もし、千夏の母“美和”と遥の母“美和”が同一人物だとすれば──。
「俺と千夏は兄妹…!?」
動揺を隠せない千夏と遥。
ひき逃げ犯の娘が遥のもう一人の妹。たった今お互いに好きだと伝え合った2人が兄妹…。
「お父さん…?」
「……」
嘘であってほしいという千夏の願いもむなしく、父は俯いた。
「美和と知り合ったのは8年前…、海辺で泣いていたところを俺が声をかけた」
8年前、遥の父が海で死んだ頃。泣いていたということは、亡くなってすぐ後の話だろう。
「美和には家庭があった。12歳の息子と7歳の娘。だが、俺達は愛し合ってしまった。そして出会ってから2年が経ち、千夏が産まれた」
6年前は、遥の母が遥と光を置いて出ていった頃。
「一緒に住むことを決めたが、俺は血の繋がってない子供を愛するなんてできない。美和が前に愛し合った相手との子供を育てる事なんてできなかった。
結局美和は、前の家庭を捨て俺と千夏を選んだ」
千夏はあまりにも急すぎる展開についていけず、腰を抜かしたのかその場に座り込む。
「い、意味わかんねえ…」
遥も頭を抱えた。
千夏の父は続けた。
「ある日俺は飲酒運転で少女をはねた。それが美和のもう一人の娘…浅井光だったと気付くのに時間はかからなかった。一度写真で見たことがあったんだ。2人の子供と、月のネックレス…」
写真…どうやら美和は、遥達の写真をずっと持っていたらしい。
「俺は怖かった…!美和に、俺が浅井光をはねたと知られたら、今の俺の幸せな生活は壊れる!美和の前の家庭など、どうでもよかった!だから逃げた!俺が犯人だとわかるものは全て消したんだ!」
そこまで聞いたところで、遥はガクンッと膝をつく。
「そんな…そんな偶然ってあるかよ…」
涙目で遥は千夏を見る。
「千夏…」
「遥さん…」
手を伸ばせば、千夏の父の叫びが空気を裂く。
「千夏に触るな!!おまえ達は同じ母の血を引く兄妹だ!!結ばれることは許されない!!」
再び父が銃を構えた時──。
「やめて、あなた!」
「!!」
引き金をひこうとした父を、制したのは千夏の母──美和。
そしてその声は、遥にとって懐かしいものだった。
「母さん…?」
「遥…!千夏…!」
美和は千夏、そして遥のもとに駆け寄り力いっぱい抱き締めた。
「美和…!お前いつの間に…」
「原恵介!!銃を置いて両手をあげなさい!!」
バタバタと警察が駆け込み、恵介──千夏の父に銃を向ける。
「8年前の少女ひき逃げ及び、証拠隠滅の容疑で逮捕する!!」
どうやら先程の恵介の自供は、全て筒抜けだったらしい。
手錠をかけられ、恵介は大勢の警察官に連行されていく。
「美和!!千夏!!俺は許さないぞ!!」
「私はあなたを許さないわ。大事な光をひき逃げしたあなたを」
美和に言い放たれた恵介は、相当ダメージを受けた様子。肩を落としてパトカーに乗り込んだ。
「離せ!!」
遥は自分を抱き締めている美和を突き飛ばした。
「遥…」
「そんな目で見んな!!俺と光を捨てといて今更何なんだ!!」
美和は口を閉ざす。
敵意をむき出しにしている遥の目。そんな目で睨まれてしまっては返す言葉もない。
「遥…聞いて」
「嫌だ!!聞きたくない!!俺を恨むのはわかる、けど何で光まで見捨てた!?すぐ帰るって言ったくせに…俺らのことなんか忘れて、千夏の親父と楽しく暮らしてたお前の話なんか、絶対聞かねえ!!」
「遥さん!」
「お願い遥、聞いてほしいの!」
「黙れ!!もうお前なんか信じない!千夏以外は誰も信じない!!」
完全に錯乱している遥を、抱き締める千夏。それでも遥は落ち着かない。
「あんたはどれだけ俺を苦しめれば済むんだ!!やっと、また信じられる人ができたのに…千夏と俺が…兄妹だったなんて…」
「遥さんっ…」
お互いに抱き締める2人。
美和は顔をしかめて言った。
「違うのよ……千夏、遥」
「は…?」
「あなた達は兄妹じゃない。血の繋がりなんて一切ないわ」
美和はまっすぐな目で千夏達を見つめる。
「でも…お父さんが…」
「ええ、あの人が言ってる事は間違いではないわ。でも、一つだけあの人は知らなかった事がある」
「知らなかった事…?」
千夏が聞き返す。遥もやっと落ち着きを見せた。
「遥、あなたは私の本当の子供じゃないの」
「……は?」
美和の言葉が頭の中を駆け巡る。
千夏と遥は兄妹ではない。
美和は確かにそう言った。
「黙っていてごめんなさい。あなたは4歳の時に、本当のご両親を事故で亡くした。施設に預けられそうになったところを、私達が引き取ったの。そのあとに、光が産まれた」
「俺だけ…誰とも血のつながりがない…?」
「どうしても言えなかった。ごめんなさい…」
素直に頭を下げたあと、美和は続きをゆっくりと語りはじめる。
「そのあと私は恵介を愛してしまった。女手ひとつで遥と光を育てる事に疲れてしまった私は、あろうことか、家庭を捨て恵介との楽な生活を選んでしまった…。そこは否定しないわ。でも、あなた達を忘れた事なんて一度もない!」
美和は遥の肩を掴んで、必死に訴えた。
「私を一生恨んでもいい、だけどこれだけは信じて、遥!!
