猫かぶり君の、愛しい沼男君

 僕は荷物をまとめて部活に向かった。入ったのは科学部だ。主な活動は部室で飼い始めたメダカを観察することだ。僕の家は家主であるおばあちゃんが生き物嫌いだから、ペットを飼ったことがない。なので、このメダカは僕にとって初めてのペットだ。名前は呼びやすいため、メダカと呼んでいる。

 佐伯君は中学時代、陸上部だったそうだが、高校ではサッカー部に入ったそうだ。先輩も含めて十人しかいない小さな部で、先輩後輩もゆるくて楽しいと言っていた。
 その様子は部室である理科準備室からもよく見える。ボールを追いかけて走り回っている様子がどことなく犬っぽい。

 彼は相変わらず、僕にやたらと構ってくる。陽キャのグループで中心にいそうな人なのに、なぜかクラスでは僕とニコイチ扱いされている。

 ぼーっと外を見ていると、佐伯君がこちらを見て手を振っていた。目もいいらしい。僕もそれに振り返す。
 「元気だなあ」
 僕は頬杖をついて、彼の様子も観察した。びゅーんって音が付きそうなほど足が速い、さすが元陸上部。もうドリブルできているのが彼の運動能力の高さを物語っている、すごい。


 そうやって、自由かつ有意義に時間を過ごしていると、部活を終わらせた佐伯君が理科準備室に現れた。
 「ふーじの。帰ろ」
 語尾にビックリマークを感じるくらい元気な声だ。僕はうなずいて、戸締りした。悲しいことに、科学部の部員は全部で五人いるのだが、そのうち幽霊部員が四人いる。活動しているのは僕一人だけ。なので、部室のカギは僕に一任されていた。

 「もう、メダカに名前つけた?」
 「……メダカって呼ぶことにした」
 「藤野っぽい」
 僕は足を止めて、佐伯君を見上げた。佐伯君はもう次の話題を口にしていた。「僕っぽいってどういう意味?」と聞きそびれて、彼の後を追いかけた。

 「そういえば、もうすぐ中間の発表だけど。藤野は新入生テストってどうだったの」
 「……クラスで? 学年で?」
 「クラス」
 「……二十五番」
 「え? 眼鏡かけてるのに?」
 「眼鏡かけてるから頭がいいとかないから。そういう佐伯君はどうだったの」
 僕はメガネのブリッジを上げながら抗議する。
 「クラスは一位。学年……一位」
 「すご」

 僕は一瞬だけ悩んで、あっさりプライドを捨てた。
 「どうか僕に勉強を教えてください」
 と佐伯君の手をにぎり、ぶんぶん振ってお願いする。佐伯君は「仕方ないな」って言ってくれた。ほんとにいいやつだ。賄賂はいちご牛乳に決定し、勉強する場所は僕の家になった。
 帰ったらおばあちゃんに報告だ。


 そして、陽に当ててふかふかにした座布団で、我が家に迎えた佐伯君先生は教え上手だった。

 わざわざおばあちゃんにも手土産を持ってきてくれた。きれいな包みの焼き菓子だった。賄賂のいちご牛乳代より、高いんじゃないかと思ったので、お礼も込めて僕の分のおまんじゅうを佐伯君にもあげた。佐伯君のお家ではあまりおまんじゅうとかつくらないそうで、とても喜んでくれた。

 そうやって頑張った勉強の成果は、ちゃんと結果に現れた。なんと、クラスの順位が十二位まで上がった。
 うれしくて佐伯君にも報告した。

 その勉強会がきっかけで、佐伯君が家によく遊びに来るようになった。うちが佐伯君の登下校の途中にあり、学校からも近いせいもある。部活終わりに二人並んで僕の家まで帰るのが、いつの間にか当たり前になっていた。部活のある日もない日も、佐伯君は一時間ほど我が家で過ごす。すっかりおばあちゃんとも打ち解けて、自宅のようにくつろいでいた。

 「そういえば、夏休み明けが双葉祭だよね。期末に入ると放課後、教室が使えないから、早めに準備しないと」
 佐伯君が僕のベッドでラノベを読みながら言った。

 双葉祭は、うちの高校の体育祭と文化祭を合体させたお祭りの名前だ。一日目が体育祭。二日目、三日目が文化祭となる。なんちゃって進学校であるうちの学校では行事にあまり力を入れていない。ちゃっちゃとまとめて終わらせよう感がひしひしと伝わる日程だ。

 「体育祭は、誰がどの競技に出るかまとめないとね。文化祭は、一年生はクラス展示だから、何を展示するかクラスで相談しよう……」
 僕も学級委員長として頑張らないといけない。ぐっとこぶしを握って決意をこめた。
 「頼りにしてるよ、委員長」
 佐伯君が僕を見て面白そうに笑うから、握ったこぶしを佐伯君の脇腹にぐりぐり押し当てた。
 「佐伯君はリレー絶対出てね」
 僕は委員長らしくお願いする。佐伯君は「任せとけ」とうなずくと、僕の頭を両手でわさわさと混ぜっ返した。こういうスキンシップは陽キャだからか、はたまた、「藤野の髪、すべすべで気持ちいいな!」って笑ってるから、触りたいだけかもしれない。


 その後のクラスでの話し合いは驚くほどスムーズで、競技決めもクラス展示も、あっという間に決まった。
 拍子抜けするくらい、みんな協力的だった。そして、佐伯君は僕のお願い通り、リレーに出てくれることになった。


 だが一つ僕に問題が起きた。
 いや、競技に関しては玉入れに参加するので問題ないのだが、学級委員長ということもあり、なぜか応援団に入ることになった。
 中学時代、応援団と言えば体育祭の花形で、クラスの一軍がキャッキャとやっていた印象がある。そんな世界に僕が入ってもいいのだろうか。僕はリズム感を前世に置いてきたため戦力にならない。そう思ってしょぼんとしていると、ダンスではなく隅っこでひたすら旗を振る係に任命された。棒振りなら得意だ。首の皮一枚つながった。

 そして、一緒に旗を振る係になった佐伯君にみっちり動きを教えてもらった。

 ああ、気づけば一学期が終わっていた。ずっと、佐伯君と一緒にいたな。


 佐伯君と言えば、彼はなんと、サッカー部で県大会二回戦を勝ち上がった。これは学校中が驚くほどすごい快挙だ。なんせ部員は十人しかいないうえに、一人足りない。補欠もいない。そんな不利な状況なのにだ、二つも勝ち上がった。
 僕も応援に行ったが、佐伯君はほんとにすごい人だと思った。佐伯君にボールが来ると独壇場で、ゴールもバカスカ入れていた。結局、三回戦は佐伯君が徹底的にマークされて、負けてしまったけど。それでも、サッカーを始めて二か月の人には見えなかった。

 それに比べて、科学部で起きたことは、メダカが卵を産んだくらいだ。いや、くらいって言ったけど、すごく感動した。水草に丸いちっちゃな玉がついていた時には、不覚にも泣きそうなったくらい。相変わらずメダカはメダカと名付けているけど、愛着は前よりずっと深かった。


 でもまあ、そんなところだ。