王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

「あぁ、ちょっとお使いを頼みたいんだ。こっちへ来てくれるか」

 視線で兵の配置を確認する。
広場ではまだ王女の姿を見に来た人たちの移動が続いていた。
俺を呼び止めた兵士は貴族の護衛などにつく上級騎士ではなく、城内の警備に当たる一般兵だ。
若い女が一人で来ているのを見て、からかおうとしているだけか? 
ヘタに騒ぐより、大人しく用事を引き受けるフリをして逃げ出す方が得策と判断した。
俺は仕方なく頭巾をしっかりとかぶり直し、全身の身をくるみ直してから声をかけた兵の元へ近寄る。

「こっちだ。こちらにある手桶を、外に運ぶのを手伝ってくれないか」

 兵は広場から建物の裏側へ来るよう手招きしている。
人目のつかないところへ引き込まれるのは危険だが、逃げられない距離ではない。

「分かりました」

 俺は人混みから離れると、角を曲がり裏へ入り込んだ。
資材を運び込む裏門だけあって、長い角材や槌、タライやロープなどが壁沿いにも積み上げられている。

「どちらの手桶ですか?」
「うん? こっちだ」

 兵士はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、城内へと続く木製の扉を開けた。
中は先の見えない真っ暗な通路が続いている。

「入れ」

 兵士に促されるまま、俺は建物へと続く段差を三段登る。
扉に入る直前で、後ろを振り返った。

「見つけたぞ、エドオーウェン!」

 兵が両腕を大きく広げ俺に覆いかぶさろうとするのを、回し蹴りで外に蹴落とす。
すぐさま扉を閉めると、内側から鍵をかけかんぬきを差し込んだ。

「おい! 開けろ!」
「フン! 案内ご苦労! どうやって城内に入り込もうか、ちょうど考えてたところだ!」

 男がガンガン扉を叩くのを聞きながら、俺は狭く暗い通路を駆け出した。
これで俺が城内に入り込んだことはバレた。
後はどうやって殿下のところまでたどり着くかだ。
幸いにも俺は、元城勤めの建築技師、城の構造は熟知している。
この通路がどこへ続きどこに繋がっているのか、全て把握済みだ!

 二手に別れた通路を、右に曲がる。
この先の扉は四つ。
右手二つが城門西側を担当する警備兵たちの詰め所で、左手は厨房での下ごしらえや洗濯を担当する使用人たちが使う部屋だ。
女の格好をしている俺が取るべき選択肢は、使用人の方!

 扉を開ける。
積み上げられた洗濯物の山の中から、着替えになりそうなものをマントの中に拝借すると、頭巾を外し乱れた髪を整え、呼吸を正す。
俺は城勤めの侍女たちが絶やさない鉄壁の微笑みを口角に浮かべると、堂々とした風体で奥の部屋に入った。
休憩中の使用人男女五人が、突然入ってきた俺を見上げ驚き固まっている。

「お勤めご苦労さまです。失礼いたします」

 明るく軽やかな口調でそう言うと、まっすぐ顔をあげ肩までの黒髪をなびかせる。
しっかりと訓練された笑みでニコリと挨拶を残し、城内への侵入に成功した。
ここは城南西部の地上一階。
洗濯のために掘られた井戸と水汲み用のポンプがあり、四角く切り取られた芝生の庭には幾本ものロープが張られ、城中のあらゆる洗濯物を干していた。
城の中に入れはしたものの、まだ「城内」とは言い難い。
貴族や上級仕官たちが働く本当の内部は、まだ先だ。

 俺は洗濯物のひるがえる回廊を抜けると、ベッドのシーツが山と積まれている部屋に入った。
そこでマントを脱ぎ捨て、城内で使用されているメイド服に着替える。
カツラの髪にメイドキャップをかぶる手つきも、慣れたもので迷いはない。
これで俺は、「城内」で勤める下級侍女となった。
洗練された侍女スマイルを作り上げると、城への潜入を再開する。
最初に俺に気づき、裏口へ招き入れた兵士が、上官らしき武官を連れ洗濯庭の向こうを横切った。
もう情報は回っている。
慎重に素早く動かなければ。

 もう一度だけ、彼女に会いたい。
会って無事なところを自分で確かめたい。
その先のことなんて、何も期待していない。
俺はただ静かに彼女を見守っていたい。
遠くからで十分だ。
それすらもう許されないのか?

 下働きの侍女が城内に入るルートは、三つに限られている。
厨房で出た生ゴミを廃棄するところと、汚れた洗濯物と洗い終わったものを受け渡しするところ。
先ほどの兵が向かっていたのは、洗濯部屋の方だ。
急がなくては他にも警備が回ってしまう。
残る可能性は一カ所だけ。
上からの手伝いで呼び出され、下働きの者が内の仕事のために通ることの許される通用門、つまり関所のような所だ。
出入りするためには名簿への名前の記載が必要だが、よほどの緊急事態や監査が入らない限り、日頃の警備は手薄だ。
俺も城外へ出る一番近い門から出たいときには、何度か利用したことがある。
要するに、正面突破するしかない。

 自然な手つきで扉を開ける。
中はごちゃごちゃとスコップやつるはし、バケツや剪定ばさみなどが並んでいた。
中央に出入りする人物と持ち出した物を書く小さな記帳台が用意されていて、俺はそこに、同じ土木課に勤めている女性職員の名前を書いた。
紐で結びつけられたペンを置き、いよいよ城内に侵入する。
ここからは俺の顔を知った人物も多い。
より慎重にならなければ。
ガラス扉をあけ、一歩を踏み入れる。
王女のいる部屋はどこだ? 
まずはアンバー殿を探そう。
それなら、侍女に扮した俺が探していると誰かに聞いても、不自然ではない。
殿下のおられる中央の塔へ向かう道はこっちだ。
俺は迷うことなく複雑に入り組んだ城内を突き進む。

 会ったところで、どうかなりたいなんて思ってない。
彼女に捕らえられ処刑されるなら、それも本望だ。
ここまで来たことを、後悔していない。
俺は王女の執務室を目指し、階段を上った。

「おや。こんなところでお会いするとは」

 目の前に、黒地に銀の刺繍を施した軍服の男が立ち塞がる。
俺を見下ろしニヤリと歯を見せると、腕を伸ばした。

「よかった。皆が探しておりましたよ。お連れして差し上げましょう。心待ちにしておられる方が、おりますので」

 王室第一騎士団の男に、俺はあっという間に羽交い締めにされてしまった。
両腕を後ろに回され、顔をマントで覆われる。

「少しばかり、お静かにしてもらいましょうかね」

 そう聞こえた瞬間、腹にドスンと重い痛みが走った。
遠のく意識の中、担ぎ上げられた俺の体は、ふわりと持ち上がった。