香りは愛を隠せない―月見草の香る後宮で―



第三章

 東宮様と遭遇後、何かお咎めがあるかとドキドキして毎日を過ごしていた。目立たないように寝起きする部屋と典薬寮の往復で日々を過ごしていた。
 そろそろ、ほとぼりが冷めただろうと思った十日後。
 いつも通り慌ただしく、薬の在庫の保留をしていたところに、廊下をバタバタと歩く音が聞こえた。何かあったのかと入口に視線を向けるといつも世話をやいてくれる医官が血相を変えて部屋に入ってきた。
 その様子に中にいた人たちはざわめく。何事かと見ているとその医官は迷うことなく涼風を目指してやってきた。
「涼風、覚悟をしろ」
「ど、どういうことですか?」
 相手の慌て具合におろおろする。いったい今から何が起こるのだろうか。
 するとすぐに廊下から、女官がやってきた。身に着けている小袿(こうちき)から上位の女官だとすぐに分かった。そのきりっとした居住まいからも厳しさが伝わってくる。
 どちらの宮の女御なのかと考えていると、涼風が呼ばれた。
 どうして私が?
 もしかしてあの日の件で何かしらの処分があるのかと緊張する。
「涼風、ついていらっしゃい」
 なぜ?とも、どこに? とも聞けない。もちろん嫌だなんて口をさけても言えない。今の涼風にできることはただ黙ってついていくことだけだ。
 お世話になった医官に頭を下げてから、典医寮を出た。
 大内裏(だいだいり)を抜けて内裏に向かう。このまま後宮に向かうのかと思いきや、清涼殿の近くにある東宮の宮に案内された。
 もうそのころには緊張で体はがちがちで、喉はからからだった。これまでも内裏に入ったことはあるがいつも医官が一緒だった。心細い思いをしながら必死になってついて行くしかできない。
 どんどん政治の中枢に近付いている。権力を求める人にとっては憧れの場所だが、涼風のように平和に過ごしたい人にとっては危険極まりない場所だ。
 しかも呼ばれる理由があの日の処罰以外考えられない。近衛兵が出ていて刑部省に連れていかれるかもしれない。
 ありとあらゆる最悪なことを考えていると、女御が足を止めた。
「こちらでみなりを整えなさい」
「は、はい」
 震える声で返事するしかできない。言われるままにその場にいた侍女に着替えを手伝ってもらう。これまでよりも上等な生地に緊張が走る。
 自分の身に何が起こっているのかわからずにただただ不安でされるがままになってい
た。
 着替え終わるとまた、先ほどの女御によって連れ出された。
 そして最終目的地に到着した場所にいた人物を見て、涼風は十日前の自分の失態を本当の意味で公開した。
「東宮様、お連れしました」
「あぁ、ご苦労だった」
 連れてきてくれた女御はすぐにその場を辞してしまった。御座にあぐらをかいている東宮を見て涼風は急いで頭を畳に擦り付けた。
 そして言葉を発せずその体勢のまま声をかけられるのを待つ。
「そなた、一番好きな香りはなんだ?」
 え? どういうこと……今、香りって言った?
