犯人と被害者〜2日間のLove Story〜

翌朝。
「んー…」
まだ少し重たいまぶたを開けた千夏。ふと右肩に重みを感じて見てみると、そこには遥の寝顔があった。
「おわ!?」
思わず叫んでしまい、慌てて口をふさぐ。

遥は千夏の隣で寝ていたのだが、時間が経つにつれ、千夏の方に体が傾き、結局もたれる状態になってしまったようだ。
「……重い…」
起こすのは心苦しいが、重い。
仕方なしに、千夏は遥の体を揺すった。
「遥さん、起きてくださいっ」
そう呼び掛けながら顔を覗き込んだ瞬間、千夏の動きが止まった。

「遥…さん…?」
遥は泣いていた。閉じている瞳から、一筋の涙が流れている。
「父さっ…ごめ…」
うなされているのか、うわごとを言いだす。
「ぉれの…せ…で…」
“俺のせい”?
何の事かさっぱりわからないが、とりあえず状況から見て夢でうなされていることは確かだ。
起こしてあげるべきか…。
「どうしよ…」

千夏が迷っていると、遥が自分で起きた。
「夢か……」
つぶやきながら頭を抱えるところを見ると、やはりうなされていたようだ。
だが……

“俺のせい”

うわごとにしては何か意味があるような気がして、千夏は複雑そうな表情を浮かべた。

「あ、千夏起きてたのか」
「へ!? あ、はい…」
「俺、トイレ行ってくる」
部屋を出ていく遥。千夏は彼の背中を黙って見つめた。

遥さんは…何か隠してる。
“私”を拉致したのは、身代金とは別の目的があったから…?
遥はトイレから戻ると、鎖をはずした。
「お前もトイレ行くだろ?」
「えと…行かないです」
「そっか」
再び鎖をつけようとしたが、遥は手を止めた。
“逃げない”
逃げる気のない人間を縛り付けている必要なんてない。でも、もしこれで逃げたら…?

「……」
遥は立ち上がる。
「あれ?鎖つけないんですか…?」
不思議そうに聞く千夏。
「ずっと縛られてんのも嫌だろ」
「まぁ、そうですけど…。いいんですか?」
遥は千夏の目を見る。
「逃げないって言ったじゃねーか」
そう言って笑うと、千夏は嬉しそうに微笑んだ。
「はい!!」

俺はこいつを信じてみる。
もう誰かを疑いながら生きたくないんだ。
千夏だけは…信じても大丈夫。

ぐぅぅ〜〜…
昨日の夜と同様、千夏の腹が盛大な音を奏でた。
「あ、あはは…」
「腹減ってんだな…」
苦笑する千夏と遥。
だが、遥が所持していた唯一の食べ物は、昨日千夏が全部食べてしまっている。

「大丈夫です!!私、頑張って我慢します!!」
頬を赤く染めながら慌てて宣言する千夏。だが、昨日の彼女を見ていれば我慢などできない事ぐらいわかる。
「コンビニで何か買ってくるよ」
大方、警察はまだ犯人の目星はついていないはず。少しなら外に出ても大丈夫だろう。

ゆっくりと立ち上がると、千夏に呼び止められた。
「遥さん」
「あ?」
「ここで待ってますね」
歯を出して笑う千夏。遥も笑顔で頷いた。
「ああ」
朝早いこともあってか、コンビニには店員と遥しかいなかった。
一応のために帽子を深くかぶる。
顔を見られて、あとで警察の聞き込みなどで証言されたら厄介だ。

適当におにぎりやサンドイッチなどをかごに放り込む。
千夏をいつまで監禁するか決めてはいないが、もう少し一緒にいたいと思っている。
2日分ぐらいの食べ物を買う。ついでに千夏が好きそうな甘いお菓子も。

「ありがとうございましたー」
コンビニを出る。
千夏が待っている倉庫に向かう。
千夏が喜ぶ顔を想像すると、自然と小走りになった。

 *   *   *

コンビニの店員は、携帯電話でとある人物に電話をかけた。
「もしもし、原先生ですか?」
<ああ、俺だ>
電話の相手はなんと、千夏の父親だった。
「見つけました、月の形のネックレスをつけた男」
<本当か?>
「間違いありません。女物のネックレスでした」
<そうか…わかった>
「あの…それで…」
<ああ、心配しなくても約束通り金は渡す>
父の言葉を聞くと店員は電話を切る。あやしい笑みを浮かべた彼は、父親が教師として勤めている大学の生徒だった。


