今日は卒業式だ。
そんな晴れの日に見合わないどんよりとした空が暗い理科準備室をさらに暗い印象にする。窓の外、運動場では卒業生たちが集まり、その周りを保護者や在校生が囲んで高い声を上げていた。
がらがらと戸を開ける音に振り向くと、長い付き合いの彼が室内に入ってくるところだった。
「あれ? 駿太郎先生」
「お疲れさま」
僕は彼が近づいてくるのをじっと見ていた。佐伯君は僕と違って卒業する生徒たちの体育を担当していたから、あの晴れやかな群れの中にいなければならないのではないだろうか。
僕の表情に気まずげに笑って、無言で手に持っていたいちご牛乳をおしつけてきた。
僕はそれを受け取り、とりあえず今一番言っておくべき言葉を彼に言う。
「おめでと?」
「なんで疑問形なんだよ」
いつもさわやかな笑顔を浮かべて生徒たちに慕われているくせに、僕にはへにょりと眉を下げて情けない顔を見せてきた。
「なんで下に来ないんだ」
「……え?」
僕の担当の学年ではないし、そもそも僕ほど生徒たちから遠巻きにされている先生はいないと思うが?と首をかしげると。
「知生先生だって、あいつらと少しくらいは付き合い合っただろう」
僕は運動場の方に顔を向ける。強いてあげるなら部活で世話をした子ならいるかもしれない。うん。
だが、彼もこんな華やかな場所でキャイキャイ騒ぐタイプの子ではないし。
「ハァー。相変わらずだな。高校の時も皆で集まってたのに、知生だけさっさと帰って。俺がどれだけショックだったか」
少し視線を上げて考える。あの時は卒業式なんてただの通過点だと思っていた。
「それは、ごめん」
「いいよ、知生ってそういう人だ」
学校生活は楽しかった。僕は言葉が足りず、表情が伴わず。クラスでも目立たない人間だったが、この彼が何かにつけて声をかけてきて。必死になって勉強したり、文化祭の準備をしたり。体育祭では柄にもなく応援団にも入った。全力で学校生活を謳歌したのだ。
……すごくキラキラした思い出だ。
僕もそう言う思い出を子供たちに作ってほしくて教師になった。今のところうまいことかみ合ってないが。でも、佐伯君はいまだにそういう思い出を子供たちに与えているからすごい。
教師になれたのは彼がそばにいてくれて、支えてくれたからだ。
「ありがとう」
脈絡のないありがとうを、彼は眩しそうな顔で受け取り、大きく深呼吸する。
「今日は卒業式だよ。そんでさ。俺もさ」
彼はいちご牛乳をひっくり返すように促す。僕はハテナを飛ばしながらいちご牛乳のパック底を見た。
銀色の輪っかが雑に貼り付けてあった。
あ、なんか最近コソコソしてるなって思ってたんだ。そう思って見つめ返すと、ふいっと顔をそらされた。
「もう、出会って一〇年経つし。付き合い始めて八年だから。そろそろ、恋人を卒業して、パートナーにならない?」
「……」
八年前、卒業式からさっさと帰った僕を追いかけて、彼は自宅まで押しかけてきた。
真っ赤になって、汗だくで……。喉が渇いてそうだったから、冷蔵庫にあったいちご牛乳を渡したのだ。
「ありがとう」
彼はそう言って、一気にそれを飲んだ。
よく考えれば、汗だくで喉が渇いているなら、こんな喉にまとわりつくような飲み物ではなく。スポーツ飲料だとか、麦茶だとかそう言うものを渡せばよかったのだ。とっさに自分の好きなものを渡した僕を、正しく理解してお礼を言った。
そして、一言「好きだ」と飾り気のない言葉で愛の告白をしてきた。
その瞬間この人には一生、敵わないと思った。
彼は僕を抱きしめてキスをした。彼に感じていた胸の温かさは好きと言うカタチに変わった。
それを伝えた時のドキドキは、今も思い出すたびにきゅっと心を締め付ける、大切な思い出として胸に刻まれている。
僕はキラキラ光る銀色の輪を、左手の薬指にはめてみた。
