急がねぇと……。
そう思いながらも、
俺はポケットから財布を取り出して、もうすっかり汚くなってしまった一枚の写真を手にした。
勢いだけで強盗なんかやろうとしてんだ。
少しでも冷静になっておきたい。
写真には、
詰め襟の学ランを上まできっちり留めて黒ぶちメガネの、クソダッセぇ15歳の俺………と、その隣のセーラー服の少女。
水沢詩織……。
彼女は、今頃どうしているだろう。
女神のように美しかったクラスのマドンナ。
きっと、幸せなんだろうな。
もう結婚だってしてるかもしれない。
………俺なんかとは、正反対の人生なんだろう。
あーぁ、ダッセぇ。
俺は自嘲ぎみに笑う。
中学の卒業式の、たった一枚の写真を未だに持ち歩いてるなんて、マジで救いようがねぇ。
初恋の女を11年経った今でも忘れられねぇ、とか…………そりゃ、付き合う女も愛想尽かして当然だ。
自分の腐った人生を脳内で再生して、バカらしくなる。
あー、パチンコやりてぇ……。
……この状況でも、そんな事思う俺って…。
やっぱ、クズか。
俺は、車から降りて周囲を見渡す。
真っ暗な、人通りのない道。
包丁と、ボストンバック。
こういう事は、意外と軽いノリの方がいいのかもしれない。
計画を練りに練ったって、どうせ失敗する奴は失敗する。
店員に包丁を突きつけて、金を出せ。
ボストンバックにレジの金を入れさせて、後は車まで走ればいい。
簡単な事じゃないか。
一通りのシミュレーションを頭に描いて、車のドアを閉めた。
俺なんか一生乗ることもなかったはずの、
高級車のドアを。
『エース・マート』の表通りに出ても、人の姿はない。
車も、一台も通らない。
俺は俯いて歩きながら、横目でちらりと『One』の従業員専用駐車場を見た。
誰もいない。
停まっている車の台数も、さっきと変わっていないように思えた。
大丈夫だ、
そう言い聞かせながらも、今頃になって心臓がドクドクと五月蝿い。
ここまで来て……ビビって逃げるなんて冗談じゃねぇ!
それじゃ、今までの俺と一緒じゃねぇか!
ゆっくりと歩きながら、窓ガラス越しに『エース・マート』の店内を見る。
客はいないようだ……。
店員も、ここからは見えない。
………大丈夫だ。
金を奪って、逃げるだけ。
俺は、もう小心者じゃねぇ。
昔みたいに、ダサくもねぇ。
きっと、
強盗なんかやってのけたら、俺は生まれ変わる。
勢いから始まった事だ。
勢いでやっちまえばいい。
………行くぞ……。
俺は、その勢いに任せて、『エース・マート』のドアを開けた。
…2009年10月14日(水)
午前2時41分、『エース・マート』…
店の中に入ったところまではよかった。
客は誰もいねぇし………けど、店員の姿もねぇ……。
バックルームにいるとか?
客来たら、とっとと出て来いよ……って、俺、客じゃなくて強盗か…。
夜の闇に包まれた真っ暗な外と対照的に、バカらしいほど明るい店内。
……まさか、店員呼ぶのか?
……俺、強盗だぞ…。
何か、それ……ダサすぎね?
でも、迷ってるヒマはない。
仕方なく、俺は声を上げた。
「…あのー!」
レジのカウンターの奥……多分、バックルームから足音がして、若い女の声が響く。
「いらっしゃいませー!」
俺は俯いた。
キャップとマスクで顔を隠していても、細心の注意を払うべきだ。
レジの前に突っ立っている俺に、店員は言った。
「いらっしゃいませ。」
………このタイミングしかねぇよな。
俺は、ボストンバックから包丁を取り出した。
「金を出せ。」
レジのカウンターを挟んで、店員に包丁を突きつける。
「これに、レジの金を入れろ。」
あれ?意外とよくね?
俺、強盗っぽいじゃん!
ボストンバックをカウンターに置いて、
俺は店員のリアクションを待った。
…………。
………………。
店員のリアクションを待った。
………待った。
店員のリアクションを……。
…………けっこう待ってる……よな……。
……え、まさかのノーリアクション?
「テメェ!さっさとしろよ!!」
俺は思わず顔を上げて、声を荒げた。
しかし、
そこで身体が固まる。
息を呑み、ただ、ただ、呆然とした。
なぜなら、俺の目の前にいる店員が………彼女にそっくりだったから。
水沢詩織に、驚くほど似ていた。
はっとして、我に返る。
店員は、きょとんとしている。
俺は思わず、店員の胸に付いている名札を見た。
名札には“奥田”と書いてある。
……別人なのか?
それにしたって、
何度か、このコンビニに来てたんだ。
いくら店員の顔なんか気にしねぇとはいえ、今まで気づかなかったなんて……。
「……あの。」
立ち尽くしたままの俺に、店員が口を開く。
………あっ!俺、そう、いま強盗だ!!
「さ、さっさとやれ。」
動揺しているせいで、声が擦れてしまう。
……ダッセぇ…。
「…あの、お客様。
こちらは、当店の商品ではございません。」
店員は、俺がカウンターに置いたボストンバックを示して言った。
あぁ、そうだよ。
それは、さっきディスカウントストアで……って、はっ??
「そ、れは……。」
「あぁ!お手洗いでしたら、そちらの奥でございます。」
…………は???
「お客様がお戻りになられるまで、
私が責任をもって、こちらのお荷物はお預かり致しますので、ご安心ください。」
名札に“奥田”と書いてある店員は、ニコリと笑って言葉を続ける。
「あぁ!大丈夫です。時々、お客様のような方はいらっしゃいます。
お気になさらないでください。」
……何?この女?
俺が突き出してる包丁はスルー?
「ふ、ふざけんな!!ナメてんのか!?」
「私は、いつでも真剣です。
頼りないかもしれませんが、こちらのお荷物は責任をもってお預かり致しますので、どうぞ、ご安心ください。」
……オイ…この女、俺が強盗だって分かってる??
ニコリと笑って、完璧すぎる接客スマイルの店員。
……ヤベぇ、急がねぇとっ!
「……俺は強盗だ!!」
……うっわ、恥ずかし!!
強盗だって、名乗るって激しくダセぇ…。
あぁ!!もう早くしてくれ!!
祈るような俺の気持ちとは裏腹に、このどこかズレてる……しかも、かなりマイペースと思われる店員は驚くべき一言を言ってのけた。
「お客様は、後藤様なんですね。大変、失礼致しました。
後藤様、お手洗いは、あちらの奥にございます。
ご案内致しましょうか?」
「……後藤じゃねぇよ!!強盗だよ!!!」
このボケ女!!
水沢詩織にそっくりだけど、コイツは水沢詩織じゃねぇ!
俺が知ってる水沢詩織は、しっかりしてて、面倒見がよくて………大体、口元に小さなホクロがあった!!
このボケ女には、それがねぇ!!別人だ!ぜってぇ別人だ!!