結局、カクテルの事を佐倉くんに任せきりにすると、私の前には赤いカクテルがやって来た。



ミリオンダラーという名前のカクテルで、
口当たりは滑らか、とろけるようなフルーティーな味わいだった。



「綺麗」、「美味しい」などと素直な感想を述べれば、佐倉くんは嬉しそうにふにゃりと笑う。






カクテルはどれも美しく、私にとっては刺激的だった。



中でも、私はベリーニというカクテルを酷く気に入った。


フルート型のシャンパングラスに注がれたそれは、ピンクのようなオレンジのような色で、
スパークリングワインの爽やかな味に上品な甘さが加わって、とても飲み口が良い。










「キミは何飲んでんの〜?」




それほど飲んだつもりはないのに、ずいぶんと酔っている気がする。


この洒落た空気に酔ったのだろうか。




「ホワイトレディですよ。」





カクテルグラスの中のそれは、透明に近い白で、あまりの美しさにときめかずにはいられない。












「一口ちょーだいっ。」


「えぇぇ。」



佐倉くんは驚いている様子で素っ頓狂な声を上げた。




「…何よ。」


「…間接キスですね。」



ニヤリと笑う佐倉くんは、とても憎らしい。


……なんか悔しいんですが。





「も〜らいっ。」



半ば無理やり佐倉くんのカクテルを奪い、口をつけた。



喉へ流し込んでから、私は目を見開く。



「ウッ…ケホ……強っ…。」






真っ白で清楚な見た目と違い、それは強いお酒だった。

喉が熱い。



佐倉くんは、さっきから平然とこんなものを飲んでいたのか。





「大丈夫ですか?」

と、佐倉くんは私の顔を覗き込む。



「……んで、こんな、強い…。」


そう言うと、
困ったように苦笑して言った。




「実は緊張してたのは俺の方だったりして。」


「…へ?」


「まぁ、酒の力を借りたヘタレだったって事です。」







その言葉の意味を理解した時、私の心は花火のように打ち上がり弾けた。




ドキドキしたり、あたふたしたり。


私だけじゃなかったんだ。



佐倉くんも、
同じ気持ちを持ってたんだ…。















「…私も強いお酒飲むっ。」


「えっ?」


「私のが緊張してるんだからねっ!」


「…芳乃さん、そこ競い合うとこじゃないです。」


「いいのっ!」




上手いこと言えない私は、精一杯の照れ隠し。







やって来たカクテルは、チョコレートマンハッタン。


キュートな名前に、
見た目もチェリーを2つスティックに刺して飾ったブラウンのお酒だった。


でも、可愛い外見を裏切る強いお酒。







「飲み過ぎないでくださいよ。」


「いいじゃん、いいじゃん♪」


「俺は好きな女の介抱してやるほどお人好しじゃないんで…襲うぞ、コラ。」


「出来るもんならやってみろ、コラ。」




私はご機嫌で、
こんな夜も悪くないと思っていて。



それはなぜかっていうと、
佐倉くんだからで。





私はもう気づいていた。







佐倉くんと一緒にいると、私は私でいられるのだ。

























「芳乃さんっ」、と佐倉くんが私の名前を呼ぶ。


「芳乃さんっ、今日も愛してますよ」、と。




冗談ぽく、最近じゃ挨拶代わりのように言う佐倉くんに、私はもうタジタジだった。



素直に赤面する私を見て、

「かぁわいい〜。」

とハシャぎ、
恥ずかしくてキレると、なぜか楽しそうに笑う。





佐倉くんのそういう感じは店でも変わらなくて、私は香織さんや山崎くんから冷やかされるし…。

本当、冗談じゃないよ。






「ずいぶん懐かれましたねぇ。」


そう言って笑う香織さん。

私は何だかどっと疲れている。




「あー、そうだ。香織さん、明日からお店の事よろしくね。」


「あー明日からでしたっけ。了解でーす。」



「明日、何かあるんすか?」


私と香織さんの会話にひょこっと首を突っ込む佐倉くん。




やれやれという感じでいる私と、佐倉くんを交互に見て、香織さんはクスクスと笑いだした。











「…明日から二日くらい、東京の本社に出張なの。」




そう言うと佐倉くんは、

「えぇぇ!?」

と、間の抜けた声を上げた。



「な、何よっ!?」


「…じゃあ、芳乃さん店来ないんですか?」


「うん。」




すると、肩を落として溜め息を吐く佐倉くん。

私には、さっぱり訳が分からない。


「つまんねぇーのー。」


「…は?」


「芳乃さんがいないんじゃつまんないですよ。
あーぁ、寂しいなぁー。」






何を言いだすかと思えば…。






周りを気にもしないで、そういう口説き文句みたいなの……本当恥ずかしいから勘弁してっ!




