役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

外務大臣アルト・ヴァルハルトは、
机の上に置かれた数通の書簡を、黙って見下ろしていた。

いずれも、表には出ないやり取りだった。
差出人の名は伏せられ、
肩書きも、正式な立場も書かれていない。
それでも、
誰からのものかは分かっていた。
協力関係にある、
小国の外務大臣からの連絡だった。

文面は、終始落ち着いている。
感情的な言葉はなく、
助けを求める調子でもない。
国の機能は、まだ保たれている。
行政は動いている。
軍も統制され、
物流も途切れてはいない。

――今すぐ、国が崩れる状況ではない。

だからこそ、
書かれている内容は、
必要なことだけだった。

国境付近で、
軍の動きが目立ち始めていること。
検問が増え、
通行や交易に、少しずつ制限が出ていること。
外交の場で、
相手の態度が、
以前とは違ってきていること。

侵略だと、断定できる段階ではない。
だが、
侵略ではないと、
言い切ることもできなくなっている。

自分たちの意思だけでは、
拒めない力が、
すぐ近くにある。

小国は、
ただその事実を、
静かに伝えてきただけだった。

それとは別に、
帝国内部からも、
説明のつかない動きが、断続的に届いていた。
最近になって始まったものではない。
以前から、
静かに続いている流れだった。

アルトは、
ゆっくりと息を吐いた。

ゼフィーリアは、
結界を保持する国だ。
魔物の脅威を最前線で引き受け、
その安定の上に、
周辺国との協力関係を築いてきた。

その協力関係にある国が、
侵略の可能性を前にしている。
それを見て、
何もしないという選択はない。

それは、
外交的な中立ではない。

――責任の放棄だ。

アルトは、
書簡を閉じた。

「……関わらない、という選択肢は消えたな」

それ以上、
独り言を続けることはなかった。