「すごい、ぴったり」
「当たり前だろ。この八年。ずっとそばにいたんだ。いちご牛乳が好きなのも、オレンジ色が好きなのも。いまだに、名づけがへたくそなのも全部知っている」
佐伯君は真剣な顔で言いつのった。
あぁ、だから弱ってしまう。言葉が足りなくて、表情も乏しい僕のことを、佐伯君は僕以上に良く知っている。それがうれしくて好きだなあって思いがその都度、更新されていく。
白衣の背中に手が回る。
「返事は? まぁ、聞かなくてもその表情で分かるけど。言葉で聞きたい」
「よろしくお願いします」
さらに強く抱きしめられた。他にどんな言葉があるだろう。
現実的に考えれば、課題は山積みだ。
でもそれは、明日の自分に解決してもらって、今の僕は、目の前の彼を抱きしめるのに専念する。
二人の間に挟まれたいちご牛乳の角が痛い。
「ちょっと、喉乾いたからそのいちご牛乳飲ませて」
彼が僕の手からいちご牛乳を受け取って、あの時みたいに一気に飲んだ。それを見上げて見守っていると、唇を重ねられ、僕たちは隙間なく密着した。
「初めてキスした時と同じ味じゃね?」
「卒業式の」
「うん」
「……佐伯君、が……好きです」
あの時の言葉を、もう一度言ってみた。
彼は目を見開いて、僕を抱きしめた。
僕も全部、覚えてる。抱きしめながら震えていた声も、あの時のいちご牛乳の甘さも。
「生徒たちが下で待ってるから、行こう」
「……うん」
空がどんよりしていたのは雪が降る前触れだったらしい。まるで花吹雪のように雪が舞っていた。手を繋いで校舎から出て来た僕たちを生徒たちが囲む。僕の薬指を見て「おめでとう」とお祝いを言われた。驚いて隣を見上げると、彼が得意げな顔でこちらを見ていた。きっと佐伯君ならどんなことだって、やってのけるんだ。これからも。
彼の隣なら、どんな未来でも悪くない。
「みんな、卒業おめでとう」
そんな晴れの日に見合わないどんよりとした空が暗い理科準備室をさらに暗い印象にする。窓の外、運動場では卒業生たちが集まり、その周りを保護者や在校生が囲んで高い声を上げていた。
がらがらと戸を開ける音に振り向くと、長い付き合いの彼が室内に入ってくるところだった。
「あれ? 駿太郎先生」
「お疲れさま」
僕は彼が近づいてくるのをじっと見ていた。佐伯君は僕と違って卒業する生徒たちの体育を担当していたから、あの晴れやかな群れの中にいなければならないのではないだろうか。
僕の表情に気まずげに笑って、無言で手に持っていたいちご牛乳をおしつけてきた。
僕はそれを受け取り、とりあえず今一番言っておくべき言葉を彼に言う。
「おめでと?」
「なんで疑問形なんだよ」
いつもさわやかな笑顔を浮かべて生徒たちに慕われているくせに、僕にはへにょりと眉を下げて情けない顔を見せてきた。
「なんで下に来ないんだ」
「……え?」
僕の担当の学年ではないし、そもそも僕ほど生徒たちから遠巻きにされている先生はいないと思うが?と首をかしげると。
「知生先生だって、あいつらと少しくらいは付き合い合っただろう」
僕は運動場の方に顔を向ける。強いてあげるなら部活で世話をした子ならいるかもしれない。うん。
だが、彼もこんな華やかな場所でキャイキャイ騒ぐタイプの子ではないし。
「ハァー。相変わらずだな。高校の時も皆で集まってたのに、知生だけさっさと帰って。俺がどれだけショックだったか」
少し視線を上げて考える。あの時は卒業式なんてただの通過点だと思っていた。
「それは、ごめん」
「いいよ、知生ってそういう人だ」
学校生活は楽しかった。僕は言葉が足りず、表情が伴わず。クラスでも目立たない人間だったが、この彼が何かにつけて声をかけてきて。必死になって勉強したり、文化祭の準備をしたり。体育祭では柄にもなく応援団にも入った。全力で学校生活を謳歌したのだ。
