友情なんて、恋愛の前ではあっという間に崩れる。よく聞くやつだ。
目の前で手を合わせて謝る香菜に私は笑顔を作って「大丈夫だよ」と私定番の台詞を吐く。
「ごめんね本当。この埋め合わせはいつか!」
「本当に大丈夫〜!」
私と見に行く予定だった映画を彼氏と行きたい、というのが謝罪の理由。
お昼休みに気まずそうに香菜が切り出した。
香菜の好きな若手俳優が主演を務める青春恋愛映画で、キャストが発表された時から私たちは三人で観に行く約束をしていた。
映画の前売りチケットには何種類ものフォトカードが特典としてついているらしく、香菜に協力するために前売りチケットを早々に買っていたのだった。
恋人になりたての二人は、昨夜このロマンチックな映画の話で盛り上がったらしく、どうしても一緒に観たいと思ったらしい。友梨カップルとダブルデートとして。
「でも雫も見たがってたよね?」
友梨は少し困ったような表情を浮かべて私を見る。友梨はダブルデートでも、私たち三人で観に行くでもどちらでもいいというスタンスだ。……ここで友梨がたしなめてくれてもいいのに。ちらりと浮かんだ考えを笑顔に変える。
「大丈夫っ! この映画、お母さんも観に行きたいって言ってたから母娘デートでもしようかな。親孝行っ!」
語尾が軽やかになるように細心の注意を払うと、香菜は安心したように「なら良かったあ」と笑顔を見せた。
「雫ってお母さんと仲いいよね。よく一緒に買い物とかいってない?」
「友達親子いいなー」
「弟のついでだったりするけどね」
悟の遠征時、お母さんは私を連れて行くこともある。現地で数時間暇を持て余す時なんかに。
だけどお母さんと出かけるのは嫌なわけじゃない。出かけているときのお母さんはたいてい機嫌がいいし、二人でいるときに空気が重くなることもない。
「雫の弟って有名なチームのエースなんでしょ? すごー」
「うちのだらけた弟と交換してほしいわ」
「あはは、交換しちゃう? ――そうだ! 入場者特典は香菜にあげるからね。入場者特典フィルムだったよね?」
少し強引に話を戻しすぎたかな、と思うけど
「うっそー助かる! ありがとー! そうそう、フィルムも五十種類あるらしい。ファン商法やめてほしいよね」
香菜には効果抜群の話だったようでうまく映画の話に戻ってくれた。
ほっとすると同時に、映画を断られたショックがじわりじわりと私を削る。
別にお金を損したわけでもない。映画は見に行けるんだから。でも私が一ミリ削れてしまった。
・・
絶対にキャンセルされないひと、優先されるものって世の中にはあると思う。
香菜はできたばかりの彼氏の約束は断らないし、
友梨は大好きなアイドルのライブは嵐で飛ばされそうでも行くと言っていた。
お父さんは熱があっても解熱剤を飲んで無理やり会社に行く。それが褒められた行為でなくとも。
お母さんは悟の野球が絡むことならなんでもする。そもそもお母さんが専業主婦でいるのは悟のためだ。
そして私は誰からも〝別にキャンセルしてもいい存在〟なのだ。
「ごめん雫。日曜日、無理になっちゃった。別の日に出来る?」
夕食の席でお母さんが私に話しかけたと思ったらこんなことだ。
日曜日は映画をお母さんと観に行くことになっていた。
「えっ、もう席取っちゃった」
「日にち変更できないってこと?」
「うん。席まで予約したらそこからはキャンセルできない仕組みだから……」
近くの映画館は数日前から席の予約を受け付けている。公開されたばかりの人気作だからと思って予約したけれど、一度予約してしまえばそのあと日にち変更もできないシステムなのが痛かった。
「えーっ、風邪とか引くかもしれないのに?」
「う、うん。ごめん……」
「それならお母さんの分のチケットもあげるから友達と行って来たら?」
「……そうだね。チケットありがとう」
なぜか私が謝って、お礼を言った。
お母さんは不満げな表情を浮かべて豚バラをつまむと
「お母さんだって本当は行きたかったのよー? まーた丸山さん仕事が入ったんだって。だから送迎をお母さんが担当することになったの。日曜日はG市で練習試合だから誰かが車を出さなきゃいけないでしょ」
心の奥の奥にある芯がさぁと冷える。
わかってたことだ。お母さんが映画に行けなくなったということは、つまり悟の予定が入ったということだ。
「丸山さんって平日も帰りが遅いから良くんは一人で電車で帰ったりしてるらしいの。練習で疲れてる後にかわいそうだわ。送ってあげたいくらい」
丸山さんは最近よくお母さんの話に登場する人だ。
お母さんいわく悟の所属しているチームは母親が担当する役割も多い。息子を支えるために生活を犠牲にしてでも皆が頑張っているなかで、丸山さんは非協力的にうつるのだろう。
悟にすべての時間を合わせているお母さんからすれば、フルタイムで働く丸山さんがまるで理解できない存在なのは伝わる。
大きく音を立てて悟が立ち上がる。まだ皿の上には料理が残されていて、
「どうしたの? 体調でも悪い?」とお母さんは即座に反応する。
「別に」
そっけなく言葉を吐くと悟は二階にあがっていった。
