猫かぶり君の、愛しい沼男君

 夏休みも終わり、双葉祭も過ぎて。十月に入った。
 ちなみに、双葉祭は佐伯君たち二組が一位で、僕ら六組は五位だった。体育祭は相変わらず佐伯君の足は速かったし、僕も相変わらず玉入れを頑張った。文化祭では、僕たち二年生は劇だった。僕は照明係になって舞台を照らしていた。佐伯君のクラスの劇が、何の話だったか覚えていないけれど。佐伯君はもちろん、スポットライトが当たる側だった。彼はどこにいても彼だった。

 そして、中間テストも終わり、待ちに待った修学旅行だ。
 配られたしおりには、確かに僕と佐伯君の二人だけの班があった。夢じゃなかったんだ、とようやく実感する。
 名前を指でなぞってみたが、消えなかった。

 一日目の平和学習はクラス単位で移動する。十月の沖縄は真夏みたいに暑く、長袖のシャツの袖をまくり上げた。
 しおりにメモを書き込みながら、粛々と日程をこなす。ただ一つ言えるのは、戦争は絶対にしてはいけないということだ。

 夕方、名護市内のホテルに到着し、それぞれ部屋に移動した。
 僕は三好君たちと一緒の四人部屋だった。じゃんけんで決めたベッドにスーツケースを広げる。

 「夕食まで時間あるけどどうする?売店行ってみる?」
 三好君の提案に白石君も森川君もうなずいていた。僕もそれについていくことにした。
 部屋を出ると、すぐ佐伯君が立っていた。
 三好君は振り返ると「どうする?」と言う。

 佐伯君の顔は思いつめてて、なんだかほっておけなかった。
 「ごめん、行ってて」そう答えると、三好君は僕の肩を叩いて売店に行った。

 「部屋入る?」
 佐伯君はうなずいて、僕の後をついてきた。広げていたスーツケースを閉じ、佐伯君が座る場所を作った。彼がそこに座るのを待って僕も隣に座った。なんだかいつも彼から感じていた元気さがなかった。
 彼は慌ててポケットを探ると「どっちがいい」と聞きながら持ってきた飲み物を差し出す。
 僕はいちご牛乳を手に取って「ありがとう」と言った。

 「……久しぶり」
 言葉は続かず、沈黙がよぎる。僕は思い切って話を振った。
 「自由行動の班のことだよね」
 あれから話し合いらしい話し合いはしていない。ただ同じ班になったということだけが決まっていた。

 「佐伯君はどこか行きたいところがある?」

 「ずっと、藤野と話したかった」
 佐伯君は瞳をうろつかせて、手に持っていたパックジュースのしずくを指で拭いながら、小さくつぶやく。悪いことをして怒られた子供みたいだ。
 「……そっか」

 言葉に詰まる。言葉にしようとした思いは、その時の気持ちで今のじゃない。だから何かを言おうにも何も出なかった。ふぅ、とため息をついて僕は膝を抱えた。

 「……僕も話したかったよ」

 今僕の中に残っているのは、ずっと思っていた「話したい」ただそれだけだった。それを口にできたことで胸の奥にずっとあった重さが少しだけ軽くなるようで、なんだかほっとした。

 佐伯君は手のひらで顔を覆うと、そのままベッドに倒れこんだ。小さく「かなわないな」と呟いたと思うと「ほんとごめん」と言った。

 ぽつぽつと近況報告会が始まった。
 三好君たちが帰ってきて、夕食の時間だと教えてくれた。だけど、この半年以上話していなかった僕たちは話し足りず。ご飯とお風呂の後も話そうと言うことになった。

 時計の針がやけに早く進む。

 佐伯君ははぽつりと、
 「今日……ここに泊まってもいい?」と聞いた。

 僕は一瞬、戸惑ったけれど、すぐに頷いた。三好君たちも「どうぞ」と言っている。

 僕のベッドを半分使って、佐伯君が横になった。そうして、隣をポンポンと叩きながら笑う。
 「ちょっと狭いけど、遠慮するな」
 佐伯君がそう言うと、「いやそれ。佐伯が言うのおかしいからな!」と三好君からすかさずツッコミが飛んだ。
 はははって笑い声が重なって、それが楽しくてまた笑った。



 朝、目が覚めると、カーテンの隙間から強い光が差し込んでいた。
 一瞬、どこにいるのかわからなくなって、それから思い出す。沖縄だ。
 まつ毛に息がかかって驚いて見上げると、佐伯君の顔がすぐ近くにあった。相変わらずまつ毛長いなって思っていた。
 「ん」
 僕が身じろいだせいで起きたのかと思った。急いで目をつむる。
 そうすると、誰かのスマホのアラームが鳴った。
 「ん……」
 佐伯君が動いてベッドが揺れる。起きているのがばれないように寝たふりをした。
 「誰だよ、朝から」
 たぶん目覚ましって、朝鳴るもんだと思うよ、と心でツッコミを入れつつ。少し佐伯君が離れた気配がして、たった今起きたってふりをする。
 「……おはよう」
 自分でも驚くくらい、いつも通りの声が出た。
 佐伯君のほうを見ると、伸びをしておへそが見えていた。元気そうなおへそだ。

 「藤野って寝相良いな。生きてるか確認したよ」
 「え?……」
 「赤ちゃんかよ」
 三好君は朝から元気にツッコミを飛ばす。

 佐伯君はスマホをタップしていた。ふと、その画面が目に入る。そこには一年生の時に撮った、僕との写真が映っていた。

 「じゃあ、俺いったん部屋に戻るわ」
 佐伯君はそう言って、扉へと向かう。

 僕も時間を確認するために、スマホを見た。僕のロック画面も、佐伯君と撮った一年生の時の写真だった。
 「あ、ごめん」
 振り返ると出ていったはずの佐伯君が、まだそこに立っていた。あ、画面……見られた。

 「え?なに?」
 ごまかすようにスマホを伏せて、たずねると、
 「あ、いや。六組も午前が美ら海だろ? 一緒に回ろうって言おうと思って」

 僕は視線を三好君に向ける。彼は「どうぞ」と言って、手をひらひらと振った。
 「……うん。いいよ」
 自分で思っていたより、あっさりした返事だった。
 佐伯君は少しだけ目を見開いて、それから、すごくうれしそうに口元を緩めた。

 今度こそ、佐伯君は出ていった。

 「いや、朝からなんというか。まぶしすぎて……」
 三好君がからかうように言って、白石君と、森川君がうなずいている。僕は何も言えず、枕に顔をうずめた。察しがよすぎるのも困りものだ。

 それからの修学旅行は、驚くほど穏やかに過ぎていった。
 おばあちゃんのお土産を一緒に選んだり、露店でおそろいの海人Tシャツを買ったり。先生が太鼓判を押していた北谷のホテルから見る夕日はとてもきれいだった。
 最終日の自由行動では、佐伯君と露店で買ったTシャツを着てタコライスを食べた。思い出がスマホの写真フォルダにたまっていくのが、うれしかった。