入学式から一週間。
クラスはそれぞれグループに別れて、落ち着いたように見えた。
教室に入ると「おはよう」と声をかけられる、たぶん同じ中学の子だ。それに笑顔で答えながら、席に向かう。
このクラスはよくも悪くも、おとなしい印象だった。ただその中で一人、測りかねている男がいる。この藤野知生だ。こうやってクラスがグループに別れ始めたらソワソワして動きそうなものなのに、どうにかするわけでもなく姿勢よく本を読んでいたりする。
見た目は普通。
目も鼻も口もパーツは小さいが、あるべき場所にある感じ。量販店にありそうな、よくある縁の眼鏡をかけていて。制服はボタンを上までぴっちり留めている。しいて言うなら目だけは、やけに静かで、俺の周りにはいなかったタイプだ。
藤野はページをめくりつつ、視線はときどき教室をなぞっている。
誰が誰と話しているか、どこが騒がしくて、どこが静かか。そう、彼はよく周りを見ている。不思議なのがその視線には焦りとか、好奇心とかは浮かんでいない。たぶん、把握しているだけ。そうなのだろう。
「おう、おはよう」
藤野はふいっと視線を上げて、一拍置いて「おはよう」と言う。彼には独特の間がある。それが思慮深い、無理をしていないそんな風によい方に感じ取れるのが不思議だ。
そう、彼はいわゆる不思議ちゃんだ。
だが意外と相づちの間はいい。「うん」とか「ふん」とか。ちゃんと聞いてくれている。
どうでもいい話をしていたら、朝のホームルームが始まった。一時間目は、クラスの委員会や、係決めだ。
自慢ではないが、俺は勉強ができて人当たりがいい。顔も悪く言われたことが、一度もないくらいには整っている。
そんなだから小中と学級委員だの、児童会長だのをしてきた。先生たちの覚えもめでたく、頼られることも多かった。
その結果「まじめ」だの「優しい」だの、都合のいいレッテルを貼られた。「まじめ」だから仕事を与えられ。「優しい」から厄介ごとを押し付けられる。いいことなんてないが、学校というコミュニティで、教師に可愛がられるというのはメリットが多い。
こんな風に打算的なのも、デメリットである周囲のやっかみ対策のためだ。人の考え方は言葉より先に、行動にでる。
皆の期待した目がこちらに集まっているのにも気付いていた。だから、委員会決めの時間は少し憂鬱だ。
そう言えば藤野って、どんな委員会に入ってたんだろう。聞いてみると「美化委員会」と返ってきた。地味だ。ってかそんな委員会あるんだ。
「美化委員は学校の花を育てる委員会だよ。夏休みには水やりとかあって割と大変な委員会だった。他のクラスがさぼると。枯れちゃうから気づいたら僕が水やりしてた」
何て普通に言った。
え、そういうのって無責任さを怒ったり、文句を言ったりする場面じゃないのか。
「枯れた花を見るのは嫌だから」
それが藤野の全部みたいに感じた。次の瞬間、俺は学級委員長に藤野を推薦していた。
藤野が驚いた顔でこちらを見ていた。ただ瞳は非難めいた色には染まっていない。押し付けられたとか思わないんだろうな。彼は凪だ。
少し後ろめたさを覚えて俺も副委員長になることにした。
昼休みはお弁当を食べながら、つい言い訳を並べてしまった。俺の罪悪感なんて無駄なのに言葉をつづけた。だが、藤野は何を言うでもなくちょっとだけ、姿勢を悪くして見せただけだった。おもしろい。
教室の前ドアの前で女子が「委員長! 副委員長! 先生が呼んでる」と呼んでいた。藤野はすっと手を上げて答えていた。
「やる気じゃん」
俺の意地の悪い言葉に藤野は当たり前のように「困ってたじゃん」と答えた。気づいてすぐ行動できるって、何気にすごいんだけどな。俺はぐっと息をのんでうつむいた。本当に彼は測り知れない。
放課後、指定された教室に行くと中学の時にも見た、よく「学級委員」になる人たちの顔があった。その中の一人が肩を組んできて、うれしそうに肩を叩いてくる。うれしそうな理由は分かっている。仕事を押し付けてもよさそうな、便利な奴が来たと思ったのだろう。
