鬼神様の花嫁になった私を、親友は笑顔で呪っている

 それから数日、私の身体に異変が起き始めた。
 朝起きると、ひどく身体が重い。
 食事をしても味がわからず、夜になると悪夢を見る。
 夢の中では、いつも梨々子が笑っていた。

『小夜子はいいわね』
『小夜子ばかり、ずるいわ』
『あなたの幸せなんて、私には必要ないの』

 目を覚ますたびに涙が頬を伝っていた。時には悲鳴を上げて夜半に目覚めてしまう。
 そんな私の異変に黒嶺はすぐ気づいた。

「もう少し休め」
「大丈夫です……」
「大丈夫な者は、そんな顔をしない」

 夜半に様子を見に来た黒嶺は私を抱き上げると、自身の寝室へと運ぶ。
 頬に残る涙痕を舌で舐めとると、次いで汗で濡れた私の額や首を拭ってくれる。着替えを断った私を寝台にそっと寝かせると、その隣に添い寝してくれたのだった。

「黒嶺様、申し訳ありません」
「なぜ謝る」
「ご迷惑ばかりおかけして……」
「迷惑などと思ったことはない」

 黒嶺の手が私の頬に触れる。まるで壊れ物を扱うかのような優しい手つきだった。

「俺は、お前に笑っていてほしい」

 その言葉に、胸が熱くなった。

「どうして、そこまで私を大切にしてくださるのですか?」

 ずっと聞きたかったことだった。
 黒嶺は少しだけ視線を逸らした。

「お前は覚えていないだろう」
「何を……ですか?」
「十五年前、黒嶺山の麓で倒れていた俺を、お前が助けた」

 私は目を見開いた。
 十五年前のまだ幼かった頃、私は山の麓で傷ついた黒い獣を見つけたことがある。
 村の者たちは恐れて近づかなかった。共にいた梨々子でさえも。
 けれど、私はその獣が苦しそうにしているのを見て、持っていた手拭いで傷を拭いた。どうしても見て見ぬふりはできなかったからだ。

「もしかして、あのときの……?」
「そうだ」

 私の髪を愛撫しながら、黒嶺がそっと頷く。月明りに照らされた赤い瞳の奥にあの日の獣の姿が見えたような気がして、ますます落ち着かなくなる。

「俺は人間に裏切られ、神力を封じられていた。お前は俺が鬼神だとも知らず、ただ傷ついた獣として助けてくれた」
「そんなことが……」
「お前は俺に言った」

 黒嶺の声が少しだけ柔らかくなる。

「『痛いのは嫌でしょう。だから、もう泣かないで』とな」

 覚えている。
 あのときの黒い獣は、確かに涙を流していた。

「俺はあの日から、お前を探していた」
「でも、どうして私が花嫁に?」
「お前の神力は弱くなどない。俺の力を受け入れられる、唯一の人間だった」

 黒嶺が私の手を握った。大きな手は私の手をすっぽりと包んでしまい、梨々子とは違って傷付いた私を癒すように心に温かく染み入った。

「本当は、お前を花嫁に迎えるつもりはなかった」
「え?」
「人間の世で穏やかに暮らしてほしかった。だが、お前の力を狙う者がいると知った」

 黒嶺の瞳に怒りが宿る。その眼裏に誰が映っているのか薄っすら想像できてしまう。
 一緒に暮らし始めてから、黒嶺がそんな目を向けた相手なんて一人しかいないのだから。

「お前の親友は、俺の力を欲している。花嫁の座を利用して、俺の神力を奪うつもりだ」
「梨々子が……」
「お前を花嫁に推薦したのも、そのためだ」

 頭の中が真っ白になった。
 
「梨々子が私を鬼神の花嫁にしたかったのは、黒嶺様の神力を得るため……?」

 私を祝福するためではない。私を利用して黒嶺を得るために最初から仕組まれていたのだ。
 私はただ親友と思っていた相手の踏み台にされただけに過ぎない。

「俺が花嫁に選んだのは、お前を守るためだ」

 黒嶺は私の手を額に押し当てた。

「だが、守るだけでは足りなかった」
「黒嶺様……」
「お前を愛している」

 その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れた。
 嬉しかった。
 怖かった。
 そして、どうしようもなく黒嶺を好きになっていた。

「私も……黒嶺様が好きです」

 黒嶺は目を見開いた。
 それから、私の頬に手を添える。

「本当に?」
「はい」
「ならば、これからも俺のそばにいてくれるか」
「もちろんです」

 黒嶺は私の額に唇を落とした。
 その口づけは、どんな言葉よりも優しかった。