フッと意識が浮上したので、目を開け、口で肺一杯に大きく吸い込んだ……。
スマホのアラームを止めるために、頭上に手を伸ばす。
枕元のアラーム音代わりのスマホの震えで起きるので、寝起きはかなり良い方だと思う。寝坊して遅刻するというアクシデントは、今のところ起きた事は無い。
何か夢を見ていた気もするし、見ていない気もする。覚醒しきっていない頭でそんなどうでも良いことを考えながら、スウェットを脱いだ。
「おはよ」
いつもと同じ時間にリビングへ降りれば、食パンを口に運ぶ妹を見つけた。
古谷詩、中学2年生——
「おはようお兄ちゃん。……それ、寝ぐせ直んなかったの?」
自分の頭をポンポンとしながら尋ねる妹に、ピョンと跳ねた方の髪の毛を抑えながら頷いた。
「水で濡らしても駄目だった。学校で誰かに、ワックスかアイロン借りる」
「うん、それが良いと思う。さすがにダサいもん」
朝から辛辣な妹にハハハと笑いながら、自分の分の朝食を準備する。
「母さん今日早出だったっけ?」
「うん。夜ご飯は作れるって言ってた」
「分かった。俺今日は部活無いけど、一緒に帰る?」
キッチンで、コップに牛乳を注ぎながら尋ねれば、首を横に振られる。
「友達と帰るから、お兄ちゃんもそうしたら?」
「はいはい」
チンという音と共に飛び出した食パンを更に乗せ、冷蔵庫からイチゴジャムを取り出した。
「お兄ちゃんそれ、明日のお菓子作りに使いたいから食べないで」
「ええー……、分かった」
イチゴジャムの気分だったのを押し殺し、ピーナッツクリームにチェンジする。買ってこなきゃいけなくなるより、自分の欲求を抑える方が勝った。
妹と同じ学校に通う利点は、朝家を出て妹が友達と合流するまでは、合法的に一緒にいられる事だ。毎朝、ルンルン気分で通学できている現状に、過去の自分に感謝する。偏差値を大幅に上げた中学の自分、お前のおかげで毎朝俺は幸せです。
「詩!……とお兄さん、おはようございます」
「紫苑ちゃん、おはよう」
「おはよ」
駅で走ってやって来たのは、妹の友達の夏野紫苑さん。
妹へ向けた笑顔とは対照的な顔を俺に向けつつも、律儀に挨拶はしてくれる。
「じゃあ、お兄ちゃんバイバイ」
「はいはい、こけんなよ」
夏野さんと正門へ向かった妹を見送り、自分も高等部の校舎に近い裏門へ歩き始める。
その時、ポケットの中のスマホが通知を告げて震える。取り出すと、そこには高梨からのメッセージが届いている。
―おはよ。
―寝ぐせついてるよ
キョロキョロと周囲を見回せば後ろから、声がかかる。
「古谷」
振り返れば、太陽を背負ったイケメンが、爽やか笑顔を浮かべて立っていた。
「おはよ」
「おはよう、高梨。朝から爽やかだな」
「爽やか?かは知らないけど、朝は苦手じゃないから」
「俺も苦手じゃないけど、これはどうにも出来なかった」
そう言って本日二人目に指摘された寝ぐせを撫でる。ぴょこんと跳ね返すのが、憎たらしい。
「ちなみに、ワックスとかアイロン持ってない?」
「ごめん、俺何もつけないから…」
俺の寝ぐせを興味深そうに見つめる高梨の髪は、サラサラなストレートヘア。癖とは縁遠そうだ。
そのまま一緒に登校する事にして、歩き出した。
「てか、もしかして、同じ電車だった?」
「うん。でも、気づいたのは駅についてからだよ」
「そっか。いつも同じ電車?」
「そう。古谷も?」
「うん。同じだったのか、気づかないもんだなぁ」
ふと思い立った提案をそのまま口にする。
「じゃあ、明日から一緒に行く?」
不自然では無い流れだったと思うが、聞きながら見上げた高梨は、すごくビックリしていた。
「え、何その反応…。いや、別に無理なら無理で良いんだけど……」
「あ、ごめん。いや、まさか誘ってくれるとは思ってなくて。ぜひ、お願いします!」
慌てた様に返事をした高梨が、頭を下げてきて、今度はこちらがビックリする番だった。
「いや、そんな畏まらなくても、というか妹も一緒だけど大丈夫?」
「うん、中等部の妹さんだよね。俺は平気だけど、妹さんは大丈夫?」
心配そうに聞く高梨に、「今日中に聞いとく」と返した。そうして、高梨は大丈夫だとは思うが、念のため釘は差しておこうと口を開く。
「ちなみに、俺の妹。絶世の美女だけど、惚れないでね」
「……え、突然どうしたの?…というか、絶世の美女?」
「そう。または、千年に一人の美少女」
「それは、ある意味気にはなるけど、好きにはならないよ。……俺、年下に興味ないから」
「なら、良かった!せっかく出来た友達を失くしたくないし」
その言葉にホッとして笑えば、高梨も一緒になって笑った。
その笑顔は、昨日見せたあの顔とは違っていて、あの時の様なドキドキは訪れなかった……。
登校した流れのまま一緒に教室に入れば、珍しい組み合わせだからか、クラス中の視線を集めた。さらに言えば、ざわついていた教室が静かになった。
「え、何で古谷と高梨一緒に来たの?仲良かったっけ?」
クラスメートの一人がそう声をかけてくる。
「別に。クラスメートなんだから、一緒に来ても良いだろ」
テンプレの返しはあまりにもお粗末で、誰からの賛同も得られていない。が、正直それ以上の回答を俺は持ち合わせていない。