あなたは確かに血の繋がりはなかった。けど、父さんも光も私もあなたを愛してた!父さんが体を張ってあなたを助けた事が、その証拠!」
「言っただろ、俺はもう千夏しか信じない。今更あんたの事なんか信じようとも思わない。何が証拠だ。俺のせいで父さんが死んだ、そうやって一番俺を恨んでたのはあんただろ!」
──“あんたのせいで父さんは死んだのよ!!”
「ええ、一時は恨んだわ。でも、あとで後悔した。あんなことを言ってしまった私は、なんてひどい人なんだろうって…。私は母親失格……。家を出ていったのは、そんな罪悪感から逃げたかったのも理由の一つ」
美和の目にゆるぎはない。本気で言っているようだ。
「そんなの信じられるかよ…」
「信じて。私はもう、あなたを捨てた日から嘘はつかないと決めたの」
「……でも…」
いっぺんに、ショックな真実や驚愕な事実を突き付けられて遥は戸惑うばかり。
人を信じようとしても、脳より先に心がそれを拒む。信じると、また傷つくだけだ、と言っているかのように。
「遥さん」
混乱する中、千夏の優しい温もりを感じた。
「千夏…」
「信じてください。今のお母さんは嘘はつかない」
千夏が遥の手を握り締めると、彼のよどんだ負の感情はだんだん消えていく。
「こんなこと言うのもあれですけど、血の繋がりとか…私はそんなのどうでもいいです。遥さんと一緒にいられるなら…。
でも、遥さんはきっとお母さんのことを心から恨んでなんかいない。だったら、信じたくないなんて悲しい事言わないでください」
「千夏……」
千夏は美和に問う。
「お母さん、遥さんのこと大好きだよね」
「ええ…千夏と同じように大好きよ。私の大切な息子」
遥の表情がやらかいものとなる。「ごめん母さん…言い過ぎた…。俺を拾ってくれてありがと…」
「遥ッ…!!母さんもごめんなさい…!!」
美和は遥を抱き締めた。遥の瞳から涙がこぼれた。
「俺、行くわ」
親子の溝が埋まり、今まで離れていた分の母の愛情はぬくもりとして十分に得た。遥は満ち足りた笑顔でそう言った。
ゆっくりと立ち上がり、ずっと待っていてくれた刑事のもとへ向かう。
「刑事さん、俺は原千夏さんを拉致、二日間監禁し、ご両親に5000万の身代金を要求しました。逮捕してください」
「……浅井遥、拉致・監禁の容疑で逮捕する」
手錠をかけられ、遥はゆっくりと歩いていく。
「あ…遥さん!」
「…ん?」
優しい顔で振り返った。
「待ってますから…」
「うん、待ってて」
心配と寂しさで、千夏はとにかく不安そうな表情を浮かべている。
「原さんも、重要参考人及び、被害者として別の車で署にお越し願います」
「え…」
「あなたの証言次第で、彼の刑の重さがかわる事もあるんですよ」
「!」
刑事の優しい言葉の意味を理解すると、千夏は嬉しそうに笑った。
「私もご一緒致します。遥がこのような行動に出てしまったのは、私の原因でもありますので」
「母さん…千夏…」
「お願いします」
美和も同行を願い出た。
自分の犯した罪を少しでも軽くしようと、奮闘する母と千夏を見て遥の心は幸せに満ちた。
長い間服役することになったとしても、待っててくれる人達がいるとわかった今、どんなにつらい事でも頑張れる。
心からそう思った。
半分は人生を諦めた上で、復讐を計画した。でもこれは、神様がもう一度俺を立ち直らせるために必然的に作ってくれたチャンスだったのかもしれない──。
千夏と美和のおかげで、遥にくだされた実刑は異例の懲役1年。
つらい幼少期にたまったストレスが爆発し、精神状態が不安定だった。怒りと憎しみに支配され、冷静な判断ができなかったということで今回の罪は軽くなった。
それに加えて
