「愛美ぃ?思うよね?」
美季の声が僅かに低くなると、愛美は慌てて口を開いた。
「…うん。」
「千鶴なんてぇ大っ嫌いだよねぇ〜?裏切り者で嘘つきで。そうでしょ、愛美?」
「…うん。」
あたし、バカみたいだ。
本当バカみたいだ。
美季は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「だって!残念だったね、ち・づ・る!」
あたしが愛美に期待をする、
それを美季はちゃんと分かってる。
あたしの心を壊す方法を知っている。
もう、疲れちゃったよ。
こんなふうに傷つくのは、もう嫌なんだよ。
信じるのとか、期待すんのとか、もう…もういいよ。
「で、土下座は?」
美季が言った時、あたしの頬には涙が流れていた。
「え〜!嘘!?泣いてんの!?」
「ウケるっ!写メ撮ろうよ〜!」
「…泣けばすむと思ってんだ?」
次々に浴びせられる言葉が刺さる。
その間、愛美はオドオドとしていた。
泣き出したあたしを見て驚いたんだろう。
愛美が知ってるあたしは、気が強くて、悠をイジメっ子から守っていたあたしだ。
でも、もうそんな自分はどこにもいない。
もういない。
「オイ!顔上げろよ、ブス!」
携帯電話を持ったナオミがあたしの髪を引っ張る。
その瞬間、あたしはナオミを突き飛ばして走りだしていた。
「テメェ!何すんだよっ!!」
どうにでもなれと思う。
息が切れて、脇腹が痛くて、喉が熱くて。
夏祭りへ向かう人たちに何度も何度もぶつかった。
このまま死ねたらいい。
このままあたしなんか……。
悪口も、嫌がらせも、仲間外れも耐えられる。
耐えられると思ってた。
それは、心のどこかで愛美を信じていたからだ。
一緒に笑って、一緒に泣いて、何度ケンカしてもすぐに仲直りする。
そうやって積み重ねてきた日々を…信じていたからだ。
バカバカしい。
そんなもの、捨ててやる!
拭っても拭っても溢れてくる涙で視界がゆらりと揺れる。
あたしは嗚咽なのか悲鳴なのかも分からない声を上げながら走った。
街には、もうじき夜が下りてくる。
【おにぎり】
日が沈み、辺りが暗くなると彼は突然やって来る。
あたしは、その時のろのろと遊歩道を歩いていた。
「どうした?酷い顔だ。」
酷い顔は元々だ。つか、余計なお世話だ。
「何かあったのか?」
「別に…。」
幽霊に悩みを相談する趣味はない。
でも、見えないだけで昼間もその辺にいるのかと思ってたのに、美季たちとのことを知らないのか?
「アンタさぁ、見えない時はどこにいるの?」
「明子のところ。」
「…………。」
聞かなきゃよかったと思った。
何か…すごく惨めだ。
彼の、たった一言で、どうしてあたしがこんなに傷つかなくちゃいけないの。
意味分かんない。
大体、彼がいつもあたしの傍にいるとか思い込んでたなんてキモすぎる。
勝手にショック受けたり……有り得ないし。
「ちづ、やっぱり何か変だぞ?」
そう言って、あたしの顔を覗き込む彼の瞳は驚くほど澄んでいる。
その瞳に見つめられると居心地が悪くて仕方ない。
胸の奥に何かが詰まっているような、可笑しな感じがする。
あたしは慌てて目を逸らして、
「煩いなぁ!」
と言うのがやっとだった。
彼は…ばあちゃんのことが好きだったんだろうか。
だから、幽霊になってでも約束を果たしにきたのか?
だから、ばあちゃんにその時が来るまで待っているの?
そんなことを考えてたら、どんどん腹が立ってきた。
すっごいイライラする。
ムカつく。
どっと押し寄せてくる感情に動かされるみたいに、あたしは足早になっていく。
「あれ?今日は怖くないのか?」
からかうように言う呑気な彼のおかげで、あたしの苛立ちは更に増していく。
悠のこと。美季たちのこと。愛美のこと。
ウザイ親に、腐った人間関係に、バカバカしい友情。
ばあちゃんのこととか、幽霊のこととか、タイムカプセル探しとか。
あたしの頭は、もうとっくにパンクしてる。
ムカつく、ムカつく、ムカつく!!