真っ赤になって固まっていると、

「電話、あっメールでもいいんで下さい!心配だからっ。
寄り道しないで早く帰ってきて下さいね!」

と言って微笑む佐倉くん。




香織さんは興味津々といった様子で、好奇心に満ちた瞳で私たちを観察している。

その視線がイタい…。













「俺、駅まで送りましょうか?」


「…いや、大丈夫よ。」


「じゃあ、迎えに「結構です!」



佐倉くんが言い終わらないうちに言うと、香織さんが笑いだす。







まったく、仕事がやりづれぇったらない。


私は、佐倉くんのオープンなラブ攻撃(?)にすっかり困り果てていた。




……まぁ、ハッキリしない自分が一番悪いんだけど、さ。



でも、何かタイミングが掴めないっていうか、何て言ったらいいか分からないっていうか。





『私のような者でよければ、ぜひお願いします。』


……何かカタいな。




『付き合ってあげてもいいけど。』


……何だ、この上から目線。







今さら何て言えばいいんだろう。



自分の気持ちを表現するのにピッタリな言葉を、
私は見つけられないでいた。

















* * *――…






『みかづき屋』の本社である『株式会社M&W』は東京のオフィス街にある。


近代的なビル群が立ち並ぶ、その中の一つがウチの本社。





各店舗の店長を集めて、クリスマス、年末年始商戦に向けた会議は7階の会議室で行われた。


長机と椅子が整然と並ぶ場所に大人数が入り、ひたすら会議。




さすがに午後ともなると、息が詰まってくる。







休憩中に喫煙室で煙草を吸っていると、

「芳乃!?」

と、声をかけられた。



「…え、聖子(セイコ)さん?」


「やぁだ!久しぶり!」



お団子頭がトレードマークの聖子さんは煙草に火をつけつつ、私の隣に腰を下ろした。






「最後に会ったのって…。」


「去年の秋よ。ほら、ウチの店がオープンする時に応援で手伝いに来てくれたじゃない!」



そう言って少女のように聖子さんは微笑んだ。





この人の笑顔は昔から変わらない、と思う。












私と同じくアルバイトから社員になったクチの聖子さんは現在32歳。


高校時代にハピーズ飯崎店でバイトを始めた頃、彼女は既にそこで働いていた。

あの頃の店長代理が聖子さんだったのだ。


それから社員になり、今は別の『みかづき屋』3店舗で店長をやっている。




歳の割りに若く見える聖子さんは気ままな独身生活を楽しんでいて、私は昔から彼女に憧れていた。



高校生の頃、こういう大人になりたいなぁ、と思ったものだ。



綺麗で、仕事がデキて、自立した、カッコいい大人に。






「新店舗どうです?やっぱり新しいショッピングモールだし、売り上げ良いですか?」


「う〜ん、最近は落ちついてきちゃったかなぁ。それより、従業員の方がねぇ〜…。」


聖子さんは肩を竦めた。




「どうかしたんですか?」


「オープンして1年しか経たないのに、オープニングで入ったバイトの子がもう二人辞めてて…。
しかも、このクソ忙しい時期にもう一人辞めそうなのよ。」


「人手ヤバいんですか?」


「まぁね〜。」




煙草の煙を吐き出して、聖子さんの視線は煙の行方を追いかけていた。




「従業員の育成って本当難しいわ。」


そう言って、聖子さんは天井を仰いだ。



「本当、そうですよねぇ。ウチも色々大変で。」


「色々?」


「…まぁ、色々。」






佐倉くんの事とか……佐倉くんの事とか、佐倉くんの事とか。




……なんて言えないけど。














「あっ!そういえばさっ。」


聖子さんは、突然何かを思い出したように声を上げた。





「芳乃、路木さんのこと聞いた?」


「え?」


「転勤の話よ。」


「…え?」




転勤………?






「今度、新事業でカフェの計画があるでしょう?ほら、チェーン展開してるレストランがノッてる事もあって。
その新プロジェクトの責任者として転勤になるらしいの。」


「…どこへ?」


「イタリア支社。」










――頭が、真っ白になった。