地味で堅物なメイドですが、キラキラ侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしました【完結】

「むにゃ~~♡ これにゃ!! この香りにゃ~~♡♡」
「かっ、返して!!」

ネコさんが巾着袋を抱いて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
絵を破かれたりしたら大変だ。
私は力任せにネコさんの前足を引っ張る。

「やかましい。壊したりなどせんわ」
「ほっ、ほんと……ですか?」
「ああ。後でちゃんと返す」

それなら……と、ほっと息をついてネコさんから手を離す。
でも、一体何をしているんだろう?
顔料の香りが好きなのかな?

「ヴァレリオと言ったか? その者の絵はどこにある?」

あの日の光景がフラッシュバックする。
ズタズタに破かれたキャンバス――夢の残骸の中で一人佇む、ヴァレリオ様のお姿が――。

「おい、掃除婦。聞いておるのか?」
「……もうそれしか残っていません」
「にゃにっ!? なぜだ!?」
「画家は廃業されたんです。その時に、全部ご自分で処分されて……」
「なら、なぜお前はここにいる?」
「えっ……?」

顔を上げると、ネコさんと目が合った。
ニタニタと厭らしい目をしている。

この方は神様か、妖精さんか。
とにかく、本来ならそれ相応の敬意を払うべきなんだろうけど、……ダメだ。無性に腹が立つ。

「ふっふっふ、どうやら吾輩達は同志であるらしい」
「……どういうことですか?」
「吾輩はヴァレリオの絵を欲しておる。そしてお前は、ヴァレリオの画家としての再起を望んでいる。そうであろう?」
「……いえ。私はただハウスメイドとして、務めを果たしているだけで――」
「はっ、嘘つけ」

自分のこめかみに、ビキっと青筋が立ったのが分かった。
ダメよ。堪えて、フィオーラ。

「ヴァレリオは、なぜ描くのを止めた?」
「存じ上げません」
「では、調べて参れ」

突然、眩い光に包まれた。
あまりの眩しさにぎゅっと目を閉じる。

「受け取れ」
「?」

見れば目の前に何かが浮かんでいる。
これは……絵筆? いや、普通の絵筆より一回り以上短い。
持ち手の部分は桃色で、穂先の部分は真っ白。
少なくとも、ヴァレリオ様のアトリエにはないタイプの筆だ。

「名を冠するなら『なりたい自分になれるステッキ』と言ったところか」
「……は?」
「そのステッキを使えば、絶世の美女にも、最強の女剣士にもなれる」
「だから、何だと言うのですか?」
「このままでは吾輩も納得がいかん。変身してヤツに近付き、筆を折った真相と共に――再起の芽が残っておるか、しかと確かめて参れ」

やっぱりこの精霊さん? には、この世界の常識が通じないみたいだ。
納得してもらえそうにないけど、一応話してみるか。

「お言葉ですが、仮にそれらしい見た目になれたとしても、どこの馬の骨ともしれない人間が、相手にされるわけが――」
「吾輩はそれを『なりたい自分になれるステッキ』と言ったはずだ」
「そうですが……それが何か?」
「例えば、お前が令嬢に変身した場合、関わった人間はお前をそれと思い込む」
「っ! 周囲の人間を、一種の催眠状態にするということですか?」
「左様。因みにお前の方には、その架空の人物を演じるに足るだけの、捏造された素性や、記憶が流れ込んでくる。催眠状態の相手を欺く分には、不足はないだろう」
「すっ、すごい……!」
「はっはっは! そうであろう、そうであろう!」

っ! しまった。思わず感心してしまった。
私はぶんぶんと首を左右に振って、頭を切り替える。

冷静になりなさい、フィオーラ。
このステッキ、下手したらとんでもない危険物よ。

「その催眠状態はいつまで続くのでしょうか? まさか一生なんてことは――」
「案ずるな。指定回数分の変身を終えるか、期日を過ぎるかすれば、魔法は解除される。関わりが薄かった者から順に、その者の記憶は薄れ、最後には誰の記憶にも残らない(・・・・・・・・・・・・・・)
「誰の記憶にも残らない……」

確かにそれなら、ヴァレリオ様もビアンカちゃんも傷付けることなく、目的を達成させることが出来るのかもしれない。

「お前にとってもプラスになるはずだ。このまま何も知らぬまま、ただ一人ここでの掃除を続ける気か?」
「…………」

私はむしろ知りたくない。
このまま何も知らないまま、アトリエの掃除を続けていきたい。
だけど、ヴァレリオ様がお望みでないのなら、すっぱり止めないといけないから……。

「分かりました。お手伝いを致します」

そう言って、私はステッキを手に取る。
私の手に収まると、パァッと七色に輝いて――すっと静かになった。

「よくぞ申した! 期限は今日から二週間。一回につき七時間有効で、計三回まで使える。小娘よ、くれぐれもしくじるでないぞ!」
「えぇ……」
「なっ、何だ?」
「その……意外とケチなんですね」
「ふぬぉおおおぉお!!? 小娘の分際で吾輩を愚弄するのか!!?」

ネコさんは立ち上がるなり、子供みたいに地団駄を踏み始めた。
威厳もへったくれもない。
私は思わず大口を開けて笑ってしまった。

「笑うな!!」
「ごめん、ごめん。すごい、すごい」
「ぐぅ~~、この~~っ」
「で、私は何に変身すればいいの?」

ネコさんは立ったままの状態で、顎に手を当てて考え始めた。
何だかシュールだけど、これはこれで可愛いかも。

「……うむ。よし! では、まず手始めに『ヤツの理想の令嬢』になれ!」
「……普通の令嬢じゃダメなの?」
「アホ! そのへんの令嬢では、はぐらかされて終いに決まっておろうが!」
「そりゃ……そうかもしれないけど……」

坊ちゃんに対して、あまりに失礼というか……申し訳ないというか……。
理想の女性像なんて、本来は胸の奥にそっと秘めておくものでしょう?
それを勝手に衆目に晒すだなんて。
おまけに、その中身が私だなんて……。

けど、確かに……ネコさんの言う通り、並みの令嬢では、坊ちゃんから真意を聞き出すのは難しい……のかもしれない。
うぅ゛……ごめんなさい、坊ちゃん。

「それと……そうだな、その令嬢は異国人がいい。催眠、忘却の処理を円滑に済ませるためにも、関わる人間は極力少ない方がいいからな」
「なっ、なるほど」
「細かな素性は、吾輩の方で考えておく。お前はその異国の令嬢が潜り込めそうな催しを探しておけ」
「分かったわ」

こうして私はネコの姿をした精霊さん? と共に、ヴァレリオ様が筆を折った真相……そして、あの方の中にまだ『再起の芽』が残っているのか――この二点を確かめることになった。

再起の芽がゼロだったら、ネコさんはどう出るつもりなんだろう。
あんまり考えたくはないけど……もしも仮に、強硬手段に打って出ようと言うのなら――私は全力で止めに入ろう。

ヴァレリオ様には……坊ちゃんにはもう二度と、あんな悲しい顔をさせたくないから。