……すごくキラキラした思い出だ。
僕もそう言う思い出を子供たちに作ってほしくて教師になった。今のところうまいことかみ合ってないが。でも、佐伯君はいまだにそういう思い出を子供たちに与えているからすごい。
教師になれたのは彼がそばにいてくれて、支えてくれたからだ。
「ありがとう」
脈絡のないありがとうを、彼は眩しそうな顔で受け取り、大きく深呼吸する。
「今日は卒業式だよ。そんでさ。俺もさ」
彼はいちご牛乳をひっくり返すように促す。僕はハテナを飛ばしながらいちご牛乳のパック底を見た。
銀色の輪っかが雑に貼り付けてあった。
あ、なんか最近コソコソしてるなって思ってたんだ。そう思って見つめ返すと、ふいっと顔をそらされた。
「もう、出会って一〇年経つし。付き合い始めて八年だから。そろそろ、恋人を卒業して、パートナーにならない?」
「……」
八年前、卒業式からさっさと帰った僕を追いかけて、彼は自宅まで押しかけてきた。
真っ赤になって、汗だくで……。喉が渇いてそうだったから、冷蔵庫にあったいちご牛乳を渡したのだ。
「ありがとう」
彼はそう言って、一気にそれを飲んだ。
よく考えれば、汗だくで喉が渇いているなら、こんな喉にまとわりつくような飲み物ではなく。スポーツ飲料だとか、麦茶だとかそう言うものを渡せばよかったのだ。とっさに自分の好きなものを渡した僕を、正しく理解してお礼を言った。
そして、一言「好きだ」と飾り気のない言葉で愛の告白をしてきた。
その瞬間この人には一生、敵わないと思った。
彼は僕を抱きしめてキスをした。彼に感じていた胸の温かさは好きと言うカタチに変わった。
それを伝えた時のドキドキは、今も思い出すたびにきゅっと心を締め付ける、大切な思い出として胸に刻まれている。
僕はキラキラ光る銀色の輪を、左手の薬指にはめてみた。
「すごい、ぴったり」
「当たり前だろ。この八年。ずっとそばにいたんだ。いちご牛乳が好きなのも、オレンジ色が好きなのも。いまだに、名づけがへたくそなのも全部知っている」
佐伯君は真剣な顔で言いつのった。
あぁ、だから弱ってしまう。言葉が足りなくて、表情も乏しい僕のことを、佐伯君は僕以上に良く知っている。それがうれしくて好きだなあって思いがその都度、更新されていく。
白衣の背中に手が回る。
「返事は? まぁ、聞かなくてもその表情で分かるけど。言葉で聞きたい」
「よろしくお願いします」
さらに強く抱きしめられた。他にどんな言葉があるだろう。
現実的に考えれば、課題は山積みだ。
でもそれは、明日の自分に解決してもらって、今の僕は、目の前の彼を抱きしめるのに専念する。
二人の間に挟まれたいちご牛乳の角が痛い。
「ちょっと、喉乾いたからそのいちご牛乳飲ませて」
彼が僕の手からいちご牛乳を受け取って、あの時みたいに一気に飲んだ。それを見上げて見守っていると、唇を重ねられ、僕たちは隙間なく密着した。
「初めてキスした時と同じ味じゃね?」
「卒業式の」
「うん」
「……佐伯君、が……好きです」
あの時の言葉を、もう一度言ってみた。
彼は目を見開いて、僕を抱きしめた。
僕も全部、覚えてる。抱きしめながら震えていた声も、あの時のいちご牛乳の甘さも。
「生徒たちが下で待ってるから、行こう」
「……うん」
空がどんよりしていたのは雪が降る前触れだったらしい。まるで花吹雪のように雪が舞っていた。手を繋いで校舎から出て来た僕たちを生徒たちが囲む。僕の薬指を見て「おめでとう」とお祝いを言われた。驚いて隣を見上げると、彼が得意げな顔でこちらを見ていた。きっと佐伯君ならどんなことだって、やってのけるんだ。これからも。
彼の隣なら、どんな未来でも悪くない。
「みんな、卒業おめでとう」
