ボクがホストの仕事を終えて帰ってくる頃、
みんなは起きてカスミが作った朝食を食べていたりする。
「ただいま〜。」
「おかえりなさい。」
ニコッと、朝から優しい笑顔で迎えてくれるカスミ。
きっと女の子なら、いい奥さんになるヨ!
料理上手だし、癒し系だしね!
ボクは基本的に朝食は食べない。
昼夜逆転した生活だし、
何より仕事の疲労で、そのままソファーに身体を投げ出す。
クッションに顔を埋めて目を閉じた。
着替えなきゃ。
シャワーを浴びて、それから寝ようかな、なんて思っている時にボクは気づく。
リビングには全員揃ってる。
なのに、嫌に静かだった。
いつもなら梓月の騒がしい声が聞こえるのに。
ボクは瞼を開けて、テーブルを囲んでいるみんなの様子を窺ってみた。
それぞれが立てる食器の擦れ合う音、
テレビのニュース番組から女性アナウンサーの明るい声、
でも、みんなは不自然なほどに押し黙っていた。
梓月にいたっては終始俯いてるし…。
何となく漂うギクシャクとした空気。
――まぁ、無理もないか。
みんなが気にしてるのは、昨日の梓月の爆弾告白。
あの後、すぐに仕事に行ったボクは、みんながどんな一夜を過ごしたのかは知らない。
でも、この調子だと気まずい夜であったのは間違いないだろう――(笑)。
ボクは今さら驚かなかったけどネ。
梓月の、千早に対する態度は分かりやすくて。
あぁ、やっぱりかってカンジ?
梓月が千早を好きになるのも無理ないと思うんだ。
確かに男にしとくのは勿体ないくらい千早は可愛いし、中性的な魅力っていうのかなぁ。
…――千早はどう思ってるんだろう。
ていうか、イッチーはこのままでいいのかなぁ?
カスミは?
「台風が接近してるんですね。」
沈黙の中で、カスミが呟いた。
丁度、テレビの天気予報で、それを伝えている。
窓の向こうに広がる空は、どんよりと重く曇っていた。
「壱も、千早くんも、今日はこれからアルバイトですか?」
カスミの問いに二人は「あぁ。」、と揃って答える。
「梓月は?」
「…今日も公演。」
「リョウは?」
「ボクは休みだよ。」
「そうですか。
実は出版社で打ち合わせがあるんです。遅くなると思いますから、夕食はそれぞれにお願いしますね。」
「は〜い♪」
返事をしたのは、ボクだけ。
相変わらず可笑しな空気が流れていて、何だかツマラナイ。
ボクは諦めてシャワーへと向かった。
あーぁ、何かやんなっちゃうな。
ベッドの中で、目を閉じて雨音を聞く。
広い家の中は静けさに包まれていて、
それはボクしかいないせいだ、とぼんやりと思った。
こういう日は、自分だけが閉じ込められたような感覚になる。
この家の中に。
雨によって、外の世界と遮断されたような。
少しずつ眠気が襲ってきて、ボクはゆっくりと意識を手放した――。
テキトーに昼食をとって、また眠ったり起きたりを繰り返す。
時間が経つごとに、雨脚は強さを増していった。
昼間だというのに暗い家の中、薄っぺらい光と際立つ影。
テレビの明かりだけがバカみたいに明るくて異様だった。
ソファーに寝転がって、気ままに過ごす午後。
外は風も強くなってきたようで、木々の揺れる音がざわざわと鳴る。
みんなが帰ってくる頃は大変だな…。
そんな事を思いながら、
また、眠くなってきて――。
何となく、雨の日は不安な気持ちになる。
大きな家に一人ぼっちだから、孤独をすぐ隣に感じるのかな…。
ボクは身体を小さく丸めた。
眠るときの、ボクの癖だ。
雨音に耳を傾けて、瞳を閉じた――。
――瞼を開けると、影に包まれていたリビングには電気がついていた。
