あの夏を生きた君へ





最初のページは、ばあちゃんとじいちゃんの結婚写真だった。


白無垢を着たばあちゃんは、当たり前だけど今よりもずっと若い。

健康そうで、真面目そうで、あたしは写真の中のばあちゃんをとても美人だと思った。


あーぁ。
あたしは、ばあちゃんに似れば良かったのにな。



それにしても、ばあちゃんもじいちゃんも随分と緊張した面持ちで写真に写っている。
THE無表情、みたいな。

あたしは思わず笑ってしまった。




どんどんページを捲っていくと、このアルバムが家族の歴史になっていることに気づいた。


伯母さんたちが生まれて、末っ子のお母さんが生まれる。

お母さんの目は子供の頃から切れ長だったようだ。
どうやら、じいちゃん似みたい。

つまり、それをあたしは、しっかり受け継いでしまったわけだ。




七五三や、入学式、卒業式。

運動会に遠足に、
家族旅行や誕生日。

日常の小さな一コマもたくさん切り取ってあった。



この古いアルバムには、家族の歴史が詰まっている。




見ているうちに、不思議と幸せな気持ちになっていく。


胸の奥で小さな小さな火が灯ったみたい、そんな気がした。









そして、最後のページは家族みんなが集まっている写真だった。


ばあちゃん、じいちゃんを真ん中にして、伯母さんたち、伯母さんの家族たち、あたしのお母さん、お父さん。

そして、お母さんに抱かれているのは、赤ちゃんのあたしだ。



みんな笑顔だった。

みんな幸せそうだった。


すごく良い写真だと思った。


何だか誇らしくて、嬉しくて。

写真に視線を落としながら、いつしかあたしも笑顔になっていた。





アルバムの最後のページには、さらに写真が挟まっていた。

その一枚だけ、まるで枝折りのように挟まっている。




写真を見たあたしは、
次の瞬間、衝撃のあまり固まっていた。





「…これって…。」











それは、とても古い写真のようだった。

白黒の写真だと思うが、色褪せてセピア色に近くなり、
端端は小さく破れていたりする。



写っているのは二人。


一人は、結婚写真よりも更に若い時のばあちゃん。
もんぺ姿におかっぱ頭だ。



そして、その隣に佇んでいるのは、アイツだった。


昨夜、あたしはばあちゃんの病室で彼に会った、確かに。


写真で見る彼と、あたしが見た彼は姿形が全く同じ。

坊主頭で、繊細な顔つきで、ガラス玉みたいな瞳で。



写真の中のばあちゃんと彼は、木々に囲まれた森の中のような所にいる。

二人とも直立不動で立っていて、二人の間には花を咲かせた一本の木。





食い入るように写真を見つめていると、お母さんの声が降ってきた。

「あ〜疲れた!」


汗だくになったお母さんは、両手いっぱいに真っ赤に熟したトマトを抱えていた。

それを縁側に置くと、「う〜ん」と伸びをする。


「ばあちゃんがいない間にこんなに出来ちゃったのよ。しばらくはトマト三昧ね。」


「…お母さん。」


「ん?」


「…この写真って…。」


あたしは手にしていた写真をお母さんに見せる。


するとお母さんは、

「あぁ〜うわぁ、懐かしい!」

と、言って笑う。









「昔、お母さんも偶然この写真見つけてね。ばあちゃんに聞いたことがあったの。“この男の子誰?”って。」


「うん。」


「ばあちゃんの初恋の人なんだって。」



言葉に詰まった。

あたしは、もう返事すら上手に出来ない。



「幼なじみだったんだって。確か…この写真の時は今のちづと同じ14歳だったかな。
戦時中だったらしいから、ばあちゃんも大変だったろうね。」


ばあちゃんがしてくれた昔の話、病室で彼が言ってたこと。

鳥肌が立った。


それなら、彼がばあちゃんのことを“明子”なんて呼ぶのも納得がいく。




え…でも……ちょっと待って、それって…。





「60年以上も昔の写真、今も大事にしてたのね…。
この男の子、写真を撮ってからしばらくして亡くなったらしいから。形見みたいなものなのかもね。」



お母さんの声を聞きながら、胸の奥で酷く動揺していた。



それって、つまり…。

あたしが見た彼は、幽霊ってこと……?
























