猫かぶり君の、愛しい沼男君

 三月一日、卒業式。
 おばあちゃんと二人、校門の看板の横で写真を撮った。写真を撮ってくれたのは佐伯君のお母さんだ。そこで初めて、佐伯君のご両親と会った。四月からお世話になりますと、頭を下げると。
 「こっちも助かるから」
 と、お母さんがほほ笑んだ。
 「合格発表まだだろ?」
 お父さんが、そう言ってお母さんから肘鉄を食らっている。
 「それだけ自信があるんだよ」
 佐伯君がフォローしてくれた。普段あまり、家族の話はしないけど、どうやらとても仲良しの家族らしい。おばあちゃんと、佐伯君のご両親は何度か会っていたらしく、和やかに話をしている。そのまま三人は受付けを済ませて、体育館へ移動した。

 僕らも在校生から胸に花をつけてもらい「おめでとうございます」と言われた。

 「おめでとう」なんだなと、卒業式を実感した。

 クラスに入ると黒板には在校生が書いてくれたのだろう。桜の花と、合唱で歌ったあの歌の歌詞が抜粋されて書いてあった。それを見た瞬間、不覚にも泣きそうになって慌てた。まだ卒業式は始まってもいない。クラスを見回すと、三好君たち三人もすでに登校していた。
 「おはよう」
 声をかけると、ちょっと白石君が泣きそうになっていて、僕と同じだなって安心した。
 「あの板書きはやられたって感じたな」
 三好君はそう言って黒板を見ていた。
 「三好って、そういうのを感じる心があったんだな」
 佐伯君と、三好君はいつの間にかすごく仲良くなっていた。
 「何言ってんだよ。俺はいつだって愛にあふれてる。な、藤野」
 急に僕に振られて慌てた。いろんな……愛!!

 「そうやって、藤野をからかうのやめろよ」
 森川君がフォローしてくれた。
 僕らは当たり前に、この場所があったから会えていたけれど、明日からはもうそれがなくなるんだ。だからこういう、三好君の軽口も。白石君や森川君のフォローも、もう当たり前じゃなくなるんだな。卒業後は、三好君たちは都会に行き、地元に残る人はいない。
 佐伯君だけが変わらず側にいてくれる。これからもずっと。

 教室って特別な空間なんだなって改めて感じた。


 「写真撮ろう」
 誰かが言い出して、いっぱい写真を撮って、いっぱい話をした。三好君たちも部屋は決まっていて、合格発表が終わったらすぐ、引っ越すそうだ。僕も合格発表があったら、引っ越す……、あの部屋へ。

 「あー藤野。なに考えたの?なにその顔」
 三好君がからかうように僕の頬を指でついてきた。
 「……うぅ」

 佐伯君が三好君の指をつかんで止めてくれた。

 そのとき、廊下の方から足音が近づいてきた。
 先生が来る気配に、誰かが小さく息を吸う。

 僕はスマホを取り出して、五人で撮った写真を開いた。確かに僕らはここにいた。
 
 先生が教室に入ってきた。かっちりとしたモーニングで、いつもより眉間にしわが多い。
 「おめでとう」

 ああ、またおめでとうだ。こんなにさみしいのに。

 卒業式は滞りなく行われた。
 佐伯君はサッカー部の塊へ、三好君たちも……彼らはハンドボール部だったらしい。僕は……残念ながら最後の一人である科学部。見送ってくれる後輩は、最後までできなかった。
 佐伯君のお母さんたちと、おばあちゃんは、お昼から仕事があるからと帰っていた。
 僕は楽しげな声が聞こえる中、ひとり家へと帰った。

