翌週、僕は一般試験を受けるためにH大学のキャンパスに立った。
混乱は続いているけど、試験があったおかげで、考える時間がなかった。
朝の空気は冷たくて、吐く息が白い。
同じような雰囲気の受験生が黙って追い抜いていく。僕も決意を込めるようにカバンを持ち直した。
試験会場に向かう途中、スマホが震えた。
画面を見ると、佐伯君からのメッセージだった。
『もう着いた?』
『今キャンパス。寒い』
そう返して、ポケットにしまう。
余計なことを考えないように、建物の名前を目で追った。
一日目の今日は、筆記テスト、二日目の明日は小論文と面接だ。
「試験会場はこちら」という、看板を見てこぶしを握った。今しなきゃダメなのは、この試験を無事乗り越えることだ。
一日目の試験も終わり、ほっと息を吐いた。校舎を出て門に向かうと、佐伯君がこちらに向かって小さく手を振っていた。
「どうだった?」
「うん、うまくいったと思う」
佐伯君は僕の答えに、にっこりと笑ってうなずいた。
今日は佐伯君の借りた家に泊まることになっていた。
最初はホテルを取る予定だったけど、それを知った佐伯君が「ホテル代がもったいない」と言って誘ってくれた。
「叔父さんが二年前まで住んでた部屋なんだ。今は海外出張中で、当分帰ってくる予定もないからって、貸してくれることになった。広いし、家具も残ってる。ルームシェアにはうってつけだよ」
「……へえ、すごいね」
「ああ、でも。ちょうどよかった。藤野も家賃の心配しなくて済むしね」
人が住まないと、家が傷むからと、格安で貸してくれるらしい。四月からそこでルームシェアをしようと言う話になっていた。僕が受かればの話だけれど。
場所は大学の最寄り駅から歩いて五分。十階建てのマンションの六階で、間取りは三LDK。個室ももらえるらしい。大学までは自転車で十分、徒歩でも三十分ほど。駅からはバスも出ていて、立地としては申し分なかった。
僕たちは道沿いのスーパーで食材を買い込み、マンションへ向かった。
着いたのは大きなエントランスのある新しそうな建物だった。入口に鍵をかざし、部屋番号を入力するとドアが開く。
「この鍵と番号があれば入れるから」
佐伯君は慣れた様子で先を歩き、エレベーターで六階へ向かった。音もなく上り、チンという小さな音とともに扉が開く。
「こっち、ここ」
廊下を奥まで進む。どうやら角部屋みたいだ。
鍵を回すと、カチッという軽い音で、重そうな扉があっさりと開いた。
「お邪魔します」
中に入ると、まっすぐ廊下があって、両側に扉が並んでいる、廊下の先はリビングだ。
佐伯君の言う通り、家具は揃っていて広い、まるでドラマの部屋みたいだった。
「叔父さん、男の一人暮らしだったから、生活感ないよね。キッチンも新品みたいだった」
佐伯君が部屋を見回して笑う。
僕は安心できそうな場所を探して、辺りを見回した。すると、リビングのテーブルの横には、ふかふかの座布団が置いてあった。僕はまっすぐそこに行って座った。
「……落ち着く」
僕のその姿を見て、佐伯君が困ったように笑っていた。
「ここがリビング。キッチンはこっちの奥にある。さっき通った廊下の右側にトイレとお風呂。その向かいに部屋が三つ。玄関すぐの部屋は叔父さんの荷物を置いてる部屋だから、藤野は残りのどちらかを選んでね」
僕はふんふんと、うなずきながら辺りを見回す。
「思ったより広くて。藤野がいなかったらさみしくて震えちゃうとこだったよ」
「僕まだ受かってないよ?」
「俺はもう、藤野と住むって決めてるから」
なんかいつか聞いたような言葉だった。絶対合格するって信じてくれているようで照れてしまう。それだけ僕の努力を認めてくれていたのだろう。
「藤野、部屋見てみる?」
佐伯君が誘ってくれたので、ついていくことにした。
まだ何も置いてない六畳の部屋は、広く感じて現実感がなかった。どっちも良さそうで、しばらく二人でうろうろしてしまった。結局、決めきれなくて、佐伯君に任せることにした。
