あの夏、神様に選ばれた君へ

 幸代は素早く清子の体を確認すると、問題がなかったのか大輝のところまで戻ってきた。

「清子さんは、一旦は落ち着いているわ。それよりも、あんたの方が酷い顔よ」
「…………声が」
「そうね。急に清子さんが叫んだからびっくりしちゃったわよね」

 大輝の伝えたかったことは幸代には伝わらなかった。どうやら幸代には清子の声以外は聞こえなかったようだ。

「立てる? こっちでお茶出してあげるから、移動しましょう」

 みっともなく震える足をなんとか動かし、幸代についていく。通された台所にはいろんなもので散らかった机と、古い椅子が二脚置かれていた。キッチンの方には幸代の使いやすいように配置された調味料が並べられているだけで、綺麗に整頓されていた。

「私はハウスキーパーじゃないからね。部屋の掃除はあまりしてないの」

 言い訳をするように幸代が言いながら、古びた冷蔵庫から作り置きされていたお茶を取り出す。

「麦茶でいい?」
「……なんでもいいです」

 早くなった呼吸を整えながら、幸代に答える。幸代はガラスのマグカップに冷たい麦茶を注ぎ、大輝の目の前に置く。大輝はそれを一気に飲み干すと、深いため息を吐いた。

「ごめんなさいね。突然ことで驚いたでしょ? まぁ、私もこんなこと初めてで心臓が飛び出るかと思ったけど」

 くすりと、無邪気な笑みをこぼす。突き放すような冷たい雰囲気が、泣いている幼い子供を慰めるような優しいものに変わる。そっけない人だと思っていたが、実際は突然訪れた大輝を警戒していただけでそうではないようだ。


「それにしても、よくこんな何もないところに来たわね。呼ばれたんだとしても、私なら絶対に来ないわ」
「でも、あなたは……」
「私は仕事で来てるだけよ。ここには住んでなくて、今日はたまたま清子さんの訪問日だっただけ」


 幸代は壁越しに清子の眠る方を見つめる。


「多分、もうすぐ神様のお迎えがあるんだと思うけど……」

「神様……信じてるんですか?」

「私はそんなに熱心に信じてないわ。でも、私の生まれたところもここみたいな小さな村で、それなりに土着信仰が盛んだったからね。まぁ、ここほどではないと思うけど」

「ここは、そういう信仰が根強いんですか?」

 大輝は森で出会ってからここまでに受けた住民たちの丁寧すぎる態度を思い出す。幸代はあまり口にしたくないのか肩を竦めると「まぁね」と答える。

「悪いことは言わないから、早めにここを出ることね。清子さんも子供の面倒見られる状態じゃないんだし」

 狂ったような清子の叫び声が耳にこびりついているようだった。

「そう、ですね……そういえば、ここに髪がボサボサな俺と同じくらいの子供っていますか」

「子供……あぁ、神道家の子かな。村唯一の子供らしいけど、その子がどうしたの?」

「いえ、森で少し話したので、もしも帰るならその前にまた会えたらなって」

「あら、珍しいわね。そこの家の子、滅多に外では姿を見ないのに」

 幸代は空になったコップをシンクに持っていくと、手早く洗っていく。それを見ながら大輝は立ち上がると、幸代に軽くお辞儀した。

「お茶、ありがとうございました。俺、その子と話してみたいのでもう行きます」

「私の方こそ、最初態度が悪くてごめんなさいね。色々疑ってたし、あの人たちはなんだか気味が悪かったし」

 お婆さん含め、大輝をこの家まで連れてきてくれた人たちを思い出す。みんな同じ笑顔の仮面を被っていたのは確かに薄気味悪く、思い出すだけで鳥肌が立って両腕を思わずさする。あからさまな態度を見せる大輝に、幸代さんは明るく笑った。大輝はいけないところを見られたような気分になり、少しだけ頬を赤く染める。

「いいのよ、いいのよ。きっと、その反応の方が正しいんだから」

 一瞬翳りのある面持ちを見せるが、すぐに幸代は暖かな笑みを浮かべる。

「もしも、何かあればここに来なさい。私は今日、泊まり込みの日だから、匿ってあげることくらいできるわ」

「ありがとうございます。なんだか、心強いです」

 二人は顔を見合わせると、共犯者になった気分になりどちらともなく笑い出す。幸代と話していると、陰鬱になりかけていた気分が晴れていくようだった。

「それじゃあ、俺、行きますね」
「行ってらっしゃい。神道家は道なりに進んだ、一番高いところにあるからね」

 幸代は玄関まで大輝を見送りに来てくれると、神道家がある方向を指差す。その方向には少し標高が高い位置にこの家とは比べ物にならないくらい立派な家が建っていた。
 行き先を確認すると大輝は小さく頷いて幸代に頭を下げる。

「……気をつけてね。用事が済んだら、早くここを出るのよ」
「はい。そうします」

 幸代にはそう答えたが、大輝の心はここに留まりたいという気持ちが芽生えていた。薄気味悪く、気持ちのいいところではないのに、何かに心が惹かれるようだった。

 大輝は幸代を心配させないために、その気持ちは心にしまっておくことにした。どちらにしても、清子があの状態では世話になる当てがなくなったのだから、長居はできないだろう。

 そう考えながらアスファルトで舗装されていない地面を踏みしめながら神道家を目指して歩き出す。