俺は苦笑いをして、その組まれた腕をそっと外した。
会議の内容は新歓についてだった。
分かっている奴は楽な仕事を見つけて決まっていく。藤野はまたいつものように観察をしていた。だが、キャンプファイヤーの火の神様役になったところで、流れが止まった。あの調子のいい男子に火の神役を勧められた女子が頑なに拒否している。空気読んで早く引き受ければいいのに。視線が俺に助けを求めているのにも気づいた。どうしようか、ここは答えていい人ぶるか。
「僕やります」
隣で藤野が手を上げていた。そして俺のほうを見るとなぜか誇らしげだ。いや、藤野……火の神様は女神さまだぞ? って俺も含めて誰もそれを教えなかった。
俺は小学校、中学校と、この変に要領の良い性格で教師や、クラスメイトに頼られることが多かった。同じクラスメイトだというのに、学級委員と言うだけで、いろんな雑用を押し付けられてうんざりした記憶がある。その経験が俺の動きを鈍らせていた。
でも今、俺はかつて自分がされたように、藤野に嫌な役を押し付けた。ああ、俺が嫌ってたやつに俺がなってた。反省するのは一瞬だった。次の瞬間、俺も手を上げて藤野をフォローできるように、キャンプファイヤーの司会進行役をすることにした。藤野は「頑張ろうね」と笑みを浮かべた。それは楽しいことが決まったかのように。
帰り際、女子が「ありがとう」と言ってきた。それを言う相手は藤野だろう。藤野は隣でニコニコしている。
それで分かった気がする、藤野の礼儀正しさとか、優しさはフラットなんだ。俺の小賢しさは通用しない。
俺はもう少し、この藤野と言う男を観察したいと思った。
「やっぱ俺の目に狂いはなかった」
そう言って、肩を組むと、藤野は驚いて目を瞬かせていた。後ろめたさとお詫びも兼ねておごったいちご牛乳は、意味も分からず受け取ってくれた。目を丸くしておいしいって飲んでいるのを見るとなんか、かわいいなと思った。
クラスはそれぞれグループに別れて、落ち着いたように見えた。
教室に入ると「おはよう」と声をかけられる、たぶん同じ中学の子だ。それに笑顔で答えながら、席に向かう。
このクラスはよくも悪くも、おとなしい印象だった。ただその中で一人、測りかねている男がいる。この藤野知生だ。こうやってクラスがグループに別れ始めたらソワソワして動きそうなものなのに、どうにかするわけでもなく姿勢よく本を読んでいたりする。
見た目は普通。
目も鼻も口もパーツは小さいが、あるべき場所にある感じ。量販店にありそうな、よくある縁の眼鏡をかけていて。制服はボタンを上までぴっちり留めている。しいて言うなら目だけは、やけに静かで、俺の周りにはいなかったタイプだ。
藤野はページをめくりつつ、視線はときどき教室をなぞっている。
誰が誰と話しているか、どこが騒がしくて、どこが静かか。そう、彼はよく周りを見ている。不思議なのがその視線には焦りとか、好奇心とかは浮かんでいない。たぶん、把握しているだけ。そうなのだろう。
「おう、おはよう」
藤野はふいっと視線を上げて、一拍置いて「おはよう」と言う。彼には独特の間がある。それが思慮深い、無理をしていないそんな風によい方に感じ取れるのが不思議だ。
そう、彼はいわゆる不思議ちゃんだ。
だが意外と相づちの間はいい。「うん」とか「ふん」とか。ちゃんと聞いてくれている。
どうでもいい話をしていたら、朝のホームルームが始まった。一時間目は、クラスの委員会や、係決めだ。
自慢ではないが、俺は勉強ができて人当たりがいい。顔も悪く言われたことが、一度もないくらいには整っている。
そんなだから小中と学級委員だの、児童会長だのをしてきた。先生たちの覚えもめでたく、頼られることも多かった。
その結果「まじめ」だの「優しい」だの、都合のいいレッテルを貼られた。「まじめ」だから仕事を与えられ。「優しい」から厄介ごとを押し付けられる。いいことなんてないが、学校というコミュニティで、教師に可愛がられるというのはメリットが多い。
