「ソニアが大地に食わせろって言った理由がわかったよ。罰ゲームキャンディ」

「…」

「…大地?」



キャンディをティッシュに吐き出してそのままうずくまった俺に、兄貴が笑いを止めた。

そして少し気まずそうな声で「おい」と肩を叩いた。



「大地?」

「…」

「ちょ、悪かったって。大丈夫か?」


兄貴の焦った声が頭に響く。




――――――

――――



『大地!アメやるよ。アメ』

『お、ありがとございまーす』

『今日は練習頑張ったからな』



目の前で先輩が、にかっと笑う。

差し出された飴を何の疑いもせずに俺は受け取った。
純粋に嬉しかった。


『拓巳にもやるよ。ほら』

『…いや、俺はいいわ』


拓巳先輩は何故か苦笑しながら、タオルを持っていないほうの手を振った。




『柚は?いる?』

『あたしもいらない』


部室の一番奥にある椅子に腰掛けて記録ノートをつけながら、柚先輩も手を振った。

この時点でも俺は気付かなかった。




『………!!』



飴を噛んだ瞬間、口に広がったとんでもない刺激。
異常な酸っぱさに顔が真っ赤になるまで。




『な…なん……これ…っ』

『やっぱり、大地はいいな!』



爆笑する日向先輩を涙目で睨んだけれど、何故か憎めなかった。

日向先輩の陰謀にとっくに気がついていた拓巳先輩と柚先輩も笑っている。


…すると俺も、自然に笑えてしまうんだ。








「う……」


ベランダでうずくまったまま、俺は込み上げてくる涙を拭った。



――…なんでこんなにも、懐かしいんだ。




兄貴は相変わらず異常にうろたえている。



「ゴメン!泣くほど酸っぱかったとは思わなかった!」

「う……っ」

「悪かったって。許せ、大地!」




舌に残ったのは涙味。
手の中でくしゃくしゃに丸まった包み紙は、あの日先輩がくれた飴と同じ色だった。




――It brings back memories.





思い出は蘇る。


そして人に、気付かずにはいられなくさせる。






「…アイミス、ユー」





―――あなたがいないと、

寂しくてたまらないのだ。



と。








――――その頃、日本では。





「おい、柚?」

「…」

「おい」



頬をつねられるまで気付かなかった。

はっと顔を上げると、拓巳が怪訝そうな表情をしている。



「人を呼び出しておいてぼーっとすんなよ」

「あっ……ごめん」



怒ったような顔していても、拓巳は優しいからやっぱり怒らない。

その安心感からか、あたしの心の中は無防備に晒されてしまう。





何かあったんだな。

――拓巳にそう言われるまで数分とかからなかった。





二人で会うのは随分と久しぶり。


こないだ雄大先輩に呼び出された喫茶店に、今度はあたしが拓巳を呼び出していた。


…でも。


「特に何かあった、ってわけじゃないんだけど…」

「…」

「…」

「…雄大先輩に、聞いたわけね」


拓巳はふうとため息をついて、そう苦笑した。


1を言えば10を分かってくれる。
そんな感じの拓巳は相変わらず、藤島メンバーの中で一番いい相談相手だと思う。



「…うん」


あたしは軽く俯いて、最近初めてネイルを塗った指を机の上でちょっと弾かせた。

そしてまた顔を上げた。


拓巳はいつのまにか眼鏡を掛けるようになっていた。

…気付かなかったな。




大学に入ってからは2、3回しか会ってなかったから。

ちょっと懐かしい気持ちで拓巳を見つめた。



「…といっても、俺はよく知らないんだよね」

「…え?」

「大地が言ってた"心当たり"の場所も。結局アイツは俺にも教えてくれなかったし。雄大先輩には教えてるっぽいけど」


そうなんだ…。

ちょっと意外な気持ちだった。
けど。


相変わらず好きなメロンソーダを飲む拓巳に、あたしは慌てて「違うの」と続けた。


「ん?」

「違うの。…別に、日向の居場所を聞き出そうとしたんじゃなくて…」



口を噤んだ。

ちょっとだけ心を落ち着けて、心を整理する。



「そりゃ、知ってたら嬉しいよ。場所を知ってたら会いに行っちゃうと思うよ。でも…そうじゃなくて」




拓巳のまっすぐな目があたしを見つめる。


やっぱり2年じゃ、あんまり変わらない。
そう思った。



「柚?」

「大地くんは…日向を大好きだと思う。日向を本当に慕ってると思う。でも、」



――大地くんが日向と過ごすことができた時間は…あまりに短かった。



「でも、日向はあの子に何も言わずにいなくなったから。何も知らせなかったから。…大地くんはそういった意味で、心のどこかで、日向を憎んでるんじゃないかって思う」



憎む、という表現は正しくないかもしれない。
あたしは軽く唇を噛んで首を振った。


「うまく言えないけど…」

「そうだな」


あたしの言葉に重ねるように。
拓巳は微笑んで、頷いた。




「そうかもしんない」

「…」

「愛してるから、時々ひどく憎みたくなる」




拓巳はメロンソーダに再び口をつけてから、「なんてね」と小さく笑った。
少し自嘲気味の笑みだった。


拓巳が目を閉じる。
眼鏡のレンズ越しに長いまつげがちょっと揺れた。


「俺もね、きっと大地と似た気持ちなんだよ」



――愛してるから、
時々ひどく憎みたくなる。


あたしはその言葉をもう一度、自分の胸の中で繰り返した。

不思議と…すっと胸に入ってきた。



「俺たちは日向を好きだったし、日向にとっても俺たちはかけがえのない存在だと思ってたんだ」


拓巳と目が合った。
あたしは無言のまま、小さく頷いた。



伝えたいことがある。
…それでも今は、拓巳の言葉を受け止めたい。




あの頃からいつだって拓巳は、あたしの話を受け止めてくれたから。



「あいつが足を失っても、俺たちは支えられると思ってた。…それにあいつだって、俺たちと一緒に…」



一緒に。

一緒に、居てくれるって。
笑っていてくれるって。


―――無意識にそう、信じていた。



そう。

あたしだって本当はきっと…そうだった。



目を閉じて一呼吸する。
心の中で反芻する。


ちょっとばかり涙が出そうになったときに、拓巳が「でも」と続けた。




「でも自惚れてた。日向を俺たちが助けることなんて出来ないし、出来るわけがなかった。そのことに気付くのが少し遅かったな」


拓巳は落ち着いていた。
当たり前のことをさらっと口にするかのように、言った。



「あいつの人生は、あいつ自身の足でしか走ることが出来ないんだ…ってこと」