「くそ!!」
電話を受けた千夏の父は、携帯電話をベッドに叩きつけた。
「やはり浅井遥か……」
もしかすると今回千夏が連れ去られたのは、以前自分が犯した罪に関係しているのではないかという彼の推測は、先程の電話で裏付けられた。
 *   *   *

「ただいま」
「遥さん!おかえりなさ〜い!」
倉庫に戻ってきた遥を千夏が笑顔で迎える。
ホッとした。千夏の笑顔に…そしてちゃんとここで待っていてくれたことに…。

信じてよかったと思う。逃げるチャンスなんていくらでもあったはずなのに、それでも約束を守ってここにいてくれた。

「ほら、朝飯」
コンビニの袋を渡す。中を覗いたあと、千夏はあのあどけない笑顔で喜んだ。
「こんなに食べていいんですか!?」
「バカ、明日の分も入ってるんだよ。全部食うなよ」
「明日…?」
“明日”という言葉に、千夏は反応した。
「千夏?」
「明日も…まだ…」
つぶやく千夏。彼女から笑顔が消える。

遥はそれを見るなり、言葉を失った。
そうだ、いくら自分が千夏と一緒にいたいと思っても、彼女からすると遥は自分を拉致したただの犯人。そんな相手と一秒でも長く、ましてや1日中一緒にいたいわけがない。

「ごめん…」
「え?」
千夏が顔を上げると、そこにあったのは遥のつらそうな笑顔。
「そうだよな、明日も犯罪者と一緒にいたくなんかないよな」
「えっ…」
「冗談だよ、全部今日の分。今日の夜あたりには、お前の両親も金は用意できてるだろ」
俯く千夏の頭を撫でる。
「今までよく頑張ったな。今日でさよならだ、もう少し我慢してくれ」

頭の上に乗せられた手を、千夏は強く握り締めた。
「やだ…」
「千夏…?」
顔を上げた千夏は大粒の涙を流していた。
「ちな…つ…?」
初めて見た千夏の涙に、動揺を隠せない遥。この昨日も、一度も泣かなかったというのに…。

「嫌です…“さよなら”なんて言わないでください…」
ぎゅうっと抱きついてきた千夏。
突然のことに遥は戸惑うばかり。
「私、遥さんと一緒にいたくないなんて思ったことありません…。確かにはじめは少し怖くて早く家に帰りたかった…。でも、遥さんが本当は優しい人だってわかってからは…一緒にいるのが楽しくて…。遥さんは私をさらった人だけど、すごく優しくて…ずっと一緒にいたいって思うようになりました」
涙でうまく喋れないのか、しどろもどろで言葉を繋ぐ。

「でも…遥さんがいつか捕まっちゃうのはわかってるから、今日逮捕されなくても明日逮捕されるかもしれない。明日大丈夫でもその明日はわかんない…。
いつ遥さんと離れちゃうのかわかんないから…明日も一緒にいられるのかわかんないから……すごく不安で…」

そこまで聞いたところで、遥は千夏を抱き締めた。千夏がまだ何か言おうとしていたが、そんな事気にも留めず、強く抱き締める。
遥の温もりに包まれ、千夏の涙はさらに溢れた。

「千夏…!!」
彼女も自分と同じだった。
父がいなくなったあの日以来、自分なんていなければいいと思っていた。だが彼女は…千夏は必要としてくれた…。
俺を…

“浅井遥”を──。
時が止まればいいと思った。そうすれば遥とずっと一緒にいられるのに、と千夏は本気で考える。

もっと違う出会い方をしていれば、お互いもっと楽しく過ごしていたのかもしれない。
ずっと一緒にいたいよ、遥さん……。


「落ち着いたか?」
「……はい…」
やっと涙が止まり、嗚咽もおさまった。

「ありがと、千夏…。俺、すげー救われた」
「私もそうです。遥さんのおかげで、お母さん達の気持ちがわかりました」
思わぬ返事に、遥は驚いた様子で千夏を見つめる。
「私、父が有名な大学の先生で結構裕福な生活をしてたんです。でも、そのせいで“原家を汚すような行動は慎め”って、無理矢理いろんな教育を受けさせられた…。ずっと思ってた、お母さんもお父さんも、私を原家にふさわしい子供に育てたいだけ。愛情なんて持ってないって」
「千夏…」

「でも遥さんが私を拉致して、身代金要求の電話をかけた時、遠くにいても心配する母達の声が聞こえました。私、愛されてたってわかってすごく嬉しかったんです」
「遥さんのおかげです…」と、遥を抱きしめる腕の力を強める。
だからあんなにヘラヘラしてたのか…。

