猫かぶり君の、愛しい沼男君

 藤野は文系を選ばなかった。藤野は理系科目が得意だったからそうなるのも仕方なかった。俺が文系を選ぶことは伝えていたから、もしかしたらと期待していた分少し落ち込んだ。
 だが、俺の藤野を思う気持ちは、隠せないほど膨らんでいた。物理的に距離ができたのは、いいことだったのかもしれない。
 新しいクラスに入ってすぐ、告白された。髪の短い、からっとした性格の女子だった。話は軽快で返事もポンポン返ってくる。藤野とは全然違う。藤野はどちらかと言うとじっくり考えてから、返事をするタイプだ。
 でも、なんとなくわかる。この子が欲しいのは、佐伯駿太郎ではなく、サッカー部でクラスの人気者の彼氏だ。その打算が俺の心を軽くして、軽くなら付き合ってもいいと言っていた。

 藤野には学校帰りに言った。
 「彼女ができた」
 何も聞かれないよう、言われないように別れる直前でそう伝えた。そして、逃げる……まさに、逃げるように帰った。

 俺は藤野から逃げた。

 忙しく日々を過ごしている。だけどちょっとしたタイミング。休み時間や、体育の時間。教科棟の理科準備室の窓。藤野の様子を確認してしまう。話しかけることはしなかった。この距離だから、藤野を穏やかに見ていられるんだと思った。

 「思ってたのと違う」
 彼女がそう言いだしたのは、俺のせいか。
 「佐伯君ってもっと、優しい人だと思ってた」
 からっとした性格だと、思っていた彼女はだんだんと不機嫌な日が多くなっていた。たぶん、勉強しようと誘われて断ったからか。一緒に帰ろうと言われて、方向が違うって言ったからか。返事がスタンプばかりだからか。そのどれもが、少しずつ積み重なっているんだろう。
 『思ってたのとは違う』は、俺のほうもだ。

 距離が離れれば、すぐに藤野のことなんてどうでもよくなると思っていた。忙しく動いていれば、気にも留めなくなるなんて思っていた。
 部活中、教科棟を見上げる。教室内よりも廊下にいることが多い。そのどれもが、あわよくば、藤野が見れたらいいなって希望の元の行動だった。目の前にいない方がいろいろと考えてしまう。目の前の彼女のイライラがそのせいだとは分かってなかった。


 中間が終わってすぐ、修学旅行のプリントが配られた。行き先は沖縄だった。自由行動のところに、二人以上で班を作ること。と書いてあった。真っ先に浮かんだのは藤野の顔だった。
 「ねえ、しゅん君。自由行動二人でしようよ」
 彼女がプリントをもって俺のことを誘いに来た。
 「友達と回った方がいいよ。俺も友達と回りたい」
 俺は間を置かずそう答えていた。
 彼女がひどくゆがんだ顔で俺を見ていた。だけど、修学旅行で藤野と回れるかもしれないって思うと、自然とうれしさがこみ上げる。
 プリントが配られてから、どうやって藤野を誘おうか。そればっかりだった。そのせいで彼女が俺の視線の先に誰がいるのか気付いていることも分かっていなかった。

 部活終わりに、下駄箱で彼女を待っていた時だった。
 久しぶりに藤野が目の前にいた。相変わらず、スンとした顔をしているけど。何だかうれしそうに見えたのは俺の妄想か。
 「久しぶり」
 と、気づけば声をかけていた。
 ああ、何から話そう。
 そう思っていたのに藤野はカバンの持ち手をぎゅっと握って去ろうとした。
 うれしいのは俺だけなのかと、ついその腕をつかんで睨んでいた。そこへタイミングが悪いことに、彼女が下駄箱に到着した。
 藤野には俺と彼女がいるところを、見せたくなかった。彼女にも藤野を紹介したくない。

 「今日、連絡するから」
 簡単にそう言って、そのまま、俺は校門へ向かう。彼女も後をついてきていた。バス停に送ると、彼女は何か言いたげな顔でこちらを見ていたが、「じゃあな」ってさっさとその場を後にした。

 久しぶりに藤野と話ができた。それに、今晩通話できる。
 浮かれるなって方が無理だ。
 何度か、スマホを握って時計を確認した。今はご飯を食べているかもしれない。今はお風呂に入っているかもしれない。今は勉強しているかもしれない。そうやって迷っていると夜遅くになってしまった。
 そうやって勢い込んで電話をかけると、藤野はいつも通りだった。
 次の日、学校で会う約束をして電話を切った。
 俺はベッドにダイブして、天井を見上げた。沖縄、国際通り。藤野と行くならどこがいいだろう。スマホで検索していくつかピンをさした。