 なぜそんな話をされるのか、答えられずに固まってしまった。
「聞こえないのか?」
「い、いえ。白檀と月見草が好きです」
「ほほう。やはり香に詳しいようだな」
 東宮が感心するのも無理はない。香は高貴な人々の娯楽だ。本来涼風のような低い身分で嗜む者は少ない。
「叔父が田舎で医官をしておりまして、薬草の調剤と同に香についても教えてもらいました」
「なるほど、それで典薬寮に出入りしていたのだな」
「はい」
 本来涼風の身分ならば典薬寮では働けない。だが特別な知識を持つということで、千草が昔の伝手を使って女官の試験を受けて出仕したのだ。
 経緯が特殊なので疑問に思ったのかもしれない。もしかしたら遡って罰をうけるのかもしれない。だが素直に答えるだけだ。
「では私にも調香してくれないか?」
「はい?」
 顔を上げそうになってまた畳に額を付けた。
「わ、私なんかが殿下に調香など、とんでもありません」
 内裏にはその手の玄人がたくさんいるはずだ。涼風なんかが手を出すべきじゃない。
「私がそなたに作ってほしいと言っているのだが?」
「は、はい」
 東宮から依頼されたことを断るのがそもそも間違いだ。引き受けるという選択肢以外は私にはない。わかっているけれど、本当に引き受けていいものだろうか。東宮を満足させるものが作れるのだろうか。
「なんだか不満そうだな」
「めっそうもありません」
「他の人には、規則を破ってまで練香や薬を渡しているのに、私にはそれができないというのか?」
「どうしてそれを?」
 思わず顔をあげてしまい、そのご尊顔を目にしてしまい思わず釘付けになってしまった。
 なんて綺麗な顔なの……。
 この間の方が距離が近かったけれど、日の光が眩しくてきちんと見られなかった。あらためてみるとその美しさに目を奪われる。
 長い睫毛に縁取られた瞳が、意味ありげに細められる。薄く弧を描く唇には、見る者の心を惑わせるような笑みが浮かんでいた。烏の濡れ羽色の髪が頬にかかる姿は、どこか妖しく、目を逸らすことさえ惜しくなるほど美しい。
 目が合ってドキッとした。美しいその瞳の中が涼風を射貫く。
 顔を伏せようとしたところで、顎を掴まれた。
「後ろめたいから、こちらを見られないのか?」
「ち、違います」
「じゃあ、規則を破ったことは認めるんだな」
 涼風は頷くしかできなかった。ここでごまかしてたところですぐに事実は明るみになる。それに相手は東宮様だ。たとえ間違っていたとしても彼が黒と言えば黒になる。
「やけに素直だな。認めなければ受け取ったものも同罪として罪に問うつもりだったのだが」
「それだけは、やめてください。私が勝手に押し付けたものです」
 侍女や下働きの者は、体調が悪くても薬なんて簡単には手に入らない。見かねた私が押し付けただけだ。
 それに医官も品質が落ちた材料を使うのを目をつむってくれていた。厳密にいえば規則違反だ。彼らにも影響が及ぶかもしれない。
「どうか罰するなら、私だけにしてください」
 典薬寮で働けることになった涼風を胸をはって送り出してくれた玄秋と千草。こんな結果になって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 床に頭を擦りつけて謝罪する。
「罰を受け覚悟はできているんだね」
「はい」
「死ぬかもしれないが、怖くはないのか?」
 問われて一瞬考えた。すぐに答えが出た。
「怖くないと言えばうそになります。でも……会いたい人に会えるから」
 そうだ、黄泉の国には、宵がいる。彼女に会えるなら死ぬのも悪くない。
「そなたの会いたい人とは誰だ?」
 東宮の顔に好奇心が浮かぶ。
「妹です。昔、私の住んでいた村が火事になって。妹は助からなかったんです」
 あの日の光景を思い出すだけで、恐怖がよみがえってくる。
「そなたにとっては大切な人だったのだな」
 思いがけず優しい言葉が返ってきて少し意外だった。それがうれしくてついつい言わなくていいことを口にしてしまう。
「血はつながっていないんです。育ててくれた叔父夫婦の子どもで、私が彼女の代わりになればよかったのにって。きっと今もひとりで寂しい思いをしていると思うので死ぬのも悪くないですね」
 他の人に害が及ぶくらいなら、ちゃんと自分が責任を取りたい。
「そんなことを口にするべきじゃない」
 ぴしゃりと言われて驚いた。東宮の顔はどこか寂しそうにみえる。
「誰かの代わりになるなんて、考えるべきじゃない」
「え?」
 なぜそんな辛そうな顔をするのだろうか。気軽に確かめる関係じゃなくてどう声をかけていいのかわからない。
「お前はお前だ。決して誰かの代わりにはなれない」
「はい」
 当然の事と言えば当然だ。それでも自分が唯一無二であると言われているように聞こえて胸がざわめいた。
「よって規則を破った責任は自分で負いなさい」
「は、はい」
 結局そういうことか。ちょっと感動したのに損した気持ちだ。
 どういう罰が下されるのか。涼風は拳をぎゅっと握り、奥歯を噛みしめた。
 下を向いたまま、どんな罰が下されるのか覚悟する。
「お前は今日から私の宮で働いてもらう」
