「それに、ちづの命はちづだけのもんじゃない。」
「え?」
首を傾げるあたし、
彼は楽しそうに言った。
「生まれた日を覚えてるか?」
生まれた日…?
「ちづが生まれたのは、14年前の5月20日。
真夜中だった、生まれた頃にはもう外は明るくなってたな。
ずっとそわそわしてたちづのお父さんも、へとへとになってちづを産んだ恵も、ちづの顔を見た途端に泣いたんだよ。」
「え?」
「ちづが生まれてきてくれて本当に嬉しかったんだ。
あれは幸せな涙だった。ちづの産声にも負けないくらい二人とも泣いて喜んだんだ。
明子も駆けつけて大騒ぎだった。」
彼の話を聞きながら、あたしは目を閉じた。
瞼の裏に、お父さんとお母さんの顔が浮かんだ。
「“鶴のように長生きし、たくさん幸せがめぐりますように”、そう思いを込めて『千鶴』と、二人が決めたんだ。」
あぁ…また泣いてしまう。
もう、無理だった…。
「名前には生まれてきた命への願いがあると思う。
『千鶴』って名前には、きっとたくさんの愛が詰まってるんじゃないか?」
初めて知る、お父さんとお母さんの思い。
こんなにも、温かい。
そうか、あたし今なら分かるよ。
彼の言葉の意味が。
あたしの命は、あたしだけのものじゃない。
ばあちゃんが精一杯生き抜いて、お母さんが生まれて、
お母さんがあたしを生んでくれたから、あたしがいる。
あたしの周りは、こんなにも愛で溢れてた。
生きて、生き抜いて、繋がった命。
あたしだけのものじゃない。
「死にたい」なんて、あたしが決めていいことじゃなかったんだ。
涙が溢れた。
止まらなかった。
お父さんとお母さんに、会いたくなった。
「でも…どうして?どうして、そんなことまで知ってるの?」
涙でぼやける彼の顔。
あたしが生まれた日のことなんて、どうして?
その時、彼の瞳が揺れた気がした。
何も読み取れない表情を見つめていたあたしは、ある事に気づいてハッとする。
「まさか…ずっと、ばあちゃんの傍にいたの?」
ずっとこの世を彷徨ってたの?、
イライラしてたあたしがバカにして言った時、彼は「あぁ」と言った。
あの時は気づかなかったけど、まさか…。
あたしの問いかけに、彼は何も言わない。
ただ寂しそうに笑っただけだ。
でも、それで十分だった。
彼は、どんな気持ちで見ていたんだろう。
大人になっていくばあちゃんを。
じいちゃんと結婚したばあちゃんを。
お母さんになったばあちゃんを。
歳を重ねて、ばあちゃんになっていったばあちゃんを。
どんな気持ちで…。
それを思ったら、胸が張り裂けそうになった。
あたしには、きっと多分理解できないくらい切なかったはずだ。
いっぱい後悔したはずだ。
羨ましいと思うことだってあったかもしれない。
でも、それでも、彼はずっとばあちゃんの傍にいて、ばあちゃんを見ていた。
ただ、ばあちゃんに寄り添っているために。
苦しかった。
苦しくて、苦しくて、何であたしがこんなに苦しいのか分からなかったけど苦しくて。
あたしの悩みなんて、彼やばあちゃんの思いに比べたら大したことじゃないって思った。
自分がどれだけ恵まれてんのかって改めて気づかされる。
もうずっと泣きっぱなしのあたしの涙腺は完全に崩壊してた。
しゃくり上げるあたしの横で、彼が笑う。
「いつから、そんなに泣き虫になったんだ?」
「ひっ…ふ…煩い。」
文句を言ったのに彼はクスリと微笑して、
「でも、ありがとう。」
と、言う。
“ありがとう”なんて言葉、あたしは久しぶりに聞いた気がした。
「…辛くなかった?」
「僕は、幸せだったよ。あの家で、恵やちづが大きくなっていくのを見ていると、僕まで幸せな気持ちになった。
ちづが生まれた時も本当に嬉しかった。」
懐かしそうにそう言って、打ち上がる花火を眺めてる。
彼は、ばあちゃんのことが好きだったんだ。
ばあちゃんも、彼のことが好きだった。
でも、二人が結ばれることはなかった。
彼とばあちゃんを思うと、あたしまで胸が痛い。
そして同時に、切なさや悲しみが溢れてくる。
彼の瞳には、今も、昔も、これからも、ばあちゃんしか映らない。
「…あたし、絶対見つけるから!宝物見つけてみせるから!」
あたしは涙を拭いながら言った。
どこかでテキトーに考えてた自分を、捨てる。
本気で頑張るから。
「ありがとう。」
彼が笑う、その度にあたしの心は泣きたくなる。
もう、分かっていた。
自分の気持ちを知ってしまう、こんなタイミングで。
「…アンタ、名前は?」
今更な質問だとは思う。
ここまで名前も知らずにいた自分に呆れる。
「ユキオ。」
「え?」
「羽村幸生(ハムラ・ユキオ)。」
初めて聞く名前を、あたしはゆっくりと心の中で呟いてみる。
「『ユキオ』ってどういう字?」
「“幸せに生きる”。」
“幸せに生きる”…。
“幸せに生きる”と書いて、『幸生』。
その名前に込められた思い、願い。
切なすぎる。
じんわりと心に染みて、また涙が零れた。
彼はそれを見て、
「ちづは泣き虫だ。」
と、言って笑う。
その笑顔はキラキラしてて、目が離せなくなる。
あたしは、彼が好きなのだと、実感した。
「…良い名前だね。」
初めて恋に落ちた人とは結ばれない運命なのかもしれない。
あたしは、まるで他人事みたいに、そんなことを思った。
【本当の気持ち】
見つからなかった。
あれから一晩中、幸生の曖昧な記憶を頼りにタイムカプセルを探した。
穴を掘っては埋めて、掘っては埋めて。
泥だらけになるまで頑張ったけど、見つからなかった。
まぁ、そんな簡単に見つかるわけないか。
何かヒントでもあればなぁ…。
あたしはめちゃくちゃに疲れてたけど、不思議と嫌な気分じゃない。
朝の空気は澄んでいて清々しいと思うくらいだ。
泣きすぎたせいで目が痛いけど、それも何だか愛しい。
生まれ変わったみたいだ、と思う。
こんなに穏やかな朝があるなんて。
空の色。
陽の光。
鳥のさえずり。
緑の葉っぱ。
昨日までの自分が嘘みたいだ。
あたしは何だか可笑しくなって笑いだす。
ハミングなんかしてみたりして、生きてるってことを楽しんでみようと思う。
楽しんでみたい。