箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

 自販機の前で、後輩の女子からの告白に、宮成は少しだけ押し黙った後、静かに口を開いた。
「あー……、ありがとう」
 わずかに眉の下がったその表情に、俺はことの顛末を察した。 
 その時――。
 頭上から声が降ってきた。

「うわ、告白の盗み見? 夏生、ちょっと趣味悪くない?」
 ……ナツキ?
 そう呼ばれて、一瞬誰のことか分からなかった。
 俺は確かに夏生だけど、学校で俺を下の名前で呼ぶ人はいない。しかも呼び捨てだし。
 一拍して、「もしかして自分のこと?」と座ったままの状態で、恐る恐る顔を上げると、そこには長い髪を後ろにまとめた吊り目の美人がいた。
――翠だ。

「うわっ!」
 足音なく近づいてこられた驚きと、自分の名前を呼ばれた驚きが重なって、思わず声をあげ、腰を地べたにつけた。腰を抜かすとはまさにこのことだ。
 驚いた様子の俺に、翠は即座に人差し指を自身の口にそっと当てた。
「しーっ! 静かにして。慧にバレちゃうじゃん。あ、ほら!」
 翠の視線が宮成に向く。
 そうだった、今は宮成の告白を盗み見しているんだった。そう思い出し、俺も宮成に目を向けた。

 宮成は差し出された手紙を受け取ると、相手の女子の目をしっかり捉えた。
「でも、ごめん。気持ちには応えられない」
 きっと断るだろう。そうわかってはいたけれど、実際にそれを目の当たりにして、ほっと胸を撫で下ろす。
 ……あの子には少し悪いけど。
 その時、翠がぽつりとつぶやいた。
「毎度のことながらみんなよく告白するよね。……慧がOKするわけないのに」
 どういう意味だろう。
 必死にその言葉の意味を考える俺の気も知らず、翠は楽しそうに俺を見た。
「夏生は、慧の好きな人知ってる?」
 ……名前で呼ばれるのには、まだ慣れない。
 ていうか、宮成、好きな人がいるんだ……。そしてそれをこの子は知っているのか。
 翠の問いかけに、黙ったまま首を横に振ると、翠は意味ありげに微笑んだ。
「じゃぁ、なんで慧がバスケ始めたかは? 知ってる?」
 宮成がバスケを始めた理由? いきなりなんなんだ。
 脈絡のない会話に戸惑いながら、一体何を言いたいのだろうかと首を傾げた。
『私は宮成の全てを知ってるけど?』というマウントだろうか。
 だとしたら、なんか……悔しい。
 俺は唇を尖らせながら答えた。
「し、知らない……です」
 同級生なのに、謎の圧力に負けて、つい敬語になってしまう。
 もっと強気でいけよ、自分。
 翠は「ふぅん」と口端をあげて、言葉を続けた。

「なら、本人に聞いてみたらいいよ。なんでバスケ始めたのか」
 いや、別に興味ないですけど。
 心の中ではそう返せるのに、現実ではやっぱり無理で、俺はその代わりに顔を強張らせた。 
 そんな俺の表情すら楽しむように、翠は笑みを深めた。
 その余裕が、ちょっとだけむかつく。
 翠はふと、俺の後ろの何かをみて「あ」と声を漏らし、
「じゃ、慧にばれる前に。またね夏生」
 と、手を振りながら、足早に帰っていった。

 なんというか、嵐のような人だった。
 初対面で名前を呼び捨てにして、何か匂わせるような発言までして。
 ……なんか、すごくモヤモヤする。
 なんなんだよ、と足元の小石を蹴り上げた時、背後から声をかけられた。
「あれ、綿谷? どうしたの」
 思わず肩がびくりと跳ね上がる。
 振り返るとそこには、宮成がいた。
 顔を見ればさっきの告白を思い出してしまいそうで、俺は慌てて、視線を逸らす。

「えっと……、お前探してたとこ。明石が、ドッジの応援行こうって」
 告白現場を見てたなんて言えず、さも、今来たような顔で告げる。
「あ、そなの? ごめんごめん。ジュース買ってた」
 そう言うと、宮成は持っていた二つのジュースのうちの一つを俺に差し出した。
「お詫びに、これ」
「いいよ。自分に買ったやつなんだろ?」
 俺はどうせスコア係だし、正直そんなに疲れてない。
 それよりも、宮成が飲んで体力を回復させた方が良いに決まってる。
 そう思って、押し返そうとしたが、宮成も負けじと押し返してくる。
 なんて頑固なんだ。
 お互いに譲らず、ペットボトルが俺たちの間を行ったり来たりしていた時。
 宮成が、少し強めに声を張った。

