鬼神様の花嫁になった私を、親友は笑顔で呪っている

 鬼神の花嫁が神力を受け継ぐ儀式は、満月の夜に行われる。
 その日が近づくにつれ、黒嶺は屋敷の結界を強めていた。
 しかし、儀式の前夜。
 梨々子が再び訪れた。

「小夜子、最後に会いに来たの」

 彼女はいつもと変わらぬ笑顔だった。

「明日は大切な儀式でしょう? お祝いを言いたくて」
「ありがとう、梨々子」

 私は彼女を屋敷の庭に招いた。
 黒嶺は少し離れた場所で見守っている。

「小夜子。あなた、綺麗になったわね」
「そう?」
「ええ。鬼神様に愛されているからかしら」

 梨々子は私の髪に触れた。

「本当に、羨ましい」
「梨々子……」
「私も、あの方に愛されたかった」

 その声は、初めて聞くほど冷たかった。

「あなたが鬼神様に選ばれたと聞いたとき、どれほど悔しかったかわかる?」
「……どういうこと?」
「私のほうが美しくて、神力も強くて、家柄だって上なのに。どうしてあなたなの?」

 梨々子の笑顔が歪んだ。

「あなたはいつだってそう。何も持っていないくせに、欲しいものだけは手に入れる」
「私は何も望んでいないわ」
「嘘よ!!」

 梨々子は私の手首を掴んだ。

「あなたは昔から、私のものを奪っていった」
「そんなこと……」
「私が欲しかったものを、いつもあなたが持っていく。みんなに愛されて、優しくされて、幸せそうに笑って」

 梨々子の瞳に、涙が浮かんだ。

「だから、あなたの神力を少しずつ奪ったの。あなたが何も持っていないままでいれば、私のほうが幸せになれると思ったから」

 私は彼女を見つめた。

「どうして……そんなことを」
「あなたが悪いのよ」

 梨々子は笑った。

「私はずっとあなたの親友でいてあげたでしょう? あなたが何もできない子だった頃から、ずっとそばにいてあげた」
「梨々子……」
「だから、最後まで私の言うことを聞いてくれればよかったのに」

 彼女の指先から黒い霧が立ち上って、私の手首に再び刻まれた呪印が熱を帯びた。

「小夜子。あなたの身体にある神力を、全部私に渡して」
「嫌よ」

 初めて、はっきりと拒絶した。
 梨々子の笑顔が消えた。

「……何ですって?」
「あなたに私の幸せを決めてほしくない」
「私がいなければ、あなたは誰にも相手にされなかった!」
「それでも、あなたに傷つけられていい理由にはならないわ」

 花のかんばせのような梨々子の顔が醜く歪む。

「だったら、あなたを殺してでも奪ってあげる!」

 黒い霧が一気に膨れ上がった。
 庭の木々が揺れ、地面に亀裂が走る。
 梨々子の背後に、巨大な黒い蛇のような影が現れた。
 それは、人の嫉妬や憎しみを糧にする邪神だった。
 梨々子は自らの神力と引き換えに、その邪神と契約していたのだ。

「鬼神様の力を手に入れれば、私は誰よりも美しく、強くなれる!」

 黒い霧が私を包み込む。
 
(息が、できない……!?)

 膝から力が抜けた。立っていられなくなって、その場に膝をついて荒い息を繰り返す。

「小夜子!」

 黒嶺の声が響いた。
 次の瞬間、庭を覆っていた黒い霧が弾け飛んだ。
 黒嶺が私の前に立っていた。
 額の角が赤く輝き、背後には巨大な鬼の影が浮かんでいる。

「貴様……俺の花嫁に何をした」
「鬼神様! 私はあなたを愛しています!」

 梨々子は両手を広げた。

「小夜子よりも、私のほうがあなたに相応しい。私を選んでください!」
「愚かなことを」

 黒嶺の声が冷たく響く。

「俺が選んだのは小夜子だ。最初から、これから先も変わらない」
「どうして! どうしてあんな女なの!」
「お前は、彼女を愛していると言いながら、彼女の幸せを一度でも願ったことがあるのか」
「私は……!」
「お前が欲しかったのは、彼女の幸せではない。彼女より上に立つことだ」

 梨々子の顔が歪む。

「黙れ!」

 邪神が咆哮を上げた。
 黒嶺は片手を掲げる。
 その掌に、紅い炎が宿った。

「千年の契りを破り、人の心を弄び、我が花嫁を呪った罪。その身で償え」

 炎が一閃する。
 邪神の影が悲鳴を上げ、黒い霧となって消えていった。
 梨々子は地面に崩れ落ちた。

「そんな……私は、ただ……」

 彼女は私を見上げた。

「小夜子……助け、て……」

 その声は、昔と同じだった。
 私が困ったとき、いつも手を差し伸べてくれた梨々子の声。
 けれど、もうその手を取ることはできない。

「私は、あなたを憎みたくなかった」
「小夜子……」
「でも、もう友達には戻れない」

 私は静かに告げた。

「あなたが私を傷つけたことを、なかったことにはできないわ」

 黒嶺が私の肩を抱く。
 梨々子は何も言わなかった。
 その後、彼女は神力を失い、藤宮家へ戻された。
 邪神との契約によって得た力も、すべて消えてしまった。
 もう誰かの神力を奪うことはできない。
 それが彼女に与えられた罰だった。