「……っ、やめろ!」
怒鳴り声が響き渡り、振り返ると、使用人が数人で一人の少年を囲んでいた。
すぐに警戒するようにカイルが私の前に出る。
耳があるということは、この子の獣人族なのだろう。
痩せ細り、服も粗末で、到底貴族ではないことはわかる。
「王家の所有する屋敷の庭に入るなんて、身の程知らずが」
「違っ……落ちたものを拾おうとしただけで……っうあぁっ!!」
言い訳を遮るように、蹴りが入る。
鈍い音が響いて、少年が地面に崩れ落ちる。
「あら……」
不法侵入、となれば、怒られるのも無理はない。
止めるべきか。
見過ごすべきか。
どちらでも構わない。私の立場的には見過ごすのが正解だろう。
だけど──。
「ねえ」
声をかけると、使用人たちの動きがぴたり、と止った。
「何をしているのかしら」
穏やかに問いかけたつもりだけれd、その空気にぴりりとした緊張が走るのが分かった。
「……し、躾です」
「えぇえぇそうです。この者が無断で庭に入りましたので」
「一応、仮にも、王妃の屋敷なので」
うん、どいつもこいつも。
一応でも仮でもないのよ。
本当の、王妃なのよ、私。
心の中でやれやれと息をつきながら、私はゆっくりと少年に歩み寄る。
そして少年の前で足を止めると、しゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
「ひっ……」
「……」
なんて怯えた瞳。
だけど……その奥にあるのは恐怖だけではない。……諦めだ。
この国の“弱者”の目。
私はそっと手を伸ばし、少年の頬に触れると、びくり、とそのやせ細った身体が震えた。
次の瞬間────。
「……え?」
少年から小さな声が漏れて、刹那、頬の腫れが、ゆっくりと引いていく。
切れた唇も元に戻って綺麗な状態におさまっていく。
「な……何を……」
使用人たちが後ずさる。
そりゃそうか。こんなところ見たら、ね。
私は何事もなかったかのように立ち上がった。
「この子はもう大丈夫よ。このことは不問とするわ」
淡々と私は使用人たちにそう告げる。
「それでも罰が必要かしら? ……あなた達に」
誰も答えない。
答えられない。
当然ね。質問よりなにより、目の前で起きたことが、理解できていないのだから。
「下がりなさい」
静かに命じると、今度は誰も逆らわなかった。
足早に逃げるように去っていく背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
……やっぱり、使えるのね。この力。
自覚はあった。
けれど、ここまで明確に効果が出るとは思っていなかった。
「……あ、あの……」
おずおずと、少年が声をかけてくる。
「ありがとうございました……」
「いいのよ。さ、もう行きなさい。次は見つからないように」
少年は何度も頭を下げながら、走り去っていった。
「……今のは」
ふぅ、吐息をついて振り返れば、何とも言えない表情のカイル。
「……傷が、消えていましたが……」
「ええ」
隠すつもりはない。
敢えて言うつもりもなかったけれど。
「少しばかり、特別なの、私。聞いたことない? マルボロ王家の人間には、何かしら特別な力が宿ってる、って。私の場合は治癒の力、なのよね」
そう言って微笑むと、カイルは驚き目を見開いたまま口を閉ざし、やがて──。
「……なぜ、あの少年を助けたのですか」
そう問われた。責めるでもなく、純粋な疑問として。
「気まぐれよ」
そう言って、私は肩をすくめる。
「目に入ったから」
「それだけ、ですか」
「それ以上の理由が必要?」
逆に問い返すと、カイルは言葉に詰まった。
そして、わずかに視線を落とす。
「……いえ」
「……カイル」
そう静かに名前を呼ぶと、カイルはゆっくりと顔を上げた。
「あなたは、ああいう光景が嫌いなのよね?」
私の言葉に、カイルはまた目を大きく見開いて言葉を無くしたまま私を見つめた。
「安心して。私も嫌いよ。だから──」
視線を庭に向けると、いつもの穏やかな綺麗な景色。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように静か。
「少しは、マシにしていくつもり」
独り言のように呟く。
この国を、この場所を、ほんの少しでも。
その横顔を、カイルは黙って見詰めた後、胸に手を当て、首を垂れた。
「……あなたの、思いのままに」
低く、静かな声が響く。
「私は────そのための剣となりましょう」
その静かな誓いに、私はぽかんと口を開けたまま静止して、やがて頬を緩ませ言った。
「えぇ。頼もしいわ」
カイルは何も答えなかったけれど、わずかに、ほんのわずかに、表情が和らいだ気がした。