「お前のため!」
「へ?」
「……お前のために買ったんだよ。……だから、受け取って」
 なぜか顔をそっぽむかれたまま、宮成はぐいっと俺にジュースを押し付けた。宮成の耳が僅かに赤く染まっている。
『俺のために買った』なんて言われれば、受け取らなきゃいけない気がして、俺は差し出されたジュースをやっと受け取った。
 そうしてジュースに目を向けたときはじめて、それが俺が好きなジュースだということに気づいた。
 ……なんで俺の好み知ってんだよ。
 たまたま……な、わけじゃないよな。
 ひんやりと手に伝わるジュースの冷たさが、さっきまでの翠との会話で荒れた俺を、少しだけ冷静にしてくれる。

 二人でドッジの応援をすべく校庭へ向かいながら、俺は翠の言葉を思い出していた。

――なんで慧がバスケ始めたか、知ってる?
 なんでそんなことを訊ねたのかは、分からない。
 けれど、きっと何か意味があるのだろう。
 一度湧いた疑問はパンパンに膨れた風船のように、簡単には萎んでくれない。俺は答えが知りたくて、口を開いた。

「あのさ……」
 緊張から、宮成を呼ぶ声が、わずかにかすれる。
「ん?」
 宮成は、喉仏を上下に動かしながら、ジュースをごくごくと喉に流し込む。
 何でジュース飲むだけで色気があんだよ……。
 見てはいけないものを見てるような気になり、俺は逃げるように視線を伏せた。
「あの、なんで……、なんでバスケ始めたの?」
 唐突な質問に、宮成はジュースから口を外し、まじまじと俺を見た。
「え?……なんで急に?」
 まぁ、そうなるよな。自分でも驚くほど唐突な質問だと思う。
 何か良い理由はないかと、俺はとってつけた言い訳を口にする。
「いや、今日、すごい上手だったから。き、きっかけとか知りたいなと思って……」
 全くの嘘だ。心の中で、自分を「ホラ吹き」だと罵る。
 宮成は少し躊躇うように視線を泳がせた後、言葉を探すように口を開いた。
「昔……、まだ小学生だった頃、好きな子がしてたんだ、バスケ。でもその子と離れ離れなっちゃって。連絡先も分からなくて。だから。俺もバスケしたら、いつか大会とかで会えたりするかなって……、それで始めた。ふっ、しょうもないでしょ?」
 昔好きだったと言うその子のことを、きっと宮成は今も好きなのだろう。
 そう気づいたのは、その子のことを話す宮成が、今までで見た中で一番、柔らかな表情をしていたから。
 その顔をさせたのが、自分じゃない誰かだと思うと、やっぱり面白くない。
 喉元に迫り上がってくる感情に息が詰まり、思わずそっけない声がこぼれた。
「ふぅん。……で、会えたのかよ、その子と」
「まぁ、一応。バスケとは関係なくだけど」

 小さく笑う宮成をみて、俺は確信した。
――宮成の好きな人は、やっぱり翠だ。
 だって、そうとしか思えない。
 小学校は同じだったけど、中学では別になって。その人の影響でバスケを初めて。再会はバスケに関係なく、高校がまた同じだったからで。
 全ての辻褄が合う。
 気づいた瞬間、ちょっと泣きそうになった。
 俺は特別なのかもしれない。
――そんなこと、ほんの少しでも思っていた自分が、嫌になる。
 「可愛い」って言葉も、俺にだけ見せる笑顔も。
 きっと揶揄ってるだけ。

 俺は、張り付いた喉を潤すように、もらったジュースをごくりと喉に流し込んだ。
 宮成の想い人が翠と知ってから、なぜか胸の奥がチクチクといたい。 
 でも、これはきっとジュースの炭酸のせい。胸の奥で炭酸がパチパチと弾けて痛むから。
 本当の理由から目を背けるように、俺は自分にそう言い聞かせた。