音が春風にのって聞こえてくる。自分の席に鞄を乱暴に投げ捨てて、笑われる前に「証拠」を隠滅しようとした矢先、俺は自分の過失に気づいた。
(……やば、花瓶)
教室に整然と並ぶ机や、銀色に光るロッカーの前で俺は立ち尽くした。俺みたいな男が花束なんかを持っていることを馬鹿にされるのも避けたいが、花屋の息子の性なのか、ここまで持ってきた花をどうにか生けてやりたくて焦り始める。
なにか、代わりに……ペットボトルを空にして、いや、それではなんだかかわいそうだ。花は悪くない。花束を作った母の嬉しそうな顔や、今まで見てきた客たちの笑顔が胸をよぎった。
花束を持ってくるなんて、一番似合わない人間だからバチが当たったんだ。
「フリージア、きれいだね」
花を持って立ち尽くす大男への嘲笑の言葉とは真逆の、穏やかなハスキーボイスが聞こえた。
俺は振り返った。ほっそりとした華奢な肩。春風に揺れる、やわらかそうな栗毛色の髪。縁無しのシンプルな眼鏡が理知的な印象を与える。
その眼鏡の奥の瞳が、春の日差しにも似た微笑をたたえて、優しく俺を見つめている。
きれいな男だ。それが第一印象だった。外見が、というより、フリージアを見て微笑む雰囲気がやわらかくて、人を惹きつける不思議な魅力があった。
だが、すぐに俺は違和感に気づいた。
(何で、こいつ、こんなボロボロなんだ)
春風にそよぐ栗毛色の髪に、枝やら葉っぱやらが無数にくっついている。制服のジャケットやズボンの膝もよく見たら泥や土で汚れていた。
「あぁ、これね?いやぁ、恥ずかしいな」
俺が凝視していたので察したのだろう。指先で頭についた葉を摘みながら、にこにこと説明しだした。
「近所の森でね、どんぐりを拾ってたんだ。気候変動との関連を調べたくてね。ほら!こんなにたくさん!」
つやつやした、大小さまざまな木の実を掌いっぱいに持っている。誇らしげにどんぐりを見せられるなんて、幼稚園生以来だ。正体不明の相手は眼鏡の縁に指をかけながら、俺の持つフリージアの花束に、ぐいっと顔を寄せた。
「春らしくて素敵な花束だなぁ。綺麗な黄色だ。品種は『アラジン』かな。発色もよくて鮮やかだけど、甘い匂いも素敵だよね。そうそう、フリージアはね、原産が南アフリカなんだけど……」
彼は俺の手元の花束を見つめながら、長々と呪文のように喋り始めた。相手の方が小柄なのに、俺はかなり怯んでいた。似合わぬ花束を持っているところを見られて、動揺してるのかもしれない。「えっと…その…」としか言えず、固まっている俺に気づかないまま、葉っぱを頭をのせた男が、フリージアの蘊蓄を語り続けている。
花束をもって硬直する大男と、植物オタクらしい美少年。
他の人間がこの様子を見たら、どう思うだろう。今まで遠く離れた星に住んでいた2人が、どういうわけか、こんな場所で邂逅してしまった。そんな錯覚を覚える。俺にはコイツがさっきから、何を延々としゃべっているのか分からない。もしかしたらこの恐ろしい時間が一生続くのだろうか。
だが、遂に、ぐるぐる混乱する俺の頭は、植物マニアの異星人との共通単語を見いだした。
「か、花瓶、なんだけど……さ……」
「え?」
突然、俺の口からそんなキーワードが飛び出た。声が上ずってて情けない。だが、口が勝手に変な台詞を続けてしまう。
「その、花瓶、持ってない……よな?いや、俺のウチ、花屋で、これは、ただ、余ってたから持ってきたんだけど、その」
「あぁ、あるよ」
眼鏡の奥の目が優しく笑って即答した。というか、まさか花瓶を学校に持参してるのか。
「ちょっと待ってて、3分ぐらい!」
そう言って廊下に姿を消し、あっという間に、どこかから、ガラスの容器に水を入れて持ってきた。
「これなら大丈夫だよね。ちょっと借りるね」
ゴツゴツした俺の手と華奢な指先がかすかに触れた。触れたら壊れそうな、白い指だった。
鍵盤の上も似合いそうな細い指が手際よく花瓶に挿していく。花屋の俺よりよっぽど花屋らしい。
黄色い花弁が、水を得てますます鮮やかに輝いた。何もかもがうまく間に合って安堵した俺は、礼を言った。
「……ありがとな」
「こちらこそこんな綺麗なお花をありがとう。そっか。葉月くんのお家、お花屋さんだもんね」
「俺の名前、知ってるのか」
「えぇ?だって僕、クラスメイトだよ?」
窮地を救ってくれた恩人は悲しげに眉をひそめた。
「昨日オリエンテーションで自己紹介しただろう?僕の名前は……覚えてないか、それじゃあ」
「わ、悪い……」
「ふふ、じゃあ、改めて自己紹介するよ」
責める口調もどこか楽しそうに、彼は笑った。この教室で行われる2回目の自己紹介で、彼はこう名乗った。
「僕は香住朔。緑化委員会に入るつもりなんだけれど、葉月くんも、もしよかったらどうかな」
あの時、香住は、花束を買い求める客と同じぐらい幸せそうな笑顔を俺に向けていた。
どうして、よくも知らないクラスメイトにああも無垢に微笑むことができるんだろう。
笑いかけると、かえって他人を怖がらせてしまう俺は、そんな香住がやっぱり違う星の生き物に見えた。
舞い散る校庭の桜吹雪が窓から見えた。新しい季節を喜ぶようにフリージアの黄色い花弁も、柔らかく揺れている。

