別邸での生活は、驚くほど静かに始まった。
静かすぎる、と言った方が正しいかもしれない。
王妃が移り住んだにしては、人の気配があまりにも少ない。
廊下を歩いても、足音がやけに響く。
「……本当に“最低限”ね」
数日ここで過ごしてみてわかったこと。
使用人は全部で10人。
王宮にいた頃の感覚で言えば、信じられないほど少ない。
王女だったころのの使用人の数よりも王妃になってからの使用人の方が少ないってどういうこと?
しかも。しかも、だ。
「……お茶です」
カシャン、と適当にテーブルの上へと差し出されたカップの中身がゆらゆらと揺れる。
用意してくれたのは、私付きだと紹介された侍女のメリッサだ。
目が笑っていない。それどころか、露骨に不機嫌さが滲んでいる。
おぉよそ王妃に対する態度ではないけれど……まあ、そうよね。
彼らにとって私は、“番ではない王妃”。
つまり、王にとって不要な存在で、皆の憧れである”国王の番様”の立場を貶める存在。
敬う理由がないのだもの。
それでも形式上は従わなければならない。
だからこそ、この中途半端な態度になるのだろうけれど……もう少しうまくやれないのかしら?
「ありがとう」
何事もないように礼を言うと、メリッサはわずかに眉をひそめた。
予想外だったのだろう。
怒るか、無視するか。
そのどちらかを期待していたような顔。
本当、分かりやすい。
少しだけ口元が緩む。
わかりやすいのは嫌いじゃない。
次の相手の出方が、ちゃんと見えるから。
カップに口をつける。
おぉ、ぬるい。
ほんの少しだけ。
だけど、ちゃんとぬるいことが分かる程度には。
なるほど。嫌がらせのつもりか……。
あまりにも稚拙な嫌がらせだこと。
私はそのまま、気にする素振りを見せることなく、何も言わずに飲み干した。
するとメリッサの瞳がわずかに揺れて、その形の良い眉が顰められた。
「……他に何か?」
「いいえ。とても美味しいわ。ありがとう。もういいわ、下がってちょうだい」
静かににっこりと微笑んだままそう告げると、彼女は一礼して部屋を出ていった。
「ふぅー……」
出て言った途端、私の口から大きなため息が漏れた。
さて、どう動くべきか。
選択肢はいくつもある。
叱責して従わせることもできるし、使用人の総入れ替えを要求することもできる。
王妃という立場を使えば、それくらいは容易い。
けれど──つまらないわね。
それでは。
与えられた立場に甘えるだけ。
私はカップを置き、椅子にもたれた。
「ふぅ……」
「淹れ直してきましょうか?」
一つ息をついた私に、背後で気配を消していた私の護衛騎士が声をかける。
「ふふ。大丈夫よ。私、猫舌だし。きっと獣人族は猫舌だから、彼らなりの気遣いなんでしょうね」
まぁ、獣人族とはいえ、王家が雇う使用人だ。
人間相手の作法はきちんとわかっているはずだけれど、そう思っておいた方が気が楽だわ。
「午前の資料確認も終わったし、ちょっと休憩しましょ。庭に出るわ。一緒に来てくれる?」
「はい。もちろん」
そして私は一度大きく伸びをすると、カイルと共に執務室を後にした。