リビングに戻って、また座布団に座った。
「じゃあ、ご飯。準備するから、勉強してて」
僕は言われた通り、リビングのテーブルにノートを広げた。
おばあちゃんとは違う生活音。それなのに、なんだか集中できた気がする。
キッチンで、佐伯君ができたーって上げた声に、ペンを動かす手を止めた。
出来上がったのは佐伯君特製チャーハンと卵のすまし汁だ。
ダイニングテーブルで向かい合っておいしく食べた。
「……どう?」
「佐伯君、これすごくおいしい」
佐伯君がうれしそうに照れていた。お世辞じゃないよ、本当においしい。
「……おいしいよ。ありがとう」
佐伯君の笑顔を見ていると、胸がふわっと温かくなる。
お風呂の順番は、僕が後にすることにした。一宿一飯の恩義もあって、お風呂掃除と洗濯をしてから出ると。
「藤野と暮らしたら人間らしい生活できそう。いろいろ教えてね」
と言ってはにかんでいた。二人で暮らすのは佐伯君の負担じゃないかと、少しだけ感じていた負い目も、そう言ってもらえることで少し、小さくなった気がする。
そして、また胸がふわっと温かくなる。
どうしよう。なにがなんでも、受かりたいな。
次の朝「いってらっしゃい」と、送り出された。僕は「いってきます」と言って部屋を出た。ポケットの中の御守りをぎゅっと握りしめた。
『俺はもう、藤野と住むって決めてるから』
その佐伯君の期待に応えて見せる、そう意気込んで試験に臨んだ。
面接も、小論文も思い浮かぶ失敗はない。あとは、待つだけ。
「なんか、うまくいったって顔してる」
帰りの電車で隣同士に座っていた佐伯君が、そんなことを言って僕の顔を覗き込んできた。言われてみれば佐伯君は僕の思っていることを言い当てるのがうまい。
車窓から見えた空は夕日に染まって赤かった。
僕はこの夕日みたいなオレンジが好きだった。そう言えば部屋のカーテンもオレンジだったな。
混乱は続いているけど、試験があったおかげで、考える時間がなかった。
朝の空気は冷たくて、吐く息が白い。
同じような雰囲気の受験生が黙って追い抜いていく。僕も決意を込めるようにカバンを持ち直した。
試験会場に向かう途中、スマホが震えた。
画面を見ると、佐伯君からのメッセージだった。
『もう着いた?』
『今キャンパス。寒い』
そう返して、ポケットにしまう。
余計なことを考えないように、建物の名前を目で追った。
一日目の今日は、筆記テスト、二日目の明日は小論文と面接だ。
「試験会場はこちら」という、看板を見てこぶしを握った。今しなきゃダメなのは、この試験を無事乗り越えることだ。
一日目の試験も終わり、ほっと息を吐いた。校舎を出て門に向かうと、佐伯君がこちらに向かって小さく手を振っていた。
「どうだった?」
「うん、うまくいったと思う」
佐伯君は僕の答えに、にっこりと笑ってうなずいた。
今日は佐伯君の借りた家に泊まることになっていた。
最初はホテルを取る予定だったけど、それを知った佐伯君が「ホテル代がもったいない」と言って誘ってくれた。
「叔父さんが二年前まで住んでた部屋なんだ。今は海外出張中で、当分帰ってくる予定もないからって、貸してくれることになった。広いし、家具も残ってる。ルームシェアにはうってつけだよ」
「……へえ、すごいね」
「ああ、でも。ちょうどよかった。藤野も家賃の心配しなくて済むしね」
人が住まないと、家が傷むからと、格安で貸してくれるらしい。四月からそこでルームシェアをしようと言う話になっていた。僕が受かればの話だけれど。
場所は大学の最寄り駅から歩いて五分。十階建てのマンションの六階で、間取りは三LDK。個室ももらえるらしい。大学までは自転車で十分、徒歩でも三十分ほど。駅からはバスも出ていて、立地としては申し分なかった。
僕たちは道沿いのスーパーで食材を買い込み、マンションへ向かった。
