「八千代様……なぜここに?」
倒れた大輝に必死に話しかける朔を横目に、宗一郎は突然現れた八千代と呼ばれたお婆さんに尋ねる。人の良さそうな笑顔の裏に、そこの見えない闇を感じ取り、宗一郎は思わず足を後ろに下げる。
八千代は村の祭事を執り行う役目を持っていた。この集落の出来事を全て記録に残すのが宗一郎の役目だとしたら、八千代は八ツ森様に関わることを任せられた人物だ。いつもなら、八千代は宗一郎の指示で動き、それ以上の干渉は行ってこなかった。神道家が守り続けてきた、常世原の記録が詰まった部屋にも、宗一郎の指示なしで入ってくることはない――はずだった。
「なぜ? それはこちらの言葉ですよ、宗一郎様」
八千代は薄く目を開けると、じっと宗一郎を見つめる。その視線には温かさはなく、背筋を這うような不快感が湧き上がった。
「どうして、今更、この子達に情を抱いているのですか? どうせ、生贄として死んでしまうというのに」
その言葉に宗一郎は言葉を詰まらせる。彼の中で、この土地を納めてきた責任と、父親としての責任で揺れ動いていた。父親がすぐに返答しないことに、朔は小さな希望を見出す。今の宗一郎なら、自分たちを助けてくれるかもしれない、と。
意識を失った大輝の体を守るようにギュッと抱きしめると、朔は一縷の望みにかける。
「お父さん……僕たちは、ここから自由になりたい。そのためには、お父さんの力が必要なんです」
朔の声に宗一郎は苦しそうに眉を顰める。強く瞑った瞼の奥で、宗一郎が何を考えているのかはわからなかった。朔にできることは、父である宗一郎を信じることだけだ。
「私は…………」
どれほどの時間が経ったか。ゆっくりと目を開くと、宗一郎は決意に満ちた強い瞳で八千代を見据える。その時、ほんのわずかに朔の方を見たが、すぐに視線が外された。しかし、朔の視線を全身で受け止めるように、宗一郎は八千代と朔たちの間に体を滑り込ませる。
「――私は、父としての責任を果たす」
それが、宗一郎の答えだった。
朔は驚きに満ちたように目を見開き、目頭が熱くなるのを感じた。ずっと交わることのなかった親子のつながりが、今になって重なった瞬間だった。
宗一郎の返答に八千代は悲しそうに顔を歪める。そして、ゆっくりと首を横に振ると、扉の前から退くように体を動かした。
「残念です、宗一郎様。あなたは、この集落の長だと言うのに。私情に流され、選択を見誤るとは…………なんと、嘆かわしいことでしょう」
口元を手で隠しながら、そっと涙を浮かべる八千代。その時、部屋の入り口の奥から、複数人の足音が聞こえてくる。その音にいち早く気がついた宗一郎が扉に向かって手を伸ばしたが、一歩遅かった。
狭い部屋に複数人の人たちが入り込んだかと思うと、宗一郎や朔の身柄を取り押さえる。一様に、皆、貼り付けたような笑顔を浮かべていた。触られたところから、虫唾が走るような感触がして、朔はその手を振り解こうとしてできなかった。
「とても残念ですが、それでも私たちのやるべきことは変わらないのですよ」
「……っ守るべき子供の命を、いくら捧げれば気が済むと言うのだ!」
複数人の男達に取り押さえられながら、宗一郎は牙を剥くように吠える。だが、八千代達にその想いが届くことはなかった。
「ご自身の子供だからといって、運命に抗うことはよくないですよ…………それが、神道の家に生まれたものの宿命なのですから」
「自分の子を守らない親などいるわけがないだろう……! 憎まれても、嫌われても、それでも生きていてほしいと願うことの何がいけないというのだ!」
「……お父さんっ!」
抗おうともがき続ける宗一郎の額に脂汗が滲む。無理やり人の手から逃れようとしているのか、時折聞きたくもない骨が軋む音がする。鬼のような形相で運命に歯向かう宗一郎の姿の方が、彼の本質を表していた。
その姿を目の当たりにして、ようやく朔は気がつく。
朔が宗一郎のことを勘違いしていたことに。
実の親であるが、その態度はとても辛く、厳しかった。生贄にも選ばれず、役に立たない自分は、ずっと嫌われているのだと、疎まれているのだと思っていた。
だが、本当は違った。
朔に辛く当たるのは、この集落を見限って欲しかったからだ。
外へと逃れた大輝のように、この集落の外へと逃げて欲しかったからだ。
宗一郎にはこれまでの集落の罪を背負う責任があったからこそ、表立って朔に逃げろと言うことができなかったのだろう。
「子供達の命で賄う神など、もはや神などではない! ただの化け物だ!」
鋭い眼光が八千代を貫く。その言葉こそ、宗一郎の本心だった。
