香住サンは、真剣な眼差しで俺を見つめる。
「『この唇が、俺を惑わす。』」
俺の唇に触れる、綺麗な指先。
「『抑えられない欲望に支配されていく。
君の可憐な瞳が揺れていた。』」
「か、香住サン…?」
文章を…起こしてんのか?
香住サンの指先が、唇から首筋へと下がっていく。
「『その瞳でさえ、俺を煽る道具に過ぎない。』」
指先が、俺の鎖骨に触れた。
ドクン、と心臓が鳴る。
次の瞬間、もう一方の手が俺の腕を引いて――俺は、香住サンに抱きしめられていた。
「『無理やり抱き寄せて、小さな肩に顔を埋めた。
夢に見続けた君の匂いに眩暈がする。』」
「ッ!か、香住サンっ!も、もういいから!!」
「『そして、俺は口にした。』」
「え?」
香住サンは、俺の耳に顔を寄せた。
「『…イケナイ事してみませんか?』」
なっ!!なっ!!!
俺の思考回路は完璧に崩壊した。
何も、考えられない。
パニックになりすぎて言葉が見つからない。
「『戸惑う君に、もう一度囁いた。』」
「ッ!」
「『…アイシテル。』」
俺は目を見開く。
抱きしめられた腕の力が弱まった。
けれど、俺は息つく間もなく、ベッドに押し倒されていた。
部屋は静寂に包まれている、
耳に響くのは自分の大音量の鼓動。
香住サンの手が、
俺の頬に触れて、
そのまま綺麗な顔が近づいてくる。
――ギシッと、ベッドが鳴った。
キスされるっ!!
そう思って、僅かばかりの抵抗で顔を背ける。
きつく、目を閉じた。
…………。
………………。
フッと、香住サンが笑う。
恐る恐る瞼を開けると、
香住サンは今まさに寸止めという距離の所にいる。
整った顔から漏れる、切なげな笑み。
香住サンは俺から離れると、
「官能小説というよりは恋愛小説みたいでしたね。」
と言って笑った。
頬にはまだ、香住サンが触れていた熱が残る。
王子様の微笑を浮かべて、香住サンは俺に手を差し出す。
未だにドクドクと速い鼓動で動く心臓を抱えたまま、俺は乱暴にその手を掴んで起き上がった。
何だか手のひらで転がされた気がする……。
香住サンはやっぱり要注意、
危険人物だ――…。
*腐ったアダルトビデオ*
― by 壱 ―
電気をつけるのも忘れていた。
気づけば、外は雨が降っている。
曲作りは、順調といえば順調に進んだ。
だが、どうしても「これだ!」という一曲は出来ず…。
追い込んで、追い込んで、
やっとの思いで完成させた一曲に思わず笑みを零す。
この曲は、ギターを弾く俺の隣で歌う千早をイメージしたものだ。
凛としていて、強く逞しい、
そんな千早の歌。
期待と不安が入り混じる。
千早は、どんな顔をするだろう――。
雨が流れるステンドグラスの横を通り過ぎて、俺は階段を降りた。
リビングには梓月とリョウ。
そして、千早がコーヒーを啜っている。
俺はテーブルを挟んで、千早の前に座った。
「サンドイッチ美味かったよ。」
千早は顔を上げた。
「…別に。」
「ありがとう。」
照れ臭そうに、千早は目を伏せる。
俺は頬が緩んでしまいそうになるのを堪えて、千早を見つめていた。
何となく、久しぶりにリビングへ来た気がする。
ずっと部屋に閉じこもっていたせいだろう。
テレビの音や、梓月とリョウが言い争う声。
ごく当たり前のものを懐かしく感じた。
「千早。」
「…何だよ?」
曲が出来たんだ、
そう言おうとした時だった。
ガッシャン!と大きな音が響いた。
振り向けば階段の途中に香住がいて、下にはいくつものビデオテープが転がっていた。
底の抜けたダンボールを持ったまま苦笑する香住。
……どうやら落としたようだ。
「びっくりしたぁーー。」
ホッと胸を撫で下ろすリョウ。
「すみません。」
「…まだ片付け終わってなかったのかよ?」
千早の問いに、
「これが最後です。」
と、香住は答えた。
とりあえず、転がったビデオテープを拾って手伝う。
今どきビデオテープ?、とどうでもいい事を思っていると梓月が声を上げた。
「えぇーー!!」
全員の視線が梓月に集中する。
騒がしい奴だな……。
「香住!コレ!『堕天使』って!!」
梓月は興奮気味に、ビデオテープに貼ってあるラベルを読み上げた。
「え?あぁ。AVですよ。」
……おい、笑顔で言うなよ。
俺の中で、香住はやっぱり変態だという答えが導きだされる。
「これ!…だって…えぇー!!」
梓月はテンション高く、それは感動しているようにさえ見えた。
「何なのー?」
と、リョウが口にした。
「お前、知らねぇのかよ!AV女優・渚(なぎさ)の『堕天使』シリーズっつったら超レア物だぜ!」
「ナギサ?誰?」
素直にリョウが聞けば、梓月は大きな溜め息。
苦笑いを浮かべながら、代わりに香住が答えた。
「20年くらい前に活躍していたAV女優ですよ。
『堕天使』シリーズは彼女の代表作で、AVとしては考えられないヒットを記録したんです。当時は社会現象になるほどだったようで…。」
「今だって活躍してるっつの!」
食い気味にツッコむ梓月。
話を聞いていたリョウは少し考える仕草をしてから言った。
「でも20年前ってことは、今はもうオバサンでしょ?」
「テメッ!」
「あーそっか!梓月は熟女好きだから、今のほうがそそられ――!!」
ゴンッ!とリョウの頭を梓月が殴る。
「うわぁ〜ん!梓月が殴ったぁ〜!!」
そんなことはお構いなしに梓月は口を開く。
「これ捨てんのかよ?勿体ねぇなぁ〜。」
「そんなに気に入ったんですか?」
「……な、なぁ!これ、捨てる前に見てもいいか?」
……梓月、お前どんだけ執着心あんだよ。