「それで!その人とはどうなったの?」
ばあちゃんの方に身を乗り出して聞いた。
「仲の良い幼なじみだったよ。」
「ずっと?」
「そう、ずっと。もう会えない所へ行ってしまったからねぇ。」
ばあちゃんは寂しそうに笑った。
あたしも悲しくなってしまう。
心にずしりと重い物が落ちた。
「運命だったんだねぇ。
でも会いたいなぁ、なんて時々思うんだよ。
せめて私が向こうへ行く時くらい迎えに来てくれないかなぁ。」
「…ばあちゃん。」
何て言ったらいいか、言葉が見つからなかった。
ただ、あたしに分かるのは、
その人は今でもばあちゃんにとって大切な人なのかもしれない、ということ。
「ちづ。」
「…ん?」
「ばあちゃんの青春は時代に奪われてしまったけど、ちづは大丈夫。
自由に青春を謳歌するんだよ?」
「…うん。」
その時、不意にばあちゃんが、
「あ!」
と、驚いたような声を出した。
心配になって見つめると、ばあちゃんは目を閉じたまま、口を「あ!」の形にして固まっていた。
不安に思って尋ねると、今度は一人で納得したみたいに笑いだす。
「二人で埋めたんだよねぇ、宝物を。」
「え?」
「もうどこに埋めたかも覚えてないけど、それぞれ自分の宝物を、二人で埋めたのさ。」
それは、つまりタイムカプセルってことなのかな。
「ばあちゃんは何を埋めたの?」
「んー…覚えてないんだよねぇ。あの頃は生きることに必死で忘れてたんだねぇ。」
ばあちゃんが初恋の人と埋めたタイムカプセル…。
あたしには、あまりにも壮大な話すぎてピンとこないけど、何だかスゴいことだなぁなんて思った。
「あの宝物はどこへ行ってしまったんだろうねぇ…。」
ばあちゃんが、まるで独り言みたいに呟く。
あたしは、見たこともないタイムカプセルを想像してみた。
ばあちゃんは何を埋めたんだろう。
ばあちゃんの初恋の人は?
「…ねぇ、その初恋の人の写真とかないの?」
「一枚だけね。」
ばあちゃんの初恋の人…どんな顔をしてるんだろう。
今度写真見せて、と言おうとしたら、もうばあちゃんは静かな寝息を立てて眠っていた。
ばあちゃんの横顔を見つめて微笑んでから、あたしも瞳を閉じた。
今度、ばあちゃんとまた昔の話をしよう。
ばあちゃんが若かった頃の話、あたしが小さかった頃の話も。
いつでも会えるし、また泊まりに行けばいい。
あたしは、そう思っていた。
それから、数日が経った。
日が暮れても気温が下がらない、うだるような暑さの夜だった。
突然、電話が鳴り響いた。
「はい、もしもし。桐谷でございます。」
お母さんが電話をとった時、あたしはリビングでテレビを見ていた。
「はい…えっ!?」
妙なお母さんの声を不思議に思い振り返る。
お母さんはさっきまでとは違う、焦っている様子で「はい」、「はい」と繰り返していた。
何だろう…?
やがて、お母さんは電話を置いた。
けれど、あたしに背を向けたまま動こうとはしなかった。
「お母さん?」
あたしの呼びかけに、お母さんはゆっくりと口を開いた。
「…お母さんが…倒れたって…。」
「…え?」
お母さんの“お母さん”は、つまりばあちゃんのことだ。
「…嘘……。」
ばあちゃんが倒れた――…?
【雷鳴の夜】
窓の外は真っ暗だった。
病院の中も薄暗かった。
天井が高くて人気がなくて、静かだった。
消毒薬の匂いがする。
廊下に置かれた艶々の黒い長椅子に座って、あたしは足をぶらぶらとさせていた。
同じように向かいの長椅子に座っていたお父さんに「ちづ」と注意されて、仕方なく止める。
お父さんは腕を組んで、足を大きく開いて座っていた。
仏頂面。
お父さんはいつも仏頂面だ。
ガラガラと病室の扉が開いて、中から伯母さんが出てきた。
伯母さんは、お母さんのお姉さん。
だから、あたしにとっては伯母さんだ。
伯母さんは目の下を赤くしながら、涙を拭っていた。
その伯母さんを支えるようにして、伯母さんの旦那さんも一緒だ。
「あら、千鶴ちゃん?」
あたしは、ぺこりと小さく頭を下げる。
「しばらく見ない間に大きくなって…。ばあちゃんには会った?」
首を横に振る。
その時、病室の中からお母さんが顔を出した。
「ちづ。」
あたしを呼んで手招きする。
でも、あたしは中々立ち上がれなかった。
怖気づいていた。
怖かった。
ばあちゃんに会うのが、なぜだかとても怖かった。
もたもたしているうちに、お父さんはすくっと立ち上がって、さっさと病室へ入っていってしまった。
あたしは慌てて追いかける。
病室の中は、廊下よりもよそよそしい感じがした。
ベッドの周りに親戚たちと、お母さん、お父さんが囲むようにして立っていた。
窓にはクリーム色のカーテンが掛かっている。
あたしは恐る恐るお母さんの隣まで歩いていった。
ベッドには、ばあちゃんが横たわっていた。
でも、数日前に見たばあちゃんの寝顔ではなかった。
顔は黄色っぽくなって、点滴につながれて眠っている。
水分が枯れはてたようなしわしわの手、細い腕。
痛々しかった。
ばあちゃんが急に小さくなったような気がした。
あたしは見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって急いで目を逸らした。
ここにいるのは確かにばあちゃんなのに、ばあちゃんじゃないような。
少なくとも、あたしが知っているばあちゃんじゃなかった。
病室に漏れる啜り泣き、重苦しい空気と釣り合わない明るすぎる蛍光灯。
あたしは、ここにいたくなかった。
泣きだしてしまいそうな、可笑しな気持ちになっていた。
ふふふっと可愛く笑うばあちゃん、愛煙家のばあちゃん、少女のように照れながら恋バナを聞かせてくれたばあちゃんはどこに行ってしまったんだろう。
ばあちゃんとの思い出が溢れて、
それは止めようにも止められなくて、気を緩めたら本当に泣いてしまう。
泣く必要なんかないじゃないか。
ばあちゃんはここにいるんだから、悲しいことなんて何もない。
あたしは縋るように自分に言い聞かせた。
「長生きしてくれたものね。」
親戚の誰かが呟いた。
「あぁ、向こうでじいちゃんが待ってるさ。」
向こう?
じいちゃんは、もう随分前に死んでしまった。
向こうって…?
「お母さん。」
あたしは呆然としながら隣のお母さんに尋ねた。
「ばあちゃんって…どうなるの?」
お母さんは目に涙を浮かべながら、小さな声で言った。
「意識がね、戻らないのよ。もう、長くは…。」
そこで、お母さんは言葉に詰まって涙を零した。
……ばあちゃんは死ぬの?
嘘だ。
そんなの嘘だ。
ばあちゃんは死んだりなんかしない。
あたしは強く思った。
ばあちゃんは死んだりなんかしない。
人の死を目の当たりにしたことがないあたしは本気だった。
ばあちゃんは生きている。
きっと、もっとずっと長生きする。
だって、この間まであんなに元気だったじゃん。
きっと、軽く100歳は生きるって。
あたしは唇を噛んだ。
泣く必要なんかない。
悲しいことなんて何もないんだから。