機嫌が悪くなった時の悟の行動はお父さんにそっくりだ。今日もまだ帰ってきていないお父さんを思い浮かべる。
「こんなに残して、もう……」
「明日のお弁当に詰めるのは? 口つけてないのもあるよ」
「そうしよ。雫、こんなかで食べたいものある? いれてあげる」
「やったあ、それならカボチャサラダもらっちゃおっかなあ」
私ははしゃいだ声を出して、食卓からなんとか気まずい空気を押し出してみる。
それにしても映画、どうしようかな。
お母さんはちらちらと二階を見上げていて、きっと映画のことなんてもう忘れてしまっているに違いなかった。
私はキャンセルされる存在。断られるたびに、その人にとっての優先順位が低いことを思い知らされる。
食事を終えても続くお母さんの愚痴から抜け出して部屋に戻る。
すぐにLetterを開きたかったけど、映画館の公式サイトを見ることにした。もしかしたら予約の変更をする方法があるかもしれない。
メッセージが届いていることに気づき、開いてみると送信者は駆だった。
『今週の土日あいてる? 小説の題材見つけにいこ』
渡りに船とはこういうことを言うんだろう。私はすぐに返信をした。
『この映画興味ない? http://』
『ある』
『なんとこの映画のチケットが二枚あります。日曜日の十時限定なのですがどうですか』
『行く』
先ほどまで頭を悩ませていた問題が一瞬で片付いてしまった。
――駆を誘う。その選択肢は頭にあった。
だけど〝小説の題材を探しにいく〟ために出掛ける公園と違って、映画に誘うというのは。なんだかあまりにもデートみたいに思えて。
いや、私たちは青春〝恋愛〟小説の題材を探しに行くのだから、映画デートだとしてもそれは題材集めの一つだ。
それなのにどこか落ち着かない気持ちになるから、気持ちをさっぱりさせようと私はお風呂に入ることに決めた。
階段を下りている途中で、リビングからお父さんと悟の声が聞こえることに気づく。
……お父さん帰ってきてたんだ。
二人が会話しているところは珍しい。階段からそっとリビングを覗いてみるとダイニングテーブルに座った二人が話をしているのが見える。
久しぶりにお父さんが喋っているところを見た。あまり家にいないし、お母さんと顔を合わせるとすぐに書斎に引っ込んでしまう。
だけど本来は穏やかな人で、悟もお父さんとなら素直に話すときがある。特に野球の話となると反抗期とは思えないほどきちんと話す。今夜も野球関係の話をしているらしい。
「A高校もいいんじゃないのか? 公立だけど昨年いいとこまで行ってたろ」
「偏差値高いから」
「推薦もあるだろ?」
「B学園でいいよ。推薦確実だし設備もいいから」
「設備はBが断トツでいいよなあ」
「考えるのも面倒だから、B学園で」
「そうだな。そういや悟の友達の――」
……立ち聞きしてしまった私が悪い。悟のことを考えた私が悪い。
だけどふつふつとしたものが胸にわきあがる。
B学園。それは私が行きたかった私立高校。
ここに行きたい、そう言った時の両親の困った表情が忘れられない。
「考えるのも面倒だから」悟の投げやりな言葉が頭に響いて、一年前の私が顔を出す。
一年前。進路を最終決定する時期。私は両親にB学園に行きたいと相談した。
この県で吹奏楽をしている者なら一度は憧れる強豪高校。県内はもちろん全国的にも有名なその高校は、吹奏楽部を引退したばかりの私にとってももちろん憧れの学校。
「入れたとしても。コンクールメンバーに選抜されるかわからないわよ」
一言目にお母さんはそう言った。
「確かに雫は部長もしてたし、今の部の中ではうまい方かもしれないけど。それは雫の中学の話よね。すごい高校になんて行っても埋もれるだけじゃない?」
そう言われると次の言葉が出てこない。
私の中学は特別に吹奏楽が強いわけでもなく、成績を残したこともない。お母さんの言いたいことは正論で、私は三年の間で選抜されることもないかもしれない。
「……埋もれても大丈夫だよ」
挑戦してみたい。打ち明けることに悩んで、それでも目指したい気持ちが勝った。だけど発した言葉たちがため息で潰されていく。
「悟みたいにプロでやっていくような覚悟があるならわかるけど」
「そ、そうだよね。ちょっと挑戦したくなってみて」
「それくらいの覚悟なら難しいわよ、本気の子たちとは合わないだろうし。……それにうちは二人とも私立に行かせてあげられる余裕はないから」
お母さんの建前と本音。本音が飛び出ると、ああこれはもう何を言っても絶対に無理なのだと悟る。
二人とも、の余裕はない。だけど一人なら。
その一人に私が選ばれなかっただけの話だ。
どこの中学にもあるなんの成績もおさめてない吹奏楽部で、まとめ役が得意で真面目だからという理由で部長に選ばれただけの私。
地域の有名チームに所属して、中学一年生ながらエースとして活躍し、いくつかの高校から直々に誘いを受けている悟。
それは誰だってわかる簡単な問題だ。
客観的には理解できる。
だけど選ばれなかった私の気持ちはいまだに成仏できないまま、こうして小さなきっかけで煮え立ってしまう。
