犯人と被害者〜2日間のLove Story〜

 *   *   *

高級住宅地の一角。ここら一帯は綺麗な家が立ち並んでいる。
その中でも、“原”という表札がたつ家は他の住宅よりも大きくて綺麗で、ひときわ目立っていた。

この辺は、いつもは基本的静かで落ち着いた雰囲気があるのだが、今日は違った。
たくさんのスーツ姿の男が家を守るように張り込んでいて、その付近では、通行人ひとりひとりに、とある少女の写真を見せながら何やら質問を投げ掛けていた。

一人のスーツの男が手帳を見せ、家の中へと入った。
「失礼します!」
リビングへと駆け込む。
「警部、原千夏さんは学校帰りに襲われた模様です。途中までは一緒に帰っていたと、彼女の友人から証言を得ました」
「本当か!?」
「はい。恐らくひとりになったところを狙われたのだと思われます」
そう、ここは千夏の家。
娘がさらわれ、身代金を要求されたと、両親から通報があり、警察が動いたのである。

報告しに来た刑事は敬礼をすると、再び付近の情報収集及び、千夏の交流関係をあらいにいった。

報告を受けた警部は、ソファーで頭を抱える千夏の両親に声をかけた。
「お父さん、お母さん、その後犯人から連絡は?」
「いいえ…5000万用意しろと言われてからは一度も…」
首を横に振る母親。
「千夏…」
愛する娘が無事である事を、父親は祈るしかなかった。
 *   *   *

「遅い…!」
遥はイライラしていた。
「どうしても行きたい」と、人質である千夏がしつこかったため、トイレに行かせた。
逃げないと言った彼女を信じて待っていたが……

「いくらなんでも遅すぎる…!」
千夏がトイレに行ってから、かれこれ30分は経っていた。

やはり逃げたか…?
あんなにおちゃらけてはいたが、拉致されておいて平気な者はいない。怖くなって逃げ出しても不思議ではないはずだ。

“私は、あなたを裏切ったりしない”

信じたいと思ってはいる。だが、彼の記憶が、信じようとする気持ちを潰していく。
「くっそ…!」

遥が頭を抱えた時、バァンッと扉が開かれた。
「遥さん!ただいまです!」
「……戻って来た…」
千夏はあわてて遥のもとに駆け寄る。
「すいません!小便だけのつもりが大までしてきたくなっちゃって…。えへ、出してきちゃいました♪」
「出してきちゃったじゃねえ!何で戻ってきたんだ!?」
千夏の肩をつかみ、遥は怒鳴る。
「おお、びっくり!今度はそこにつっこむんですね!」
のんきなことを言う千夏に緊張感のかけらもない。

「お前…逃げるチャンスだったのに何で…」
「だって、逃げないって言ったじゃないですか。嘘はつきません」
そんな質問を投げ掛ける遥を不思議そうに見る千夏。

「……バカだろ、お前…」
遥は頭を掻いてしゃがみこむ。

疑ってしまった自分にむかつく。
こいつは…裏切らなかった。
信じてもいいのかもしれねえ。
夜。倉庫にある小さな窓から、綺麗な月が見える。

「遥さーん」
「あ?」
「あの…」
ぐぅぅ〜〜…
千夏が言い終わるより先に、彼女の腹が鳴った。
「あ……」
盛大な音は、遥の耳にも当然届いた。
ナイスタイミング。まるで千夏の代わりに、腹の虫が先に説明をしてくれたかのようだ。
これにはさすがの千夏も、恥じらいを見せた。
「と、いうわけなんですけど…」
頬を赤く染め、苦笑する千夏。
「腹減ってんのか」
「はは…。すいません…」

ポケットを探り、遥は板チョコを一枚渡した。
「今はこれしかない」
「わーい!!チョコ──!!」
甘いものが好きなのか、千夏は子供のようにあどけない笑顔を見せる。
幸せそうな千夏を見ていると、遥の頬は緩んだ。

遥は鎖をはずす。
そのとたん、千夏は飛び跳ねて喜んだ。
チョコひとつでこんなにも喜ぶ奴が高校生がいるのか…。
恐らく、千夏だけだろう。

「ほら、さっさと食え」
「その前に…」
パキッとチョコを半分に割ると、千夏は半分のチョコを遥に差し出した。
「?」
「遥さんの分です。仲良く、はんぶんこしましょ♪」
確かに腹は減っているが、そんなハッピーな笑顔をしている少女から、幸せを半分奪うようなことはしたくない。
といっても、拉致した相手と一緒にいる時点で彼女は幸せではないのだろうが──。

「俺はいいから、食べな」
「でも…」
ポンポンと頭を撫でる。
「本当は全部食べたいんだろ?だったら、素直に食え」
「……いいんですか?」
「ああ」
「じゃあ、お言葉に甘えて!」
遥が頷いたのを確認すると、千夏はチョコにかぶりついた。