「遥さん」
「ん?」
「遥さん、“私”を拉致した本当の目的はお金なんかじゃないですよね…?」
「!!」
千夏は顔を上げ、真剣な眼差しで遥を見据えた。
「話してください。遥さんの本当の目的と、抱えているつらい出来事…」
「……わかった」
「父は、俺が小6の時に死んだ。俺が殺したんだ…」
「……うん」
千夏を強く抱き締める遥。その腕が震えている事に、千夏は気付いていた。


浅井遥は小6の時、心に傷を負った。
“父親の死”という大きな傷を。
大好きだった父は、自分のせいで死んでしまった。

「最低…あんたは私達から父さんを奪ったのよ!!」

実の母から浴びせられたのは慰めの言葉ではなく、非難の言葉だった。
わかってる。俺は皆から父さんを奪ったんだ。
当時7歳だった妹、光からも。

「ごめん、光…。俺が父さんを殺したんだ…」
「違う…お兄ちゃんのせいじゃないよ…」
光はいつだって俺のそばにいてくれた。母に完全に見放された俺の心のよりどころは、光の存在だけだった。

俺が中2に上がって何日か経ったある日、母は光に言った。
「すぐ帰ってくるから。待っててね」
9歳の光の頭を撫でてから、母は家を出た。

「お兄ちゃん…母さんが帰って来ないよぅ…」
泣きながら光は俺に抱きつく。

それから一度も、母が俺達の前に現れることはなかった。

俺達は捨てられたんだ…。いや、母は俺のせいで出ていった。
俺は光から、父さんだけじゃなく母さんまで奪ったんだ。


そこまで話したところで、遥の声が震えはじめる。
「それ、で……近所の親切なおばさんにひきとられて…」
何も言わず、千夏は遥の手を握り締めた。

「それから、しばらくして……光が…死んだんだ…」
光は交通事故に遭って死んだ。
学校から帰る途中に、信号を無視して飛び込んできた自動車にひかれた。しかもその自動車は、光をひいたことに気付いていながらも、そのまま逃げたのだ。
ひかれたあとも光は生きていたのに、すぐに適切な処置を受けられなかったために息を引き取った。

俺が急いで駆け付けた時には、光はすでに還らぬ人。
「光!!嘘だろ…目ェ開けろよ、光ッ!!!」
“ありがとう”も“ごめんな”も言ってない。ずっと支えてくれた光に、俺は何も恩返しをしてやれなかった。
悔しくて涙が止まらない。
それと同時に、寂しさが俺の心を支配した。

唯一、俺を必要としてくれた光はいなくなった。
もう、誰も俺のそばにいてくれない──…。


「何で…お前が泣くんだよ」
「だって…」
千夏は涙を流す。
「千夏が泣いたら、俺…泣けねーじゃん」
「ごめ…なさ、いっ…」
遥は、千夏を落ち着かせようと背中をさする。

最悪。遥さんの方がずっとつらいのに…私の悩みなんてずっと小さいのに…
「ごめんなさい…遥さんっ…」
そっと千夏の涙を指で拭う。
「泣くな、千夏。俺はもう平気だ」
「でもっ…」
遥は首にかけていたネックレスをはずし、千夏の首につけた。
「…?」
「親が光にあげた唯一のプレゼント。光は肌身離さずつけていた。これからは千夏に持っていてほしい」
月がモチーフとなっている素敵なネックレス。そんな物を受け取るのは気が引けるが、「もらってほしい」と遥に言われた。
「ありがとうございます…」
涙ながらに笑みを浮かべる千夏。

そんな彼女を抱き締めていた遥は、顔を歪ませながら口を開いた。
「ネックレスは光の形見。そして、今俺達がいるこの倉庫を出てすぐの交差点で、光は死んだ」
「!?」
遥の言葉に千夏は驚く。遥は一度千夏を離すと、彼女の瞳を見据えた。

「さっき話した俺の過去は、俺がお前をさらった本当の目的と関係している。お前にはもう隠したくない、最後まで聞いてくれ」
肩を掴んで必死に訴えかけてきた遥を見つめる。
私を信じてくれてる…。
遥の全てを受け入れると決めた千夏は、意を決して頷いた。

 *   *   *

「まだかかってきませんか?犯人からの電話」
警部が、すっかりやつれた千夏の母親に問う。「ええ…」と力ない声で母は答える。

「警部!」
そこへ、部下の一人が慌てた様子でやってきた。
「これが、旦那さんの部屋に…」
一枚のメモを渡す。
[千夏の居場所がわかりました。今から5000万を持ってそこへ行ってきます 父]