私は二人に顔を合わせる気が起こらずUターンすることにした。
Letterを眺めよう。今日は明るいオレンジの投稿でも眺めて。
・・
【これはデートなんかじゃない。
共通目的達成のための一つの手段。
だけど一番お気に入りのワンピースを着てしまった。
秋らしい色合いの花柄だから、なんとなく君を思い出してしまっただけだよ。
丁寧に髪を伸ばした三十分にも気づかないふりをして。
誰にも聞かれてないのに、言い訳を繰り返す。】
……なんてね。
これは私の感情じゃなくて今回の〝映画に行く〟をもとに作ったお話なだけ。
投稿はできないまま下書きボタンを押す。
「おまたせ」
ポップコーンとドリンク二つをいれたトレイを持った駆が現れた。ショッピングセンターの中にある大型シネマは混雑しているけど、背の高い駆は埋もれることがなく目立つ。
「ありがとう」
チケットの代わりに飲み物くらい奢らせてよ、という駆の言葉に甘えてオレンジジュースを買ってもらった。
トレイに私のジュースが入っていて、それを駆が持ってくれている。ただそれだけのことなのに今から二人で映画を見るということを強く意識してしまう。
「もう入場していいみたい。いこ」
電光掲示板を指さす駆に続いてシネマの入口に向かう。
アルバイトの若いお兄さんから半券の返却と同時に入場者特典のフィルムをもらった。
「あっハヤテくん!」
特典フィルムは桜の木の下で微笑む、香菜の好きな俳優――ハヤテくんがうつっていた。これは〝アタリ〟の特典だ。
香菜が喜ぶだろうな、あげよう。と、思っていると
「その俳優好きなの? 俺のもいる?」
駆がひらひらと特典を見せてくれる。ハヤテとヒロインが向かいあっているシーンだ。これもアタリのはず。
「いいの? ていっても私が集めてるわけじゃなくて……これ香菜にあげてもいいかな?」
「岡林に?」
「香菜がこの俳優さんが好きなんだって」
「雫はいらないの?」
「私は集めてるわけじゃないから。香菜は大ファンだから前売り特典も集めてるんだよ」
駆は「へえ」と言いながらフィルムを渡してくれる。私はそれを受け取ると、フィルムを折り曲げないために用意していたミニファイルに丁寧に挟む。
「今日って元々岡林と来る予定だった?」
「そう。よくわかったねー、でも彼氏と行くことになったみたいで。付き合いたてだからねっ! ラブラブで羨ましいよ」
私が優先されなかった、そのことを知られるのが少し恥ずかしい。愚痴っぽくは聞こえないように明るく、そう思うと自然と早口になる。
「それで俺が召喚されたわけだ? ラッキー、誘ってくれてサンキュ」
駆は笑うと「シアター3、ここだな」と上を見上げて楽しそうにシアターに入っていく。
ここ数日喉につっかかっていたままの小骨がぽろりと落ちる。
そっか。これはラッキーなことだったのか。
お母さんと見るより駆と見るほうが楽しい。そうだよ、これはラッキーなことだったんだ。
ミニファイルに目を向ける。先程までなんの魅力も感じていなかった特典をやっぱり手元に置いておきたくなった、かもしれない。
・・
それは定番のデートな気がした。
映画を見て、そのままショッピングモールのレストランでランチをして映画の感想を語り合う。まるで恋愛漫画やドラマみたいで、主要人物の位置に自分がいることに現実味がない。私はずっとクラスメイトBのままだと思っていた。
「最後泣くのかなり我慢したわ」
「ふふ、泣いちゃってもよかったのに」
「そういう雫だって泣いてなかっただろ。俺だけ泣くのもなー」
「私は涙腺が硬いから絶対勝てないよ」
「勝ち負けの話か?」
誰かと話すとき私は迷路を進んでいる気分になる。
あ、これは行き止まりだ。と思えば喉が詰まるから。
通ったらダメな道、ハズレの道に進まないようにゆっくり慎重に進めていく。
だけど駆との会話はなぜだか最初から一本道みたいだ。
「〝主人公とヒロインが映画に行く〟せっかくだし今日のことも150文字にしたいなー。季節にまつわる150文字を多めにはしたいけど、日常があるからこその四季だと思うし」
駆がフォークを置いてそう言った。
お兄さんのことを話してくれてから、私たちが目指す小説のイメージは駆の中でどんどんイメージが固まってきている。
「いいね。しかも季節に限定するとネタ切れになっちゃうかも」
「だろ」
「私一つ思ったんだけど。お兄さんの三作のうち〝夏の話〟は告白を決意する話だったでしょ?」
駆が革の手帳を開いて〝夏の話〟を二人でもう一度確認してみる。
【カランと氷が落ちた。音に視線をあげる。
グラスの水滴と、君の喉に張り付く汗が重なって目を落とす。
眩しくてずっと目をそらし続けてた。
君と、このじっとりとした気持ちに。
だけど今日は決めている。
次に氷が落ちたらそれが合図。君に明かすよ】
「あとの二つ、春と冬は片思いぽい話だったから、この〝夏の話〟を最後に持ってくるのがいいかなと思って」
「俺もそれ思ってたんだよ! 終わり方をどうするかは決めてないけど、啓祐の手帳にはなかった秋から始めて夏に終わる。そんな一年を通した話にしたい」
私の提案に駆は身を乗り出して賛成してくれる。
