王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

「私は、自分の意志で城を離れました。それは殿下もご存じのはずです。すぐに呼び戻さなければならないような用件は、ないものと理解しておりましたが」
「当然です。殿下ご自身も、そんなつもりはなかったでしょう。だから至急かつ極秘なのです」

 密使の言葉に、兄の目が厳しくつり上がる。

「証拠は? うちの弟はご存知の通り、言葉一つで従えるほど、単純な身分ではないのでね」
「殿下が今どのような状況にあらせられるか、一番よくご存知なのはエドさまなのでは?」

 殿下の状況? 
俺は、確かに継承の儀には参列した。
だが結婚はしていない。
どれだけ婚約者の名を公表し連れ回したとしても、実際に式を挙げ王室名簿に夫である人物の名を記載させなければ、王女は独身のままだ。
王位を継ぐために必要な条件を満たさない。
だけど……。

「やはり、殿下が私を呼び戻す理由が思いつきません。私が城を去ったのは、殿下にとって不要な存在となったからです。ここで私が城に戻ることは、王女にとって得策とは思えません。殿下にもそれを、ご承知いただいたものだと理解しておりました」

 だから俺は、王都を去りここでただ死んでゆくことを選んだ。

「私は城へは戻りません。殿下にはそうお伝えください」
「……。なるほど。エド殿の決意は固いようだ」

 二人の使者は立ち上がると、腰に差した剣をスラリと抜いた。

「だがお前の意志に関係なく、目の届くところに置いておきたいと望まれる方がおいででな。殺さぬよう生かして連れて来いとのご命令だったことを、ありがたく思うがいい」

 俺と兄は丸腰で、武器を持っていない。
今にも飛びかかって来そうな二人を前に、俺たちはジリジリと間合いを計りながらにらみ合う。

「生かして連れて来い? 王女に捨てられた俺に、今さらそんな価値があるとは思えないね」
「それは貴様が決めることじゃない。上が決めることだ」
「上? そいつは誰だ」
「知りたきゃ大人しくついて来い。運がよければ、最期にお顔くらい拝めるかもしれんぞ」

 男が剣を振り上げる。
と、彼らの背後に控えていた執事が、銀のトレイで密使の頭を脳天から叩きつけた。
兄はローテーブルをひっくり返し、相手の足元を奪う。
俺はソファの背に足をかけそれを飛び越えると、部屋のドアを開けた。

「エド、そこを退きなさい!」

 手に熊狩り用ボーガンを構えた母が、すでに矢をつがえ狙いを定めていた。

「うちの子に何するの!」

 ビュンという重い音を響かせ、鋼の矢はソファを突き抜け貫通する。

「エドとエサンに少しでも怪我をさせたら、私が許しません」
「だから母さん。エドとお兄ちゃんは剣の方がいいと思うよ? エドもきっとそれを探しに来たんだって。なぁ? そうなんだろ?」

 父は運んできた剣を、あたふたと俺に渡した。

「お兄ちゃんの分も、ちゃんと持って来てるからな!」
「おう! 助かったぜ、親父!」

 父が投げ渡した剣を、兄が受け取る。
密使二人は剣を構えたまま、ジリジリと壁際に追い込まれた。

「クソッ!」

 男の一人が窓ガラスに体ごと飛び込み、外へ逃げ出した。

「待ちなさい!」

 母の撃ったボーガンが、割れた窓ガラスから外に放たれる。
もう一人の男も、隙を見てそこから抜け出した。

「追え!」

 屋外で様子をうかがっていた従者たちが、鍬や鋤を手に取った。
密使を追い窓から飛びだそうとする兄を、俺はギリギリのところで引き留める。

「待て! 待ってよ兄貴!」
「あぁ? こんなところまでお前を追いかけて来たような連中なんだぞ。捕まえて犯人を吐かせるまでがスジだろ!」
「そんなことしても意味ないから!」
「どうしてだ! お前がここにいる限り、あいつらはまたやって来るんだぞ!」

 俺は当主である兄の言葉に、拳を握りしめる。
そうだ。
俺がいる限り、また刺客がやってくる。
家族に迷惑はかけられない。
王都を離れても、俺に安住の地なんてなかった。
兄は自分の言葉に、自分で焦っていた。

「いや、家族を守るのは当然だ。それも出来ない奴に、何が出来る。お前はずっとここにいろ。それが一番だろ。俺たちだって安心できる。心配かけるな」
「ありがとう。だけどやっぱり、出て行くよ」
「は? なんでだよ。俺たちが守るって言っただろ」

 兄と同い年で、幼なじみでもある執事がにっこりとトレイを持ったまま微笑み、小さい頃から可愛がってくれていた、祖父の代から親しい農夫たちが鋤と鍬を手にニヤリと笑う。
ここは俺にとっても、大切な場所。
だからこそ余計に、このままではいけない。

「俺一人のために、皆に迷惑はかけられない。ここが好きだからこそ、出て行きたいんだ」
「だから、出て行ってどうしようって言うんだよ!」
「……。それは……。これから考える」
「はぁ? お前みたいなバカが、何をどう考えるんだよ。だったら最初っからヘンなことに巻き込まれず、王女の婚約者役なんか断ればよかっただろ! お前をこんな危険な目に遭わせておいて、そんな女は王女でもなんでもねぇ。俺たちの敵だ!」

 俺は父さんから受け取った剣を、しっかりと腰に装着する。
剣の扱いはあんまり得意ではないけど、そんなことはもう言ってられない。

「だけど、やっぱり行かなくちゃ。俺は多分、自分がそうしたいんだと思う」

 母の手から、対熊用ボーガンがドスンと大きな音を立てて床に落ちた。
俺の首に母の手が巻き付く。

「エド。あなたは、王女さまのことが心配なのね」
「……。はは。うん。そうだね。そうなんだ。俺はやっぱり、あの人のことが気になって仕方ないみたいだ」

 俺が王都を去ってすぐ、陛下が亡くなった。
どれだけ側にいて慰めてあげたかっただろう。
なぜこんな時に、俺は彼女の側にいられないのだろう。
陛下の崩御を知った時、誰よりも一番に俺自身が王城に駆けつけたかった。
それをしなかった俺に、今さら彼女は会ってくれるだろうか。

「ゴメンね、母さん。俺はさ、王女さまに誓ったんだ。婚約者であってもそうじゃなくなっても、王女殿下に尽くしますって。だから、その約束を果たしに行こうと思う」
「素敵よ、エド。母さんに似ていい男になったわ」
「母さんに似て?」
「そう。私に似て」

 俺を強く抱きしめる母の細い背が、とても大きく力強く感じた。

「俺も、ちゃんとやれるかな」
「大丈夫。私の子だもの。出来ないはずがないわ」
「うん。そうだね」
「いってらっしゃい。このお部屋の修繕費用請求しなきゃならないんだから、ちゃんと犯人見つけて捕まえるのよ」
「分かった」

 父の手が、俺の頭をくしゃりと撫でる。

「お前は父さんに似て、いい男になったな。頑張って行ってこい」

 兄貴は渋々、自分のマントを貸してくれた。

「せっかくこき使えるいい手伝いが出来たと思ったのに、すっかり水の泡だ。着工前には片付けて戻ってくるんだぞ」
「ありがとう」

 執事やメイドたちが、急いで旅の支度を調えてくれる。
彼らが報復のために戻ってくることも考えられるけど、ここは俺がいなくても大丈夫だから。

「じゃ、後は頼んだよ。俺はお姫さまのところへ行ってきます」

 俺は黒髪のカツラを頭に被ると、夜空に星の瞬くなか屋敷を後にした。