冷酷皇帝のひいらぎ妃



 風に乗って柊の花が揺れている。
 可愛らしい小さな白い花とギザギザ尖った緑の葉。
花乃(はなの)は微動だにせず、それを見つめていた。

(このお庭でこの花を見るのは、今日で最後なのね)

 ずっと心の拠り所にしていた。いや、彼の形見だと思い大切にしてきた。十年前は同じ目線だった柊は、ゆうに花乃の背を超え、大きく立派になっている。

「……いってきます」

 小さく呟いた花乃の声に返事をするように、花がそっと揺れた。


 ◇◇◇


 ここ紅華国(こうかこく)は遥か昔から妖魔が蔓延る国だった。
 それらを滅せるのは強力な異能を持つ者のみ。年々異能者は減り続け、今では崇められる存在。ほとんどが国のために尽くしていた。
 貴族の娘として生まれた花乃は、異能は持っていないが、なぜか妖魔を引き寄せる体質をしていた。心配した両親は、術師に頼み屋敷周辺に強力な結界を張ってもらい、花乃を守った。花乃は周囲に守られながら天真爛漫に朗らかに成長していった。
 
 あれは花乃が八つの時——

 花乃はいつものように屋敷の庭で花を摘んで遊んでいた。摘み取った黄色の小さな花を器用に繋ぎ合わせ輪を作っていく。

「……できた!」

 完成し嬉しそうにする花乃の足元に、小石くらいの黒い塊が転がってくる。塊が近づいてくるたびに、周囲はまるで黒い霧が立ち込めたように暗くなっていった。

「……?」

 花乃の足元に止まったそれはぐんぐんと大きくなり、一瞬にして恐ろしい妖魔へと形を変えた。
 黒光りしている身体に赤い目。大きく裂けた口。不気味な姿をする妖魔は花乃から目を離すことなく、襲い掛かろうとしていた。
 恐怖のあまり声も出ないし、身体が動かない。小刻みに震えることしかできなかった。

(……いやっ、怖い……)

 手から作り終えた花かんむりが落ち、目を固く瞑ったその瞬間。
 強い風と柔らかな声が花乃を包んだ。

「花乃! 大丈夫?」

「……かなめ、お兄さま」

 すっと通った鼻筋に、紅色の美しい瞳。幼いながらに整った顔立ちをしたその少年は、花乃の手を強く握り、心配そうに顔を覗き込んだ。
 血のような紅いの瞳は心配そうに細められている。
 隣の屋敷に住む二つ年上のかなめは、こうやっていつも花乃を守ってくれる兄のような存在。

「もう花乃に近づくな」

 かなめは強風で吹き飛んだ妖魔に向かって手を伸ばす。彼の手のひらからは紅い炎が上がり、妖魔を焼き払った。
 静けさが帰ってくる。
 かなめはゆっくりと振り返り、花乃に笑いかけた。

「危なかったね、大丈夫だった? 怖かっただろう」

 花乃は優しくて頼れるかなめが大好きだった。思わず抱きつく。

「いいえ……! いつもかなめお兄さまが助けてくださるから何も怖くありませんわ……! かなめお兄さまは火を出せるのね! すごいわ!」

「……そんなことないよ」

 かなめはなぜか切なそうな顔をしたまま、花乃の頭を優しく撫でた。

「花乃、これあげるよ」  

「?」

 かなめから身体を離し、彼の手元を見る。かなめの手には、柊の花が握られていた。

「かわいいお花……! それに良い匂い。これはなんていうお花なの?」

「これは柊さ。ずっと持っていてほしい。きっと花乃を守ってくれるから」

「私を? このお花が?」

「そう。だから約束だよ」

「分かった! ありがとうお兄さま」

 この時のかなめは少し寂しそうにぎこちなく笑っていた。
 
 このやりとりをした夜だった。
 かなめの屋敷に侵入者が入り、屋敷は全焼。人の遺体もわからないほど焼け焦げてしまい、かなめは亡くなったと聞かされた。
 悲しみに暮れる花乃だったが、彼が残してくれた唯一のもの、柊の花だけは大切にしようと自分に言い聞かせた。これは彼の形見だと。そして庭に植え、大切に育てた。
 それからは庭の柊の手入れをすることが日課となった。不思議だったのは、あの日を境に花乃が妖魔に遭遇しなくなったこと。
 花乃は妖魔と遭遇しなくなった自分は、妖魔を引き寄せる体質が変わったのだとばかり思っていたのだった。