私はノートを取り出した。今回の小説を作るために買ってみたノートだ。
それに『秋から夏にかけての一年の話』と記入した。私の様子を駆は楽しげに見てから
「夏に向けて片思いの話にするってのはどう?」
「うんうん! 〝夏の話〟は、二人がお茶してるシーンだから、二人の関係は友人以上恋人未満かなと思った」
「一方的に知ってる片思いじゃなくて、二人でお茶するくらいには仲がいいけど恋人までには発展してない、感じか」
「そうだね! 片思いだと切ない話になりそう!」
「clearさんの得意分野だ?」
「あはは。でも確かに。私は幸せいっぱいの両思いより切ない恋してるほうが得意かも」
二人で笑い合ってノートを埋める。
『片思い』『友人以上恋人未満』『切なさ』
数日前には手詰まりだった小説の内容がするすると決まっていって、私の言葉も迷子になることなく身体から滑り出てくる。
そして私たちの役割分担も決めた。
駆が物語の大枠を作っていき、私が細かい表現を担当する。
私――clearは詩っぽい表現が得意だけど、小説は書いたことがない。
小説を書いたことがないのは駆も同じだけど、この小説の道は駆がハンドルを握るべきだろう。
「秋始まりで夏終わりって珍しいかもね。春始まりとか春終わりはイメージつくけど」
「ま、いいじゃん。俺らだって秋から始まったわけだし」
駆は笑いながらストローを噛んだ。その意味を深く捉えてしまいそうで私もストローを噛み締めた。
・・
【喉まで登った言葉を飲み込むのは、誰かを傷つけないためだ。
私なら、言わないのに。私なら、こうするのに。
だけどそれはぜんぶ私の物差しで私の正しさは正解ではない。
標準時間があるように、世界基準があるように、法律のように。
心の物差しも統一されていたらいいのに】
「本当にくれるのー!? ありがとーっ、二枚も!? お母さんの分もくれるの!?」
登校して一番に香菜のもとに向かい、特典フィルムを出すと想像通り大喜びしてくれた。感情を爆発させてその場で飛び跳ねる香菜は誰が見たってかわいい。
「香菜の好きなハヤテくんうつってるやつ!」
「きゃーっ! 最高! ありがとう雫!」
香菜は嬉しそうな顔でフィルムを受け取ると、二枚をじっと確認してから
「こっちはダブりだから返すわ」と一枚を私に戻した。
「ダブり……」
「私たちも昨日観に行って、これは彼氏が引いたやつと同じなの。あー五十種類もあるのにダブっちゃったかあー」
「そっかあ、残念」
笑顔を浮かべる私の手に戻ってきたのは、桜の下にいるハヤテくんが微笑んでいるもの。……私が引いた特典だ。
「てか聞いて! みんなハヤテくん引くのに私だけが引けなかったんだよー? 友梨と友梨の彼氏が引いてくれたやつもハヤテくんだったのに! 物欲センサーってやつ?」
「あはは、そういうのあるよね」
「ハヤテくんうつってるのはあと十種類くらいあるみたい。これコンプする人いるのかなー?」
「結構大変だよね、集めるの」
「フリマアプリとか使ってんのかも」
――私なら。
私ならダブったことは言わずに笑顔で受け取る。知らなくてもいいことってある、と思う。
だけど素直に言うことも別に間違っては……ない。もらったものをこっそりフリマアプリに出品する人なんかよりはよっぽど誠実なわけだし。
「おはよー」
そこに友梨が登校してきて私たちのもとまでやってくる。香菜の手元を覗き込んで「特典のやつー?」と訊ねた。
「そうそう、雫もくれたんだ」
「良かったね。香菜、私の彼氏にもお願いしてて笑ったわ。どんだけ必死なのって」
「友梨だって自分の推しなら必死でしょ。昨日行ったレストランが推しとコラボしてたからってフードファイターかってくらい頼んで――」
二人はそのまま昨日のダブルデートの話で盛り上がるから、私は目を細めてうなずき役に徹する。
――私なら。
その場にいなかった人がいるならその話はやめておくのに。
三人の共通の話題になりそうな映画の中身について話すと思う。
もっと鈍感になれたらいいのに。細かいことを気にしないでいられたらいいのに。
私の物差しってすごく目盛りが細かいか、十センチもない短いものなのかもしれない。
・・
三回目の水曜日が訪れた。
「それでは三回目の作戦会議を始めます」
駆はコホンとわざとらしく咳払いをして宣言した。
カウンターに座っている駆が西日に照らされているこの光景も見慣れたものになった。
「俺たちはのんびり会議を続けてる場合ではありません」
「同感です」
「というわけで今日で決め切って、明日からはどんどん内容を書いていきましょう」
「了解しました」
私たちに残された時間は二カ月。
設定だとか、どういう方向性にいくのか、そんなことを話し合っている段階ではない。
なんせ私たちは七十回は投稿をしないといけないのだから。そのためにはたくさんの150文字が必要だ。
「それでは今回の俺の宿題を発表します」
先週とは打って変わって、お母さんに褒められ待ちの子供のような表情になる。どうやら今回はかなりの自信があるらしい。
「まず一つ目。一応短編小説になるわけだし主人公たちの名前を決めておこうと思って」
