1941(昭和16)年から始まった大東亜戦争(※太平洋戦争)。
働き盛りの男の人は次々と兵隊にとられていきました。
幸生くんのお父さんも、戦地へ行ったきりです。
私の父は、私がまだ幼い頃に病気で亡くなり、母は父が残した薬局を一人で切り盛りしながら家を守ってきました。
逞しく大らかで、いつも気丈な母。
でも、この時の母は違いました。
「お国のため立派に死ぬ覚悟です。」
凛々しい声ではっきりと言った兄。
すると、響き渡ったのは、
バチィーン!!、という音です。
怖い顔をした母が兄の頬を殴っていました。
「私はっ!私はねっ!!戦争なんかでアンタを死なせるために生んだんじゃないよっ!!」
母はボロボロと涙を零しながら、物凄い剣幕で言いました。
私は、慌てて開きっぱなしの窓をピシャリと閉めます。
もしも誰かが聞いていたら非国民(※軍や国の政策に協力しない人を非難して使っていた言葉)だと言われてしまうからです。
「戦争なんかで死なせるために!ここまで大きくしたんじゃない!!」
母は泣きながら、兄の手をしっかりと握りました。
そして、兄に言い聞かせるように、
「生きて帰ってきなさい。」
と、何度も何度も言います。
「死んだらお仕舞い。お仕舞いなの!生きて帰ってきなさい!!っ…親よりッ先に死ぬなんて言うんじゃないよ…。」
兄の胸を叩き、兄の身体にしがみつく母。
兄も、私も、泣いていました。
兄は写真館で働いていました。
父が早くに亡くなっているせいか、歳が離れた妹だからなのか、いつも私の心配ばかりしていました。
兄だって、立派に死んでくる、なんて本当は思っていなかったはずです。
兄の目から流れる大粒の涙が、それを物語っているようでした。
「っ明子…っ。」
兄に呼ばれた途端、堪えきれずに私も兄にしがみつきました。
「お兄、ちゃ…っ。」
私たちは、家族三人身を寄せあって泣きました。
それから――。
兄は、「万歳!万歳!」の声に送られて戦争へ行ってしまいました。
見送りの時、周りの人たちは皆笑顔でしたが、その中で母だけは違っていました。
まるで目に焼き付けるかのように、遠くなっていく兄の背中を見つめています。
眼差しには迫力があり、その姿は異様でした。
「時男(トキオ)…。」
ぽつりと、擦れた声で兄の名を呟いた母。
「行くな」、と喉元まで出かかった言葉を押し殺していたのでしょう。
母と私は、兄が帰ってくる日をいつも待っていました。
しかし、
兄が帰ってくることはなかったのです。
1945(昭和20)年、初夏。
戦争が暗い影を落としていました。
空襲が頻繁になるにつれ、生活はどんどん厳しくなりました。
食料など生活必需品は全て配給制(※食料など、ほとんどの物資が割り当て配給になった)でしたが、量も質も粗末になるばかり。
どこの家でも家庭菜園を耕して、食料不足を補おうと必死でした。
私は女学校に通っていましたが、もう勉強なんてほとんど出来ません。
町内の工場に勤労奉仕(※学徒勤労動員=日本中の学徒が法令により集団で軍需工場などに動員された)に行っていました。
作業場の監督は厳しく、のろまな私はよく怒られましたが、お友達とお喋りをしている時はそんなことも忘れられました。
「昨日も空襲があったね。」
学校のお友達の一人が、ぽつりと言います。
「うん。」
ここのところ毎晩のように鳴る空襲警報。
昨夜も灯火管制(※電球の周りを黒い布で覆って、明かりが外に漏れないようにして夜間の空襲に備えていた)の薄暗い光を頼りに本を読んでいた時、空襲警報が鳴りました。
私は、母と二人で慌てて防空壕(※空襲から身を守るために地面を掘って作った避難所)へ向かいました。
幸いにも、こちらにまで被害はなかったようですが、明日は我が身かもしれません。
不安は、いつも付き纏っていました。
そんな不安な日々の中でも、幸生くんと私、小夜子ちゃんは変わらず神社で遊んでいました。
幸生くんは絵を描いたり、木に登ったりと一人で遊んでいることが多いのですが、おはじきを使って遊ぶ時は私と小夜子ちゃんに付き合ってくれました。
「お腹すいたなぁ。」
小夜子ちゃんは俯いて言いました。
「キャラメル食べたいなぁ。」
私は、その言葉で胸が痛くなります。
こんなに小さな子に、戦争をしているということが一体どのくらい理解できているでしょう。
みんな、お腹いっぱい食べたいのを一生懸命我慢していたのです。
「僕は握り飯が食いたい。」
幸生くんは落ちていた小枝を使って、地面に絵を描き始めました。
「わぁー握り飯だぁ!」
小夜子ちゃんが表情を輝かせると、幸生くんも嬉しそうに笑いました。
私もつられて笑顔になります。
家がお隣同士だった幸生くんと私は、まるで兄妹のように育ちました。
幸生くんは身体が弱いお母さんのお手伝いをしたり、妹の小夜子ちゃんの面倒を見たりしていました。
戦争へ行ったお父さんと、「家を守る」という約束をしていたからです。
お父さんが戦争へ行く前に買ってくれたという白い靴は、今ではもう擦り切れていました。
でも、幸生くんはとても大切にしています。
笑う時も、泣く時も、怒る時も幸生くんは正直で、
一緒に遊んでいると楽しくて私は時間が経つのも忘れてしまいました。
私は、いつまでもこんな日々が続いていくと信じていました。
でも、それは大きな間違いだったのです。
「明子。」
「何?」
「…疎開するかもしれない。」
私は、驚いて声も出せません。
ただ、色鮮やかなおはじきを、ぎゅっと手の中で握りしめていました。
「母さんの実家なんだ。準備も出来ているから早く来いって。」
「…うん。」
「母さんはまた体調が良くないし、小夜子はまだ小さい…だから。」
「…そう。」
夏の爽やかな風が吹き渡っていました。
葉が騒めいて、草も流れるように揺れています。
私は、何も言えません。
俯いて黙り込む私の頭に、幸生くんの手が触れました。
そして、兄の手よりも少し小さな手は不器用に私の頭を撫でました。
「…二度と会えないわけじゃない。」
「本当?」
私が尋ねると、幸生くんは少し考えてから言いました。
「宝物を埋めよう!」
「え?」
「いつか、また会えた時に二人で開けるんだ。
僕の宝物と、明子の宝物を入れて、見つからないように隠しておくんだよ。」
「でも…どこに埋めるの?」
幸生くんは、「そうだな…」と呟いてから、再び考えているようでした。
その時、急にブワッと激しい風が吹いて、私は堪らず目を閉じました。
風の中で、私は幸生くんの声を聞きました。
先程のように、幸生くんの手が私の頭に触れた時です。
ゴォという風の音に紛れて、幸生くんは言いました。
「――――…。」
私が顔を上げると、得意気に笑います。
風はいつの間にか止んでいました。
「誰にも見つからないだろ?」
「…うん!」