猫かぶり君の、愛しい沼男君

 休み時間のたびに呼ばれる。先生だったり、女子だったり。先生は、俺の進路調査を見て、もっと上を目指せって言ってくるし。女子は付き合ってほしいとか。そういうことだった。
 正直前者の方は、否定されるのはきつい。
 後者の方は、全然心が動かない。

 ただ、藤野を見ると妙に心がざわつくようになった。教室で一人、本を読んでいたりすると、ほっとするし。誰かがそばにいて話していると、なんか焦る。
 情緒不安定すぎて、俺はいっぱいいっぱいだった。
 気付けば、藤野を前にすると認めたくない感情がわっとあふれ出しそうで、避けている。それは、藤野も気づいているようで少し寂しそうな顔をする。でも、その寂しそうな顔もまた俺を喜ばせるから手に負えない。
 俺は小さく深呼吸すると、なんともない風を装って藤野の前に座った。
 藤野はどうやら、進路調査票を前に悩んでいるようだった。
 「ただいま。藤野、それもう決めたの?」
 「おかえり、いいや。まだ……佐伯君最近忙しいね」
 藤野の言葉は相変わらず、まっすぐだった。やっぱり避けていることに気づいている。それでもこうやってなんでもない風に話してくれるから、また俺の罪悪感が深度を増した。

 中間テストの範囲の発表があって、藤野がそわそわしている。なんかかわいい。声をかけると、案の定、勉強会の誘いだった。今回も二人で、藤野の家で勉強会を開くつもりだったが。
 そこで邪魔が入る。

 「おー、藤野と佐伯で勉強するの? いいなー、なんか楽しそう!」なんて声をかけてくる。そいつは一緒に勉強会をしようって、以前声をかけてきたやつだった。俺がそれに参加すれば、女子も来るからとしつこく誘われたが、丁重に断ったはずだ。
 まだ、あきらめていなかったのか。俺が断らなくても、藤野が断るだろうと思って顔を見ると、なぜか悩んでいる。
 「佐伯はみんなの佐伯だろう」
 そいつは勝手なことを言っている。みんなのって物扱いかよ。イラっとして睨むが、そいつは気づいていない。
 それよりも、藤野がもう一段思いつめた顔をしていた。
 「……そうだよね」
 って、何がだよ。

 「無理、俺は藤野と勉強すんの」
 いつもならもっと、丁寧に断るが、今回は言葉を選ばないでズバリ言った。
 だが、俺のその言葉を否定したのは、藤野だった。
 「いいよ、みんなと勉強したら……」
 あんなに期待した感じで、そわそわ俺のことを待ってたのに。
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 頭の中で言葉を反芻して、ようやく意味が落ちてくる。

 俺との時間を譲ろうとしてる? そんな、譲ってもいいほどの価値しかない?

 「何度も言わせんな。俺は藤野と勉強するし、お前はほら、他の奴にでも頼め」
 怒りに任せて、強い言葉で否定した。

 藤野が勝手に決断する前に、俺はそいつを追い払った。藤野はうつむいていたけど、少し口角を上げていた。なんだ、譲る気はなかったんだ。
 なら、この結果に喜んでくれている? それはどうして?

 「俺、譲られるの嫌なんだよね。モノ扱いしないで」
 そう、念を押すと。
 「ごめん。ありがとう。えっと、今回もおまんじゅうと、いちご牛乳たくさん用意するから」
 と、いつも通り藤野は笑顔を見せた。

 藤野の前だと、ほんとに俺らしくない。


 藤野が先生に呼ばれて一人になった。するとすぐにクラスメイト、三好が近づいてきた。
 「なんか、佐伯らしくないな」
 三好の顔をじっと見つめる。
 「いつもの佐伯なら、『藤野も一緒にみんなで勉強会しよう』って言ってたはずだ。なんで、二人じゃないとだめなの?」
 それは図星だった。
 三好の見透かした視線が、俺の欲を見ているようで思わず目をそらした。

 それでも俺は二人で勉強会をすることを選んだ。


 進路については先生には「もっと考えろ」って言われたけど、藤野だったらどういう反応をするだろう。
 そう思って俺は進路の話をした。
 「俺は文系に行く。体育教師になりたい」
 そう言った瞬間、藤野は驚きもしなかった。
 眉をひそめることも、止めることもなくて、ただ普通に頷いた。
 「へえ、そっか。佐伯君は学校の先生に向いていると思うよ」
 軽い調子だった。
 あまりにも当然みたいに言うから、拍子抜けしてしまう。
 「なんで……反対しないの」
 口から出たのは、思っていたより弱い声だった。

 藤野は少し考えるみたいに視線を泳がせて、それからこっちを向いた。
 「え、佐伯君のなりたいものだろ。僕が反対する理由、ないよ」
 藤野の全肯定が俺の胸に温かく広がる。
 先生にも親にも否定された夢だった。

 「なりたいもののために、勉強があるんだ。勉強ができるからってやりたいことを変える必要は、ないと思うよ」
 あまりにもまっすぐだった。そんなことが言えるのは藤野しかいない。
 止まりそうな息をごまかすように、藤野に縋りついた。ぎゅっと抱きしめた体はちゃんと男のもので、でも心臓が飛び跳ねるほどうれしかった。離したくないと思う。

 「ありがとう」

 俺は文系に行く。藤野はどうする? 藤野も選んでくれる? 俺のそばにいることを。

 藤野が理系に丸を付けて出したことを、後で知った。
 なぜか裏切られたように感じたのは、俺のエゴだった。藤野だって藤野のやりたいこと、将来がある。俺に合わせろって、なんて傲慢な考えなんだろう。