「いいね!」
「というわけで名づけをしました。主人公の男はオト。ヒロインの名前はキイ。啓祐のペンネームから取ってみたけど、安直すぎ?」
「ううん、呼びやすくて良いと思う。オトとキイ、カタカナね」
ネイビーの革の手帳の新しいページに『主人公:オト ヒロイン:キイ』と駆の字が追加されている。お兄さんより、太くて丸い字だ。
「二つ目にこの短編小説のあらすじ。オトの恋を四季と共に追う話。秋から二人の関係が始まって恋愛感情を自覚する。冬と春は切ない片思いが続いて、夏にオトがキイに告白をして友達以上恋人未満の関係が終わる」
「うんうん。いいね」
「三つ目に構成。小説における地の文みたいな150文字と、Letterらしい150文字で完結する文章を合わせていこうと思う」
「これは俺が考えた〝地の文の150文字〟」と言って、駆は印刷した用紙を私の前に置いた。
【僕たちは友達の試合を応援するために秋の公園を訪れた。
まだ色づいていない木々を抜けてグラウンドまで歩いていく。
いつもの五人で普段通りの会話を続けるけど、制服姿ではないキイがやけに目につく。
僕はキイから目をそらして、緑のままの紅葉を眺めながら歩いた】
「すごい! 状況もわかるし、150文字でも完結してるし素敵だよ……!」
「方向性はっきりしたら、ちょっとだけ書けた」
照れたように頬をかいて駆は笑うと
「で、これが〝Letterらしい150文字〟」
と言いながら紙をめくると、次の文字があらわれる。
【「キンモクセイの香りがすると秋が来たって思うんだよね」
君がそんなことを言ったから、
風が頬を撫でるたびに君のことを思い出す
「オレンジが好きなんだ、気持ちが明るくなるから」
目に入る橙が発光するように主張し始めて
秋はどこにいても、君がここにいるみたい】
これは公園に行った後に私が考えた秋の花のお話だ。
「この二つの話みたいな〝地の文の150文字〟と〝Letterらしい150文字〟を繰り返すことで一つの短編小説にしていく」
一つの短編小説をただ単に150文字に区切るのではLetterに投稿する意味がないし、Letterのようなポエム調だけでは短編小説としては抽象的すぎる。
二つを組み合わせながら、Letterならではの小説にしていくということだ。
「〝地の文の150文字〟を俺が担当して、雫は〝Letterの150文字〟心理描写を担当してほしい。内容はいつもclearさんが投稿している感じで」
「わかった!」
「〝Letterの150文字〟の割合が多くなると思うから俺も書く。でも文章能力とか語彙力はあんまりないから、俺が考えた話は一度ブラッシュアップしてもらえると助かる」
「了解。私はアイデア出しが一番困るからちょうどいいかも」
適材適所・役割分担というやつで異論は全くない。
「共作だとしてもコンテスト応募は代表がしないといけないから、こないだ決めた通りkeyのアカウントで投稿していく。二人でいくつか考えて採用したものだけを投稿しよう」
「おっけー」
「投稿順番は任せてもらっていい?」
「もちろん! そこは主導権握ってもらったほうがスムーズにいきそう」
今後の方針も固まって二人で一息つく。
面白いくらいに決まっていくから、これだけで少し満足してしまうくらい。
そういえば駆は成績も上位だった。詩的な表現は苦手だとしても仕事はできるらしい。
「よし! 次は中身に入っていこ!」
張り切った駆の言葉が図書館に響いたから、私たちは目を合わせて肩をすくめた。お互いがシーッと人差し指を自然と立てるから声を出さずに含み笑いをする。
「……まずは一つ目の秋について。二人の恋の始まり、だけど。オトとキイはクラスメイトなわけで、出会って半年くらい経っちゃってる。〝出会い〟からスタートはできないよな」
「春なら同じクラスになって一目惚れとかもできたけどね。秋に〝出会い〟を入れるなら、転校生とか?」
「あー」
「それか何かのきっかけで特別な関係になるとか」
「俺らみたいに、か」
駆は何の気なしに言ったんだろうけど、まるで自分が特別と言われているみたいでどぎまぎする。
ただのクラスメイトからLetterをきっかけに、こうして毎週顔を突き合わせて作戦会議をする関係にはなっている。
駆は何の意図もなくありのままを言っているだけ。……モテ男はこういうことを言っちゃうからモテ男なのだ。
「特別なきっかけを考えるのって大変だな」
「ね。私たちは一万文字の短編だし、何か設定を練るよりかはもっと単純に『仲がいい友達がふとした瞬間に特別に思えた』くらいがいいかもしれない。さっき駆が考えてくれた〝地の文〟もグループの中のひとりって感じだったね」
「そうしよう。秋に始まったわけじゃなく気付いたってわけだな。よし、色々考えてても仕方ないし! まずは秋を攻略! 〝ただの友達が、クラスメイトが、特別に変わる瞬間〟これを秋から冬まで書く」
私と駆はそれぞれ自分のノートや手帳に
『秋:ただの友達・クラスメイトが特別に変わる瞬間』と記入した。
やるべきことが固まったら、あとは150文字を書いていくだけだ。