 なんだか一区切りついたなって、そんな感覚だった。

 学生服をハンガーにかけていると、チャイムが鳴った。すぐにガラガラと玄関が開く音がする。なんだか慌てた足音だ。
 「藤野!」
 振り返ると、佐伯君が立っていた。どうやら走ってきたらしく、肩で息をしていた。
 「え?どうしたの?」
 僕は冷蔵庫からいちご牛乳を取り出して、佐伯君に渡した。
 佐伯君はいちご牛乳と僕を交互に二往復見ると、ぱっと空けてごくごくと飲んだ。いきおいよく喉仏が上下に動いている。
 ああ、そっか。喉が渇いているなら、麦茶でもよかったのに。僕はいちご牛乳を当たり前に出していた。これは僕が好きな飲み物だ。

 佐伯君の手にある空のパックを見つめた。好きだから、無意識に飲ませたかった。
「ありがとう」
 黙りこんだ僕を見つめてそう言った。
 「……」
 佐伯君はふにゃりと、眉を下げて笑った。

 ああ、ばれてる。何もかもばれてる。
 カッと血が上って、あわててその空のパックに手を伸ばすと、手首をつかまれて、そのまま抱きしめられた。
 佐伯君の心臓が耳の近くにある。すごい速さでドキドキ言っていた。
 僕の心臓までドキドキ言い始めた。おんなじだ。

 「藤野……好きだ」

 身体を伝って聞こえてきた言葉は、一瞬通り過ぎてゆっくりと染み入ってくる。僕は背中に回した手に力を込めた。
 理解したらもう、僕に言える言葉は一つ。

 だけどすぐに答えない僕に、佐伯君が離れようとしている。

 「……まって」

 そう言って、離れかけた腕を、今度は僕のほうから掴んだ。
 胸がうるさくて、息の仕方がわからない、空気が足りない。頭の中で、言葉だけが渋滞している。

 「……ちゃんと、言うから」

 佐伯君は何も言わずに、動くのをやめた。
 僕は一度、ぎゅっと目を閉じる。

 「……佐伯君、が……好き、です」

 僕もおなじです。そう、心で唱えて目を開けようとしたけど、佐伯君の顔がすぐ近くまで来ていて思わずまたつむった。
 唇に柔らかいものが当たる。何度も。ふわりといちご牛乳の香りがした。あ、と口を開くとイチゴ味が口の中に広がる。何が起きているかはわかっている。
 佐伯君の背中をしがみつくみたいにつかんだ。
 ようやく離れてゆっくりと目を開けると、真っ赤な顔の佐伯君が優しい笑顔で見つめていた。
 ああ、でも……。

 「藤野。甘い」
 ほんと、甘いよ……僕は息ができなくて、ずるずるとへたり込んだ。佐伯君が慌てて支えてくれる。

 「ごめん、息が」
 佐伯君との初めてのキスは、最終的に介抱されるという情けない形になったけど。すごく幸せだった。




 合格発表当日。
 佐伯君と一緒にスマホを見ていた。いつも通り、佐伯君の足の間に座らされて、肩に佐伯君のアゴがのっている。そこでふと、この距離感は以前と変わらないのではと気付いた。
 「はて?僕の恋人になったけど……この距離感は以前と同じだね」
 佐伯君はおなかに回した手にギュッと力をこめる。
 「好きな子にアピールしてたの」
 悪びれもなくそんなことを耳元でささやく。
 「それっていつから?」
 「うーん。多分もう一年の時には……」
 僕は驚いて体をひねる。
 「それって……」
 だけど、続きはキスで止められた。
 「はい。手元に集中して。タップして」

 画面には『合格』の文字。
 「……やった」
 佐伯君はスマホを僕の手から取り上げると、そのまま後ろに倒れて転がった。ガタンと机に脚をぶつけた。
 慌てたせいで、体制が崩れて佐伯君にしがみつく形になってしまった。

 「おめでとう、ともき」
 「ありがとう、しゅんたろ」

 まだお互い言いなれない片言な名前の呼びあいがくすぐったい。
 目が合うと、なんだかおもしろくなって笑ってしまった。つられて佐伯君も笑っている。
 四月からもきっと、こんな生活が待ってる。そう思うとますます笑みが深くなった。