「……え」
 とりあえず命は助かったけれど、これはただ先延ばしになっただけなのかもしれない。これまでずっと高貴な人たちには近づかないようにしてきた。無用なトラブルを避けるためだ。
 だが東宮の宮で働くとなると、その危険度は一気に増す。
 ダメもとだとわかっているけれど、逃げ道を探す。
「私はそもそも内裏で働けるような身分ではないのです。どうかご容赦いただけませんか?」
 涼風は下げていた頭をもっと深く下げた。
「身分なんてものは、私が言えばどうにでもなる。そもそもそなたが断れる立場か?」
 おっしゃる通りだ。言う通りにするほかない。やっぱり無駄な抵抗だった。
 でもこれじゃあ、首の皮が一枚つながっただけだ。すぐに何か粗相をして罰を受けることになりそうだ。
「誠心誠意頑張ります」
 もうそう答えるしかなかった。
「最初から素直にそう言えば良かったんだ。霧島(きりしま)この娘はそなたに任せる」
 先ほど涼風をここに連れてきた女御が「かしこまりました」と背後で返事をした。
「そなた名前は?」
「涼風にございます」
「今後は霧島について仕事に励みなさい」
「はい」
 東宮は退出を促すように手を振った。
 凉風は霧島と呼ばれた女性の後について御所を辞した。
 廊下をしばらく歩いてから、大きく息をはいた。やっとまともに呼吸ができた気がする。
「ぐずぐずしないで、こちらに来なさい」
 振り返った霧島に急ぐように言われ、凉風は落ち着く暇もなく必死になって彼女について行った。
 それから凉風は霧島の容赦のないしごきに毎日へとへとになった。新入りの仕事は朝早くから夜遅くまで続き、寝台に横になった瞬間には睡魔に襲われる毎日だ。
 その日も同じように疲た体で眠りについた。その時だったふとどこかからか白檀の香りが漂ってきた。
 あぁ、いい香り。
 昔ふたりで練香つくりをした時、白檀が宵のイメージにぴったりだと思って選んだ。おとなしくて病弱だった。儚くて可憐で、いつも守ってあげなければいけなかった宵。
 彼女の清廉なイメージにぴったりだった。
 楽しかった日々を思い出しながら、その日はぐっすりと眠りについた。
 内裏の仕事は典薬寮で働くよりも、決まりが多く大変だった。
 だが小さいころから好奇心旺盛だった凉風は、新しい学びに貪欲であっという間に女御たちにかわいがられるようになった。
 重宝されるようになったきっかけは香だった。
 東宮は香に強いこだわりがある。よってなかなか気にいる香がなく難儀していたとのことだ。
 凉風はこれまでの好みを記した文書を読み、保存してあった書物も引っ張り出してきて東宮のための香作りに取り組んだ。
 凉風にとっては大好きな香作りが仕事でできるとあって、時間を忘れて取り組んだ。変わった香を作るとあっという間に内裏や後宮に広がって、依頼が来るようにもなった。
「すず、この間作ってもらった香、皇太后様がたいそうお気に入りなの。また追加で作ってもらいたいの」
「はい、わかりました。でも今注文が立て込んでいるので、少しお待ちいただくようになるのですがよろしいですか?」
 その瞬間女御の顔色が変わる。
「皇太后様よりも尊き人がいらっしゃるというの?」
 周囲にいた女御たちにきつい視線を向けて牽制している。しかし周囲の女御も負けてはいない。
「たしかに皇太后様は尊きかたです。ですが私どもの主人とて、長らく待っているのです。順番はきちんとお守りくださいませ」
 ふたりの間に火花が飛ぶのが見えた。どうにかして争い止めたいけれど、ふたりとも凉風よりも身分が高い。どうしたらいいのか悩んでいたら、颯爽と霧島が現れた。
「おふたりとも、お忘れでしょうが、すずは東宮付きです。東宮様のための香を作るのが仕事です。お控えくださいますよう」
 ふたりの女官は霧島よりも身分が低い。よってこう言われてしまっては引き下がるほかない。
 それまで睨み合っていたふたりは「ふん」と顔を背けあって、足音を立てながら部屋を出て行った。
「霧島様、助かりました」
 救世主にお礼を言うと、彼女は仕方なさそうに凉風を見た。
「あのような者たちを上手にあしらえるようにならなければなりませんよ」
「はい」
 返事をしてみたものの、それは私にとってはどんな仕事よりも難しい。
「まぁ、仕方がないわね。あなたのような身分のないものがここでやっていくのは大変だだもの」
 霧島は東宮付の女官を束ねているだけあり、厳しいだけではなく、優しい気遣いも見せてくれる。
「そもそも東宮があなたを召したいとわがままを言ったのが原因かですからね。巻き込まれたあなたが不憫だわ」
「東宮様がわがままを?」
 これは私が勝手に香を作ったり、薬を作ったりしたのを咎める罰だったはずだ。
「そうです。普段はそのような無理をおっしゃらない方なので、正直びっくりしました。本来ならばこのような前例のないことは認められないのですよ。しっかり精進しなさい」
 涼風は特例なのだと、そういい残した霧島は部屋を出て行った。
 東宮がこれまでの慣例を破ってまで自分をこの宮に連れてきたのを初めて知った。
 どうしてそんなことを?