宿題は〝友達から特別になるまでの150文字〟を思いつくだけ作ってくることに決まった。
締め切りまで二ヶ月。七十回投稿する。季節でわけると、半月で十七回程。そう考えれば間に合いそうに思えてきて、カレンダーアプリを二人で確認して安堵する。
「次の水曜日までにお話考えるの頑張ります!」
「clearさんの150文字、普通に楽しみ。でも俺はインプットがないと難しい。――というわけで今週末もでかけませんか?」
毎週水曜日、図書館で作戦会議をして。週末には二人で出かける。
やっぱりそれは特別な関係に思えてしまって、頷くまでに数秒かかった。
・・
玄関で悟と目が合った。ジャージ姿に大きなスポーツバッグを抱えて、今から練習に向かうんだろう。
悟と目があうたびに、身体のどこかに蜘蛛の糸が張るようになったのはいつからだろうか。
悟は不機嫌そうな顔のまま外に出ていった。
「あれ、雫も出かけるの? ちゃんと鍵閉めていってね」
「はーい。いってらっしゃい」
大きなカバンを担いだお母さんがリビングの方からやってきて、慌ただしく家を出ていった。
二人が揃うところを見るだけで蜘蛛の巣はますます広がっていくはずなのに。
今朝、靴ひもを結ぶ手は軽やかだった。
「いってきます」
誰もいなくなった家に向かって挨拶をする。今日は駆と小説を書くためのインプット、取材、ネタ探しをする。
私たちが選んだ場所は県内で有名な紅葉スポット。
私たちが住む街から電車で三十分。そこからバスで三十分かかる自然豊かな渓谷公園。
夏も新緑が美しく川遊びやバーベキューでそれなりに人は賑わうけれど、秋は日本各地から人が集まるほど有名な場所となる。
十一月上旬から「もみじまつり」が開催され、屋台の出店や小さなステージもあり観光客を楽しませてくれる。
人気一番の理由は圧巻のもみじ。五千本ほどあるもみじが一斉に赤く染まる光景は絵画よりも美しいと評判だ。
先日の公園でほとんど紅葉を味わえなかった私たちは、せっかくだからと名所に足を運ぶことにしたのだ。
「ここ来たの久しぶりだなあ」
「私も。小学校低学年ぶりかな」
「俺もそんなもんかも」
バスから降りると駆は背伸びをした。一時間乗り物に揺られていたから、秋の風が心地よく私も体を伸ばす。
ほとんどの人がこのバス停で降りたから同じ公園に向かうのだろう。私たちは人の波に乗って公園の入り口まで流されていった。
公園の入り口には出店がいくつか見えて、駆と私の足は自然と早くなるし、前を行く人たちの声のトーンも高く聞こえる。お祭りの雰囲気で浮かれない日本人っているんだろうか。
「もみじ饅頭揚げたやつ、うまそ」
「わ、ほんとだ。美味しそう」
「奥にも店あるらしいからここでは我慢する。俺、中でみたらし団子食べたいから」
よく見かけるような出店と違って少し変わったものも多い。もみじ饅頭は揚げたものもあれば、チョコレートでコーティングされた可愛い見た目のものもある。
この「もみじまつり」の楽しさは景色の美しさだけでなく、食べ歩きの魅力も有名だった。
「食べまくることになりそうだから先に歩くか」
「お腹減らさないとね!」
道なりに進むとSNSでもよく見かける赤い橋が現れた。幅五十メートル程の川に架かる橋はこの公園のシンボルといえる。
この橋から川沿いに並ぶ紅葉を眺めることができ、川の流れに寄り添う赤・黄色・緑と鮮やかな木々を見渡せる。
「わあ……」
「すごいな」
「しかもすごく空気がきれいな感じする」
「わかる」
詩的な光景の前では語彙力はなくなるらしい。私たちはしばらく「すごい」「きれい」「わかる」くらいしか言わなかった。
「夜のライトアップもすごいらしいな」
「ね、それもいつか見てみたい」
この光景を切り取るように写真を撮ってから先に進むことにした。
川沿いを歩くと、もみじだけでなく他の木々もあることに気づく。
「これは銀杏か」
「匂いでわかるね」
「普段銀杏ってクサいだけって思ってたけど、こう見るときれいで匂いも気にならなくなるな」
「いつもはどこから匂ってくるかわからなかったりするしね」
画像だけでは気づかなかったことは匂いだけじゃない。
絨毯のようになった落ち葉はキシキシ、ザクザク、いろんな音がする。
それに色も単純な赤じゃない。真っ赤な紅葉もあれば、枯れかけているものもあるし、まだほとんど緑のものもある。
それら一つずつを瞳の中に取り込みながら私たちは進んだ。
川沿いから奥に入ると、開けた場所に出る。
そこは憩いの場で飲食ができるようになっていた。通年出店している名物店から、もみじまつりの期間だけここにやってきた出店もあり、テーブルとイスの数も多く賑わっている。
私たちは後ろ髪をひかれながらもみじのトンネルが続く山道に進むことにした。
「ここ進むと小さな寺があるらしい。拝んでいくか」
「せっかくだしね」
日差しが木々に遮られているから、歩き続けていてもずっと涼しい。
木々が空気をろ過してくれていて空気だって美味しい。どれだけ歩いても気持ちよさそうだ。
十分ほど山道を歩くと急な階段を現れた。目的の寺はこの上にあるらしい。