着いたのは大きなエントランスのある新しそうな建物だった。入口に鍵をかざし、部屋番号を入力するとドアが開く。
「この鍵と番号があれば入れるから」
佐伯君は慣れた様子で先を歩き、エレベーターで六階へ向かった。音もなく上り、チンという小さな音とともに扉が開く。
「こっち、ここ」
廊下を奥まで進む。どうやら角部屋みたいだ。
鍵を回すと、カチッという軽い音で、重そうな扉があっさりと開いた。
「お邪魔します」
中に入ると、まっすぐ廊下があって、両側に扉が並んでいる、廊下の先はリビングだ。
佐伯君の言う通り、家具は揃っていて広い、まるでドラマの部屋みたいだった。
「叔父さん、男の一人暮らしだったから、生活感ないよね。キッチンも新品みたいだった」
佐伯君が部屋を見回して笑う。
僕は安心できそうな場所を探して、辺りを見回した。すると、リビングのテーブルの横には、ふかふかの座布団が置いてあった。僕はまっすぐそこに行って座った。
「……落ち着く」
僕のその姿を見て、佐伯君が困ったように笑っていた。
「ここがリビング。キッチンはこっちの奥にある。さっき通った廊下の右側にトイレとお風呂。その向かいに部屋が三つ。玄関すぐの部屋は叔父さんの荷物を置いてる部屋だから、藤野は残りのどちらかを選んでね」
僕はふんふんと、うなずきながら辺りを見回す。
「思ったより広くて。藤野がいなかったらさみしくて震えちゃうとこだったよ」
「僕まだ受かってないよ?」
「俺はもう、藤野と住むって決めてるから」
なんかいつか聞いたような言葉だった。絶対合格するって信じてくれているようで照れてしまう。それだけ僕の努力を認めてくれていたのだろう。
「藤野、部屋見てみる?」
佐伯君が誘ってくれたので、ついていくことにした。
まだ何も置いてない六畳の部屋は、広く感じて現実感がなかった。どっちも良さそうで、しばらく二人でうろうろしてしまった。結局、決めきれなくて、佐伯君に任せることにした。
リビングに戻って、また座布団に座った。
「じゃあ、ご飯。準備するから、勉強してて」
僕は言われた通り、リビングのテーブルにノートを広げた。
おばあちゃんとは違う生活音。それなのに、なんだか集中できた気がする。
キッチンで、佐伯君ができたーって上げた声に、ペンを動かす手を止めた。
出来上がったのは佐伯君特製チャーハンと卵のすまし汁だ。
ダイニングテーブルで向かい合っておいしく食べた。
「……どう?」
「佐伯君、これすごくおいしい」
佐伯君がうれしそうに照れていた。お世辞じゃないよ、本当においしい。
「……おいしいよ。ありがとう」
佐伯君の笑顔を見ていると、胸がふわっと温かくなる。
お風呂の順番は、僕が後にすることにした。一宿一飯の恩義もあって、お風呂掃除と洗濯をしてから出ると。
「藤野と暮らしたら人間らしい生活できそう。いろいろ教えてね」
と言ってはにかんでいた。二人で暮らすのは佐伯君の負担じゃないかと、少しだけ感じていた負い目も、そう言ってもらえることで少し、小さくなった気がする。
そして、また胸がふわっと温かくなる。
どうしよう。なにがなんでも、受かりたいな。
次の朝「いってらっしゃい」と、送り出された。僕は「いってきます」と言って部屋を出た。ポケットの中の御守りをぎゅっと握りしめた。
『俺はもう、藤野と住むって決めてるから』
その佐伯君の期待に応えて見せる、そう意気込んで試験に臨んだ。
面接も、小論文も思い浮かぶ失敗はない。あとは、待つだけ。
「なんか、うまくいったって顔してる」
帰りの電車で隣同士に座っていた佐伯君が、そんなことを言って僕の顔を覗き込んできた。言われてみれば佐伯君は僕の思っていることを言い当てるのがうまい。
車窓から見えた空は夕日に染まって赤かった。
僕はこの夕日みたいなオレンジが好きだった。そう言えば部屋のカーテンもオレンジだったな。
