拓巳部長。
日向先輩。
柚マネージャー。




この三人は俺にとって、本当にかけがえのない存在になった。


そして綺麗に光り輝いて、無くなってしまった。
あの夏の終わり。




――日向先輩は、いなくなった。






「…大地くん、日向のこと大好きだったもんね」


柚先輩の言葉に顔を上げた。

優しい目と、柔らかい笑みが俺を捉えた。




…日向。
柚先輩はとても大切そうに、その名前を口にする。


俺もこんなふうに愛されてみたい、とか思ったりする。





すべてが愛に似てる。

いや、すべてが愛なんだ。
そう感じる。



いつでもその優しい目は、日向先輩の走る姿を見つめていた。

最後の一瞬まで。





「…日向先輩は、気まぐれでしたから」


俺も微笑んだ。





「いつかふらりと、帰ってきますよ」






彼女はその言葉に、悪戯っぽい目と口調になった。



「そうかなぁ」

「多分」

「あたしに怒られるのが怖くて、帰ってきたとしても最初には会いに来てくれないかもね」

「帰ってきたらキックしますか?」

「うーん…」



アイスティーをかき混ぜる白い手が、
以前よりも細くなったように見えた。




じっと考えていたその顔が、
ふっと頬を弛めた。




「キックもしたいけど、チョップもしたいけど」


やりたいことはたくさんあるけど。






アイスティーのグラスについた水滴が、
ぽつっとテーブルに小さな染みを作った。

それはまるで、涙のように見えた。




どれほど長い時間を掛けて
その想いが育ったものなのか。

あまりに透明で綺麗な雫が落ちる。







「…とりあえず、校庭走らせるかな。あたしの気が済むまで」






顔を上げた。



柚先輩は静かに泣いていた。
俺が一度も目にしたことのない、とても綺麗な涙だった。









――――…日向先輩。



今何処にいますか?
誰を想っていますか?




随分長い月日が経つのに
1ミリも変わらないどころか
徐々に積もってく想いがあります。





俺はそれを、
柚先輩に会うたび
柚先輩が放つ言葉を聞くたび


痛い程に思い知るのです。







――日向先輩。





先輩には、聞こえていますか?











「つまり」



雄大先輩がマイクを通した声で言った。


「お前は日向を探しに行きたいんだろ?大樹」

「大地です」




いくら三つ上でほとんど関わったことないからって、名前を間違えんなよ。


そうツッコミを入れてから、俺はグラス一杯のコーラをぐいっと飲んだ。

口についた炭酸の泡を拭ってから、「なんというか…」と答える。



「探しに行きたいというか、居場所を確認したいというか…」




久々に来たカラオケ。

メンバーは隆志先輩、雄大先輩、真琴先輩、そして拓巳先輩。



隆志先輩なんて四つも上だから、ほぼ「初めまして」状態だった。





それでもさすが藤島陸上部。

会って数分もすると、仲良く話せるようになった。


どの先輩も話しやすくて、本当にいい人だ。



「それは余計なお世話だろ」




プツッ。


既に十曲以上を一人で歌い続けている雄大先輩が入れた、ケツメイシの曲を中止すると。
真琴先輩が俺の隣に腰掛けた。




「あー、ひどー!!何すんだよっ、真琴」

「お前の音痴ソングにはもう耳が腐る」

「なんだとぉー!」

「しっしっ」



雄大先輩を適当にあしらって、
真琴先輩は煙草に火をつけた。



ゆっくりと立ちのぼる煙。
それを見ていると、少しだけ心が落ち着いた。





「…大地」


名前を呼ばれて、先輩を振り向く。
その澄んだ目がまっすぐとこっちを見ていた。





「どうしたんだよ、急に。久しぶりに集まったと思いきや日向の話なんて」

「…」

「もう2年が経つぞ」





隆志先輩と雄大先輩が、相変わらずふざけあっている。
拓巳先輩は冷静にメロンソーダを飲みながら、歌本を眺めている。


「拓巳ー!俺のケツメイシ、聴きたいよな!?」

「いえ、別に。うるさいんで」

「お前もなんか歌えよー!メロンソーダばかり飲んでないで」




その光景に目をやる俺に、真琴先輩が隣で言葉を続けた。




「俺たちは俺たちなりに、日向のことをちゃんと思い出にして、忘れないで、それでも過去にすることで前を向いてきた」






わかるだろ?


そう柔らかく言った真琴先輩に、こくりと頷いた。




「隆志先輩はもう就活してるし、雄大はああ見えて国立大の法学部だ。司法試験に向けて勉強してる。…拓巳だって、医大で頑張ってる」



一人一人の姿に、将来の夢がきれいに重なって見えた。



全員の時間が着実に前に進み
輝かしい未来に向かっている。


真琴先輩の言葉は、よくわかる。




思い出にしなきゃいけないことがある。
前に進まないといけない時がある。

どうにも元には戻れない、戻せないことがある。






「…でも」

「ああ」

「俺は日向先輩に会いたいんです。どうしても。…何か迷いを感じた時、いつも一番欲しい言葉をくれたのは日向先輩だから」





希望進路は柚先輩と同じ大学の、経済学部。

そこに進むために頑張っている。頑張ってはいる。




だけどそれは経済学を学びたいからじゃなくて、
俺には日向先輩や柚先輩のように心からやりたいと思える何かがないからだ。



迷うほどには、俺には道がない。
それでも今選んだ道を進むべきか…それで本当にいいのか悩む。


悩んでばっかりだ。




両親にも彩にも相談できることはできる。

…けど…






「…もう、待ちくたびれたんです。すぐ帰ってくる。また明日な。…そんな軽い調子で、先輩は手を振ったのに」



…引退試合の帰り道。


片手は柚先輩の手を取って、もう片方の手で日向先輩は手を振った。




"またな"



夕日が眩しくて目を細めたから、
その表情ははっきりとは見えなかった。





「…会いたいです」






今の俺の話を聞いたら、先輩は笑うだろう。


「バカかお前は」って。



…それでいい。

そう言われたら俺だって、「そうですよねー」って笑い飛ばせる。







「ああ。…皆、あいつには会いたいよ」



真琴先輩は俺の肩を軽く叩いた。

そして飲みかけのウーロン茶のグラスを持つと、一気に煽る。




カラン…と氷のかち合う音がした。



俺はそっと聞いてみた。



「…止めますか?」

「…いや」




氷だけになったグラスをどんと机の上に置くと、
真琴先輩はすっとした目を俺に向けた。



「別に止めはしない。大地の人生だ」



雄大先輩達は相変わらずカラオケで盛り上がり続けている。

俺と真琴先輩だけ、少し隔離された別の空間にいるみたいだった。






俺は肩の力を抜いた。


…そう。
それが聞きたかっただけなのかもしれない。




――大切な受験を惜しんでまで日向先輩を探しに行く。




馬鹿げたこと。
人はそう笑うだろうけど、
このまま迷いを感じたまま"なんとなく"人生を生きてゆきたくない。




…そんなの、俺は嫌だ。




だって。





「おい真琴ー!なんかリクエストしろよ」

「雄大が歌わないことをリクエストする」

「なんだとぉー!」






――藤島の先輩達を、

見てきたんだから。