(りつ)と相合い傘で帰った日から、二日間ほど雨が続いた。雪の降る地域なら積雪するだろうと思うような冷たい雨だった。
 やっと晴れた今日、コンビニに置きっぱなしの自転車を取りに行き、修理してもらおうと思っていた。
 けれど、数日間自宅マンションの工事が行われることになっている。きっと落ち着かないと思うから、学校の図書館で課題をやってから帰ることにした。

 移動の途中、テニスコートを見るとテニス部が部活をやっていた。後輩たちよ頑張れーと、心の中でエールを送りつつ図書室へ向かう。
 終わらせないといけない課題はあるけど、先に借りたい本を探すことにした。
 友達に勧められたライトノベルで、異世界転生冒険の話だ。タイトルは「転生して魔王になったけど、勇者たちが怖すぎる件」読み始めたらすっかりハマってしまった。

 借りたい本を見つけ手を伸ばすけど、残念ながら平均身長よりも小柄なおれの手はその本に届かない。
 つま先立ちになり頑張っていると、すっと上から手が出てきて難なく本を取り出すと、はいどうぞと手渡された。

「先輩その本好きなんですか?」

 声のした方に視線を向けると、そこには部活動中のはずの律が立っていた。
 おれより頭ひとつ分背の高い律なら、本棚の一番高いところにも容易に手が届くだろう。男としてちょっと悔しかったけど、素直に例を言った。

「ありがとう、助かったよ」
「いえ、先輩のお役に立てて嬉しいです」
「でもなんでここに? 部活中だろ?」

 さっきここに来る途中で、テニス部が試合形式の練習をしているのが見えた。ダブルスならペアもいるし、部活を抜け出してきたのなら迷惑がかかってしまう。
 おれは、先輩として忠告する意味も込めて問いかけたのに、律はどこ吹く風といった感じだ。

「廊下を歩いてる先輩を見かけたので、今日の練習はキリの良いところで終わらせてきました」
「は? だめだろ、そんな勝手なことして」
「大丈夫です。──先輩、僕もそのシリーズ好きなんですよ」

 律はニッコリと微笑むと、おれの問いかけから話をそらすように、話題を変えた。
 うーん、この笑顔におれは弱いんだよなぁ。まぁ、優等生の律が大丈夫だというのなら大丈夫なのだろう。
 幼い頃から知っている律に甘い自覚はある。おれも大概だなーと思いつつ、部活動の追求はそこでやめた。

 その後おれと律は黙々と課題を進めていた。
 ここは図書室だから私語は慎まなければならない。
 集中して課題をやっていると、すぐ近くに気配を感じて顔をあげた。

 ──!!

 うわ、びっくりした。イケメンがおれの視界いっぱいに広がっている。
 眩しすぎて直視できないっての。
 バクバクと高鳴る心臓をごまかすように、急いでノートなどをバッグに押し込んだ。

「もう帰るかな! 律、お前も気をつけて帰れよ!」

 ガタガタっと立ち上がり、急いでその場から去ろうとしたら、腕をガシッと掴まれた。

「先輩、何急いでるんですか。一緒に帰りましょうよ」
「いや、一人で帰れるし」
「でも先輩、自転車まだコンビニに置きっぱなしでしょ? そこまで送ります」

 そうだ。雨が続いてしまったから、空気の抜けた自転車はまだコンビニに置きっぱなしだ。
 駅から歩いて帰れないわけでもないし、律の一緒に帰ろうというお誘いを断ることはできる。
 けど、目の前でくーんと耳を垂らしている律を見ると、断るのがしのびなくなってしまった。
 
「わ、わかった。……帰るか」

 おれは、なぜか熱を帯びた顔に気付かれないように、律よりも先を歩いて図書室をあとにした。



 はじめは、なんのことはない、ただの偶然だと思っていた。
 次第に、律がおれ相手に予行練習をしているのだと思った。

 そんな日が続き、今はこの状況だ。

 おれと律は帰りの電車に揺られている。
 そしておれは、律に守られるように、ドア側に押しやられている。
 いやまて。たしかにおれはさっきバランスを崩したよ? 律に支えてもらったよ?
 だからって、おれをドア側に立たせて、まるで壁ドンのような形でおれを守らなくても良くないか?

「なぁ、律? そこまで忠実に胸キュンシチュを再現しなくてもいいんだぞ?」
「何言ってんですか。また先輩がふらついたら困るので、僕が守ります」
「だーかーらー! 好きな子相手にやってやれと言ってるだろ?」

 おれは、頭ひとつ分背の高い律を見上げるようにしながら訴えるけど、律は急におれから顔を背けた。
 ほら、本当は嫌がってんじゃないか。
 律の態度に申し訳なくなって、律から離れようとしたら、おれにしか聞こえないような小さい声が聞こえてきた。

「上目遣いとか、可愛すぎます」
「はっ?」

 おれは、律が何を言っているのか全く理解が出来ずに、普通の音量で聞き返してしまった。

「いえ、なんでもないです。気にしないでください」

 率は顔を背けたままで返事をするから、きっと、これも練習なのかもしれないとおれは思った。
 好きな女の子の可愛いところを褒めてあげたい練習。でも相手がおれだから間違えたって思っちゃったんだろうな。

 でもおれは、律に恋愛相談を受けたあの日から、何重にも鍵をかけたはずの心の扉が、少しずつずれ始めているような気がした。