強く、踏み込んで




『風月。天気が良いからドライブに行こうか』

ずっと昔の、色褪せた記憶。
土曜日の朝になると、いつも肩を揺さぶられ、寝てるところを起こされた。

正直まだ寝ていたかった俺は、いつも嫌々起き上がっていた。

なんせ晴れだろうと雨だろうと、結局は車で連れ出されるから。
雨の日はぬれなくていいだろう? と笑顔で言われて。要はドライブしたいだけなんだな、と呆れていた。
俺より子どもらしく、遊び心があった父。彼の隣に座り、流れゆく景色を眺めていた。

ある日は海。ある日は霧がかった山の中。
夜景を見るのも好きだった。夜に出掛けること自体が非日常感があって、特別な気がしたから。
窓に手をつけ、食い入るように見てると頭を撫でられた。

『綺麗だよなあ。風月も、大人になったらドライブしな。楽しい時も、悲しい時も……走ってるうちに、行きたい場所が絶対見つかるから』

行きたい場所。
そこに行けば、なにか変わるんだろうか。

悩みなんてなかった俺は、その時は何も分からなかった。
でも今なら分かる。答えを知りたくて仕方ないとき、人はじっとなんてしてられないんだ。一目散に走り出して、叫びたくなるときが必ず来る。

走りたい……。

迎は顔を上げ、窓の外を眺めた。

幸耶も今頃頑張ってるはず。公道で走るようになり、これまで以上に気をつけることが増えて。
心に負った傷を、自分の力で塞ごうとしているんだ。

俺は彼を自分に重ねて、それで頑張れる気がしていた。
でもそれじゃ駄目なんだ。……頑張ることが目的なわけでもない。俺はただ、────あいつと。

校内でチャイムが鳴り響く。最終の教習を知らせる音だ。
頭が空っぽなわりに足は自然と動いて、出入り口の方へ向かった。
雨が降っていたから少し肌寒くて、薄いシャツを羽織る。壁に寄りかかり、一斉に散らばっていく生徒達を眺めた。

やっと終わったー、と明るい顔で帰る者達を横目に、疲れた顔で歩く青年の前で足を止める。


「幸耶。おつかれ」
「か、風月? 何で」


声を掛けると、案の定彼は露骨に驚いていた。
一番に怒鳴り倒してもいいと思ったんだけど……狼狽えてる彼を見たら、いやに冷静になった。鞄から教本を取り出し、彼に差し出す。

「忘れ物」
「あ……」

幸耶も分かっていたらしく、徐に教本を受け取った。それから静かに「ありがとう」と呟く。しかし俯いて目を合わせようとしない為、逆に笑ってしまった。

「ふはっ。そんなに俺と会いたくなかった?」
「えっ?」
「めちゃくちゃ気まずそうだから。俺が何かしちゃったなら謝るよ」

今日は、逃げる気も逃がす気もない。
彼の正面を向いて告げると、張り裂けそうな声が返ってきた。

「違う。お前は何も悪くない……!」

誰もいない広い空間だから、声がよく通る。
怖いぐらい静かな場所で、俺達は見つめ合った。

「会いたかったよ。でも、もう会わない方が良いと思ったんだ。俺の存在は、お前にとって悪影響な気がしてならないから」
「何だよ、それ。どこらへんが?」
「……っ。……押し倒しただろ」
「あぁ……」

分かってる。それしかないし、それ以上のことは起きてない。
けど狼狽する幸耶と裏腹に、俺は怖いぐらい冷静だった。
ここで幸耶を止められないなら、俺もそこまでの人間ということ。彼を受け止められる器じゃないということだ。

でも、諦める気持ちなんて微塵もない。

「亀ってさ。他の亀の上に乗って、のんびり寛いだりするじゃん。アレと一緒じゃね?」
「……分からん」

適当な例を上げてみたのだが、幸耶は眉間を押さえてさっきより気まずそうに俯いた。
俺もこの手のフォローをしたことがないから、実際かなり苦し紛れになってる。
それでも、すれ違う心を掴む為に手を伸ばした。

「安心感を覚える為に、ハグとか効果的だろ! お前は俺にもたれて、ホッとしたかっただけだよっ」

こじつけ感半端ないが、そういうことにさせてもらう。
もうこの際、理由なんかどうでもいい。単純に、俺が幸耶と一緒にいたいんだ。
離れる理由なんて与えない。彼の手を掴み、そのまま彼の胸に押し当てる。

「誰かが傍にいると、あったかい。……だからひっついてたくなる。皆そうじゃん?」

怯えたようにこちらを見つめる幸耶を抱き寄せる。
誰かに見られたら相当まずい。……頭では分かってるけど、止まれなかった。
幸耶も抵抗することを忘れ、踵を引き摺って俺にもたれる。

「大丈夫。絶対受け止めるから、安心して倒れてこいよ」

彼の額を指先でつつき、笑いかける。
俺が幸耶を不安にさせてしまってることは分かってる。だからこそ、俺は大丈夫、ということを全力で主張した。

何だって乗り越えられる。現に、俺達はこうして教習所に来てるんだから。

「風月……ごめん。……ごめんな」

幸耶は上擦った声で、そう繰り返した。目が潤んでいたから、見ないように彼の顔を肩に乗せた。
「へーきへーき。良いからもっと体重かけてこい」
「……ほんとに体重かけてら、多分潰しちまう」
「その時はその時!」
彼の背に手を回し、また叩いた。そろそろ誰か来そうだったから、そっと離れて、幸耶の目元を指でなぞる。
少しだけぬれて、光っていた。でも彼はすぐに袖でぬぐい、いつものポーカーフェイスに戻った。

やはり、あまり弱ってる姿を見られたくないのだろう。
俺の前では特にしっかりしていたいみたいだ。しょうがない奴だと思う反面、可愛くて仕方なかった。

「あー、それはそうと腹減った」

腹を押さえ、ため息をつく。まだ少し戸惑っている幸耶の方を振り返り、手を差し伸べた。

「帰ろ? 幸耶」

そろそろ冷蔵庫の中がすっからかんになる、と言うと、彼は吹き出した。

「……食いたいもん言えよ。何でも作るから」
「あんがと」

久しぶりに見た、温かい笑顔。
あれほど暗かった世界に光が差し込み、きらきらと輝く。春が戻ってくるのは本当に一瞬だ。