王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

 頭上で足音が響いた。
随分と乱れた様子で、慌ただしく天井が開く。
とたんに、焦げ臭い臭いが一気に流れ込んできた。
火事だ。
俺をここに連れ込んだ男が駆け込んで来る。

「ここから移動する。さっさと出ろ」

 誇り高き王室第一騎士団の軍服が乱れている。
ところどころに汚れが目立ち、着崩れも甚だしい。
開いた天井から、大砲の放たれた衝撃音が響いてきた。
鬨の声まであがり、武具のこすれあう金属音が鳴り止まない。

「上で何が起こっている? 戴冠式は!」
「うるさい。大人しくついてこい!」

 男は随分と焦り、急いでいた。
腹を殴られ、両腕を後ろ手に縛り上げられている最中に、聞き慣れた声が聞こえてくる。

「どけ! そこを開けろ!」

 出入り口となっている天井で、複数の足音が乱れた。
かと思った瞬間、木製の扉が剣によって叩き割られる。

「クソッ! つけられたか?」

 騎士団の男が振り返る。
階段を下りてきたのは、彼が着ているのと同じ、黒地に銀刺繍の派手な軍服だった。

「カラム侯爵!」
「ここまで案内、ご苦労だったな。シュルト!」

 カラムの抜いた剣が、ためらうことなく男の腹を貫く。
カラムは動けなくなった男の耳元でささやいた。

「お前のその野心は、実に見上げたものだ。だが賭けにのろうという限り、勝利は時の運でしかないぞ?」
「……。お前のような連中に、分かってたまるものか……」
「はは。最期にいいことを教えてやろう。俺はそんなものに、実は何の興味もない」

 カラムが、腹を貫いた剣を引き抜く。
男の口から、大量の血が吹きこぼれた。
ドサリと床に倒れた体を、足で踏みつける。

「我が王室第一騎士団から、裏切り者が出るとは思わなかったぞ。この始末、俺が直々につけてやろう」

 カラムは牢にいる俺と兵士たちに向かって剣を振りかざす。

「動くな! ここで大人しく床に伏せれば、お前たちの罪は問わん!」

 それを聞いた兵士二人は、即座に武器を捨て床に腹を付けた。

「エド殿!」

 カラムが鉄格子の扉を開け、俺はそこから外に出た。

「カラムさま」

 さっきまでこの牢の見張りをしていた兵たちが、俺たちの前にひざまずく。
ようやく牢獄から解放された。

「安心するのはまだ早い。時は一刻を争う。今すぐ殿下の元へ案内しよう」

 俺たちは階段を駆け上がると、外へ出る。
俺が閉じ込められていた地下牢の入り口は、納屋としてカモフラージュされていた。
周囲を木の板で簡単に囲い、中には庭師の仕事道具である大きな剪定ばさみや切り落とした枝葉をかき集めるホウキや籠が積まれている。
そこから外に出ると、すぐ目の前に巨大な城が目に飛び込んできた。
見上げる主塔の位置から、ここは間違いなく城内の中央部分にあたる。

「カラムさま、ここは一体どこなのです?」
「マクニース公爵家に与えられた、城内の私邸だ」

 だから誰も、俺を見つけることが出来なかったのか。
確かにこの場所は、王族ですら簡単に手の出せない禁足地だ。
城内の建築物全てを知る俺ですら、見取り図を見たことがない。

「急ごう。殿下がお待ちだ」

 カラムが走り出す。
俺は周囲を騎士団に囲まれながら後に続いた。
城内のいたるところで武装した兵団がまとまって移動し、小競り合いが起きている。
中には同じ部隊の甲冑を身に纏っていながら、盾と槍を構え向き合っているところまであった。

「城は、今どうなっているのですか!」
「殿下が反乱を起こした」
「殿下が? ジェードさまではなくて?」
「あぁ、そうだよ。ジェードではなく殿下の方だ」

 頭の中がますます混乱する。
殿下が反乱? 
だって、次期国王なのに? 
前を走るカラムが、豪快に笑った。

「あはははは! シュルトの奴も、見誤ったな。やっぱ人生ってのは、面白い方に賭けなくちゃなぁ!」

 カラムの青い目が俺を振り返って笑う。

「だから、どうして殿下が反乱を起こしたことになるのですか!」

 物陰から、武装した兵士が飛び出してきた。
俺たちに斬りかかるのを、カラムたち騎士団が華麗にさばく。

「俺だって驚いたよ。殿下が騎士団の俺の部屋に来たときはな。ジェード率いるマクニース公爵家と、その一派を一掃するってんだ。どうやって? って聞いたら、兵を挙げるとおっしゃった」
「なんで?」
「知るか! もうそうするしか手がないと思われたんだろうよ。その役目を俺にしろってんだ、無茶が過ぎるだろ」
「どうしてそれを止めなかったんですか!」
「止められるか? 彼女は、王女殿下だぞ」
「でも! それでも、殿下が間違った方向に進んでいるのだとしたら……」

 カラムが鼻で「フン」と一つ笑うと、立ち止まった。
黒いマントを翻し、俺を振り返る。

「殿下は、ご自身たった独りで即位なさるおつもりだ」

 呼吸が止まる。
この国に、そんな前例はない。
だから反対する勢力と争うために、この戦闘を起こしたというのか。

「殿下は俺の部屋に兵を引き連れ乗り込んで来たんだ。今すぐ協力しなければ、王室騎士団の地位を剥奪し、不敬罪と職務放棄で処刑すると。真に鬼気迫る勢いだったね。俺は彼女の迫力に押され、従わざるを得ないという状況だった。この意味が分かるか?」

 ドォーン! と、重く鈍い太鼓が鳴った。
これは戦場で開戦の合図を知らせる太鼓だ。
城のあちこちで黒煙が上がり、燃えたぎる火の舌先がちらちらと見え隠れする。
兵士たちの雄叫びと、剣のこすれあう音が俺の思考を奪う。

「殿下は並み居る貴族や忠臣の反対を押し切り、戴冠式を決行しようとしている。まさに今日が、その戴冠式の日だ。お前はそんな殿下に、会いに行く覚悟はあるか?」

 殿下が待ってる? 俺を? 
彼女とのこれまでの全てが、俺の脳裏を横切った。
風になびく髪の一本一本、微笑んだその瞳の色と触れた肌の温かさまで、俺にとって彼女と出会えた奇跡が、この世界の全てだった。

「殿下は……、いまどこに?」
「大広間だ。そこでお前が来るのを待っている。貴様が選択出来る、これが最後のチャンスだ。ここで城から抜け出すか、殿下の元へ駆けつけるか。覚悟を決めろ」
「……。戴冠式の行われる大広間は、中央本丸五階。祭壇のある開放式広間西側フロアと決まっています」

 俺は視界にしっかりと殿下の待つ大広間を見上げた。
すぐそこに、会いたい人がいる。
彼女が俺を待っているというのなら、今すぐにでも駆けつけたい。

「急ぎましょう。俺は、殿下を迎えに行きます」
「上出来だ!」

 カラムの大きな手が、めいいっぱい俺の背を叩きつける。
青黒い目が、いたずらに細く輝いた。

「貴殿をお守りいたしましょう。新国王陛下にお仕えする、王室第一騎士団、団長の名にかけて!」

 彼が俺にひざまずくと、周囲にいた黒の騎士団も一斉にひざまずいた。
戦場となった王城に、再び太鼓の音が鳴り響く。

「行きましょう。よろしくお願いします」

 俺は彼らと共に、戦火の大広間へと向かった。