まるでリズムを刻むように胸の内で繰り返した。
展望台に到着すると、あたしは躊躇うことなく草だらけの細い道へ入っていく。
あたしの様子を見て、彼は驚いている。
今のあたしに怖いもんなんて何もない。
いつ、どこで死んだって構わないし、
むしろ若いうちに死ねるならラッキーじゃん。
自分の歳とった顔なんか見たくないし。
そうだ…そうだよ、あたしはずっと死にたいと思ってた。
楽になりたかった。
悲しいことや辛いことがない世界、
天国だろうが、地獄だろうが、この世界よりはきっとマシだ。
シャベルを杖の代わりにして、草や木に掴まりながら道なき道を進んでいく。
懐中電灯の明かりを頼りに闇の奥深くへ。
あたしの頭の中は“死”の文字でいっぱいだ。
自殺の名所なんて言われる橋がせっかくあるんだから、あの橋から飛び降りればいい。
簡単なことだ。
あたしが死んでも、きっと美季たちは泣かないだろう。
「マジで死んじゃったよ、アイツ」って笑うだけだ。
愛美はどうするかな?
自分を責めたりするかな?
泣いてくれるかな?
「ねぇ?」
「何だ?」
「あの世ってどんなところ?」
草を掻き分けて突き進むうちに、すっかり泥だらけ。
特に、手の平と足は酷い有様だ。
「あの世か…さぁな。」
「は?さぁなって…?」
「行ったことがない。」
あたしは草を掴みながら眉を寄せる。
行ったことねぇわけねぇだろ。
「幽霊のクセに?まさか、ずっとこの世を彷徨ってたとでも言うの?」
自分の話し方にトゲがあることくらい分かってる。
でも、イライラして止められない。
「あぁ。」
「…は?マジで!?ずーっと彷徨ってたの!?バッカじゃないの!」
誰か、この口を塞いでほしい。
あぁ、サイテーだ。
これじゃ八つ当たりだ。
「ちづ。」
「…何?」
「あれ、ほら。」
彼は前方を指差した。
さっきのあたしの言葉なんて、まるで気にしてないみたい。
それが、余計にムカつくんだよ。
あたしは、あたしなんかは、相手にもされない。
死んだ魚の目に似ているらしいあたしの目は、彼が指し示した先を映す。
懐中電灯の光をあて、注意深く見る。
「…石段?」
「あぁ。」
石段は長く長く続いている。
見上げてみても先が見えない。
懐中電灯で照らしてみても同じだった。
「行こう。もうすぐだ。」
先に歩いていく彼の背中を、あたしはじっと見つめる。
その背中に触れてみたい、そんなことを思った自分が信じられなかった。
信じられなくて、恥ずかしくなる。
きっと頭が可笑しいんだ。
今日のあたしは、どうかしてるんだ。
「なんか、天国まで続く石段みたい。」
「天国か。」
彼は息を零すように笑う。
緩やかな風が吹いて、葉の揺れる音がしていた。
山の中は静かだ。
自然が生み出す音だけがしている。
息を切らしながら石段を上りきって、あたしは懐中電灯の小さな光を頼りに辺りを見渡した。
記憶の片隅に残る神社があった。
昔話とかに出てきそうな、古い神社。
ただでさえ不気味なのに、夜のせいか一段と不気味だ。
思わず背筋がゾクッとする。
いくら、ばあちゃんのためとは言っても、あたしもエラいことを引き受けたもんだよ…。
「ちづー、ちょっとこっちに来てみろよ。」
「え?」
暗闇の中でも彼は平然と動き回る。
懐中電灯を向けると、神社の左側からあたしを呼ぶ。
周囲は木々に囲まれているのに、そこだけは開けていた。