そのまま軽く捻り上げられ、ベッドの上へと転がされる。
 気付けば私は、鬼宮さん越しに天井を見上げていた。
「な……」
「せっかくあんたが逃げやすいように、寝たふりしてやってたのによ。アホなのか、あんたは。いつまでもここに居座りやがって」
 両手首を掴まれ、万歳の姿勢で磔にされてしまう。
「ここがどういう場所で、何をするところかくらいわかってんだろ? なぜとっとと逃げ出さなかった?」
「それは……」
「まさか俺のこと、あんたを襲ったあの連中よりもお行儀のいい人間だとでも思ったか? 最初からあんたを好きにするために、あいつらを利用したのかもしれねぇぜ?」
 鬼宮さんは尖った犬歯を見せ、禍々しく笑う。
「あんたみたいな甘ちゃんは、悪いやつに骨までしゃぶりつくされて捨てられるのがオチだろうな。あぁ、俺みたいなやつによ」
 なぜだろう。
 押さえつけられた手首は痛むのに、私の中に恐怖はなかった。
「……鬼宮さんは、そんなことしないと思います」
「なぜ言い切れる?」
「そんな悪い人なら、とっくに私を無茶苦茶にしてます。こんな、何の抵抗も出来ない私なんか」
「今からするかも、しれねぇだろうが」
 彼は凄んで見せるが、私はそう思えなかった。
 あの路地で同窓生たちが私に向けて来たねっとりとした悪意に満ちた欲情。
 それが鬼宮さんからは全く感じ取れないのだから。
「……それに心配だったから」
「ぁあ?」
「私が帰った後に鬼宮さんの体調が急変した場合、気付く人がいないでしょう?」
「それがどうした。俺がどうなろうと、あんたには関係ない」
 全くその通りだ。
 さっき知り合ったばかりの、本当の名前も知らない人。
 私には関係ない人。だけどなぜか、放っておけなかった。
 彼が傷ついた猛獣のように思えて。

「……関わるべきじゃねぇんだよ。あんたみたいなきれいな人間は、俺なんかに」
(え……)
 私の手首を押さえつけていた力が緩み、視界から鬼宮さんの姿が消える。
 慌てて身を起こすと、彼はベッドの縁に腰を下ろし大きな背を丸めていた。
「鬼宮さ……」
「あんたはきれいすぎる。俺がこれまで出会ってきた人間にはいなかったタイプだ」
(きれい……?)
 路地で襲われた時に同窓生から言われたのと同じ言葉だ。
 でも、鬼宮さんの口から出たその言葉は、全く違うものに思えた。
 心の奥に湧き上がった甘い疼きが未知のぬくもりとなってじわりと広がる。
 けれど鬼宮さんの横顔からは、浮ついたものが一切感じ取れなかった。
「あんたと違い、俺はこれまであちこちで散々やらかしてきた人間だ。買った恨みは百や二百じゃねぇ。その相手からいつ襲撃受ける分からねぇから、同じ場所で寝起きすることすらままならねぇ。そんな人間がいることを、あんたは想像したことあるか?」
「……」
「こんな俺に、あんたみたいなまともな人間が関わっちゃいけねぇんだ。分かるな?」
 鬼宮さんの顔に、切なげな微笑みが浮かぶ。
 それを目にした瞬間、心臓に爪を立てられたような痛みを覚えた。
 知らず、目頭が熱くなる。
「……なんであんたがそんなツラする」
 大きな親指が、不器用に私の目元をぬぐう。
 続けて逞しい腕が私の背にかかり、包み込むように抱きしめられた。
「あぁ……」
 ほろ苦い中に甘さの混じった声が、私の耳朶をくすぐった。
「ほなみ」
 初めて彼の声で紡がれた自分の名に、とろけるような幸福感を覚える。
「……こうしてあんたを抱いているだけで、俺の中の汚ぇもんが、全部溶けてどっかに行っちまいそうだ」