 考えたって答えが出るわけじゃない。無駄だとわかっていても考えてしまう。
 考え事をしていても、手と鼻はきちんと仕事をこなす。
 調香の仕事をしている間は、他の仕事が免除されている。だからこそしっかりとしたものを作って喜んでもらいたいのだ。
 少し頑張ったら皇太后様の分まで作れるかもしれない。
 そう思いながら作業に没頭していると、部屋の中に香とは違う匂いが漂ってきて集中が途切れた。
 手元から顔を上げると、すぐに大きな握り飯に視界を遮られた。
 背後を見ると東宮が立っていた。
 涼風は急いで身を引いて、頭を下げた。
「東宮様におかれましては――」
「いいから、食事をとれ」
「え?」
 ぐいっと握り飯を差しだされてそれを受け取った。
「ありがとうございます」
 受け取った後も、東宮はその場でずっと涼風を見つめている。
 もしかしてこれは……食べるまでここにいるつもりなのかな?
 何とも気まずい。ゆっくりと握り飯を口に運ぶ。一口食べると自分がかなり空腹だったのだと気が付いた。
「美味いか?」
「は、はい……んぐっ……ごほっ、ごほっ」
 咀嚼しながらなんとか返事をすると、喉につまらせてしまった。
 胸をどんどんと叩いていると、水がさしだされた。慌てて受け取ってすぐに飲み干す。
「ゆっくり食べろ。まだあるから」
 東宮の手にはもうひとつの握り飯があった。
「いえ、私はこれで結構ですので」
「いいから食べろ」
 もうひとつも机の上に置かれた。もしかしてこれを食べるまで東宮はここにいるのだろうか。
 涼風の予想通り、東宮は部屋から出ることなく香の材料を興味深くみていた。
 もぐもぐと静かに食べる。時々ちらっとこちらを見ているが気にすると食べられなくなるので無視して食べ続けた。
 最後のひと口をごくんと飲み込んだのを見た東宮が、手を広げて涼風の前に差し出した。
「え、あの……」
 この手の平には何を載せるのが正解なのだろうか。
 よくわからずに、東宮の様子を見る。しかし手のひらをぐいっと差し出されてやはり何かを催促されているようだ。
 そこでハッとひらめいた。東宮のために調香した香を催促されているのだ。
「失礼しました。お待ちください」
 引き出しに丁寧に保管していた香を取り出し、東宮の手のひらに乗せた。どうやらそれが正解だったようだ。東宮の口元がほんの少し緩んだ。
 すぐに鼻先に持っていって匂いを嗅いでいる。真剣な顔で確認した後、表情が緩んだ。
「なかなかいいな」
 合格が出てほっとした。東宮の香の好みはかなり難しいらしく、これまで調香を請け負っていた人もかなり苦労していたようだ。涼風もこれまで使われたもののバランスを少し変えたり別の材料を加えたりして、より好みの香りに近付けたつもりだ。
 そしてこれは白檀と月見草という独特の香りを放つ彼に合わせて調整した。おそらくこの香りは涼風しか感じられないものだ。だからそれを考慮して調香をした。
 よかった!