倒れた大輝に必死に話しかける朔を横目に、宗一郎は突然現れた八千代と呼ばれたお婆さんに尋ねる。人の良さそうな笑顔の裏に、そこの見えない闇を感じ取り、宗一郎は思わず足を後ろに下げる。
八千代は村の祭事を執り行う役目を持っていた。この集落の出来事を全て記録に残すのが宗一郎の役目だとしたら、八千代は八ツ森様に関わることを任せられた人物だ。いつもなら、八千代は宗一郎の指示で動き、それ以上の干渉は行ってこなかった。神道家が守り続けてきた、常世原の記録が詰まった部屋にも、宗一郎の指示なしで入ってくることはない――はずだった。
「なぜ? それはこちらの言葉ですよ、宗一郎様」
八千代は薄く目を開けると、じっと宗一郎を見つめる。その視線には温かさはなく、背筋を這うような不快感が湧き上がった。
「どうして、今更、この子達に情を抱いているのですか? どうせ、生贄として死んでしまうというのに」
その言葉に宗一郎は言葉を詰まらせる。彼の中で、この土地を納めてきた責任と、父親としての責任で揺れ動いていた。父親がすぐに返答しないことに、朔は小さな希望を見出す。今の宗一郎なら、自分たちを助けてくれるかもしれない、と。
意識を失った大輝の体を守るようにギュッと抱きしめると、朔は一縷の望みにかける。
「お父さん……僕たちは、ここから自由になりたい。そのためには、お父さんの力が必要なんです」
朔の声に宗一郎は苦しそうに眉を顰める。強く瞑った瞼の奥で、宗一郎が何を考えているのかはわからなかった。朔にできることは、父である宗一郎を信じることだけだ。
「私は…………」
どれほどの時間が経ったか。ゆっくりと目を開くと、宗一郎は決意に満ちた強い瞳で八千代を見据える。その時、ほんのわずかに朔の方を見たが、すぐに視線が外された。しかし、朔の視線を全身で受け止めるように、宗一郎は八千代と朔たちの間に体を滑り込ませる。
「――私は、父としての責任を果たす」
それが、宗一郎の答えだった。
朔は驚きに満ちたように目を見開き、目頭が熱くなるのを感じた。ずっと交わることのなかった親子のつながりが、今になって重なった瞬間だった。
宗一郎の返答に八千代は悲しそうに顔を歪める。そして、ゆっくりと首を横に振ると、扉の前から退くように体を動かした。
「残念です、宗一郎様。あなたは、この集落の長だと言うのに。私情に流され、選択を見誤るとは…………なんと、嘆かわしいことでしょう」
口元を手で隠しながら、そっと涙を浮かべる八千代。その時、部屋の入り口の奥から、複数人の足音が聞こえてくる。その音にいち早く気がついた宗一郎が扉に向かって手を伸ばしたが、一歩遅かった。
狭い部屋に複数人の人たちが入り込んだかと思うと、宗一郎や朔の身柄を取り押さえる。一様に、皆、貼り付けたような笑顔を浮かべていた。触られたところから、虫唾が走るような感触がして、朔はその手を振り解こうとしてできなかった。
「とても残念ですが、それでも私たちのやるべきことは変わらないのですよ」
「……っ守るべき子供の命を、いくら捧げれば気が済むと言うのだ!」
複数人の男達に取り押さえられながら、宗一郎は牙を剥くように吠える。だが、八千代達にその想いが届くことはなかった。
「ご自身の子供だからといって、運命に抗うことはよくないですよ…………それが、神道の家に生まれたものの宿命なのですから」
「自分の子を守らない親などいるわけがないだろう……! 憎まれても、嫌われても、それでも生きていてほしいと願うことの何がいけないというのだ!」
「……お父さんっ!」
抗おうともがき続ける宗一郎の額に脂汗が滲む。無理やり人の手から逃れようとしているのか、時折聞きたくもない骨が軋む音がする。鬼のような形相で運命に歯向かう宗一郎の姿の方が、彼の本質を表していた。
その姿を目の当たりにして、ようやく朔は気がつく。
朔が宗一郎のことを勘違いしていたことに。
実の親であるが、その態度はとても辛く、厳しかった。生贄にも選ばれず、役に立たない自分は、ずっと嫌われているのだと、疎まれているのだと思っていた。
だが、本当は違った。
朔に辛く当たるのは、この集落を見限って欲しかったからだ。
外へと逃れた大輝のように、この集落の外へと逃げて欲しかったからだ。
宗一郎にはこれまでの集落の罪を背負う責任があったからこそ、表立って朔に逃げろと言うことができなかったのだろう。
「子供達の命で賄う神など、もはや神などではない! ただの化け物だ!」
鋭い眼光が八千代を貫く。その言葉こそ、宗一郎の本心だった。