雨音も、風の音も、酷くなっている。
白い天井を見上げたまま、しばらく外の音を聞いていたが、突然鳴り響いた雷に慌てて身を起こした。
すると、気づかなかったけど、ボクの身体にブランケットがかけられていた。
誰かが帰ってきたのだろうか。
空に目を向けると、外はもう暗くなっている。
どしゃ降りの雨、
ゴウゴウと鳴る風。
雷鳴。
男らしくないって言われると何も言えなくなっちゃうけど、ボクは雷が苦手だ。
身を裂くような、あの音を聞くとドキリとする。
ボクは肩を竦めた。
叩きつけるみたいに降る雨は、滝のように窓ガラスを伝い流れる。
闇に埋もれた空がパァッと光る。――それが、合図だった。
今日一番の雷鳴が響き渡る。
まるで、地を割るような。
ボクは思わず踞った。
「ギャァァーーー!!!!」
自分でも驚く程の声が喉から飛び出した瞬間、辺りは真っ暗になった。
「――ッ!!」
どしゃ降りの雨、光る空。
頭のどこかで停電だろうと思ったけど、今のボクに冷静さはない。
不気味にまとわりつく闇に侵食されていく気がした。
「……だれかぁ…。」
その時、足音がした。
するり、するりと。
少しずつ近づいてくる。
一瞬、ユーレイの類かもしれない、と本気で思った。
そのくらい、ボクは切羽詰まっていた。
暗闇に慣れない視界に、ぼうっと浮かび上がった影。
「……リョウ、か?」
その声に、ボクは涙が出るほど安心した。
「ッ千早…?」
「…停電だよな?俺、風呂入ってたんだけどさ、すげぇ悲鳴が聞こえたから慌てて――。」
「ボク、雷…ダメなんだ。」
「…そうか。まぁ、そのうち電気もつくだろ。俺、着替えて――…。」
その時だった――。
再び、響き渡った雷鳴。
鳥肌が立って、心臓が跳ねる。
恐怖は、もう限界だった。
「千早ぁーー!!」
「ッ!―――!!!」
ボクは、堪らずギュッと目を閉じて千早に抱きつく。
千早は、その拍子で倒れこんだ――次の瞬間、電気がついた。
ふにっ。
………ふに?何だ、コレ?柔らかい感触が頬にあたる。
瞼を開ける。
明るいリビングの光景。
起き上がって、初めて気づく。
ボクは千早を押し倒して、さらにその上で馬乗りになっていた。
「――!!」
瞳を見開いた、ボクは声一つ出せない。
そして、千早もまた、瞳を見開いて絶句していた。
ボクが見下ろす千早は、バスタオル一枚を纏う。
細い肩、きめ細やかな白い肌――ボクがさっき、顔を埋めていたらしい胸。
それは膨らみがあって、バスタオルから覗く谷間があって……。
「千、早……?」
真っ白になった頭は、うまく動いてくれない。
ただ、お互いに瞳を逸らせないまま停止していた。
どれくらいの間、そうしていただろう。
ハッとしたように千早は我に返って、ボクを勢い良く殴り飛ばした。
頬が熱く、今まで味わったことのない痛みが広がっていく。
でも、そんな痛みなんて、どこかが麻痺しているのか気にならなかった。
千早は、絶望したような表情でボクを見据える。
「…女…の子……?」
やっと絞りだした声は、微かに震えていた。
バスタオル一枚を巻いた千早は――どう見たって、女の子だった。
その時、バサリと千早にかけられたずぶ濡れのジャケット。
見上げると、イッチーが立っていた。
ポタリ、ポタリと髪から落ちる雫。
ジャケットと同じ、ずぶ濡れのイッチーが立っていた。
いつの間にイッチーが帰ってきて、リビングへ入ってきたのかも分からない。
ボクの頭は、やっぱりうまく動いてくれない。
俯く千早と、真剣な眼差しでボクを見つめるイッチーを交互に見比べた。
微かに、イッチーの瞳が揺れている気がした。