「うん、やっぱチョコはうまいですね!!」
おいしそうにほおばっていた千夏は、視線を感じ顔を上げる。

……あ…。

遥は優しい笑みを浮かべ、こちらを見ていた。
千夏を拉致した犯人とは思えないほど優しく、綺麗な笑顔。
千夏は思わず、遥の笑顔に目を奪われる。
なんだか照れてしまい、再びチョコを食べ始めた。

「初めて…笑ってくれましたね」
「え?」
「…何でもないですっ!」
千夏は嬉しそうに笑った。
 *   *   *

──プルルルルッ
「!!」
原宅の電話が鳴った。
この家の娘、千夏をさらった犯人からかもしれない。
リビングで待機していた刑事は、せわしなく動き始める。

「逆探知!!」「はい!!」
ヘッドフォンを装着し、一人の刑事が機械を操作する。
「お母さん、お願いします」
刑事の合図を受け、千夏の母親は頷いてから受話器を取った。

「……はい」
<5000万は用意できたか?>
やはり電話の相手は犯人。
「それがまだ……」
<急いで用意しろと言ったはず。娘の命が惜しくないのか>
「もう少しだけ待ってください!!必ず用意しますから、千夏だけはどうか…!!」
父親も割って入って叫ぶ。
<……>
母親は受話器を両手で強く握り締める。そして、そんな彼女の肩を抱く千夏の父親。
2人は、千夏の安否だけが心配だった。

「あの…千夏は無事なんですか?お願いです、一言でいいのであの子の声を聞かせてください!!」
「千夏と話がしたい!!代わってくれ!!」
<……またかけ直す。次に電話をかけた時までには5000万を用意しろ。できなければ、娘の無事は保障しない>
「そんな…!!」
電話は一方的に切られた。
2人の願いもむなしく、受話器から聞こえるのは「ツー、ツー」という機械音だけ。

「ああ!千夏ゥウ!」
母は悲鳴に近い声で、愛しい娘の名を呼ぶ事しかできなかった。
 *   *   *

千夏の携帯で電話した遥。
「……」
両親の必死な声が今でも耳に残っている。
大きなため息をついて、遥は隣で眠っている千夏を見た。
こんな状況でも幸せそうに寝ている千夏。

あの人は…千夏のことが本当に大切なんだな…。
わかる気がした。底抜けに明るくて、その笑顔はまわりに元気を与えてくれる。能天気で少し鈍いが、実はまじめで、真剣に人を見ようとする。遥のことも、一発で見抜いた。

「変な奴…」
そっと頭を撫でると、千夏が微笑んだような気がした。


──今思えばあの頃からもう、家族の歯車は、ずれ始めていたのかもしれない。

遥の父親は、彼が小学6年生の時に亡くなった。
海で遊んでいた時に溺れかけた遥を助けたためだった。
「父さんっ…何で俺の事なんか…!」
遥は無事だったが、それと引き換えに父は命を落とした。

「あんたのせいで父さんは死んだのよ!!」
母が泣きながら遥に言った言葉はこれだった。
自分を助けたから父は死んだ。
自分が調子に乗って沖まで泳いだりしたから…。
はじめからわかってた、俺のせいだってことぐらい。でも気付かないフリをした。認めるのが怖くて…。
俺が父さんを殺した──…。
母の言葉で改めて向き合わされた事実。

母はそれから、一度も遥と目を合わそうとはしなかった。
親に見放された遥の唯一の支えは、5歳下の妹、光(ひかる)だけだった。
翌朝。
「んー…」
まだ少し重たいまぶたを開けた千夏。ふと右肩に重みを感じて見てみると、そこには遥の寝顔があった。
「おわ!?」
思わず叫んでしまい、慌てて口をふさぐ。

遥は千夏の隣で寝ていたのだが、時間が経つにつれ、千夏の方に体が傾き、結局もたれる状態になってしまったようだ。
「……重い…」
起こすのは心苦しいが、重い。
仕方なしに、千夏は遥の体を揺すった。
「遥さん、起きてくださいっ」
そう呼び掛けながら顔を覗き込んだ瞬間、千夏の動きが止まった。

「遥…さん…?」
遥は泣いていた。閉じている瞳から、一筋の涙が流れている。
「父さっ…ごめ…」
うなされているのか、うわごとを言いだす。
「ぉれの…せ…で…」
“俺のせい”?
何の事かさっぱりわからないが、とりあえず状況から見て夢でうなされていることは確かだ。
起こしてあげるべきか…。
「どうしよ…」

千夏が迷っていると、遥が自分で起きた。
「夢か……」
つぶやきながら頭を抱えるところを見ると、やはりうなされていたようだ。
だが……

“俺のせい”

うわごとにしては何か意味があるような気がして、千夏は複雑そうな表情を浮かべた。

「あ、千夏起きてたのか」
「へ!? あ、はい…」
「俺、トイレ行ってくる」
部屋を出ていく遥。千夏は彼の背中を黙って見つめた。

遥さんは…何か隠してる。
“私”を拉致したのは、身代金とは別の目的があったから…?
遥はトイレから戻ると、鎖をはずした。
「お前もトイレ行くだろ?」
「えと…行かないです」
「そっか」
再び鎖をつけようとしたが、遥は手を止めた。
“逃げない”
逃げる気のない人間を縛り付けている必要なんてない。でも、もしこれで逃げたら…?