息を切らしながら階段をのぼると頂上に山門がそびえたっている。和風の家のような門をくぐると駆は登ってきた道を振り返る。
「見て、雫」
駆の目線につられて息を整えながら後ろを振り向くと、先ほどまで見上げていた木々を見下ろすことができた。
門の向こうに赤と黄色が鮮やかに広がり、私の視界いっぱいに美しさが敷き詰められているみたいだ。
「すごい……」
「上から眺めるの最高」
「ほんとにね」
木々より高い場所から葉を見下ろす。それは私の頭の中では決して生まれなかった光景だ。
日に照らされた木々がきらきらと輝き、赤と黄色を照らしていく。宝石箱のような光景に私たちの言葉が途切れるから
「本当に何にも言葉にならないね」
私が漏らすと、駆もそれ以上言葉にせずに大きく頷いた。
ぱちぱちと目を瞬かせて、シャッターを切るように景色をうつしていく。これは写真に撮っても無意味な気がして。
写真には残せないこの気持ちを残したい。ごまかしも偽りもなく、私の中に生まれたこの純粋な感動を。いつでもこの場所に戻れるように。
・・
「うーん」
念願のみたらし団子を食べながら駆がうなる。
私たちはたっぷり一時間半ほど歩いてから憩いの場に戻ってきていた。
「思ってた味と違った?」
「いや、これはめっちゃうまい。甘すぎないのも最高」
「おいしすぎたんだね」
机の上にはみたらし団子、中華粥、甘栗、鮎の塩焼き、おやき。
欲しいものを何も考えずに好きなだけ買っていたらまるで統一感のないラインナップになった。だけど好きなものをいくらでも選べるのが出店の良さ。
駆と同じ店で買ったあんこがたっぷり乗った団子を口に放り込んだ。団子というより餅に近い触感と味がしてかなり美味しい。
「実は今みたらし団子のことは考えてなかった。今日見た景色で一句詠んでみようかと思ったけど、なかなか思いつかなくての〝うーん〟」
「あはは、そういうことね。でも私もぱっとは出てこない。じっくり考えないとダメなタイプ」
「でも俺今日ひとつだけでも、ここで150文字書いてみたいんだよな。それくらいなんていうか、胸が動かされてる感じ」
「それは……わかる」
実際に歩いて、目で見て、音を聞いて、踏みしめて、匂いを感じて。さらには自然に囲まれて美味しいものまで食べている。
五感フルスロットル状態の今のこの気持ちは帰ってからでは再現できなさそうだった。
「今日帰るまでに一つ考えてみない?」
駆がそう言いながら甘栗を一つ割る。中から濃い黄色が現れてほくほくと音がしそうなくらい湯気が立った。
「下手でもいいから生の声ってやつを」
「うん、やってみよ」
「大体回ったし、あとはここで食べながらのんびり考るか」
考えるべく一瞬沈黙が訪れて、同じタイミングで「うーん」と唸って同時に笑う。
駆が鮎にかぶりついて「とりあえずもうちょっと食べるわ!」と言うから私はもう一度笑った。
駆といると自然と頬と口元が緩んでくれる。いつもみたいに口角を気にしなくてもいい。
「てか150文字っていうのがハードル高い。【ぱりっとふわふわ鮎うまい】くらいなら俺でもいけるんだけど」
駆のかぶりついた鮎を見ると、なるほど。香ばしい皮から白い身が飛び出していて、ぱりっとふわふわでうまそうだった。
「それの積み重ねでもいいんじゃない? 【ぱりっとふわふわ鮎うまい、ほくほくほかほか栗あまい、もちもちみたらし団子あまじょっぱい】みたいな」
「おー」
「私はそれに自分の感情を合わせてみたりするよ。例えば……ふわふわは嬉しいし、ほくほくはあったかいし、あまじょっぱいは切なさとか?」
「奥が深い」
わかったのかわかっていないのか、駆は微妙な表情になる。ちょっと抽象的すぎたかもしれない。自分の感覚を人に伝えるのは難しい。
「見たそのままの光景を文字にするだけでもいいと思う。今日一番印象に残った景色とか」
「それなら紅葉だなやっぱ。それで考えるか」
駆は一分ほどじっと悩んでから口を開いた。
「出来た!」
駆は笑顔を浮かべて私を見る。
150文字が出来上がる瞬間を初めてみる。私は少し緊張しながら駆の言葉を待った。
「隣のキイがもみじを見上げる。
もみじの影がキイの顔に落ちて模様が浮かぶ。
その模様の動きに見惚れていると、キイと目があった。
「オトの顔、おもしろいことになってるよ」とキイは笑う。
六人のなかで僕たちだけが同じことに気づいた。
僕の顔は模様だけでなく、もみじの赤に染まっていたかもしれない。」
ストレートに感情が伝わってきて素敵な文章だ。
「……いいと思う、すごく。キイへの密かな恋心が出てる!」
「さっき雫の顔にもみじの影が落ちてたからそこから考えた」
「へ、へえ。気づかなかった」
この話がさきほど生まれたばかりの本当の感情だということ。私がキイのモデルとなっていること。それが身体を熱くさせる。
「忘れないようにLetterに下書きしとこ」
駆はLetterのアプリを開いて今の言葉を入力して「ええと背景色、選択、と」背景色を赤に設定した。
「……赤?」
疑問がぽつりと口から洩れる。
駆が書いたのは、オトのキイへの淡い恋。Letterでは恋の話はピンクが定番だ。
