「…そんなんじゃねぇよ。ただ…ただ、誰かが欠けるのが嫌だっただけだ。」
仲間だから。
でも、それは口にしなかった。
さすがに、んなこと何度も言うのはこっ恥ずかしい。
空に浮かぶ月は、まるでボートのような形をしていて、銀色に輝き俺たちを照らす。
蒸し暑さの中で、
それでもゆるゆると吹く風には秋の香りが混じっていた。
俺は夜空を仰いで呟いた。
「香住サン、
部屋の大掃除なんて言ってたけど、引っ越すから…だから整理してたんだな。」
そういえば、執筆の資料だというAVを全て処分していた。
……もう、ずっと…覚悟を決めてたのか。
「離れるってだけで、何も変わんねぇよ。
会おうと思えば、いつでも会える。」
壱はそう言って、ギターを鳴らした。
一つ、ふわりと音が夜空へ舞う。
「…そういえば、曲が出来たって言ってたよな?」
「え?あぁ。」
「聞かせてくれよ。」
壱は、一度俯くとポツリと零した。
「…俺、言っとくけど音痴だからな。…笑うなよ。」
居心地の悪そうな壱の言い方が可笑しくて、俺は思わず頬を緩める。
…ホント、変な奴だよなぁ。
この見るからに好青年な男が、最近ときどき可愛く思えてしまう俺は、どうかしてんのかな。
壱の指先がしなやかに動いて、音がメロディーとなって溢れていく。
それは力強い、明るいロックだった。
お世辞にも上手いとは言えない歌声だったけど、不思議と気にならなかった。
歌詞は王道青春ソングって感じ?
何となく学園ドラマなんかの主題歌っポイ。
弾けるような、走りだしたくなるようなメロディーが心地よかった。
でも。
俺は、サビの部分で眉を寄せた。
演奏を終えた壱に、問いかける。
「…何だよ、サビの歌詞。」
俺の言いたいことを理解したのか、壱は真っすぐに俺を見据えた。
「俺に…唄えるわけねぇだろ。」
サビの歌詞は、
母親に対する寂しさ、怒り、感謝を綴ったもの。
全体的に思春期の思いをぶつけたような歌詞、その中でサビには母親への気持ちが描かれている。
「実は、サビの部分だけ歌詞を書き換えたんだ。」
「ッ何で、そんなことっ!」
「千早…本当は、母親を憎んでなんかいないんだろ?
本当は、自分の方を向いてほしかった。
うんざりした日もあったかもしれねぇけど、娘として母親の心配もしてたはずだ。」
「…………。」
「3年前、カラオケボックスで千早は釣りも受け取らず、実際の金額の倍以上を払っていった。
母親にせびってって、千早は言ってたけど…それを口実に会いにいけるからだろ?」
「…………。」
「憎んでも憎んでも、憎みきれなかった。それは、どんなに断ち切ろうとしても、やっぱり親子だから。
大嫌いだと思っても心配で。
振り向いてもらえなくても、会いたくて――。」
「……だとしても!俺には…。」
頭を抱えて踞る俺に、そっと壱は触れた。
「この曲のタイトル、『空に唄えば』っていうんだ。」
しなやかにギターを奏でていた指先は、梳くように俺の髪を撫でた。
「母親に届くように唄え、なんて言わない。
真っ青な空に向かってさ、叫ぶように唄えばいい。」
俺は、壱を見上げた。
少年のようにキラキラとした瞳が、俺に向けられている。
「千早が折れそうになったら、何度でも支えてやる。
俺がずっと、千早を見てる。」
「……壱、バカだろ?」
「ん?」
「何で…そこまでするんだよ…。」
コイツは、何でこうなんだろう。
俺が辛い時、苦しい時。
いつもなぜかそこにいて、不器用な言葉を置いていく。
俺が背負った荷物を減らそうとして、テメェのことみたいに足掻く。
バカじゃねぇの…。
「千早が好きだから。」
「…俺は何の返事もしてない。」
そこで、壱はクスリと笑った。
「確かにな。まぁ、長期戦でいくよ。
せっかく再会できたんだし、初恋だし?」
「…童貞だし?」
口を挟めば、顎をグイッと持ち上げられた。
「オイ、こら。俺は童貞じゃねぇ!」
タイミングばっちりのツッコミにクスクスと笑う。
それに壱も笑みを零して、二人して笑い合った。
「千早は、砂漠に咲く花みたいだ。」
「?」
「青空が、よく似合う。」
そう言って、クシャッと素直すぎる笑顔を見せた壱に、
俺は目が離せなくなった。
バチリと目が合って、咄嗟に逸らす。
壱は不思議そうに俺の顔を覗き込む。
……バカヤロー。
「千早?」
カァッと顔が熱くなる。
自分の心の奥深くにあるものに、
気づいてしまいそうになって慌てて蓋をした。
「…いやぁ〜俺って随分愛されてんなぁ、とか思って。」
誤魔化そうとして言うと壱は、
「調子に乗んなよ!」
と言って俺の鼻を摘んだ。
「…何しやがる。」
「ん〜愛情表現?」
…コイツ、大丈夫か?
どっかネジ取れてんのか?
何だ、その冗談か口説き文句か分かんねぇ発言は!?
ついでに、俺の心臓も反応してんじゃねぇっ!!
得意気に微笑む壱に、
動揺する俺。
……心の奥深く、まだ認めたくない気持ち。
もう少しだけ、
このゆるい関係を続けていたい。
――…唄うよ、俺は。
“ 空 に 向 か っ て ”――……
*咲き誇れ、叫ぶように*
― by 千早 ―
俺たちの日々は、
緩やかに流れていた。
俺と壱はライブハウスでのライブ準備に追われる。
PR活動に、壱とコウさんの知り合いからバンドメンバーを集めて、
もちろん曲の練習も。
その間も、梓月は劇団の舞台に立ち、リョウはホストクラブで働いていた。
それぞれの夢を追いかけながら、
ときどき笑い合い、ときどきケンカして。
そして、そんな中でも香住サンは淡々と引っ越しの準備をしていた。
でも、もう誰も止めはしない。
俺たちはもう子供じゃなくて。
テメェの人生、テメェで切り開いてかなくちゃならない。
香住サンの人生は、
香住サンだけのもんだから。
寂しいなんて、そんなことはもう止めだ。
背中を押して、
笑って笑って送り出してやりたい。
そう、思えるようになった。
ギターの音。
ベースの音。
ドラムの音。
キーボードの音。
様々な音色が交錯していた。
ステージ上で、俺は胡坐をかいて白い光を纏っていた。
小さな小さなライブハウスの、小さな小さな晴れ舞台。
目を閉じていると、肩をポンと叩かれた。
振り向くと、ギターを抱えた壱が不思議そうに俺を見下ろしている。
黒い髪が光を浴びて艶々と輝いていた。
「どうした?」
「いや…照明って意外と暑いんだなと思って。」
天井を仰いで呟くと、壱は目を細めて笑った。
「皆、来るってさ。」
「…そうか。」
照れ臭そうに笑えば、俺の頭をクシャクシャと壱が撫で回す。
それがまた、照れ臭い。