こんな風に打算的なのも、デメリットである周囲のやっかみ対策のためだ。人の考え方は言葉より先に、行動にでる。
皆の期待した目がこちらに集まっているのにも気付いていた。だから、委員会決めの時間は少し憂鬱だ。
そう言えば藤野って、どんな委員会に入ってたんだろう。聞いてみると「美化委員会」と返ってきた。地味だ。ってかそんな委員会あるんだ。
「美化委員は学校の花を育てる委員会だよ。夏休みには水やりとかあって割と大変な委員会だった。他のクラスがさぼると。枯れちゃうから気づいたら僕が水やりしてた」
何て普通に言った。
え、そういうのって無責任さを怒ったり、文句を言ったりする場面じゃないのか。
「枯れた花を見るのは嫌だから」
それが藤野の全部みたいに感じた。次の瞬間、俺は学級委員長に藤野を推薦していた。
藤野が驚いた顔でこちらを見ていた。ただ瞳は非難めいた色には染まっていない。押し付けられたとか思わないんだろうな。彼は凪だ。
少し後ろめたさを覚えて俺も副委員長になることにした。
昼休みはお弁当を食べながら、つい言い訳を並べてしまった。俺の罪悪感なんて無駄なのに言葉をつづけた。だが、藤野は何を言うでもなくちょっとだけ、姿勢を悪くして見せただけだった。おもしろい。
教室の前ドアの前で女子が「委員長! 副委員長! 先生が呼んでる」と呼んでいた。藤野はすっと手を上げて答えていた。
「やる気じゃん」
俺の意地の悪い言葉に藤野は当たり前のように「困ってたじゃん」と答えた。気づいてすぐ行動できるって、何気にすごいんだけどな。俺はぐっと息をのんでうつむいた。本当に彼は測り知れない。
放課後、指定された教室に行くと中学の時にも見た、よく「学級委員」になる人たちの顔があった。その中の一人が肩を組んできて、うれしそうに肩を叩いてくる。うれしそうな理由は分かっている。仕事を押し付けてもよさそうな、便利な奴が来たと思ったのだろう。
俺は苦笑いをして、その組まれた腕をそっと外した。
会議の内容は新歓についてだった。
分かっている奴は楽な仕事を見つけて決まっていく。藤野はまたいつものように観察をしていた。だが、キャンプファイヤーの火の神様役になったところで、流れが止まった。あの調子のいい男子に火の神役を勧められた女子が頑なに拒否している。空気読んで早く引き受ければいいのに。視線が俺に助けを求めているのにも気づいた。どうしようか、ここは答えていい人ぶるか。
「僕やります」
隣で藤野が手を上げていた。そして俺のほうを見るとなぜか誇らしげだ。いや、藤野……火の神様は女神さまだぞ? って俺も含めて誰もそれを教えなかった。
俺は小学校、中学校と、この変に要領の良い性格で教師や、クラスメイトに頼られることが多かった。同じクラスメイトだというのに、学級委員と言うだけで、いろんな雑用を押し付けられてうんざりした記憶がある。その経験が俺の動きを鈍らせていた。
でも今、俺はかつて自分がされたように、藤野に嫌な役を押し付けた。ああ、俺が嫌ってたやつに俺がなってた。反省するのは一瞬だった。次の瞬間、俺も手を上げて藤野をフォローできるように、キャンプファイヤーの司会進行役をすることにした。藤野は「頑張ろうね」と笑みを浮かべた。それは楽しいことが決まったかのように。
帰り際、女子が「ありがとう」と言ってきた。それを言う相手は藤野だろう。藤野は隣でニコニコしている。
それで分かった気がする、藤野の礼儀正しさとか、優しさはフラットなんだ。俺の小賢しさは通用しない。
俺はもう少し、この藤野と言う男を観察したいと思った。
「やっぱ俺の目に狂いはなかった」
そう言って、肩を組むと、藤野は驚いて目を瞬かせていた。後ろめたさとお詫びも兼ねておごったいちご牛乳は、意味も分からず受け取ってくれた。目を丸くしておいしいって飲んでいるのを見るとなんか、かわいいなと思った。