「昨日から、友達になった。な、古谷……」
「え、あ、うん……」
しかし、高梨はどうやら違ったらしく、そう大きく宣言し、俺を見て笑った。二人の時に浮かべていたどの笑顔とも違うそれは、まるで仮面。顔は笑っているのに、目だけが鋭かった。
「——え、でも、何で急に……?」
至極もっともなその言葉に、クラス中が頷いている。しかし俺も返したい。お前のその隣にいる友達と仲良くなったきっかけを話すことが出来んのか?と。まぁ、言わないけど。
「仲良くなるのに、理由いらなくない?じゃあ、そっちは?言えんの?」
高梨は、俺が思っていたのと全く同じ事を、ピリッとした温度ゼロの声で告げた。いつも穏やかな高梨が発したそれは、これ以上の追及を跳ねのけるには十分だった……。
一瞬にして教室の空気を凍てつかせる事に成功した高梨は、「じゃあまた後で」と俺に笑いかけ、自分の席へ歩いて行った。
授業中も意味深な視線を感じつつも、高梨のおかげで、一切の追及を受けないまま、昼休みになった。教科書やノートを片付けていると、入り口から名前を呼ばれた。
「古谷、食堂行こうぜ」
「三宅、ちょっと待ってて……」
隣のクラスの三宅琴。
一年の時に席が前後だった時に仲良くなって、クラスが離れた今も一緒にお昼を食べたり、偶に遊びに行ったりしている。
誘いに来てくれた三宅に断りを入れつつ、俺は目当ての人物を探した。
そいつも鞄から財布を取り出したところだった。
「高梨!」
俺の声にこちらを向いた高梨が不思議そうな顔でこちらを見る。
「俺ら今から食堂行くんだけど、一緒に行かない?」
「え……?」
「えっ、高梨⁉」
突然の誘いに、高梨と三宅の両名から驚きの声があがる。
三宅に説明していなかったことを思い出し、昨日から仲良くなったことを伝えた。
「あ、そうなん?じゃあ、高梨も一緒に行こうぜ」
「行こう、高梨」
すんなりと受け入れた三宅と一緒に再度誘いの声をかける。困惑した表情を浮かべつつも、「じゃあ……」と頷いた。
「それより古谷、今日は随分可愛い髪の毛だな」
「あ、忘れてた…。三宅ごめん、ワックスかヘアアイロン持ってない?」
何とか髪型も修正し、食堂へ向かう。無事に日替わり定食をゲットした俺たちは、四人掛けのテーブル席についた。
「で、何きっかけ?」
「俺が高梨をナンパした」
「ああ、俺の時と一緒ね」
「えっ……」
日替わり定食を突きながら水を向けた三宅に、適当に答える。するとそれにそのまま乗っかって来た。いや、高梨冗談だから、本気に取ってちょっと引くの止めて。
「うそうそ。俺と古谷は一年で同じクラスだったんだけど、席が前後で。話す相手いなくて、俺が古谷の肩を叩いたのがきっかけ」
三宅はそう言いながら、俺の皿に、ハンバーグの下に弾いてあったオニオンソテーを放り込んでくる。
「おい、嫌いなもの俺に寄越すなよ」
「良いじゃん!音ちゃんは何でも食べれる偉い子だから、俺の嫌いな玉ねぎも食べてくれるよね」
「きもい」
仕方なく二倍になったオニオンソテーに箸を伸ばす。
「音?」
パスタランチを選択した高梨が、ホークにパスタ麺を絡ませながら尋ねる。クルクル巻くの上手いな。
「俺の名前、古谷音」
「ああ、なるほど」
見事に一口大に完成したそれを、口に運びながら「良い名前だね」とほめて来た。
「ありがと、俺も高梨の名前好きだよ」
返しとしては百点満点だと思われるそれに、高梨はにっこり笑った。
「いや、待って……」
するとそんな俺と高梨のやり取りを見ていた三宅が、口を押さえながら声をかける。
「何だよ」
「お前らって、昨日から友達なんだよな」
「そうだよ」
「それにしては、何でそんな甘い空気が流れてんの?俺の居心地の悪さ凄いんだけど!」
「——は?」
三宅の言葉の意味が分からず首を傾げて高梨を見ると、同じように不思議そうな顔をしていた。良かった、仲間がいる。そんな俺らに、三宅がやれやれという感じで首を横に振った。
「無自覚か、無自覚なのか。そうか、じゃあ良いや」
勝手に自己完結したそいつは、俺と高梨を交互に見てから「ごちそうさま」と手を合わせた。いつの間にか、三宅の皿は空になっていた……。
ホームルームが終わり、各々移動を始めるクラスメートの合間を縫って、高梨がやって来た。
「古谷、今日も部活?」
「ううん、今日は自由日」
「自由日?」
「うん。集まるのは毎週火曜日で、あとは写真を撮ったりする日だから、部室には行かなくて良い日」
「へぇ、じゃあ今日は写真撮るの?」
「うーん、どうしようかな。いつもは学校をグルグルしながら、撮りたいもの撮ったり、市営の動物園に行って閉園まで動物を撮ったりしてる」
「動物園?」
高校からバスで二十分の所にある市営の動物園は、入場料三百円という破格の価格で、ライオンやキリン、猿やレッサーパンダ、カバまでいる。休日も思い立っていく事が多い、お気に入りの場所だ。
「へぇそんな所あるんだ。俺、行った事ない」
「え、じゃあ行こうよ。高梨、今日暇?」
「うん、暇」
「アオサギがいるんだけど、全然見つかんなくて、一緒に探してほしい」
隠れるのが上手で、中々姿を見せてくれないアオサギについて語りながら、二人でバス停に向かった……。