【守りたいもの】


















夕方からパートに出かけたお母さん。


いつも大概酔っ払って夜遅くに帰ってくるお父さん。



だから、あたしは誰に文句を言われることもなく家を出られる。





昨日の夜と同じ道を歩きながら、空を見上げた。


雨は降ってないし、雷も鳴ってない。

あたしも泣いてないし、今日はサンダルじゃなくてスニーカーだ。


藍色の夜空にはダイヤモンドのような無数の星が輝いてもいた。




ばあちゃんの家から、つい持ってきてしまったあの写真。


もしもの時のためにカバンに入れてきたけど、
もしもの時というのが一体どういう時なのか、自分でも分からないのだった。
















暗い病院の中で不気味に浮かび上がる非常口の緑色の光。


今さらだけど、ここなら幽霊が出ても可笑しくはないと思う。


そして、これも今さらなんだけど、昨日も今日もとっくに面会時間なんて過ぎてるんじゃないだろうか。

あたしは細心の注意を払いながら、ひっそりと廊下を歩いた。




ばあちゃんの病室の前まで来ると、一度ゆっくりと深呼吸をする。


覚悟を決めなければならない。

だって、この扉の向こうにいるかもしれないアイツは、この世の人でない可能性絶大なんだから。



……正直に言えば怖い。

怖いけど、あたしはドキドキもしてる。


「明子とした約束を果たしにきた」、
その言葉の意味を知りたかった。





あたしは、意を決して病室の扉を開けた。












そこに、彼はいなかった。



でも、どういう訳か窓が開け放たれていて、風でカーテンが舞い上がっている。

病室の中が妙に明るいと感じるのは、今夜が満月だからだろう。



あたしは、ホッとしたような、残念なような気持ちになった。

そんな都合良くいるわけないか。



畳まれていたパイプ椅子を引っ張りだす。

ばあちゃんが眠っているベッドの横で広げて、あたしは肩を落として座った。




その時、背中に風を感じた。




開きっぱなしの窓からやってくる風は、強くて大きな風だ。

矢のように早く強烈なそれは、あたしの髪を攫っていく。


誰だよ、閉め忘れたヤツ!


苛立ちながら、窓を閉めようとして立ち上がる。

風の中で顔を上げた瞬間、あたしは声にならない悲鳴を上げた。



驚きすぎて心臓が震えている。






開いたままの窓、
その窓枠に器用に腰かけた彼。


さっきまで、そこにいなかったはずの彼がいる。








風に踊るカーテン、
焦げ臭い匂いが部屋を満たしていく。




まるで金魚のように口をパクパクとさせてるあたしなんてお構いなしの彼は、ただただ無表情。


そのガラス玉みたいな目で、黙ってばあちゃんを見つめていた。




本当にいる。

ここにいる。

夢なんかじゃない。


写真と同じままの、彼がいるのだ。






「あの…。」

あたしの口から出た声は蚊の鳴くような声だったけど、彼はあたしに視線を向けた。


その真っすぐすぎる眼差しに、たじろいでしまう。

後退りすると、あたしの足は椅子にぶつかり、カタンと小さな音を立てた。




「明子が心配か?」


顔を上げると、その瞳はあたしを捉えたままだった。



「大丈夫だ。連れていったりしないから。その時が来るまでは。」


「…その時って?」


月光に照らされた彼は、ちゃんと呼吸をしていて、ちゃんと皮膚もあって足もある。

半透明だとか、足がないとか、そういう幽霊らしさはどこにもなかった。



そして、あたしの頭にばあちゃんの言葉が浮かんだ。



「…ばあちゃんを迎えに来たの?」


彼は何も言わない。