「私は監禁されてたなんて思いません。彼は十分な食事を与えてくれ、はじめは柱に縛り付けていた鎖もすぐにはずして、自由にしてくれました。私が逃げようとしなかっただけです」
千夏のこの証言が、罪の軽減に大きく貢献したのだ。
監禁中の二日間に生まれた、犯人と被害者の素晴らしき愛──マスコミはそんな風に騒ぎ立て、遥と千夏のことを大きく取り上げた。
未成年である千夏の顔や名前は、もちろん出してはいない。20歳の遥も、彼の人権と今後の生活を尊重し、個人情報は完全にふせた上で、ドラマのような2人の愛をとりあげた。
世間では、信じる人と信じない人…また犯人に惚れるなどありえないと批判する者や、逆に素敵だと憧れる者もいた。国民の意見は、千差万別だった。
そして、一年後──。
美和は恵介と離婚した。もちろん、恵介の実刑は遥よりも重く、今も服役している。
「俺、出所したらちゃんと働いて前みたいに母さんにつらい思いはさせないから、恵介さんとは縁切ってほしい。千夏と母さんには悪いけど、俺の父親は父さんだけなんだ」
そう言って、少し申し訳なさそうに頭を下げた遥。
美和が「出所したら皆で一緒に暮らしましょう」と提案すると、彼はこんな条件を出したのだ。
当然だと美和は思う。美和も遥が帰ってくるまでに、離婚の手続きを済ませる予定だった。
「わかってるわよ。恵介とはちゃんと別れるつもりよ。第一、私だって光を殺した人と一緒にいたくないしね」
美和が笑うと、遥は「ありがと」と優しく微笑んだ。
* * *
「お母さん!今、何時!?」
「もうすぐで約束の時間よ」
「うぇえ!?やばいよぉ〜〜!!」
バタバタと走り回る千夏。
今日は遥が出所する日。
遥とは服役中も何度か面会した。それでも寂しかった千夏は、“出所したらすぐデート”なんていうお願いをした。
普通は出所したらまず、家族皆と団らんを楽しむものなのだが、千夏が「大好きなのに、初デートが1年もお預けされた私の気持ちも考えてよ〜!」と泣き喚いたおかげで、美和は承諾せざるを得なかった。
遥も嬉しそうに「いいよ」と笑って言ってくれた。
だというのに……
「うわ──ん!寝坊した──!!」
昨夜はワクワクしてなかなか眠れず、待ち合わせ時間の10分前に起きてしまった。
「待ち合わせ場所、どこ?」
「私達が二日間過ごしたあの倉庫!」
やっと準備ができた千夏を送ろうと、美和は車のキーを持った。
「千夏、行くよ」
「あ、ちょっと待って!」
千夏は大事な事を思い出し、リビングに戻る。
「行ってくるね、光ちゃん」
リビングにある棚には、美和と遥が持っていた光の写真が飾られている。
千夏が光にきちんと手を合わせているのを見て、美和の瞳が少し潤んだ。
「お母さん、行こっ」
「はいはい」
* * *
遥が倉庫に着くと、そこにはまだ誰もいなかった。
「千夏はまだか…」
適当な場所に腰をおろして、しばらく待つことにした。
この一年間、変わったことといえば自分の髪が伸びたことくらい。
1年は意外と短かった。
でも千夏は、寂しかったのかな…?
デートを懇願した千夏を思い出す。自分の事を相当想ってくれているんだと感じた。
「遥さん!!」
倉庫に響いた高い声。
誰だか一発でわかったが、体が反射的に振り返る。
「千夏っ…!」
駆け寄ってくると同時に、千夏は遥に抱きついた。
「おかえり、遥さん」
「ただいま、千夏」
抱き締め返し、頭を撫でると千夏は突然泣きだした。
「会いたかったです…っ!」
「あーはいはい、わかったから泣くなって」
涙を指で拭う遥は、突然言葉を失う。
千夏が大人に見えた。一年前、ここで抱き締めた時よりもずっと、“女”に近づいている。
やっぱり1年って…結構長いかもしんねぇ…。
「はる──…!」
気付くと遥は、千夏の唇を奪っていた──。