文芸部の一匹狼は、美術部の王子様を放っておけない


 左神は、それが右堂に渡した原稿だと認識することに、瞬き三回分のに時間を要した。眉を顰める。

「小説の感想がそれかよ」
「ああ、そうだ」

 右堂の声はいつもよりも硬質だった。

「この天使とやらにはモデルがいるな? 僕だろう。これは自画像を描けばいいのか? なんて簡単な作業だ。しかし下手な小説だ。ありきたり過ぎる。こんなのは――……」

 僕の人生そのものじゃないか。
 と、右堂は自嘲した。

 笑顔を上手く作れなかった顔が、泣き出しそうに歪んでいる。
 左神は呆然と、その繊細な表情の変化を見ていた。
 紡ぐ言葉が見つからなかった。
 ただ、自分が右堂を傷つけたのだけは瞬時に理解できた。

 右堂が目尻を吊り上げながらも、嫌見たらしく、しかし甘い声で笑った。

「本当は突き返してやろうと思ったんだが気が変わった。描いてやろうじゃないか。僕はサガミクンと違って上手いからな。覚悟しておけよ」

 言い捨ててドアへ向かう彼の腕を、左神は無理やり引き留めた。
 椅子が脚を引き摺った音に反応して、金井が振り返る。否、部室にいる誰もが二人を見ていた。

 己の未熟さへの罪悪感が押し寄せ、左神はひどい動悸がした。鼓動がうるさい。
 しかし、情けなくも、追いすがるように言葉を絞り出した。

「……悪かった。一回、話さないか」

 右堂が瞼を半分落として、蔑むような視線を左神に向ける。

「話すことなんてあるか? 君は君の仕事をしたし、僕はそれを引き継いだ。それ以外にすることがあるか?」

「てめえが納得してねえのに、合同でなんて作れねえだろ」

「君は納得しているんだろう? じゃあいいじゃないか。僕はつまらないと思ったが、他の人間がどう感じるかはわからないんだから。それを世に出す価値はある」

「だから、それが気持ち悪ィって言ってんだよ。俺はてめえが面白いと思うものを書きてえんだ。だからちゃんと擦り合わせをして――」

「必要無い。君、本当にめんどくさいな。じゃあ、僕はこの役を降りるよ。君は君で勝手にやるといい」

 右堂は無機質に言い放ち、左神の手を振り払って教室を出て行った。

「ああ、くそっ」

 左神が頭を搔きむしると、金井が左神を見上げて「どちらも人間だものね」と鈴を転がしたような声で呟いた。



***



 合同誌の〆切まで残り一週間。

 左神はそれまでの数日を、無為に過ごしていた。授業を受け、一人で昼食をとり、ぼんやりと部活の時間を過ごす。

 時折見かける右堂も、頬の傷と同様に変わりなく、取り巻きの真ん中できれいに笑っていたし、男女問わず校舎裏に呼び出されては、熱心な告白を上っ面でかわしているのを見た。何もかもが元通りだった。

 左神の小説は挿絵が無いまま合同誌に載ることになった。顧問に事のあらましを説明すると、「君たち相性悪そうだもんね」と済まされた。

 全てが円滑に日常に消えていった。合同誌のことも、右堂とのことも、煙草の匂いも、全て遠い過去のものになった気がした。

 木の枝にはもう、一枚の葉も残っていなかった。寒々しく、虚しい様相だ。

 左神は黒板の数字を写しながら、漠然とした胸の痛みの原因について考えていた。ここ最近、妄想のなかで、誰かに切り裂かれた傷が痛むのだ。

 誰にやられたのか――?
 答えなんて簡単だ。

 他人を否定し遠ざけ軽んじた行動が、自己嫌悪というかたちで自身を傷つけているのだ。

 右堂の笑顔を歪めた代償は、思っていたよりも大きかったのだ。

 左神は、周囲の生徒に不審がられないように、何度も溜息を吐いた。
 シャーペンを持った右手は、動くのをやめていた。
 後悔の念が波のように押し寄せ、俯かせた頭が上げられなかった。



 放課後、部室に向かうため、外に面した渡り廊下を歩いていると、目前に金井が現れた。スクールバッグの肩にかけ、部活を切り上げ――また参加せずに――帰るらしい。左神は一応立ち止まり、「帰るんすか?」と、数歩先にいる彼女に問いかけた。

 金井は、暗い夕陽を背負い、目を細めながら、
「うん、用事があるの」
と答えた。続けて、

「王子様も最近部活出てないみたいね」

サラサラと髪を揺らしながら首をかたむける。

「奴のこと、随分気に掛けますね」

「だってあの子、私の従弟よ」

 突然の告白に、左神は驚きのあまり目を見開いた。
 ふふ、と金井が笑い声を上げる。

「似ていないかしら?」

 左神は右堂の美形を思い浮かべた。
 二人の造形は似ていないが、確かに外見は並外れてよい。

「似て……るかも」

「そうでしょう。可愛いのよ、本当の弟みたいで」

 そうか――右堂が、いつか言っていた『オトモダチ』とは金井のことだったのだ。確かに金井に原稿を渡し、下読みを頼んだ覚えがある。そのときに、右堂の目にも触れたのだろう。

 左神は苦い顔をしながら頬を掻いた。

「あいつ、何か言ってなかったですか? 俺のこととか、小説のこととか……」

「聞いてないわ。お部屋はいつも以上に荒れてたし、煙草臭かったけど」

「先輩、煙草は注意したほうがいいじゃねえの?」

「他人の嗜好にケチつけるなんて野暮なことはしないわ。本人がいいならいいのよ」

 それは非常に金井らしい論だと思った。
 金井がバッグのハンドルを肩に掛け直す。

「あの子はとてもきれいだけど、中身は普通の男の子よ。人並みに傷つくし、悩んだりもする。左神君にいじめられて、今頃泣いてるかもね」

 金井の思いもよらぬ言葉に、左神は困惑した。
 汗のかいた手のひらを握りしめる。

「そんな、俺は…………」

「冗談よ。親行ももうそんなにピュアじゃないわ。それに、お互い嫌い合っていても、何の問題も無いのでしょう?」

「はあ、まあ……そう、ですけど」

「気にしなくていいのよ。あの子はあの子で立ち上がるんだから。合同誌についても解決したのだし、少しゆっくりしなさいな」

 はあ……、と腑抜けたような左神の返事を聞いて、金井は機嫌良さそうに擦れ違って行った。

 汗をかいた手のひらが、風に触れてかじかんだ。