駆は不思議そうに私を見ると
「ん? なにか間違ってた? やり方」
「ううん、ただ、えっと……Letterでは恋の話はピンク色の背景色にする人が多いから」
「じゃあ赤はどういう話が多いの?」
「恋は恋でも大人っぽい話が多いかも。浮気とかもあったり、恋愛関係なしに怒りの感情も多いかもしれない。あとはスポーツの闘争心とかも」
赤は私が滅多に検索しないカラーだ。私にはあまり縁のない感情の色だから。
「へえ、決まってるんだ」
そう言われてみると別に『恋の話はピンクで、友情の話は黄色で』なんてルールもなければ、公式から指示されているわけではない。
なんとなく皆が使っている色を、イメージを合わせているだけ。
「決まってるわけじゃないよ。ただそんな空気があるから私もそうしてた、だけ」
「あーそれでclearさんの投稿って全部ピンクなのか」
「恋の話ばっかりだからね」
「俺はclearさんの話を読んでピンク以外もイメージしてたから不思議な時もあったんだよなー。ピンクはclearさん自身のイメージカラーなのかと思った」
そういえば。私は水色を検索しているときにkeyの夏の話を見つけた。
私の中でLetterの水色は『寂しい』という感情に分類していたけど、あの爽やかな告白を決意した恋の話を駆は水色にしたのだった。
「どうしてこの話、赤だと思ったの?」
「もみじの話だから。赤だろ」
シンプルな返事、シンプルな考え。だけど、だからこそストレートに私の胸に届く。
感情がどんな色だとか、周りがこの色を使ってるから、じゃなくて。
もみじだから赤い。それだけの単純なことだ。
「でもLetterでルールがあるならピンクでもいいよ」
駆はLetterのアプリを見ながら言った。検索画面の赤を選択して、他の〝赤の話〟を見ているのかもしれない。
「ううん。これ赤でもいいと思う。恋は恋でもいろんな色があるよね。駆の感性、素敵」
恋の話はピンクだなんて誰が決めたんだろう。
私は恋をしたことがない。だから周りに合わせてピンクだと思い込んでいた。
だけど、恋にだっていろんな色があってもいいはずだ。
たしかにkeyの夏の話はピンクよりずっと水色が似合ったし、今駆が作った話も間違いなく赤だ。
駆を見上げると、彼の頬は赤く色づいていた。
「……そう言われると照れる」
私にも赤がうつりそうだったから
「わ、私も考えよっと!」と大きな声を出してしまった。
――私はどんなお話を作ってみようか。
clear的にも〝オトとキイの話〟にしても、恋を絡ませるのはマストだ。
ただの友人だったはずなのに、どこか他の人と少し違うことに気づいてしまう。好きな気持ちを自覚するような、そんな話を。
全身で感じた景色を思い浮かべるように目を瞑ってみる。赤色、黄色、まだ緑の残った色、木々を印象付けてくれる青空を瞼の裏に浮かべて。
今日一番印象に残っているのは、寺から見下ろした鮮やかな赤や黄色だ。
ぱぁっと視界いっぱいに広がった色のように、恋心を自覚するのはどうだろうか。
Letterのアプリを開いて投稿画面に文字を打ってみる。こうしてここに入力するのが私の150文字だから。
【僕たちが息を切らせて登った先、目を開くとそこには眩しいくらいの赤と黄色の光景が広がる。
「きれいだね」君が呟いた途端、僕の身体の中で同じ光景が広がっていく。光が駆け抜けるような速さで。身体中を巡って知らない僕になって、目の前には知らない君がいた。
僕の感情がこじあけられた。美しさが暴力的なほどに】
「なんかひらめいた?」
入力して顔を上げると駆がこちらをじっと見ていた。
少し色素の薄い落ち葉色の瞳が日に当たりガラスのように透き通って見える。
その瞬間。入力したばかりの文字が主張するように、私の身体の中で飛び跳ね始めた。文字の振動が心臓まで伝わっていく。
「う、うん……! さっきの光景とオトをリンクさせようと思って……」
私はスマホを駆に渡す。
――これは本当にオトの感情なのだろうか。
「うわー、さすがclearさん! ここでオトはキイへの恋心を自覚したんだってわかる。恋に落ちたっていうか、気づかないでいた恋がぶわーってなる瞬間!」
駆が少し興奮しながら放つ言葉たちが、私の身体の中でさらに好き勝手に飛び跳ねる。
「これは寺のところで見た景色」
「わかる。あの景色感動したもんな、確かにその感動と恋を自覚する気持ちは似てる気がする。――これは絶対採用!」
「あはは、ありがとう。送っておくね」
私は入力した文字をコピーすると、駆へのメッセージに貼り付けて送信する。
……下書き保存じゃない。私の感情が送られてしまった。
「これほんといい。早く投稿したい。これ何色にする? もみじの赤?」
「赤もいいけどこれは緑にしようかな。紅葉の話だけどまだ感情が赤くなりきっていない話だから、緑」
「お、いいじゃん。緑ね、おっけー」
駆は私の150文字を投稿画面にペーストして、背景を緑に設定すると下書き保存した。
私は初めて自分の意思で〝Letterの色〟を選んだ。
これは、緑なんだ。
まだ赤く色づくほどではない、小さく芽吹いた恋心。