 苦労が報われた瞬間に、思わず顔がにやけてしまう。するとその瞬間を見られていたようで、頬を軽くつねられた。
「……っう」
「褒美だ」
 これが褒美だなんて、高貴な人のすることは何でもありがたいと思わないといけないのか。
「気に入った。量がもう少しほしいな」
「かしこまりました」
 同じものの調香ならそんなに時間はかからないだろう。
「手を出しなさい」
 言われたまま両手を差しだすと手のひらに、紙につつまれた唐菓子をのせられた。
「こっちが本当の褒美だ」
 ニヤッと笑った後、そのまま部屋を出て行った。
 頭をさげて東宮を見送る。廊下から気配を感じなくなったころ手の中にある菓子をひとつつまんで食べてみた。
「甘い」
 はじめて食べる菓子のおいしさに、口の中に幸せが広がった。
 作った香を東宮が気に入ってくれてよかった。そしてそれをねぎらってくれたこともうれしい。
 誰かから評価されることの喜びを、甘い菓子と一緒に噛みしめた。
 
第三章 
 寒さが緩和される季節になると、最後の寒気を追い払うために火陰祭(ほかげさい)が執り行われる。
 内裏の中は準備に追われて慌ただしく過ごしていた。
 かくいう涼風もこの時期ばかりは香づくりに時間が取れず、あちこちの手伝いに駆り出されていた。
 香づくりでたくさんの人との交流があったおかげで、どこにでも駆り出されてしまう。それでも持ち前の明るさと器用さで仕事をこなしていく。
「涼風、こっちに来て。少し手伝って」
 最後は厨で下働きの仕事を手伝った。祭事がはじまる頃になると、やっと食事の時間がとれた。空き時間に急いで食べることがほとんどだが、今日はゆっくり食事ができそうだ。
 食堂で数人集まって食事をとる。祭事のおこぼれで今日は下働きの料理も豪華だ。本来は女官として出仕している涼風だったが、下働きにまじっている方のんびり過ごせるので好んでここで食事をとる。
 霧島様と食事すると木なんて、味なんてしないもの。
 朝から忙しかったけれど、美味しい食事にみんな笑顔だ。食事が終わるとまた忙しくなるので、束の間の休息だ。
「そろそろ火の神様がいらっしゃるみたいよ。見に行こう」
 周囲に誘われた涼風も一緒に外に出て、催事が行われる清涼殿の南庭に向かった。遠くからではあるが見学が許されている。
 急いで移動しているときに、霧島様が涼風を呼びにきた。
「涼風、あなたは東宮付きの女官ですよ。ふらふらしすぎです」
 ぴしゃりと叱られて「申し訳ございません!」と反射的に謝罪する。
 心の中で霧島様に言われた通りにしていたのだがと思ったが、もちろん口に出さない。
 霧島様と一緒に東宮の席の後ろに控える。豪奢な幕の間から祭事を眺める。特等席の後ろなので隙間からでもよく見える。
 たくさんの松明の炎がゆらゆら揺れている。琵琶や笙(しょう)の演奏が始まる。厳かな雰囲気の中、松明が振り回されて大きな輪を描く。幻想的な雰囲気に目を奪われる。
 はじめて見る光景に感動する。息を飲み集中していると、気になる匂いが漂ってきた。
 これは、何の匂い?
 目をつむって集中する。涼風でも集中しないとわからないくらいの匂いだ。放っておけばいいのだろうけれど、どうしても気になる。
 色々な臭いがまじりあっている。その中からたったひとつの匂いを探す。
 見つけたっ!
 ぱっと目を開いた、その先には真剣な顔の東宮がいた。
 公の場にいる東宮は、凛としていて近寄りがたい美しさをまとっている。今日のような場所では余計にその気高さが際立つ。
 しかし今涼風が感じているのは、恐れや不安だ。なぜ今の東宮からこのような感情が感じ取れるのだろうか。一見して見えないけれど、わずかに汗ばんでいる。
 それまで祭事に夢中になっていたのに、今となっては東宮が気になって仕方がない。
 遠くから見ただけでは、東宮はいつもと変わらない。けれど祭事が終焉に向かうにつれて、匂いがどんどん強くなっていく。
 それに伴い涼風の心配も大きくなった。涼風以外の誰も東宮の変化に気が付いていないのにやきもきする。
 涼風の身分では祭事の最中に東宮に近付けない。ただ時間が経つのを待つだけだ。一刻も早く東宮の状態を確かめたい。
 落ち着かない気持ちでじっと待つ。
 庭園の中心の神火がよりいっそう大きく燃え上がると、音楽が止んだ。