小さい頃から、
菫の代わりに、菫の分までちゃんとしなきゃって思ってた。


両親をこれ以上、困らせないように。






本当のことを言えば、私だってピアノを習ってみたかった。


大学進学もしたかったけど、我慢して就職の道を選んだ。




そういうの、誰も気づいてないんだもんなぁ…。
さすがにイタい。






今さらグレたりなんて出来ないし、性に合いすぎてた“優等生”から脱皮なんて出来ないけど……ときどき思う。



私はいつまで“いい子”でいればいいんだろう、なんてね。










羨ましくなるんだ。


行き当たりばったり、
その瞬間、瞬間の気分で生きてて、奇跡みたいな才能のある菫が。


若くて、可愛くて、要領が良くて、甘え上手のマリちゃんも。







私は、
そんなふうになれないから。




至って平凡な容姿と、生真面目すぎる性格。


モテた経験もなく、
言い寄られたことも、
ナンパされたこともなく、
27年間彼氏がいないという最大のコンプレックス。







父と母には申し訳ないけど、結婚、孫の顔なんて夢のまた夢だ。











煙草に火をつけて煙を吐き出す。


白煙が夜空へ舞い上がっていった。






缶ビールをグビッと喉へ流し込む。






……アラサーの現実なんて、こんなもんだ。

















「愛なんか…恋なんか……あーぁ。」



























「今日から新しく入った佐倉くんです。」





真新しい黒いエプロンを身につけた佐倉くんは、
よろしくお願いします、と言って微笑んだ。





「はぁい。よろしくね!」


首を傾げて愛らしい笑顔を振りまくマリちゃん。


期待どおりのイケメンだったらしくご機嫌のようだ。



マリちゃんの隣にいた山崎くんはいきなり、

「俺、21。タメだよな?」

と尋ねる。





佐倉くんは爽やかな笑顔を崩さないまま、はい、と答えた。



「敬語じゃなくていーって!仲良くやろうぜっ!」







そういえば、山崎くんも大学生だったっけ。



ふわっとしたパーマに明るい茶髪、上下ヒョウ柄のジャージにお店のエプロン。
いくら髪や服装に厳しいルールがないからといっても、さすがにやり過ぎだな…。




その外見を裏切らず、中身もチャラい山崎くん。




けれど、顔立ちはバンビのように可愛らしくて憎めない。











「マリちゃんも仲良くしよ〜ネ!」




山崎くんの明るい声を、マリちゃんは軽く受け流す。



彼らのテンションに、私は正直ついていけない。

あぁ、やっぱり世代ギャップ…。





「芳乃さんも仲良くしよ〜ネ!」


「…ねー。」



……私、頑張った!頑張ったよね!?


自分の笑顔が引きつっていないことを祈るしかない。








簡単に佐倉くんを紹介すると、
マリちゃんにレジを、
山崎くんに商品出しを任せて、
佐倉くんと共にバックルームへ向かった。




狭いバックルームには、天井まで高く壁一面の棚に商品が山積みになっている。




「…凄いですね。」



佐倉くんはポツリと零した。





「2階の倉庫はもっと凄いわよ。」


私は言いながら商品を探す。




クリスマス、お正月に向けて発注した商品の量はハンパじゃない。






目的の物が見つからず、
バックルームから顔を出し、マリちゃんに声をかけた。




「マリちゃん、チョコフォーなかったっけ?」


「あぁ、昨日香織さんが作ってましたよぉ。」


「そう…。じゃあ、フラワートップは?」


「それも昨日香織さんが。」






……さすが店長代理・香織さん。







仕方なく、私はチョコラスクの箱を手にした。









「佐倉くん。」


「はい。」


「うちのお店はね、
駄菓子を元の袋から出して別の袋に入れて、お店のキャラクターシールと賞味期限シールを貼って売ってる商品がけっこうあるの。」


「はい。」


「私たちはそれを“創り物”って呼んでるんだけど。
今から教えるね。袋のサイズとか枚数とかが細かく決まってるから、メモした方がいいよ。」


「はい。」






とりあえず、私は見本を作ってみせる。




チョコラスク、クリームラスク、ココナッツラスクをそれぞれ3箱ずつ。

まずはチョコラスクから。



箱の中のラスクを全部カゴへ入れる。



箱に書かれた個数と、創り物にした時の枚数・3枚を計算して賞味期限シールを用意する。
始めに作る量に合わせてやっておけば楽なのだ。

箱に明記された賞味期限をスタンプしてシールはOK。


元は1袋に2枚入りのラスク、
袋を切って10―15というサイズの袋に3枚ずつ入れる。

それをシーラーで密閉。
熱で袋は瞬時にくっ付く。



「ここは熱いから触らないようにね。」





佐倉くんは真剣にメモを取っていた。







真面目な好青年じゃないか。


彼を採用して良かったのだと思った。

仕事にやる気を見せる若者は見ていて気持ちがいいものだ。








表にお店のキャラクターである、ウサギが三日月に乗って“チョコラスク”と吹き出しがあるシールを貼り(通称・表シール)、
裏に先程の賞味期限シールを貼る(通称・裏シール)。