「……」
遥は立ち上がる。
「あれ?鎖つけないんですか…?」
不思議そうに聞く千夏。
「ずっと縛られてんのも嫌だろ」
「まぁ、そうですけど…。いいんですか?」
遥は千夏の目を見る。
「逃げないって言ったじゃねーか」
そう言って笑うと、千夏は嬉しそうに微笑んだ。
「はい!!」

俺はこいつを信じてみる。
もう誰かを疑いながら生きたくないんだ。
千夏だけは…信じても大丈夫。

ぐぅぅ〜〜…
昨日の夜と同様、千夏の腹が盛大な音を奏でた。
「あ、あはは…」
「腹減ってんだな…」
苦笑する千夏と遥。
だが、遥が所持していた唯一の食べ物は、昨日千夏が全部食べてしまっている。

「大丈夫です!!私、頑張って我慢します!!」
頬を赤く染めながら慌てて宣言する千夏。だが、昨日の彼女を見ていれば我慢などできない事ぐらいわかる。
「コンビニで何か買ってくるよ」
大方、警察はまだ犯人の目星はついていないはず。少しなら外に出ても大丈夫だろう。

ゆっくりと立ち上がると、千夏に呼び止められた。
「遥さん」
「あ?」
「ここで待ってますね」
歯を出して笑う千夏。遥も笑顔で頷いた。
「ああ」
朝早いこともあってか、コンビニには店員と遥しかいなかった。
一応のために帽子を深くかぶる。
顔を見られて、あとで警察の聞き込みなどで証言されたら厄介だ。

適当におにぎりやサンドイッチなどをかごに放り込む。
千夏をいつまで監禁するか決めてはいないが、もう少し一緒にいたいと思っている。
2日分ぐらいの食べ物を買う。ついでに千夏が好きそうな甘いお菓子も。

「ありがとうございましたー」
コンビニを出る。
千夏が待っている倉庫に向かう。
千夏が喜ぶ顔を想像すると、自然と小走りになった。

 *   *   *

コンビニの店員は、携帯電話でとある人物に電話をかけた。
「もしもし、原先生ですか?」
<ああ、俺だ>
電話の相手はなんと、千夏の父親だった。
「見つけました、月の形のネックレスをつけた男」
<本当か?>
「間違いありません。女物のネックレスでした」
<そうか…わかった>
「あの…それで…」
<ああ、心配しなくても約束通り金は渡す>
父の言葉を聞くと店員は電話を切る。あやしい笑みを浮かべた彼は、父親が教師として勤めている大学の生徒だった。


「くそ!!」
電話を受けた千夏の父は、携帯電話をベッドに叩きつけた。
「やはり浅井遥か……」
もしかすると今回千夏が連れ去られたのは、以前自分が犯した罪に関係しているのではないかという彼の推測は、先程の電話で裏付けられた。
 *   *   *

「ただいま」
「遥さん!おかえりなさ〜い!」
倉庫に戻ってきた遥を千夏が笑顔で迎える。
ホッとした。千夏の笑顔に…そしてちゃんとここで待っていてくれたことに…。

信じてよかったと思う。逃げるチャンスなんていくらでもあったはずなのに、それでも約束を守ってここにいてくれた。

「ほら、朝飯」
コンビニの袋を渡す。中を覗いたあと、千夏はあのあどけない笑顔で喜んだ。
「こんなに食べていいんですか!?」
「バカ、明日の分も入ってるんだよ。全部食うなよ」
「明日…?」
“明日”という言葉に、千夏は反応した。
「千夏?」
「明日も…まだ…」
つぶやく千夏。彼女から笑顔が消える。

遥はそれを見るなり、言葉を失った。
そうだ、いくら自分が千夏と一緒にいたいと思っても、彼女からすると遥は自分を拉致したただの犯人。そんな相手と一秒でも長く、ましてや1日中一緒にいたいわけがない。

「ごめん…」
「え?」
千夏が顔を上げると、そこにあったのは遥のつらそうな笑顔。
「そうだよな、明日も犯罪者と一緒にいたくなんかないよな」
「えっ…」
「冗談だよ、全部今日の分。今日の夜あたりには、お前の両親も金は用意できてるだろ」
俯く千夏の頭を撫でる。
「今までよく頑張ったな。今日でさよならだ、もう少し我慢してくれ」

頭の上に乗せられた手を、千夏は強く握り締めた。
「やだ…」
「千夏…?」
顔を上げた千夏は大粒の涙を流していた。