チョコラスクも、クリームラスクも、ココナッツラスクも、それぞれ3枚入りで一つ¥126で販売している。












「これを、それぞれ3箱ずつ作ってほしいの。やり方は分かった?」


「はい。」


「分からないことがあったら言ってね。」




私はバックルームを後にする。




本来ならラスク系はチョコフォーやフラワートップと違ってトングを使わないから、レジ担当がレジを見つつやる仕事だが、まぁいいか。




今日は山崎くんと同じ遅番で入ってもらってるから、お客さんが少なくなったらレジを簡単に教えて……あっ、レジ締めの作業と入金方法も説明しなくちゃなぁ。





私は佐倉くんをちらりと盗み見る。



与えられた初仕事を黙々とこなす佐倉くん。


器用そうな子だし、大丈夫かな。







「カッコいいですね。佐倉くん。」



レジで別の創り物をしていたマリちゃんがポツリと言った。


「ど〜しよ〜。恋しちゃうかも〜。」




……だから、マリちゃん彼氏いるでしょう…。






何だかぼんやりとした様子のマリちゃんに何と言っていいか分からず、私は苦笑した。


















従業員用の通路に運び込まれた大量の駄菓子。


それは発注して、今日届いた商品だ。




山崎くんと共にバックルームへ運んだり、倉庫へ運んだりという作業を繰り返す。




途中、マリちゃんが休憩に入ったり、山崎くんが休憩に入ったり。


平日といえども、夕方は一番混雑する。


その間もレジ点検やら、発注やら…。
あぁ、腰が痛い……。






山崎くんが休憩から戻り、次は佐倉くんに休憩を取ってもらわなければ。


と、そこで私はある事に気づいた。




ラスクの創り物を任せてから4時間が経っている。





初めてとはいえ…まだ終わっていないんだろうか。



私はバックルームへ向かった。








「佐倉くん。」



そう声をかけながらバックルームを覗いて、私は目を丸くした。





「はい?」



佐倉くんは携帯電話を片手に、パイプ椅子に長い足を組んで座っている。



この状況は、一体…。






確かに座った方がやりやすい創り物もあるけど、ラスクは違うし……大体そこまで説明してない。





佐倉くんはカチカチと携帯電話を弄っている。


……何、この豹変ぶり。











「…何してるの?」


「メールです。」




……メールです、って。
当たり前じゃん、みたいに言うなよ。




「えーっと…ラスクは終わったのかな?」


「はい。そこに。」



そう言って空いている方の手で指し示した先――カゴの中にはラスクの山。




……終わってんなら言えよ。



もう、何からツッコんでいいのか分からない。


ツッコミどころ満載すぎて処理できない。







「あー…勤務中だから、メールは止めてもらえるかな?」



ソフトに注意すると佐倉くんは、

「あぁ、すみません。」

と言う。





その表情に最初の笑顔はなくて、妙にクールで冷静だった。







「女の子からだったんで、つい。」


「…はっ?」




佐倉くんは、真っすぐに私を見て言った。





「待たせたら可哀相でしょ?」










…………はい?











何を言ってるんだろう、この子は。



それが仕事中にメールをしていい理由になるとでも思ってんのか?





自分の中で勝手に作り上げていた佐倉くんのイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。





「それに、暇だったんで。」


「…終わったなら、終わった時に言ってくれる?…次からは、ね……。」





キレるな自分……耐えろ、自分……。




「あぁ、はい。あ、俺休憩ですか?」


「…うん。」




私が答えると、佐倉くんはグッと背筋を伸ばした。





「じゃ、休憩行ってきまーす。」





佐倉くんは特に何も気にしていないふうで、それが余計に私を苛立たせた。





「それにしても、ここ。暑いですね。暖房のせいかな。」




佐倉くんに対する不信感が膨らんでいく。


真面目な好青年が、今じゃ不真面目な若者にしか見えなくなってきた。








「芳乃さん、行ってきます。」






……何なの…この子。


あの人懐こそうな笑顔は消え、皮肉めいた意地悪そうな笑みを浮かべて私の横を通り過ぎる。








もうすでに佐倉くんを採用したことを、少し後悔し始めていた。




勤務中にメール、
仕事が終わっても報告しない…。


何食わぬ顔で「すみません」、たいして気にもしていない。




27年後の王子様

を読み込んでいます